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【神サマの集まり過ぎ?】散文の書き方を考える その2

< 思うように書けないのは自分がワルイんじゃなくって 創作の神サマが集まり過ぎているから? >

ブログ記事、小説、シナリオ、エッセイ。
散文を書く、書き続けるっていうことに対して、いろいろ考えてみる2回目です。


構想は充分に練ったし、プロットも作った。あるいは箱書きの出来具合が満足のいくレベルになったとします。


さて、いざ書き始めると、どうもいけない。
なんだか焦点がぼやけてしまって思うように書き進められない。
おかしい。


何が間違っているんだろう。とにかくうまくいかない。
こうなってしまうことが才能のなさ、ということなんだろうか。


ん~、や~めた。


っていう経験を何度となくしてきた方も少なくないだろうと思います。


創作工程の空中分解っていうやつですね。ありがちなことなのかもしれません。

 

 

 


完成した作品の出来はどうであったとしても、とにかく書き上げるっていうのは実に難しい作業です。


空中分解するときは、そもそも出来上がっていないんですから、作品の出来自体を云々する段階に達していないんですけどね。


前段作業としてのプロットや箱書きに囚われることなく書き進めるべき、っていうのは当然ながら必須な態度だと思いますけど、それは、やみくもに書き始めることを意味しているんじゃなくって、プロット段階よりもっと面白く、箱書き段階よりもっとスリリングに書き上げてやるぞ! っていう気持ちがなければ、小説、シナリオ、散文を書き進めるモチベーションも続かないというのが実際のところだと思います。


自分で自分を乗り越えるっていう創作の覚悟です。


しっかり準備しても、途中で行き詰まってしまうのは、このモチベーション、もっと面白く、もっとスリリングに、っていう書き手のサービス精神に原因があるのかもしれません。


うまく書き進められないと、ガックリですよね。

 

 

簡単じゃないってことは分かるけど、なんで? なんで行き詰まるの?
今回は、神サマが集まり過ぎていませんか。っていう話です。


小説、シナリオだとか散文を書き進めるにあたって、ディテールを大切にすることは書き手として最低限必要な態度なんですよ、っていうのは理解できます。


散文の書き方を説明してある本にも、よく出てきます。


ただ、このディテールっていうものは、実際に書き上げてみないと、その出来具合が実感できないものだっていうところが厄介なんですよねえ。
プロットや箱書き、ましてやメモのレベルではディテールなんて出てきませんよね。


登場人物の一人ひとりには、その散文に登場するまで生きてきた背景があるはずですし、小説の中の出来事、シナリオで起きるアクシデントにしても、その原因が読む側、観る側に伝わらなければ、物語のリアリティがなくって、ご都合主義的な作品になってしまいがち、ってことですね。


ディテールこそが作品の本質を決めるんでしょねえ。そういう効果。
書き手がディテールにこだわるのは当然のこと、リアリティこそ散文の生命! なんでしょうかねえ。


そうじゃない作品、小説にしても、映画やドラマにしても、ちっともリアリティのない「商品」になっているものも中にはありますけれどね。やっぱり、というか当然、ヒットはしていませんよね。


小説も映画も、商売ショウバイ、にならざるを得ない部分も大きいんでしょうね。
色々な理由で、とにかく世に出さざるを得なかった事情っていうのもあるのかもです。
誰か止める人はいなかったのかなあって思っちゃう、大金をつぎ込んで失敗した映画って、ありますもんね。


まあ、そういう商売のことは置いておくとして、散文のディテールについて考えてみます。


「神は細部に宿る」っていう言葉がありますよね。なんか、格言っぽいです。


少しでも創作活動に関わっている人であれば、一度は聞いたことがあるかと思います。


20世紀ドイツの建築家で、アメリカでも活躍したルートヴィヒ・ミース・ファンデル・ローエ(1886~1969)の言葉として知られているようですが、実際には誰の言葉なのかハッキリしていないらしいですね。このミースという人は「より少ないことは、より豊かなこと」っていう言葉でも知られていて、格言家といいますか、ドイツ思想界の伝統を受け継いだ有名人だったんでしょうね。


いや、三―スじゃないんだよ。「神は細部に宿る」っていう言葉を最初に言ったのはエックハルトだっていう見解もあるようです。


マイスター・エックハルト(1260~1328)はドイツ生まれの神学者で、所属していたドミニコ会の指令でドイツとフランスの大学を行ったり来たりしていたようです。


パリ大学で当時の最高の栄誉である「マギステル」って呼ばれる学位を取得して、マイスターという名前で呼ばれるようになったっていう大学者。
今に続く思想界の中心であるドイツ、フランスの両思想界に造詣の深い人だったようで「説教集」っていう、いかにも! なタイトルの本は今でも手に入ると思います。なにせ凄そうな人です。


そのエックハルトが「神は細部に宿る」っていう言葉そのものを残しているのではないとしても、少なくともこの言葉につながる人間の生き方を提示していたっていうふうに判断してもイイんじゃないでしょうかね。


ミースは建築家ですから、文字を書くジャンルの人ではありませんけれど、建築構造物として人の目に見えないところこそ、きちんとこだわりを持って作るべきだ、っていうことを言っていることは充分に考えらそうです。

 

 

 


かなり前に、日本の職人さんが手作りしたドアノブが、フランス、スイスのリゾート地で、個人経営のホテルに採用されているというニュースがありました。


そのドアノブを握ると、ドアの開け閉めの際に優しい気持ちになれるから、というのが採用理由なんだそうですよ。
素晴らしいですよね。


ホテル側ではドアに元々付いていたノブをわざわざ外して取り付け替えるんだそうです。


優しい気持ちになれるドアノブ。

 

どこにそんなチカラがあるのかなんて見た目で判るもんじゃないでしょうけど、職人さんのコダワリっていうのがあって、握る人に優しい気持ちを湧かせるドアノブ。


神が宿る細部っていうのは、こうしたものなのではないでしょうか。


手作りしたドアノブ。そこに宿る神は、洋の東西を問わない、グローバルな神サマなんでしょうね。
日本の職人さん、凄いです。同じ日本人として誇らしくさえ思えます。


建築に関して言えば、壁と天井の接点、壁と床の接点。人間の暮らしの長い年月の間には、様々なディテールへのこだわりがありますし、なかなか気付きにくい部分ではありますが、その細かな配慮や工夫に思わず感嘆してしまった経験はないでしょうか。
釘を使わない組み立て技術とか。


こだわりを持った細部の集合体が、どんなものであれ、個としての素晴らしい完成品になるわけですよね。


人が知らず知らず、息をのんで有難い気持ちになるのは、そこに、その細部に、神サマがいる、っていうのが「神は細部に宿る」っていう言葉の真意なのかもです。


もう一つ。


職人さんが手作りした陶器のコップ。

長崎の波佐見焼


コップには、ワイン、お茶とか、好みの飲み物やアイスクリームを盛ったりして楽しむんだそうですが、そのコップを握り持った人は、何となく安心するんだそうです。


焼き上げて完成してみないと判らない触感。求めるものが明確にあって、それを実現するまで延々と細部に、ディテールにこだわって作って、繰り返した結果なんでしょうね。


握って安心できるコップは、設計図なんかには現れそうにない、そのわずかな感触の違いには、ドアノブと同じように洋の東西を問わない繊細な神サマがおわします、ってことなんでしょうね。


どんなジャンルであっても、散文を書き進めるにあたって、一つひとつのエピソードのディテールが、そのシーンのリアリティを醸し出してくれるっていうところは通じるものがあるように思えます。とても大事です。


ディテールの具体を丁寧に書きましょう、っていうことを言っている書き方のノウハウ本もあります。


なにせそこに神サマを呼ぶことができますからね。信じてイイんじゃないでしょうか。


では書き進めていきましょう。
重要シーン。さあ、ここはディテールが大事です。丁寧に書いていきましょう。


そもそもここで活躍する人物は、過去の生活の中でこんな経験をしている。それがこの事件を起こした遠因になっているんだ。そのディテールを書き表さなければ。


そうそう、ここでこうした事が起こっているときに、後に主人公にからんでくる重要な行動を起こしている人がいるんだった。そのこともここで書いておかないと、効果的な出会いのシーンにならないよなあ。


なにしろ神サマを大事に大切に、書いていくべきだから。


っていうことで、主人公の周りにどんどん関係者が増えて、その関係者にからんだエピソードが増えて、各々についてきちんとディテールを考えて、つじつまを合わせて、キチンと書いていって。


しているうちに、神サマはどれくらいの数になっているでしょう。


改めて「客観的に」書き終えたところまでを読んでみると、なんだかなあという結果に。
空中分解の気配が。


バックストーリーやら、Bストーリーやら、メインの筋からすれば脇であるはずのアイディアが、グイグイとと本筋に入ってきてしまう。そうなると、話しが分散してしまうのも無理はないですね。


さらに、どのエピソードにもきちんと辻褄を合わせて、神サマに宿っていただいていますから、今さらお引き取り願うには、書き手の側に方法がない。収拾がつかない。


気が付くと、神サマが集まり過ぎてしまっているってことになってしまっている。のかもですよ。


八百万の神は、皆が皆、仲良くしてくれない。ディテールに宿った神サマは必ずしも創作の手助けをしてはくれないんじゃないでしょうか。


細部、ディテールはとても大事なものなんですが、主筋に必要なこと以外を取り上げて書き加えていくと、世界が広がり過ぎてしまいますよね。
そうなると書き手にとってよりも読み手にとって混乱を招きます。


きちんと書こう、全てを書こう、という気持ちが湧いてくるのは、何も決めずに書き始めた場合に多いのかもしれませんが、もちろん、小説のプロット、シナリオの箱書きをしっかり作った場合でも充分に起こり得ることなんじゃないでしょうか。


何も決めずに書き始めたケースで空中分解したのであれば、改めてプロットを書き上げるか、箱書きを作ってみるっていう再チャレンジの余地はありそうですね。


空中分解した失敗を意識しながら、小説の肝を失わないようプロットを仕上げてみましょう。シナリオのへそを見事に活かすよう箱書きを組み立ててみるのがイイんじゃないでしょうか。


既に一回、混乱の原因になったディテールは見えている段階なはずですですもんね。
今度はきっとうまく最後まで書き上げることができるだろうと思います。


じゃあ、小説のプロットを、シナリオの箱書きを、あるいは散文のメモであっても、あらかじめ下準備をして書き出したにもかかわらず、空中分解してしまった場合は、どうすればいいでしょうか。

 

 

 


悩みますね。


きっぱりとその作品は諦めて、新しいアイディアにかけるべきでしょうか。


まあ、それはそれで悪くない手段だと思いますが、新しいアイディアがうまくいく保証はない、っていう問題は解決できていませんよね。


やっぱり、これまで苦心苦労してきた作品ですし、諦めずに完成させることが肝心だと思います。


書き始めたら、何が何でも最後まで書き上げる。これがとっても重要です。それが自分のクセって言えるほどになればイイんですけどね。


でも、どうやって書き上げるの?


小説のプロットを見直してみましょう。シナリオの箱書きがちゃんと流れているか確認してみましょう。


勉強熱心な人ほど、しっかりしたメソッドに従って書いていることと思います。
よほど書き慣れている人でもなければ、自分独自のメソッドなんて無いでしょうから、誰か有名な人の考えたメソッドですよね。


しっかりしたメソッドに沿っているんだから安心。ということで書き始めたんじゃないでしょうか。


そのこと自体は間違いではありませんし、メソッドはそうして利用するものでしょう。
ただ、そのメソッドが提唱している各段階に、何がしかを書いて埋めたんだから、プロットが完成した、箱書きは出来た、と判断してはいないでしょうか。


そこにアイディアを核としたメインストーリーが真っ直ぐに流れていることが感じられるでしょうか。


どんなメソッドであれ、それは方程式じゃないんですよね。パラメータを与えれば自動的に答えが導き出される道具じゃないんだと思います。


用意した小説のプロット、シナリオの箱書き、ブログ記事のメモを見直すのはその部分です。


書こうとする物語はこの準備段階ではシンプルであるべきだと思います。プロットや箱書きにまで神サマを宿したりしては難しくなるばっかりでしょ。


うまくいかなかった散文であっても、もう一度チャレンジしてみるのがイイと思います。
シンプルに。自分のアイディアの肝が何だったのかを見失わないように。


もう一度準備して、もう一度書き始めてみましょう。


神サマに宿っていただくのは、説明じゃなくって、描写の中だということを実感できれば、きっとその神サマは微笑んでくれるんじゃないでしょうか。


失敗したのは、神サマ、集まり過ぎ?


そこの辺りのことに正解なんてないんでしょうけど、最初のうちは、神サマがたくさんおられますと、コントロールが難しいっていうのは事実だと思います。


神サマに頼るんじゃなくって、宿っていただく。


やっぱり難しいことなんでありますよ、創作は。


でも、書いて、書き始めて、書き上げましょう。


あっちの神サマ、こっちの神サマっていうのは、あんまりヨロシクナイ、のかもです。
にしても、創作の神サマって、どこにいるんでしょうね。

 

< いろいろ考えるです >

【考えてから書くか、書きながら考えるか】散文の書き方を考える その1

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