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【なぞかけ】ブログ記事を書くのに必須のボキャブラリーを身近にしておく最強の遊び?

< でも「なぞかけ」って正解がないっていうか 面白いのって無くないですか >

わっはっは、になるのって聞いたことがなくってですね、「なぞかけ」


まあ、そんなに積極的に「なぞかけ」を追いかけているってわけでもないので、爆笑「なぞかけ」っていうのに出会っていないだけなのかもですけどね。


せいぜいが、へええって感心するっていうのが「なぞかけ」なのかなって思うんですけど、そういう感心するだけの「なぞかけ」だって、いざ作るとなるとめっちゃ難しいです。


ブログ記事をすらすらと書くためには、豊富な言葉がいつもアタマの中にあるっていうのが理想だと思うんですが、そういうアタマの構造を作っていくのに「なぞかけ」ってかなり強力な言葉遊びなんじゃないか、とは思うんですよね。
いつもスピーディーに相当数の言葉が駆け巡る。そういうアタマの中身。


平安時代ぐらいからあるっていう「なぞかけ」なんですけど、なぞなぞの発展系っていう解釈みたいなんですね。


〇〇ってな~んだ? それは△△です。
これがよくある「なぞなぞ」の一般的パターンで、「二段なぞ」っていうんだそうです。


それに対して「なぞかけ」っていうのは、〇〇とかけて、△△と解く、その心は□□、っていうパターンなので「三段なぞ」っていうんだそうですね。


〇〇と△△っていうのが何の関係もなさそうな言葉であることが形としては「キレイ」なわけで、その関連のなさそうな〇〇と△△を□□で結びつけて、おお、なるほど、ってなるのが「なぞかけ」ですよね。
こんな複雑なことを、さらりとやってのける芸人さんとか落語家さんとか、凄いなあって思います。

 

 

 


面白い面白くないっていうのは横に置いておくとしても、そもそも「なぞかけ」を成立させること自体、かなり難しいです。


「なぞかけ」をウリにしている芸人さんなんかですと、〇〇っていうお題をその場でお客さんに出してもらって、その場で△△と解く、そのこころは□□ってやってみせますよね。
めっちゃスピーディーです。凄いです。
アタマの中にどういうふうにボキャブラリーが整理されているんでしょうか。


「なぞかけ」の作成方法としてあげられているコツは、同音異義語を出来る限り覚えておくこと、ってことなんですね。


どうやらね、コツ、っていうのがあるらしいんです。


〇〇と△△をつなぐ□□っていう言葉がダブルミーニングで、〇〇と△△の両方にかかっていることがキレイな「なぞかけ」になるので、同音異義語ボキャブラリーを揃えておくことが大事だっていうのは、なるほどなあって思います。一応ね。


思いますけど、同音異義語って、どうやって増やすの? どうやって調べるの?


ん? そっかってことで、これは簡単に方法が見つかりました。
パソコンでもスマホでも、入力する時の変換候補ですね。
入力する時に、同音異義語から選んで決定していますよね。


なんでそんな変換になっちゃうの、っていうヘンテコ変換じゃなくって、ちゃんと意味のある変換候補である必要はありますけど、確かにね、いくつかの同音異義語を知ることが出来ます。


でもねえ、方法はこれでイケルとしても、何を同音異義語としてボキャブラリーにしておくのかっていうのが、なんかねえ、漠然とし過ぎていますよねえ。
やみくもに変換候補を表示して、眺める。ん~、やらないでしょねえ。


キレイな「なぞかけ」を作るためには、「なぞかけ」そのものの練習をする。


その方法。
自分で〇〇とかけましてって、お題を出して、まず結論の□□を連想する。


この「その心は」の連想ワード□□っていうのを捻りだすのも、同音異義語じゃないですけどボキャブラリーではありますねえ。


で、□□が決まったら「と解く」ワード△△を□□とからめた同音異義語を探す。
ってなことをしょっちゅうやっていないと身に付かない感じだそうでございます。
難しいですね、こりゃ。

 

 

 


ここで目的としているのは、キレイな「なぞかけ」を作ることっていうよりは、ブログ記事をスムースに書き終えるために、同音異義語、に限らないんですけど、ボキャブラリーを増やしていつもすぐに浮かんでくるようにしたいってことですから、「なぞかけ」が巧くなるっていうことは遠回りな感じもします。


でも、何かをやらないとボキャブラリーが増えないっていうことも事実ですね。


「なぞかけ」に一家言を持っていた立川談志は、こんなことを言っています。


「なぞかけの極意ってのは、同音異義語、それも鮮やかじゃなくちゃいけない。同音異義語を使わないってんじゃ、なぞかけになっていない。当たり前のことを言っているだけだ」


ふむふむって思いますねこれは。


〇〇とかけて、△△と解く、その心は□□っていう具合に、ちゃんとなぞかけの形になってはいるんだけれど、ただ、ふううんって思うだけで同音異義語に感心できないんじゃ、なぞかけとは言わないんだってことですね。


なぞかけの修行としての例題っていうのがありました。


「葬儀屋とかけて、ウグイスと解く。その心は、なきなき、うめに行く」


ふむう、シブイですねえ。


葬儀屋は泣き泣き、ウグイスは鳴き鳴き。葬儀屋は埋めに、ウグイスは梅に、行くっていうなぞかけ。


なるほどなるほど、とは思いますけど、ね、これ、笑いの方向の面白さじゃないですよね。
なぞかけってのはこういうもんなんだよ、って言われればそれまでなんですけど。


巧い、さすが、とは思うんだけれど、決して面白くはない。


でも、このなぞかけが出来たプロセスっていうのを考えてみますと、葬儀屋っていうお題に対して埋めに行くっていうことを連想しているってことになりますよ。


ん~。あとからこうして考えるから埋めに行くなんてすんなり言えるんで、最初考える時ってどうやっているんでしょ。


葬儀屋っていう商売をちっとも分かっていませんけれど、連想する言葉って、葬式とか霊柩車とか、あとはなんでしょう、喪服とかでしょうか。
ん? 埋めるって、動詞ですね。名詞で考えるから範囲が狭くなっちゃうんでしょうかね。


とすると、拝むとか、お辞儀する、司会するとかですかね。今はね、埋めるじゃなくって焼くっていうのもありますか。


と考えて、埋める時代じゃないのに埋めるっていう言葉を連想するのは、さすが落語家ってことなんでしょうね。


でもあれですね、こうやって連想する時点で、その連想した言葉と「と解く」っていうもう1つの言葉とのダブルミーニングを考えないといけないわけなんで、ちょっとね、気が遠くなります。


1つの「その心は」を決めてから、「と解く」のダブルミーニングを考えて、閃かなければ次の「その心は」にいくっていう順番で処理するにしても、最初に「その心は」を連想する段階で「なぞかけ」特有の勘どころみたいなものもあるんでしょうね。それがコツ。


で、埋めに行く、っていう言葉から、梅に行く。梅に行くんだからウグイス、って思いつく。
ふむむ。やっぱり一気に思い浮かべるって、至難の業ですね。


なきなき、っていうのはウグイスが出て来た時点で鳴き鳴きと泣き泣きを思いつくって感じでしょうか。


こんなにアタマの中の言葉の群れをぐるぐるさせて、よし出来た、っていうのに、感心はするけれども面白いってわけじゃない。
「葬儀屋とかけて、ウグイスと解く。その心は、なきなき、うめに行く」
ほほう。でも笑わない。


いやいや、なかなか、「なぞかけ」って難しいもんだってことですね。


「ミニスカートとかけて、結婚式のスピーチと解く。その心は、短いほど喜ばれる」


っていうのもありますね。こっちは同音異義語じゃないパターン。
ふむ、こっちの方がむしろ笑える「なぞかけ」に近い気もしますね。
なんで? 下世話だから?


でもこれだと、談志に言わせれば「当たり前だ」ってことになるんですよね。


まあ、たしかに、当たり前って言われれば当たり前かもしれないですが、こっちの場合は「ミニスカート」っていうお題に対して、直ぐに浮かんできた言葉が「短い」ってことなんでしょうね。
短いほどイイよね、っていう単純明快。


そんでもって短いほど喜ばれるっていう他のものを、くすぐりの感覚でちょっとだけ広げて考える。
短いほど喜ばれるのって、あとは何があるか考える。
で、結婚式のスピーチ。


でも、その意味だったら校長先生のアイサツとか、親からの説教とか、そういった方が対比が強く出てイイような気もします。


「ミニスカートとかけて、ハゲオヤジの説教と解く。その心は、短いほどアリガタイ」

 

 

パクリじゃん! なんですけど、こっちの同音異義語じゃない方が「なぞかけ」の入門としてはイイのかもですね。


でもこれだとボキャブラリーの幅っていうことでの同音異義語の横並びっていうアタマからは遠いですかね。


遊びって言いながらですね、それを芸としてやってみせる人もいるわけですから、単純なことじゃないんですね。修行、みたいなことが必要なのかもです。


有名どころを1つ。


「朝刊とかけて、お坊さんと解く。その心は、けさきて、きょうよむ」


これなんかあれですね、耳で聞いたらなかなかピンとこないかもですよね。
でもまあ、文字面で見れば一目瞭然。


朝刊は「今朝来て」お坊さんは「袈裟着て」


朝刊は「今日読む」お坊さんは「経よむ」


なあるほど、です。感心します。でも、面白さは、わっはっは方向じゃないです。
「なぞかけ」ってそういうもんなんでしょうかね。

 

 

 


ま、なんにしても、修行めいたアタマの体操を、常日頃からしていないとダメだってことで、はい。


ブログ記事のためにはボキャブラリーっていうより、連想力なんでしょうかねえ。どうなんでしょうねえ。


にしても、平安時代から続くって聞いたんですけど、歴史的に遺っている「なぞかけ」とかって、無いんですかね。
即席芸みたいな感じなんで、軽く扱われているのか、ちょっとね、見つかりませんでした。
こうして考えてみると、「なぞかけ」って、文化的だし、かなり難しいもんなんですけどねえ。


平安時代大喜利。ナイナイ、ないです。


清少納言紫式部和泉式部紀貫之菅原道真大喜利。司会は空海
時代があっていないし、ないです、ナイナイ。でもあったら面白そう。

絶対行きます!

 

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