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【カルピス】は【初恋の味】から【カラダにピース】まで100年を経過している凄いヤツ

<そうなんです 日本にはカルピスがあるんです 誇らしいことです>

ものごころついた頃には既に在りましたよね“カルピス”
ご存じ乳酸菌飲料です。

 

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カルピスウォーターとかカルピスサワーとかも人気ですが、個人的に大好きなのが“カルピスミルク”


そです。最初から割ってあるタイプのじゃなくって、原液から作るタイプの“カルピスミルク”自由なヤツ。
メニューに入れてくれている居酒屋さんもあります。


要するにカルピスを水ではなく牛乳で割ったドリンクです。


でもやっぱり、自分で作るのがンまいです。濃さを調整できますからね。ホント自由なヤツです。


コマーシャルで5歳の長澤まさみさんも言ってますよね

「イイの! もっとコイ方がイイの!」


これ、傑作コピーだと思います。


誰でもやってますもんね。もっと濃い方がイイって。
実際にやってみたことはないとしても、もっと濃くして飲んでみたい。そう思ったことはあるんじゃないでしょうか。


どこの家にも置いてありました。水玉模様のカルピス。


これまたコマーシャルの長澤まさみさんのように、かき氷にかけ回して食べるっていうのも夏の定番。

 

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このコマーシャルも、子供たちの見ている前でカルピスの原液を“大人がけ”して、でもってザクザク食べて、頭キーン! って、なんとも抜群のセンスです。


カルピスのコマーシャルって昔から上質だったと思うんです。


テレビコマーシャルだけじゃなくって、商品宣伝全般がですね。


長澤まさみさんの前は、長嶋茂雄さんや吉永小百合さんなんかも出ていたそうです。
ま、時代物のコマーシャルは映像じゃなくって写真、だったりするようですけれど。


とにかくコマーシャルセンスがイイ日本企業の1つですよね。カルピス。


なによりの証拠に、カルピスの最初のキャッチコピーが、知らない人はいないであろう“初恋の味”ですからね。
これ凄いです。


子供向けの飲料というイメージのカルピスなんですが“カルピスは初恋の味”なんですよ。ちっちゃい子供に通じるわけがない。


だけれど “初恋の味”


子どもの親、つまり直接の購買者である大人、特に母親の琴線に訴えかけているのかもしれません。

 

 

 


ま、なんにしろ悪い印象は与えない。


1922年、大正11年のキャッチコピーですよ。凄いです。


初恋の味が瓶に入って、白地に青の水玉模様の包装紙でくるまれていました。


あの水玉は、天の川をイメージしたものなんだそうです。


なんで天の川かっていうと、発売日が7月7日の七夕だったから。なんとまあキヨラカ。
明治、大正期の商売人たちって、スレていないというのか、外連味がないというのか、キャッチコピーもプロダクトとしての包装もピュアです。


江戸時代から明治に入って一気に世界レベルまで駆け抜けていますですよ。
ザンギリ頭の文明開化って、あらゆるジャンルでなかなかのレベルだったことを思い知らされます。
渋沢栄一だけじゃないんですよね。


で、発売当時の1922年のコピーが“初恋の味”で、今のコピーの“カラダにピース”は2007年、平成19年からです。
2021年、令和3年でも現役。“カラダにピース”


カルピスって100年、1世紀続いているんだなあって改めて思うと、ちょっと感動すら覚えます。


カルピスを最初に作った人は、創業者の三島海雲というお寺の息子さん。明治11年生まれ。
なかなか波乱万丈の人みたいで、13歳で出家してから英語教師になって、すぐ辞めて佛教大学に入って、25歳のときに中国へ。


中国では北京を拠点にして雑貨貿易の会社を始めたんだそうです。ぜんぜんカルピスじゃないじゃんね。


話はちと変わりますが、平成の頃から日本の若者は海外に出なくなったというニュースが流れるようになりました。
留学ばかりじゃなくって、海外で起業するような日本人が少なくなったということなんですね。


少なくなった、と表現されるということは、平成の頃と比較して、海外へ出て行く日本人が多かった時期があったっていうことですよね。

 

 

 


三島海雲さんが中国へ渡った20世紀の初頭あたりがそのピークだったのかもしれません。
その頃の確かなデータなんて残っていないでしょうけれど、世界に飛び出す日本人がすごく多かったことは、有名人のエピソードなんかを読んでみても有り得ることだと感じられます。


島国日本は自分には狭すぎる!


昔のマンガだとかになると、こんなセリフを叫ぶ主人公がけっこういたりします。


海外へ行った人たち当人がリアルに狭すぎる、と言ったのかどうかはかなり怪しいと思いますが、アジア主義というのが流行したりもしていたようです。


鎖国政策がなくなってみれば、すぐ目の前の大国は中国です。物理的にすんげえデッカイ国。大陸です。


オレは大陸浪人馬賊になる! だとか言って中国大陸に渡った人って少なくないみたいですからね。


サムライの世の中から、いきなり西洋文明の帝国主義全盛の世界に移り変わったわけですから、男女ともにアイデンティティを確かなものすることが第一義になった時代なんだろうと思います。
つまりは何をしたらイイのか分からない。自分探しに大陸へ、という動き。


アイ・アム・サムバディ、ってやつです。


ま、三島海雲さんがそういう人だったかどうかは分かりませんが、お坊さんでありながら大陸で貿易事業を始めちゃったりするあたり、エネルギッシュな人だったことは間違いないのではないでしょうか。


その活動的な動きが目にとまったのか、日本にいる時からのお付き合いだったのか、日本の軍部から指名されて軍馬調達のために内モンゴルへ入っていくんですね。


なんだそりゃ! って流れですが、世界全体がこんな時代だったんでしょねエ。
1908年、明治41年のことです。第1次世界大戦が始まってしまう6年前。


しかしまあ雑貨貿易商が軍馬の調達って、凄い役目ですね。

 

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世界帝国を築いたモンゴルの馬。日本軍は赤兎馬の大群でも欲しがったんでしょうか。


アジアにはアジアのきな臭い空気があって、中国大陸にも戦雲はかかっていたでしょう。


なんだか、ずっと波乱万丈な三島海雲さんです。


ちなみに、世界へ出て行く日本人が多かったことが確認できる出来事として、この年、日本はアメリカと移民禁止の条約にサインしています。
アメリカへ移住しないことを約束する条約ですから、けっこうな数の日本人がアメリカに渡っていたってことですよね。


ブラジル移民が開始されたのもこの年です。


さらに別事を言いますと、あの「味の素」が特許申請したのもこの年。


みなさん、なかなかお盛んです。
味の素、意外に早い時期からありますねえ。


で、内モンゴルに入った三島海雲さんは、羊の事業を起こそうと思ったようです。
どんどん変わりますね。


お坊さんとしての仏教的素地もあって、内モンゴルではジンギスカンの末裔部族と良好な関係を続けていたらしいんですが、なんと三島海雲さん、体調を崩してしまったそうです。


たぶん、なんでも精いっぱいやっちゃう人だったんでしょうね。
水が合わないとか、そういうこともあったのかもしれません。


雑貨の輸出入、軍馬の調達、羊の飼育、綿の生成だとか、詳細は分かりませんが、全部を一気にやろうとしていた可能性もあるように思います。


で、倒れた。けっこう重症。


その時助けてくれたのがジンギスカンの末裔たち。
“酸乳”を飲ませてくれたんだそうです。
“酸乳”これが決定的なカルピス誕生の基になるわけですね。


徐々に回復した三島海雲さん。後に、


「異郷の地で不老長寿の霊薬に助けられた思い」


と語っているそうです。
絶賛。“酸乳”のトリコ。


で、軍馬調達の方はどうなったのか判りませんが、羊はうまくいかず、中国では辛亥革命が起こったりして、三島海雲さんは帰国します。
1915年、大正4年です。


辛亥革命といえば孫文さんですが、この人も日本とのかかわりの深い人として知られていますよね。


今より交流が盛んだった。世界的に人が動いていた時代だったんでしょうねえ。


で、日本に帰って来てすぐに、日本発の乳酸菌飲料開発に取り組むってわけです。


内モンゴルで自らの命を助けてくれた“酸乳”がどんなものだったのか。それは三島海雲さんにしか判りませんね。
少なくとも日本人は誰も知らない。開発成果は企業秘密です。


で、いろいろ試行錯誤して1919年、大正8年。7月7日、カルピス販売開始となります。


“酸乳”“乳酸菌”


我々の役に立ってくれる“菌”もあるってことなんです。


この“酸乳”については、一般的に、モンゴルの遊牧民の飲み物だからってことで“馬乳酒”とされているんですが、この定説、もしかすると三島海雲さんの“企業秘密”の部類かもしれません。意図されたベール。

 

 

 


細かくチマチマ調べていきますと、


「カルピスの成分からすると、馬乳酒ではなくラクダ乳酒なのではないか」


っていう説もありました。


どうもね、素人ながら、こっちの説の方が信憑性がありそうに思えるんですね。


モンゴルの遊牧民が馬乳酒を常飲していることは疑いのないことですし、遊牧生活をこなしていくのは相当な体力が必要とされることも事実でしょう。


しかしですねえ、それは常態のことであって、三島海雲さんの場合のように病気のときにもいつもの馬乳酒を飲ませるとは思えませんです。


不調、つまり常態ではない人に飲ませるとすれば、それは薬的な役割、身体を正常に戻してくれる力のあるものなんじゃないでしょうか。


民間療法的な特別な飲み物。


で、ラクダですが、遊牧民には本来的に国境なんてありません。
モンゴルの遊牧民中央アジアと往復していることが普通だとすれば、ラクダ乳酒を知っていることも普通だと思います。


大陸ってホントにずっと続いているわけですもんね。


馬とラクダと、両方いて。羊もいます。モンゴロイド遊牧民にとって、ラクダ乳酒が薬的な役割を持っていたとしても、不自然ではないように思います。


そもそも中央アジアの多くの地域は、元(ゲン)の支配下にあって、ジンギスカンの息子たちが統治していた時期もありますしね。
交流は浅くないものがありそうです。


独特の製法があって、万能薬として飲まれていたラクダ乳酒が、三島海雲さんの命を救ったというのが、馬乳酒で回復したという説より説得力ありそうです。


もちろん、ラクダ乳酒だったとしても、そのままを再現したものではなく、三島海雲さんオリジナルの工夫があって、今のカルピスになったんでしょうけれどね。


馬であってもラクダであっても、モンゴル由来のカルピス。


その生成過程や成分から「サルピス」「カルピル」「カルピス」などのネーミングを考えていたそうですが、幾つかの候補の中から“カルピス”を選んだのは、作曲家、山田耕筰さんなんだそうです。


この辺りにも三島海雲さんの顔の広さ、レベルの高い交友関係が見えてきます。


“初恋の味”は大学の同級生のアドバイスから。


“カラダにピース”は「行くぜ、東北」等でも知られるコピーライターの坂本和加さん。


100年商品は、実にいろいろ、有能な人たちが関わって続いて来ているってことですね。納得します。


久しぶりにカルピスミルク、いってみたいと思います。

 

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で、いま、飲みました。


ンまいです。


これだよコレ!


ん~。今度の夏は宅呑みじゃなくって、外でも、居酒屋さんでもいいから、パアーっといきたいです。


ノーマルのカルピス。カルピスウォーター。カルピスミルク。カルピスフラッペ。カルピスサワー。


で、水分をおいしく摂ったら、本格的に酒。いきたいもんです。はい。


カルピス飲んで、気持ち的な元気を回復しましょう。


“カラダにピース”

 

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