ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【ごちそうさま】のサマ ってなんなんでしょ?

< 食前食後のアイサツって 世界共通なの? >

ほぼ外食の生活ですので、いろんなシチュエーションで食事の場面に向き合っております。


定食屋さんだとか町中華で、食事を始める直前に「いただきます」って口に出している人、少なからず居ますよね。
声には出さないけど、割りばしを親指にひっかけた両手を合わせて、料理に一礼してから食べ始めるっていう黙食推進派もいます。


家庭の教育の結果ってやつなんでしょうかね。
食べものに礼をしてから食べるっていう習慣。

 


通常、人間が食べているものはたいていが「他の生命」です。
米、小麦、野菜だとかの植物。肉や魚っていう動物。みんな独立した生命だったモノですもんね。


さらにはそういった食材を調理してくれた人に対する感謝の気持ちからも、「いただきます」っていう自分の気持ちを表明する。
いつ頃から続いていることなのかは知りませんが、イイ習慣なんじゃないかなって思います。


せいぜい20世紀初頭から始まったものだっていう説もありますけどね。


食べ始める前に「いただきます」をする人って、配膳された食事は残さずに、丁寧に食べるでしょねえ。
フードロスってことにも敏感なんじゃないでしょうか。


もしかすると仏教的な背景を持った習慣なのかもです。拝みますもんね。


英語圏には食事の前に感謝の気持ちを表す「いただきます」に相応する文言はないんじゃなかったですかね。
さ、食べましょ! ぐらいのニュアンス。


たぶんおそらく、日本語で「いただきます」に対する返答って言える「めしあがれ」っていう方に近い気持ちの食前のアイサツなんじゃないでしょうか。
でなければ、けっこうな長さの文言を並べ立てて、神に感謝をささげるっていうシーンを映画なんかでは見ますよね。アーメンって言って終わるやつですね。


ま、宗教的な理由からそうしている人っていうのも、もちろんいるんでしょうけれど、さらりとした言葉で森羅万象に感謝する気持ちを言い表す「いただきます」って、なかなか素晴らしい日本語かもしれませんね。


外食店で「いただきます」を言わない、しない人でも、家庭での食事の時には言うよ、って人も少なくないんじゃないでしょうか。


そういえば小学校の給食なんかでは、みんなそろって「いっただきま~す」ってやってましたよね。
「いただきます」を、一回も口にしたことのない日本人っていないのかもです。


これから自分が食べるものを、「いただく」「口にする」っていう意味から「いただきます」っていうのはすんなり理解できる挨拶のような気がするんですが、「ごちそうさま」っていうのってどうなんでしょ。
世界各国にある食後のアイサツなんでしょか。


「旨かった」とか「お腹いっぱいになりました」っていうニュアンスの言葉を発するってことはあるみたいですが、日本語の「ごちそうさま」っていうアイサツとはちょっとね、違っている感じです。


この「ごちそうさま」っていう食後のアイサツも仏教的な背景のあるものなんでしょうかね。
漢字で書くと「御馳走様」ってなります。


「馳走」っていうのは、走りまわるっていう意味の言葉だそうで、お客さんをもてなすために、走りまわって食材を求めるってことなんですね。
つまり「馳走」するのは食事を提供する側ってことになるわけです。


その馳走に丁寧語「御」を付けて「御馳走」ってことで、走りまわって集めた食材が調理された状態のものを言うってことなんでしょうね。


「御馳走」っていう名詞は、提供する側が「きょうは御馳走ですよ」っていう使い方もオッケーですし、提供される側が「わああ、これは御馳走だあ」って、嬉しさを提供する側に表すような使い方でもオッケーですよね。

 


何が御馳走なのかっていうのは、まあ、人によっていろいろあるんだろうって思います。
御馳走って言ったら何を思い浮かべますか?


作家の角田光代さんがエッセイで、御馳走って言うのは、何か具体的な一品じゃない。

 

高級品が、イコール、御馳走なんじゃなくって、たくさんの数の食べものがそこにあって、何だか分からないもの、得体の知れないものが交じっているのが自分にとっての御馳走なんだって、言っていたように記憶します。
むっふっふ、なるほどねえって思います。

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その味わいをすっかり知っている食べものは「旨いもの」なのであって「御馳走」っていうのとはちょっと違うんだなあ、っていう感覚には、全面的に賛同しますです。


ま、もちろん「ふんわりオムライスこそが御馳走です」っていうような意見にも、特に反論しようとは思いませんけどね。


でもですね、食後に言う「ごちそうさま」っていうのは、そうした感覚の背徳感のあるような、ワクワク感に覆われたような感覚の「御馳走」に「様」を付けて、さらに高尚なものとする意図のある言葉、っていうもんじゃないですよね。きっと。


「サマ」が付くことによって、なんだかごく普通の食べもの。っていうか、ちゃんといただきました。っていうニュアンスのアイサツになる感じですよね。


なんだかごちゃごちゃした言い回しになってきてしまいましたけれど、「ごちそうさま」っていう言葉は「御馳走」っていうモノからはだいぶ離れた、「御馳走」そのものを意識していないアイサツ、なんじゃないかって思うんでありますよ。


考えてみますと、定食屋さんでも町中華でも、居酒屋さんでも、良く言います「ごちそさまあ」
これって「もう充分いただきましたので、帰ります」ってな感じで使っていますね。


旨い不味い、珍しいとか、飲食したモノに対する評価として言っているわけじゃないなあって気付きました。
家族での食事の時の「ごちそうさまあ」っていうのも、同じようなニュアンスじゃないでしょうか。
「サマ」が付くことによって、フツーになっちゃってます。よね。


決して不味いっていう意味じゃないですし、用意された食べものに対する感謝の念がないわけじゃないんですけれども、フツーな感じで使ってます。


外食時の場合には、「お勘定お願いします」とか「お愛想」っていうニュアンスの方が強いんじゃないかって感じたんですね。


ま、何も言わずに無言でレジに行くっていう人もいるにはいますけどね。
独り呑みのオヤジに、たまにそういうヤツを見かけることがあります。


家族連れできている場合は、おだやかに「ごちそうさまでした」って言うのが多いと思うんですけど、酒呑みの単独オヤジには、なんだかワケの分からないことになっちゃっているヤツもいるんですね。

 


いきなり「いくらー?」っとか叫び出すようなパターンもありますけど、以外に多いのが「お愛想」っていう声をかけるパターンですね。
大きなジェスチャーで両腕でバッテンっていう合図を送るっていうのも、けっこう見かけます。


「お愛想」っていうのは、江戸時代辺りから言われ出したことばなんだそうですが、元々は客側からいう言葉じゃなくって、会計時に店側が「ありがとうございました。お愛想なしで申し訳ありませんでした」って言い出すようになってから広まったっていう説がありますね。


よく見かけるこの説明なんですが、これって一方的に飲食を提供する側がへりくだっているような印象を受けますけれど、なんかね、ウチは愛想で商売しているんじゃなくって素材の良さと味で勝負しているんだよっていう意思表示としての「愛想なし」っていう面もあるようにも思います。


で、「お愛想して」っていう客側からの合図は、勘定する時だけニコニコして愛想をふりまくけど、普段は仏頂面でしょうもねえなあ、っていうんで、もう帰るから「愛想を振りまく時だよ」っていうニュアンスだっていう説もありますよ。


でもねえ、この「お愛想」「お勘定」「いくらー?」っていうのって、日本語としての「いただきます」とセットになっている「ごちそうさま」っていう、人の働きや、いただいた食材に対する感謝の気持ちから完全に離れちゃって、完全にお金、銭勘定だけのことになっちゃている感じがしますねえ。


「お愛想して」って言われて「お粗末さまでした」なんて応えているお店もありますけれどねえ、日本語っていうか普段使いしている言葉が、元々の意味から離れちゃって、ただの記号として取り交わされているのが令和の現在なんだとしたら、なんかこう、ルネッサンスみたいな動きがあっても良さそうな気もしてきます。


居酒屋で「いただきます」は言っていませんけれど「ごちそうさま」は必ず言っています、
「ごちそうさあん」ですけどね。


そういえば「ごっちゃんです」っていう言葉は、生き生きと残っていますねえ。
でもあれか、ごっちゃんですって食べる前に言うんでしたっけ? 食前食後にごっちゃんです、なんでしたっけか?


そうそう、朝乃山って、いつ戻って来るんでしたっけ?


なんだか分かんなくなってきましたけど、ごちそうさまでした~。