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【ご親切にありがとう】漢字の字面だけから考えると意味不明 っていうか解りづらい言葉

< 親を切るなんて あり得ませんよ っていうふうにもとれますよね >

関西弁の「ありがとう」っていうイントネーションが好きです。
「と」の発音に情感を感じるからなのかもしれません。


京都弁と大阪弁の「ありがとう」は、ちょっとちゃうねんよ、って言われても、その区別はよく分かりませんけどね。

 


この前ですね、大通りの歩道を歩いておりますと、正面からいかにもお上品って感じの、小柄な和服姿のオバアサマが歩いて来たんですね。
白髪を後ろにまとめて、きりっとした表情。


和服の胸の前に青緑色の風呂敷包を抱えもって、オバアサマの周りだけ大正時代の空気みたいでした。
隣りには案内役なのか若いジーンズ姿のオネエサマが付き添っているように見えますね。


すれ違いざま、っていうか目の前でその2人が立ち止まりました。
ん? この歩道の幅なら充分にすれ違えますけど。。。と思って私も立ち止まったらですね、


「あそこです。看板、見えますよね」
っと、ジーンズオネエサン。手指をそろえた右手で案内しています。


「ああ、はいはい。ここでしたか」
思わず知らず、何の関係もない私も、オネエサンの指し示す方に目をやりますと、角のビルには△〇□株式会社って文字が見えます。


「それでは私はここで」
「ああ、そうですか。それはそれは」
「失礼いたします」
「かたじけないことでした。ご親切にありがとう」


ジーンズオネエサンも丁寧におじぎを返して、さっと回れ右して歩き始めます。
オバアサマはその後姿に向かってもう一度深くおじぎをしています。


ふうむ、なんか、そういう関係だったのねえ、ってことで私もオバアサマとすれ違って、ジーンズオネエサンと同じ方向へ歩き始めました。


オバアサマもオネエサンも、私もしっかりマスクです。
マスクではありましたけれども、なんとなく、オバアサマとオネエサンの笑顔の口元が見えたような感覚がありました。さわやかな日本人同士の、最近では見かけなくなった気のする懐かしいような日常風景。


「かたじけないことでした」
忘れかけていたような日本語。


「ご親切に、ありがとう」
その「と」の発音がキレイに強調されて響いたんでありました。


なんかイイなあって思える光景だったんですね。


オネエサンの「ご親切」に対して、オバアサマの関西弁アクセントの「ありがとう」


あなたの行動は私にとって恐れ多いことでした。っていう挨拶の「かたじけない」なんて、もうほとんど死語じゃないですかね。

 


「親切」って言葉は、声の響きとして何の違和感も感じるものじゃないんですけど、字で書いてみると、なんで? って思えちゃいます。
まあね、知っている人には常識的なことではあるんでしょうけれど、親を切るってことじゃないんですよね。当たり前ですけどね。


親切の「親」っていうのは両親っていう意味の親じゃなくって、親しいっていう親らしいんですね。
で、問題の「切」の方は、切に願う、だとかいう使い方の切で、心からっていうニュアンスなんだそうで、心からホントに親しい、っていうので親切って書くんだそうです。


なんだか分かるような解らないような不思議な字面ですよね。


清少納言さんは枕草子の第251段で、


「よろづの事よりも情けあるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ」


「いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがな、と常にこそおぼゆれ」


って言ってます。


どんなことよりも「情けある」ってことで「やさしい」ってことが男も女も「めでたくおぼゆれ」であって、そうやって寄り添ってくれるような人には、「思ひ知りけりとも」ってことで、あなたの親切が身にしみていますって、そいう人に知って欲しいって「おぼゆれ」ってことですね。


ホントに心から寄り添ってくれる気持ち、情けある言葉、行動。


「おほかた心よき人の、まことにかどなからぬは、男も女もありがたき事なめり」


言葉でいうだけなんだから誰だっていつだって出来そうなもんだけど、なかなか出来ないものなのよねえって言ってる、平安時代のキャリアレディです。

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大昔から変わらない感情なんですねえ。


ま、一定数、居ることは居るんだけどねえって清少納言さんは言ってますけどね。


「ご親切に、ありがとう」の親切っていうのはそういうことなんでした。


で、「ありがとう」はって言いますとですね、
形容詞「有り難し」の連用形「有り難く」の「ウ音便化」した言葉。
なんだそうでありますよ。


こういうの、なんなんでしょ。語学の専門家には必須の分類知識なんでしょうけどねえ、こういうのやるから、古文とか現代国語とか人気なくなっちゃうんじゃないの? っていう気もします。


意味的なことだけを考えてみますと、「有り難い」つまり、日常的に発生するってことはあまりありませんよね、ってことを意味するわけですね。
めったにない、とっても貴重なことですっていうのが「ありがとう」


「心からホントに親しく感じられる、とっても貴重なことです」っていうのが「ご親切に、ありがとう」ってことになるんでしょうね。


枕草子の第72段は「ありがたきもの」なんですけど、清少納言さんの時代には、「有り難い」って言葉そのものの意味で使われていて、


「舅にほめらるる婿」とか言っちゃって、ホントにめったにないものをあげています。


ほかに、「毛のよく抜くる銀の毛抜」「主そしらぬ従者」とかもあげていて、むふふって感じですね。


毛抜きって力の入れ加減が難しいっていいますか、そもそも毛っていう細いものをちゃんと挟むっていうこと自体が至難の技ってことなのは、千年前から変わらないってことなんですね。


有り難い上質の毛抜き。
笑うしかないのかも。です。

 


西暦1001年ごろの発表だってされている枕草子ほどの歴史は刻んでいないものの、1960年に発表された「有難や節」っていう歌があります。


ハマクラこと浜口庫之助の作詞だそうで、ラジオで聞いたことがあります。


♪あ~りがたや有難や あ~りがたや有難や


♪近頃地球も 人数が増えて 右も左も満員だ


♪だけど行くとこ沢山ござる 空にゃ天国 地にゃ地獄


♪あ~りがたや有難や あ~りがたや有難や


♪酒を飲んだら極楽行きと 思うつもりで地獄行き


♪どこでどうやら道間違えて どなる女房のえんま顔


♪あ~りがたや有難や あ~りがたや有難や


さすがハマクラ! って感じのノーテンキな歌詞なんですが、曲も面白いです。


この歌の有り難いっていう言葉の使い方は、いやはやなんとも、芸能文化ってことなんでしょう。
昭和35年の大ヒット曲。
ゆーちゅーぶにいっぱいありますよ。


平安時代も、昭和も、そして令和だって「ご親切に、ありがとう」で生きていきませう!