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【ニュースバラエティ】テレビレスの生活から考えてみるメディア、企業の姿勢

< マスメディアは報道から情報へシフトして ジャーナリズムはバイプレーヤー? >

地上波デジタル放送が始まる少し前ぐらいからですから、もう20年にもなりますかね。テレビを処分して、ずっとテレビレスの生活をしております。
ではあるのですが、日常生活の中からテレビがすっかり消えてしまうってことはなくって、街なかに出ますとテレビ画面に出くわす機会って意外に多いなあって感じます。


まず家電量販店、町の電気屋さん。これは大型モニターを表に向けて置いてありますからね、ほほう、っとかね、立ち止まって見入ることも無きにしも非ずです。
それと、一定時間見ることになるのは、居酒屋さんと町中華です。


個人的にチャンネル選択権を主張したことはないんですけど、時々いますね、我が物顔に「リモコン貸して」とか言って、あちこち番組を探したり、「チコちゃん、やってるでしょ。見せて」っていうお歴々。
ああいう主張をしておられる方々は、たぶんおそらく、家に帰ればテレビ受像機があるんだろうなあって思いますね。
でもまあ、家で見ろよ! って噛みつく人もいらっしゃいませんですね。ヘーワです。

 


テレビのデジタル放送が始まったのは2003年の暮れのことでしたね。


画期的なことではあったと思うんですけど、なんで地上波にしたんでしょうか。20年も経とうかってうのにキー局が揃って衛星デジタルに移行しようっていうような動きは報じられていませんです。


放送法っていう法律もあるそうですから、なんでも勝手に出来るってことではないんでしょうけれど、宇宙事業との兼ね合いとして考えても、なんで地上波なんだ!? って当時から不思議でした。


テレビレスになったのはテレビ業界が衛星デジタルにしなかったから、じゃないです。
ブラウン管じゃなくなったからでも、もちろんありません。
ブラウン管って、今、通じない言葉になってしまっているんでしょうね。


テレビレスになったのは、ちょっと無理矢理な自覚もありながらですが「バラエティばっかりになってしまったから」です。


テレビの制作サイドがジャーナリズムから娯楽路線に舵を切ったのはいつごろなんでしょうか。
ひところテレビ番組のマンネリ化っていうのが喧伝された時期があって、テレビは変わらないといけないって、当のテレビで言っていたんですよね。
その辺りからなのかどうかはハッキリしませんが、時代劇が無くなって、バラエティ番組ばっかりになっていった印象があります。


漫才ブームがあってスタータレントが一定数出てきましたね。舞台からではなくテレビからスターダムにのし上がっていくっていうスタイルを作り上げたっていう実績が作られました。


時代劇の方は、ファンが居ないわけじゃなくって、この頃とタイミングが同じだったかどうか怪しいんですけど、本屋さんの棚に「時代物コーナー」とかが出来て、文庫本書下ろし時代劇シリーズとかがブームになりました。


テレビ放送はNHK以外、コマーシャルによって成り立っているわけで、そのテレビコマーシャルの受け手、つまり視聴者層をどう捉えるかってうのは代理店制度が担っているんですよね。
番組内容、放送時間帯によるマーケティング的ターゲット視聴者層の判断です。


視聴率がコマーシャル放送料金を決めるベースになったりするんでしょうね。
視聴率の判定って、専用のマシンを各家庭に置いてもらって、それを通してデータを取って、全世帯に拡大解釈して決めているらしいんすが、精確性は疑わしいですよね。
その時間、そのチャンネルが映し出されていたとしても、人が視聴している保証はないですね。
家のネコしか見ていない、にゃんにゃん視聴率、なんて言われ方をしたこともありましたです。


テレビはどんどん色合いが変わってくれる間接照明、なんて意見もありましたよ。


時代劇がテレビから消えたのは、時代劇の番組を見ているのは老年層で、老年層はコマーシャル商品の購買層じゃないからだっていうことが、まことしやかにささやかれたものですが、実際にどうだったのかは業界の外には漏れてきませんでしたね。


老年層に向けた商品を扱っているスポンサーを探すんじゃなくって、時代劇をとっぱらってしまう。
キー局、広告代理店、仕事のやり方、どうなんでしょう、って思いましたですね。
マンネリズムやヤラセっていうテレビ独自の在り方が話題になった時期でもありました。


尤も、会社勤めの男女がテレビの前に座る時間帯っていうのと、テレビコマーシャルが力を入れているゴールデンタイムってうのが重なってイナイっていう状況は、何を放送するかっていうコンテンツの問題とは別でしょうから、テレビを面白くする方法っていうのは、制作側として暗中模索が続いていたんでしょうね。

 


テレビがつまらない。


個人的な感想ですが、ここに1人の天才が現れます。


1979年に株式会社東京放送、TBSを退社していた「久米宏」その人です。


この時35歳だった久米宏に何かテレビ放送に対してのビジョンがあったのかどうかは分かりません。
フリーとして活動し始めた久米宏に、腹を据えさせる契機になったのかもって思える事件が1981年に起きますね。愛人の自殺未遂。3週間の謹慎。


こうなると、これまで軽妙洒脱にテレビ司会をこなしていた「ダンディ」路線では居られない。
まあ、元々そんな路線で売っていたってわけでもないと思うんですけど、だったらヒトツ、やってやろうじゃないのっていう腹積もりになったのかもっていうことは、充分に考えられます。
これ以上叩かれることもないだろうし、このままだと消えていくしかない。


だったらってことで、1982年、日本テレビ系列で始まったのが「久米宏TVスクランブル」でした。


日曜日の夜8時からの1時間番組。
「情報バラエティ」って銘打っていましたが、この番組が実質的に「ニュースバラエティ」の嚆矢じゃなかったでしょうか。


久米宏の相手役は、やすきよの「横山やすし」でした。これ、凄いです。


いろいろ問題行動の多い横山やすしでしたが、ホンネだけの人ですし、当時お笑い界の王者だったことは間違いないですね。
横山やすしのキャスティングは久米宏の強い希望だったそうです。


世間のホンネをテレビに、報道番組にぶつけてみようとしたんじゃないでしょうか。
そういう企画意図に対して、横山やすし久米宏の掛け合いは、漫才の天才と司会の天才の真剣勝負で、かなりの人気を博しましたね。
そのコンテンツに対する賛否両論こそ、久米宏の狙っていたものだったのかもしれません。


スキャンダラスとさえ言えそうなこのキャスティングは、久米宏自信のダーティーなイメージを払拭するに充分な効果を発揮したとも言えるでしょうから、そういう面でも狙い通りだった、って言えるのかもです。


問題発言をした翌週の横山やすしがバッテンマークのマスクをして、「黙秘権」ってやっていたのは、当人だけのアイディアだったのか、とにかく、そんな相手役を交えながらトントンと軽快に番組を進行する久米宏の捌き方は見事なものでした。


そして、1985年に鳴り物入りで始まったのが、テレビ朝日ニュースステーション」でした。
メインキャスターの久米宏に対してサブキャスターについたのは「小宮悦子


TVスクランブル」は危険を承知のステップボードで、世間の反応をみながら「ニュースステーション」に踏み切ったって感じなんでしょうね。


当時の小宮悦子テレビ朝日のアナウンサーでしたから、キャスティングがどう決まったのか分かりませんが、横山やすしから一転、柔らかくもキリっと対応の出来る小宮悦子とのコンビも成功しましたよね。


自分のとがっている部分をさりげなく出すことに「TVスクランブル」で成功していた久米宏は、トゲを強調することなく、テンポよく「新しいニュース報道」のスタイルを作り上げてしまいました。

 

月金の夜10時から1時間ちょっとの「ニュースステーション」は2004年まで続きました。18年と半年。


中期まではわりと見ていた番組でしたが、番組を続けていく中で久米宏本人の中に、ニュースバラエティっていう、自分自身が作り出したフォーマットに呑みこまれてしまった感覚が出て来たんじゃないかって思えて来て、見なくなりました。
体調の問題もあったのかもしれませんが、中期の辺りから久米宏独特のサービス精神、ジャーナリズムが枯渇してしまった感じがあったんですね。
トゲが丸くなってしまったんでしょうかね。


バラエティって言いながら、ニュース報道として魅力があったのは、久米宏という人間のトゲが在ったからこそなんだなあと思います。


丸くなってしまってはバラエティの方に流れていってしまうことは避けられないことだったのかもです。
ただ、この「ニュースステーション」はテレビ全体に、相当なインパクトを与えましたよ。


他の局のニュース報道が、全部、右へ倣えしました。トゲもなしにです。

 

 

ニュースバラエティは、バラエティ色が強くなり過ぎて、バカ光線が目立って来ました。
で、テレビから離れたんだったと記憶しています。


テレビ離れは少数派ではなくなりつつある感じもする、きょうこのごろです。


テレビのニュースは実生活に役立たないから、っていう理由でテレビから離れる人もいるみたいですけど、個人的にはそういう実利的な気持ちはないです。


レガシーマスメディアっていうような言い方も出て来て、ソーシャルメディアの方がイイっていう意見は広がって来ていますね。
コマーシャルの主戦場がウェブの方へシフトしてきているのは事実みたいです。


ニュースバラエティになってしまってからの時間は短くはなくって、いつのまにかバラエティがニュースのベースになっているような感じもあります。
そうなってしまうと、無意識的にテレビのバカ光線を感じ取って、離れていくって人もいるってことなのかもです。


このバラエティの悪い部分は、受け取る側のアンテナにへばりついて、ニュースソースの意味を感じ取れなくなっている側面もあるようにも思えます。
自分にとって、どうでもイイようなニュースと、自分にとっての世の中を知るために考えなければいけないニュースとの区別が出来なくなっている。


一連の吉野家不祥事報道がありました。


これまでにも、倒産からの立ち直りに恩のあるキン肉マン原作者への対応、オリジナル名入りの丼の提供の仕方とかで問題を指摘されてきた吉野家ですが、コンプライアンス、ガバナンスとして、自社に対するニュースソースをどう受け止めているのか、かなり疑問に思わざる得ないヤな事案が続きましたね。


生娘シャブ漬け戦略問題はかなり企業イメージにダメージを与えるニュースだと思うんですが、それからそんなに日も経たないうちに今度は、新卒向け会社説明会、外国人参加拒否です。


その判断のズサンさもさることながら、生娘発言がニュースになったことを、全社的にどう受け止めたのか。


吉野家ほどの大企業ですから、全員がテレビ、メディアのニュースに触れていないってことはあり得ないと思いますけど、そのニュースが自分たちに今、何が求められているのかっていう当事者意識が働かないんでしょうか。
つまり、ニュースの意味を判断できていない、のかもです。


店舗の現場で働いている人と、いわゆる経営陣の意識に乖離があるんでしょうね。


新商品の親子丼は人気だそうで、経営的には問題ナシ、ってことでイイのかどうか。
日本って、もう、壊れてしまっているんでしょうかねえ。


バラエティはバラエティとして素晴らしいエンタテインメントです。
でも、ニュースからは排除した方が、そろそろね。別の意味で日本沈没しちゃわないうちに。


レガシーでもソーシャルでも、メディアにはジャーナリズムの正当性を取り戻していただきたいです。

 


牛丼は松屋派であります。みそ汁付いてるから~。