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【マクガフィンって?】散文の書き方を考える その6

< なにか人知を超えたものの存在 今回は映画 シナリオについて考えるです >

ブログ記事、小説、シナリオ、エッセイ。
散文を書く、書き続けるっていうことについて、いろいろ考えてみる6回目です。


マクガフィンって、誰? なんのこと? っていう人の方が多いかもです。
でもまあ、映画好きの人であれば聞いたことがある言葉かもしれませんね。


人の名前じゃないんです。


一世を風靡した世界的な映画監督「アルフレッド・ヒッチコック(1899~1980)」に、これまた有名な監督、「フランソワ・トリュフォー(1932~1984)」がロングインタビューした書籍「映画術」の中で触れられているのがもっとも知られていると思います。

 

 

 


謎めいて魅力的な響きのあるマクガフィンっていう言葉の意味、内容は、こんな感じです。


シナリオ風に。


○ イギリス郊外の簡素な駅
  一面に広がる麦畑。
  金色に実った麦が風になびいて
  いる。
  駅舎に停まっていた三両編成の
  列車が動き出す。

 

○ 列車の中
  向かい合わせ式の座席。まばら
  に紳士淑女が腰かけている。
  今の駅から乗り込んできたばか
  りと思われる茶背広の男が、バ
  ランスを取って歩きながら空席
  を探している。
  灰背広の男の前が空いている。
茶背広「(軽く会釈して)空いてま
 すか」
灰背広「ああ、誰の予約も入ってな
 いようだよ」
  茶背広がカバンを網棚に上げよ
  うとするが、そこには大きな布
  袋が場所を占めている。
茶背広「……(ちらりと灰背広を見
 る)」
  視線に気づいた灰背広が靴のま
  ま座席に上り、布袋を重そうに
  引きずってずらす。
  布袋に追いやられた隣席の女性
  ものバッグが倒れる。
  何も気にする様子なく灰背広が
  自分の座席を手で払い、ドサリ
  と座りながら、
灰背広「ほら、これで置けるだろ」
  茶背広が頷きながら背伸びして
  カバンを置き、向かい合わせに
  腰をおろす。
茶背広「何だかずいぶん重そうな荷
 物だね」
灰背広「うん、まあ。そうでもある
 し、そうでもないさ」
茶背広「中には何が入っているんだ
 い」
灰背広「……。マクガフィン
茶背広「マク、ガフィン?」
灰背広「ああ、マクガフィンだ」
茶背広「ん? 聞いたことないな。
 いったいそりゃ何なんだい」
灰背広「マクガフィンってのは、
 スコットランドのハイランド地方
 で使われている、ライオンを捕ま
 える罠さ」
茶背広「ええっ! ライオン? ラ
 イオンを捕まえる罠だって?」
灰背広「伝統的な道具なんだ」
茶背広「伝統的だって? バカな。
 ハイランドにライオンなんている
 わけないじゃないか」
灰背広「(座りなおして)そうか。
 それじゃ、あれはマクガフィン
 じゃないってことだな」
茶背広「(じっと見つめて)……」
  鉄路を進む列車の音に包まれる
  中、遠くから牛の鳴き声。

 

○ 山裾の牧草地
  呑気そうに草を食んでいる牛。
  その群れ。
  山裾を回りこんで、走る列車
  が見えなくなっていく。

 

ちょっと盛ってみましたが、だいたいこういう話がマクガフィンっていう言葉が「映画術」の中に登場するシーンです。小噺って言われてもいるようです。


で、結局、マクガフィンっていうのは何なんでしょうか。
なんでこんなエピソードが残されて伝わっているんでしょうか。


いたずら好きとして知られているヒッチコック監督のシャレなんでしょうか。


ヒッチコック監督は「サスペンスの神様」「ヌーヴェルヴァーグの神様」だとか評されて、やたらとカミサマに祭り上げられています。


ヒッチコック監督が活躍したのは20世紀半ばですが、19世紀末にニーチェが「悦ばしき知識」で神の死を宣言して、当時のキリスト教社会では神を、カミサマを求める空気があったからなのかもしれません。


そうした趨勢を考慮したとしても、ヒッチコック監督の評価は絶対的と言っていいでしょう。


「サイコ」「鳥」「裏窓」をはじめとして、「北北西に進路を取れ」「レベッカ」「ダイヤルMを廻せ」「めまい」等々、人気、評価共に高い作品が目白押しの監督です。


ヒッチコック監督の影響を受けた映画監督にも有名な監督が多くって、「勝手にしやがれ」「女と男のいる舗道」「気狂いピエロ」で知られる「ジャン=リュック・ゴダール監督(1930~2022)」


いとこ同志」「女鹿」「肉屋」の「クロード・シャブロル監督(1930~2010)」


そして「アメリカの夜」「ピアニストを撃て「大人は判ってくれない」フランソワ・トリュフォー監督も支持者として知られています。


スティーブン・スピルバーグ監督(1946~)」もそうですね。

 

 

そんな感じで、映画界に多大な影響を与えたヒッチコック監督が、映画の方法として表明していた言葉の1つがマクガフィンなんですね。


マクガフィン。それは、映画術、映画の方法、プロット・デバイスの1つとして語り継がれている単語。


プロット・デバイスの1つ、マクガフィン
こういう言葉を作り出して、新しくカテゴライズするのって、英語圏の人の得意技なんじゃないでしょうかね。


実に巧い、魅力的にすら感じる言葉だと思います。
そもそも映画術って言葉自体、巧いなあと感心してしまいます。


そして、こうした言葉の創造や、使い方自体、サービス精神から出ているように思えちゃいます。


小説、シナリオを書き上げること自体に、最も必要な精神的要素、それがサービス精神なんじゃないでしょうか。

 

 

 


ヒッチコック監督という名前を聞いて、誰もが思い浮かべる肖像があると思います。


ウィキで調べても、まず、あのモノクロ写真がピックアップされることでしょう。
そうです、斜に構えた胸像、少し顎を上げ加減にとぼけた視線で真正面を見ている、あの写真です。


何かひと言、イヤミを言いたそうな表情を作っています。


どこかユーモラスな、実にイイ顔だと思います。切手にもなっていますね。


とってもサービス精神旺盛な人で、自作にも多く登場して楽しませてくれました。
カメオ出演ってやつですね。


予想外にカメオ出演の部分が人気になっちゃったんで、止めるわけにはいかなくなったんだそうですが、撮った映画はサスペンスですから、カメオ出演のコメディ要素は映画の張りつめた空気感には邪魔になります。


なので、始まった直後ぐらいに登場することが多かったそうです。


もしかすると、あのユーモラスな体型も、努力して維持していたのかしらん、などと思わせてしまうほどの、全体としてのサービス精神には頭が下がります。


マクガフィンっていう言葉は、ヒッチコック監督自体が創造した言葉じゃなくって、初期に一緒に仕事をしていたイギリスのシナリオライターの造語らしいです。


意味ありげで響きの好い言葉なんで、先の列車の中の話が喧伝されるようになったのかもしれません。


シナリオを書き上げる前に、どんな話にするかを自分自身で、あるいは数人の仲間同士で、ザックリと全体を確認するために作成するのがプロットと呼ばれるものですよね。
日本では箱書きという手法をとる人も少なくないようです。


そのザックリとした段階で、主人公の行動を、特に映画が始まってすぐの主人公の行動を導く、観ている側にも分かりやすい動機。それがマクガフィンです。


映画が始まってすぐ、観客を引き込む工夫っていうのは、映画のイノチ、みたいなもんですよね。
始まりが面白くなければ、その続きを観てもらえなくなります。


プロットの段階で見えていた方が良いだろう幾つかの要素、をプロット・デバイスと表現して、その中の主人公の最初の行動動機がマクガフィンです。


主人公は何をしたいのか。なにをしようとしているのか。それはなぜなのか。


え? だったらマクガフィンとかじゃなくって、動機って言えばいいんじゃないの?


尤もですね。


ただ、サスペンス映画の主人公が行動する動機ですから、そう簡単に決まらないという現実もあります。
さらに言えば、この初期動機は、映画の中盤以降、実はどうでもいい存在になってしまうのが常です。


ヒッチコック監督作品に限ったことじゃなくって、ほとんどの優れたサスペンス映画は、主人公が初期動機を解決して終わるという内容じゃないですよね。


いくつかの名作サスペンスを思い浮かべればすぐに納得していただけると思いますが、主人公自身、あるいは主人公を含めた仲間たちの心情変化、それを観せてくれるのが好い映画ですよね。


変化があるから面白い。変化するから興味が持続する。


中盤以降、あまり意味のなくなってしまう動機ではあっても、マクガフィンは主人公が動き出すきっかけですから、いい加減な物や事では、観ている側は主人公に感情移入しませんよね。


観る側が感情移入しない主人公の映画が面白くないっていうことは、誰でも散々経験していることだと思います。


マクガフィン。初期動機を何にするか。


とっても重要なことですが、全体を考えるために創るプロットですから、ま、何か不思議な魅力を持った初期動機があるとして、行く手に現れるのは巨漢の悪党か、絶世の美女か、と進めていくわけです。


ここで、初期動機、きっかけ、っていう言葉のまま考えていくのは、だいぶ興ざめです。


そこで、差し当たって、ソレをマクガフィン、と言っておこう。っていうアイディアなんですね。


もちろん最初から決まっていることだってあるでしょうけれど、何ともニクイ手法、言葉のニュアンスに対するアイディアです。


シーンが進んで、マクガフィンに対する扱いがどういうものになるか。


そこを考える時点で、ストーリー全体の方向転換や主人公の魅力の演出も加味しなければいけません。


その段階まで来て、その初期動機とは何だったのかハッキリ決まっていなくとも進めてこられる。
マクガフィン。ナイスですね。


こうした概念的なものに名前を付けて、映画の方法として話をしてくれるヒッチコック監督のサービス精神は是非とも見習いたいところです。


初期動機なんて表現せずにマクガフィンっていう言葉で話し合いを進めていく。プロットを進捗させる。


こうしたサービス精神は、他人に向けてのものであり、自分自身に対するものでもあるでしょう。


もちろん、スパイが奪うべき秘密書類、それ自体が見る側にとっての謎。
だとかいう具合に単純明快なものばかりではありません。


いや、むしろマクガフィンが明確な映画の方が少ないかもしれませんね。


例えば、巻き込まれ型主人公の代表作のように言われる「ダイ・ハード」ではどうでしょうか。


主人公のブルース・ウィルスが現場に向かうとき、何かそこに動機が語られているでしょうか。


物質的なマクガフィンは無さそうですよね。


奥さんとクリスマスを過ごすためにニューヨークからロサンゼルスに飛ぶ。そこにマクガフィンはあるでしょうか。


そうですね、マクガフィンはあらゆる映画に必須のものではないのかもしれません。


とは言うものの、主人公側として考えてみると、何となくの男女関係でしかなくなってしまった夫婦が、強くお互いを必要としていることに改めて気が付く、っていう映画ですので、忘れかけていた愛、というのがマクガフィンにあたるのかもしれません。


この場合、無理にマクガフィンとか呼ぶ必要もないんですが、最初から最後まで観る側に隠されているマクガフィンだとすることは出来ると思います。


観る側に提示されていないとしても、シナリオの段階で意識されていたマクガフィンであることは、間違いないことだと思います。
シナリオライターは、ちゃんと考えているんだと思います。


ダイ・ハード
巻き込まれ型の主人公がこれほど魅力的で、人気があるのは稀有なことだといえるでしょう。

 

 

 


シナリオ、小説、全ての物語は人の変化についてのものです。


そのまま自分の作品にあてはめなくとも、色々な先人の工夫を知っておくことは大事なことだと思います。


マクガフィン。うまく伝えることができたでしょうか。


いや、自分は全く違う方法で書くんだよ、っていう人。
そう、それはそれでイイんですよね。
素晴らしい態度です。他人に伝わりさえすれば、ですけど。

 

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