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【野良自転車】忘れ去られ 雑草に取り込まれてしまった人間の道具 醸し出される寂しさは何なのか

<雑草に囲まれて見えにくくなっていく閉業店舗 かと思うとすぐに別の店になっている店舗もある>

かつて、不思議な魅力で人気を博した「やっぱり猫が好き」という深夜番組がありました。


とあるマンションの一室で繰り広げられるシチュエーション・コメディでしたが、「もたいまさこ」「室井滋」「小林聡美」が三姉妹として出演していて、その他には猫が出ていました。
もちろんシナリオがあっての番組だったんだろうと思いますが、三姉妹のとぼけたやり取りが、ほとんどアドリブのように感じられて、深夜番組としては3年ぐらい続いた異例の人気でした。

 

 

 


深夜番組ということで低予算ですから、いつもはマンションの部屋として設定された、リビングと思わしい狭いスペースの中で繰り広げられるコメディだったんですが、人気ゆえに予算が付いたものか、ロケに出た回もありました。


確か、福島県に旅行に行くというシチュエーションの回でしたが、三姉妹が歩いて旅する途中で、空き地に停めてあったヘリコプターに勝手に乗り込んで飛び上がったものの、ちゃんと操縦できるはずもなく、民家の屋根に突き刺さって終わるという回がありました。前編後編に分かれていたと思います。


この回を懐かしむネットの書き込みを見たことがあるんですが、そこに、三姉妹が乗り込んだヘリコプターを「野良ヘリコプター」と表現してあって、ふむむ、そんな言い方があるのかと感心しました。


「野良」という言葉を付けて呼ばれるものといえば、古くは「野良犬」というのが居ました。


1949年の黒澤映画にも「野良犬」というタイトルがあります。昭和24年の作品ですが、この頃には街なかに普通に居たんでしょうね。誰でも知っていた、認識していた「野良犬」


称賛するようなニュアンスは感じられない言葉です。街なかをウロウロしている所在のないイヌ。


おそらくはかつて人に飼われていて、何らかの理由でその家から離れてしまったものの、人社会の中で、あるいは人社会と接しながら暮らしている。
それが「野良犬」で、狂犬病予防のため保健所などに捕獲され、昭和30年代にはほとんど居なくなったようです。


今でもたまに「ヒトリ」で歩いているイヌを見かけることがありますが、あれは「迷い犬」と言うんだそうでして、かつての「野良犬」とは区別しているようです。
たいてい首輪の付いた、キレイな個体ですもんね。


「迷い犬」の場合は、いつも歩いている散歩コースなのかもしれませんが、「ヒトリ」なので興味津々、周りをきょきょろしながらも、なんとなく無邪気な顔をしています。飼い主が居て、完全に人社会の中で生きていますよね。


「野良猫」という言い方もあります。


ネコは人間に狂犬病のような直接的な悪影響を与えないということからなのか、特に保健所がのりだして捕獲するということは無かったように思いますが、街なかで、飼われていないだろうネコを見かけることも少なくなりました。


一方で野良猫たちは、野良犬以上に人社会に依存して暮らしているかもしれません。
公園で野良猫たちにエサを与えている人は、今でも見かけます。少なくなったように思えますが、まだ居ることは居るようですね。10匹ぐらい集まって、ケンカせずに食べている光景を見かけることが時々あります。


でも街なかで「猫会議」に出くわすことはほとんどなくなりました。
「猫会議」に参加しているのは、全員「野良」だったんでしょうかね。近所の飼い猫も参加していたんでしょうか。お前は野良じゃないんだから、あちいいけっ! ってことだったんでしょうか。


犬と猫だけから考えますと、人社会に密接に関わり合って生活しているけれども、人が所有権を持っていない個体を「野良」ということが出来そうです。


空き地に停めてあるヘリコプターを、その場に所有者が確認できないからといって「野良ヘリコプター」というのは、とても面白いですが、所有権を放棄しているわけではないでしょうから、三姉妹の行為は「窃盗」にあたるのかもしれません。

 

 

 


かつては人が所有していたもの。かつては人が利用していたもの。でも今は人との接点のないもの。
そういったものが、人から完全に離れて存在していると、どこかしら違和感があって、人から離れている時間の長さが感じられたりすると、一種、寂しさのようなものを覚えてしまいます。


人が拒んで離れてしまったのか、そのものが選んで人から離れていったのか。ものに意識はないでしょうけれども、いろんなケースがありそうです。


散歩コースの中に、数件の閉業してしまった店舗があります。


かつて、煌々と灯りがともり、家族連れの笑顔がはじけていた外食店舗。
コロナで閉業してしまった割合大きな店舗が、近所に2つあります。


そのうちの1店舗は、けっこう長く続いていたステーキ屋さんで、一皿のボリュームもあって学生なんかに人気の店だったんですが、オンライン授業の影響があったのか実情は分かりませんが、突然の閉店でした。


外から見ますと、腰高の壁全面の大きなガラス窓、その向こうの設備はすっかり取り払われて真っ暗。
以前の明るさ、賑やかさを知っているだけに、そこはかとなく、寂しい感じがします。
四つ角に面した店だったんですが、その店舗1つがなくなっただけで交差点自体が暗くなったように思えます。


タメ息の眺め。だったんですが、2週間ぐらいすると、工事が始まって、あっと言う間にラーメン店の新装開店となりました。


コロナ禍の自粛営業のタイミングで開店する度胸といいますか、経営者のパワーに脱帽です。
今のところ、前のステーキ屋さんほどの賑わいはありませんが、今は人通りそのものが少ないですからね、コロナが治まれば流行りのラーメン屋さんになるかもしれません。


交差点に明るさも戻った感じで、目出度しめでたし、です。


ですが、もう1軒の店の方は、暗いままなんですね。


こちらは、チェーン店のファミレスだった店です。


同じような腰高の壁がぐるりと回っていて、全面窓ガラスの、内側が良く見渡せるタイプの、どこにでもあるような外観です。


ここが、壁も屋根も、装飾は全部取り払われて、隣接した駐車場のアスファルトもこころなしか崩れかけてしまっていて、次第に雑草に支配されつつあります。


植物の生命力というのは実に凄まじいもので、腰高の壁はほとんど見えず、窓ガラスも下から半分ほどは生い茂った草に隠されてしまっています。


そうなると不思議なもので、敷地の中に、空き缶が捨てられます。そういうことをするヤツが居るんですね。
通りかかると、太陽がキラッと反射して、空き缶が自分の存在を主張します。


そのうち、空き缶の数が増えていきます。


で、ついこの前、雑草の中にタイヤが4本、捨てられているのが見えました。


この先、この敷地はどんどんゴミ捨て場のようになっていくのかもしれません。
ブロークン・ウィンドウ・セオリーってやつですね。


その廃業した店舗の窓ガラスは割れてはいませんが、理屈としては同じだと思います。だんだん荒れてきています。


その建物、敷地には人の気配が感じられません。誰もそこに対して関心を払っているようには感じられない。人との関係が絶たれている。
言ってみれば「野良」です。「野良建物」


そうなると、ゴミ捨てなんかの「軽犯罪」が起こる。空き缶放り投げるのは軽犯罪なんですよ。


目につくゴミは、通る人のモラルを低下させて、ゴミはさらに増えていく。


ブロークン・ウィンドウ・セオリーによれば、モラル低下が多くの住民に広まってしまうと、軽犯罪は犯罪を呼び、やがて凶悪な犯罪へと結びつく可能性が出てくる。
まあ、日本では、凶悪犯罪にまで至ることはないだろうと思います。根拠なくそう思いたいですが、ここに求められるのは、雑草を刈り取ることなんかじゃなくって、新たな店舗が営業を始めることです。


店舗じゃなくたっていいんです。オフィスでも、倉庫でも、人間が関与している気配が戻って来さえすれば。「野良建物」で無くなりさえすれば。


「野良建物」の敷地内。アスファルトのところどころから雑草が伸びている駐車スペースのフェンスに、一台の自転車が立てかけられています。フェンスに寄りかかるようにして、ジッとうつむいてでもいるかのように。

 

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「野良自転車」です。


かつて店舗で働いていた人の忘れ物でしょうか。


自転車はその身体全体を、雑草に取り込まれてしまっているように見えます。


かつては人を乗せて、街の中を軽快に走り回っていたであろう、その自転車は、そんなに古いようには見えません。
持ち主は、閉業してしまったショックで、自分の持ち物であった自転車のことを忘れてしまったのでしょうか。


「野良自転車」は、野良になったからこそ、雑草にからめ取られてしまったからこそ、そのボディに言葉を有しているように見えます。短くない時間経過が、そこには有ります。


見る側の勝手な思いですが、必死に、悲しさに耐えているように見えます。処遇を失くしてしまった、人社会の中の道具。植物に身体をがんじがらめにされてしまった理不尽さを訴えかけている「無言」の佇まい。

 

 

 


ブロークン・ウィンドウ・セオリーから来る犯罪を恐れるからではなく、植物世界に取り込まれつつある人社会の有用な道具であった自転車の姿が、それを見る人の気持ちをササクレさせることが、とても嫌ですね。


スーさんも、大臣たちも、医師会のエライさんたちも、なんだかなあという状況が続いていますが、2021年5月12日、横浜市立大学研究チームが、ファイザー製ワクチンは、日本人にも有効であり、変異株に対しても高い効果のあることを確認した、と発表しましたね。

 

ワクチンを2回接種することによって、非常に高い確率でコロナウィルスに対する中和抗体が出来るそうです。
なんか初めてデータらしいデータが、日本から出てきた感じですね。


ワクチンの効果は、ひょっとすると人種によって違いがあるんじゃないかって心配する声もありましたが、今回のデータは日本人の被験者によるものなので、日本人にも充分な効果があることが証明されたと言えそうです。


こうして、ちゃんと真剣に取り組んでいる人たちもいるんです。


もうちょっとですよね、もう少ししたら、まともな日本に戻っていきはじめるんじゃないでしょうか。


多くの人が、いろんな物が「野良」である状態から脱却できるまで、もう少し、と思いたいです。

 

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