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【ベルリンという街】多和田葉子「百年の散歩」から見えてくるドイツ連邦共和国の首都

< いや ことに多和田葉子の作品から類推するのは間違った印象につながるんじゃないでしょか >

小説ですからね、ドキュメントじゃないですもんね。でもまあ、それでもイイんだと思うですよ。


ドイツに行ったことはありませんし、行く予定もありません。


多和田葉子っていう作家さんは、ベルリン在住らしいんですけど、日本語の作品とドイツ語の作品をいろいろと発表されていて、講演やら朗読会やらで世界各国を飛び回って活躍しているスーパーレディってイメージがあります。


人気の作家さんですから、みなさんもご存じかと思います。


1992年の「かかとを失くして」1993年の「犬婿入り」を読んで、なんか、飛んじゃってる感覚の人だなあっていう、ヘンテコさ加減が心地イイなあって思って以来、好きな作家の1人です。


まあね、小説家は作品を書くにあたって、自分の中のヘンテコな部分を強調しながら構想を練るっていう部分もありそうに思えますし、そこに、いわゆる作家アタマってもんがあるんじゃないでしょうか。知らんけど。

 

 

 


2001年に発表された「容疑者の夜行列車」っていう作品があります。


これね、このタイトル、おそらくなんですけど、こういうことだろうって思うんですね。


容疑者 ⇒ 夜汽車 ⇒ 夜行列車


こういう言葉遊びっていいますか、気付く人だけ気付けば、それでイイです。みたいな文章を書く作家さんですね。多和田葉子


2か国語で小説を書いて、言葉、単語に対する感覚が、どうにも細かくこだわらざるを得ないところがあるんでしょうね。


自分の感覚を表現するのは書き言葉がメインだから、その言葉の見た目や成立も気になるし、書き表された言葉の音の響きも気になって、音的に似ているだけで、意味的に全く関連のない言葉を並べてみるのも面白い。
みたいな感覚があって、その自分の感覚を信じて書き進めていく。っていう作家さんなんだろうと思いますね。


ドイツっていう外国に住んで、自分自身が外国人になって生活している。


もちろん、語学的には何不自由なく生活できるんでしょうけれど、ドイツ語話者としてなんとなく感じているアウェー感。浮遊感。


失くしてしまったかかとは、絶対に元に戻ることはないっていう確信に、いつの間にかアイデンティティを見出している自分、っていうのを感じているのかもしれませんね。


2013年に発表された「言葉と歩く日記」っていう新書は、講演旅行やらなんやらで、言葉通りに世界を飛び回りながら、日記形式で、言葉に対するコダワリっていうのを、ショーモナイだじゃれ抜きで、真剣に、って言いますか、多和田葉子っていう作家の文体はいつも真剣さを感じるものではありますが、素直に言葉に対する自分の感受性に向き合っている。


客観的になろうとしている態度が読み取れて、「らしくない」かもしれませんけれど、面白いです。
「言葉と歩く日記」を未読の多和田葉子ファンの方には、お薦めの一冊です。岩波新書


さて「百年の散歩」なんですが、ベルリン在住の主人公が「あの人」を待ちながら、ベルリンの街の中をあちこち散策するっていう10の短編集っていう体裁をとっている一冊です。


いくつかの短編を読み進んでいくうちに、主人公にとっての「あの人」の存在は浮遊し始めて、「あの人」っていう存在は、主人公が街をあてもなく散策するためにでっち上げられた架空の存在、空想の恋人で、店に入ったり、公園のベンチで待っている相手になっている「あの人」のことに注目してみますと、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を思い浮かべたりなんかします。


でもまあ、ベケットアイルランドの人ですからベルリンには関連ないよなあ、とか、そんなふうな、短編の内容とは直接関係のないような空想を、常に読者に強いてくるような短編集なんですねえ。


各短編のタイトルが「カント通り」だとか「レネー・シンテニス広場」「マヤコフスキーリング」ってなっています。


ドイツの歴史に詳しくはありませんので、そういう名前の場所がホントにあるのかな? ってちょっと疑っているところがもあります。


いや、疑う理由なんて、ホントはありませんし、チマチマと調べれば存在するのかどうかは判ると思いますけど、全部が多和田葉子の創作なんですよっていう結論も、なかなか味わい深いなあって言う気もするんですね。


そういう本を読む楽しさをもたらしてくれる作家さんです。


実は地図も付いていて、ベルリンの街にその位置も記してありますんで、ホントに在るんだろうとは思います。

 

 

 


1つ目の「カント通り」っていう短編。
「わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた。カント通りにある店だった」
って始まっています。


いきなり「奇異茶店」です。


多和田葉子っていう作家さんが、実際にはどういう方法で書いているのか分かりませんが、キータッチの微妙なズレだとかのせいで、こういうアンポンタンな変換結果が返って来ることってありますよね。


それを面白がってそのままにしたものなのか、喫茶店って書く前にすでにアタマの中の言葉遊びで奇異茶店っていう言葉が浮かんでいたものなのか、どうなんでしょ。
発音する音の近さっていうことと、この場合は「奇異」っていう語感が気にいっているってことなんでしょうね。多和田葉子さん自身がね。


とくに決まった! っていう感じじゃない言葉遊びだと思うんですけれど、ま、こんな感じで進んでいくのが多和田葉子の作品ではありますけどね。


カントっていえば、通りの名前として名前が残されるっていうんであれば、哲学者の「イマヌエル・カント」でしょか。
でもカントは、ドイツっていっても「プロイセン」時代の人で、今現在ではロシアのカリーニングラードになっている街の生まれで、そこからほとんど動くことはなかったって言いますからね、違うカントなのかもしれません。


いやまあ、カントが学生時代だとかに、大都市のベルリンを歩いていたって不思議はないんですけどね。
それにカント通りのある地域は旧東ベルリンだとすれば、ロシアの有名人ってことで通りに名前を遺してあるとしても不思議じゃないですもんね。


ベルリンていう街は、かなり古くから栄えていて、21世紀の今も世界に冠たるドイツの大都市です。


多和田葉子の「百年の散歩」を読み進めていくと、通りや広場に名前を遺しているベルリンにゆかりの人たちに対する言及もあって、百年っていう時の長さを散歩している「わたし」と「あの人」あるいは「その人」の時代的現在地みたいなものが感じられてきます。


ところで、21世紀初頭の現在、充分に大人である人たちにとってベルリンといえば、なんといっても「ベルリンの壁」っていうことになるんじゃないでしょうか。


大昔から重要な街だったベルリンは地政学的に稀有なポジションを経験しています。


戦後処理っていっても、結局は戦勝国同士の自国への利益誘導が渦巻くことになるんですね。

 

 

 


ベルリンの壁っていって、イメージしていたのは街の真ん中に一直線に壁が作られていて、東ドイツ側と西ドイツ側に分けられていたんだなあって、かなりボンヤリしたものでした。
東西の行き来が、遠回りしなきゃいけないんで不便だね。ぐらいなアンポンタンなイメージ。


ドイツの地理をまったく知らない中でのベルリンとベルリンの壁


大人になってから改めて知るのは、ベルリンっていう街自体は東ドイツにあったっていうこと。


東ドイツの首都は東ベルリンでしたが、西ドイツの首都はボンに置かれていました。
つまり西ドイツ側の西ベルリンっていう区画は、飛び地なんですよね。


東ドイツの中にベルリンがあって、そのベルリンの中に西ドイツ側の西ベルリンがある。


なのでベルリンの壁っていうのは、西ベルリンをグルっと囲んでいたんですね。


当時のソビエトは、なんで壁で囲い込むようなことをしたのかといえば、東ドイツの人たちが西ベルリンに入ることによって西ドイツに亡命しちゃうのを防ぐ、ってことだったみたいなんです。


西ベルリンの人たちにとっては、限られたアウトバーンや空路で西ドイツへ行き来出来ていたそうなんで、ベルリンの壁の有効性っていうのは、東ドイツの人たちにとっての西側諸国への入り口を閉ざすことにあったってことですね。


西ベルリンっていう飛び地を設けることも、そこを壁で囲ってしまうっていうことも、なんとも人間の愚かしさを象徴しているようにしか感じられませんけどね。


ベルリンが第2次世界大戦の敗戦によって分割されたのは1945年のヤルタ会談
イギリス、フランス、アメリカ、ソヴィエト連邦で4つに分割統治。

 

 

ベルリンの壁が作られたのは1961年。


1989年の暮れにブランデンブルク門が解放されて、1990年、ベルリンの壁は取り壊されましたね。


ドイツも統一されてベルリンが統一ドイツの首都になったわけです。
百年ぐらいの散歩じゃ歩き切れないベルリンの歴史ですね。


で、今、ちょろっと調べてみたら「カリーブルスト」って、ぶっといフランクフルトを焼いたのにケチャップとカレー粉をふりかけたやつって、神宮外苑のオクトーバーフェスで食べたことありましたけど、あれって、ベルリン発祥なんですね。

 

料理ってほどでもないような。。。 

ふううん。ベルリンを歩く予定はありませんけれど、カリーブルストは旨かったです。また食べたいです。