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【ビート・ザ・スナフキン!】散文の書き方を考える その8

< ドラマの主人公以外でも 登場人物たちの魅力っていうのがすっごく大事なんだろうっていう話 >

ブログ記事、小説、シナリオ、エッセイ。
散文を書く、書き続けるっていうことについて、いろいろ考えてみる8回目です。


皆さんご存じの人気キャラクター、スナフキンの話です。


ムーミンが嫌いっていう人はいないでしょうけれど、とある調査でのムーミンの人気ランキングは、ニョロニョロに続いて第3位だったりします。


人気第1位はもちろんスナフキン。しかも得票数はダントツです。
このランキングの回答は主に女性を対象としたものでしたが、ムーミンのストーリーは男性にも結構人気があると思いますし、男女のランキングに差は出ないと思います。


第1位がスナフキンだっていう結果は多くの人が納得するところでしょねえ。
押しも押されもせぬ大スターなんでありますよ、スナフキン


日本では1990年からテレビ東京系で放送されたアニメ「楽しいムーミン一家」で知ったという人が多いのではないでしょうか。


放送は老若男女、かなりの人気でした。


ムーミン谷、おさびし山という名前が日常会話の中で普通に使われていましたしね。


おさびし山っていう名前に象徴されるように、必ずしも明るい話ばかりじゃなかったのがムーミンでした。

 

 

 


フィンランドトーベ・ヤンソン(1914~2001)の原作は1945年の発表です。
太平洋戦争が終わった年ですね。


トーベ・ヤンソンがいつからこの作品の構想を練っていたのか本当のところは分かりませんし、第二次世界大戦の影響が反映されているとは思いませんが、ムーミンは子供用アニメとしては、けっこうシリアスな内容だったりしましたよね。


画家でもあったトーベ・ヤンソンが本に描いたムーミンの絵面は、当初、ちっともふっくらしていなかったんですが、本の巻数が増えていくにつれてだんだん丸みを帯びてきていますね。
そして、アニメキャラクターになってあの顔と体つきになったんですね。


フィンランドの本の挿絵から日本的アニメ画像へと段々に変わっっていった結果、日本では可愛いって大人気。
今でも人気は衰えを見せていません。


いろんなグッズがいろんなところに並べられていますもんね。
2019年3月には、埼玉県飯能市に「ムーミンバレーパーク」がオープンしています。


トーベ・ヤンソンの誕生日である8月9日はムーミンの日、なんだそうですよ。


小説はもちろん、アニメでも特に笑いをふりまいたり、はしゃぎまわったりする内容ではなかったムーミン
しんみり、ふんわりとした話はムーミンの丸っこいキャラクターにフィットしている感じです。もちろんPTAが批判したりするような番組ではありませんでした。


あのさ、カバだよね。ムーミンってカバでしょ。
っていう人は少なくないみたいなんですが、カバじゃないんですね。


動物でもなくって、北欧の妖精、ムーミントロールです。


でもカバっぽいよ。


まあね、その辺は誰も否定はしないところでしょう。ムーミン自身がカバだって言われて怒っているマンガもありましたしね。


さて、我らがヒーロー、スナフキンはどうなんでしょうか。


人間だよね。っていう声も、これまた多く聞きます。だって旅人なんだし。恰好や服装を見ても人間に思えますよね。


アニメでは、ムーミンにしろスナフキンにしろ、何者なのかについて何も説明していませんが、スナフキンムーミンと同様に妖精なんです。


ムーミントロール族。で、スナフキンはムムリク族。


ここで何となくムムリクっていう名前に、思い出すっていうか、ピンと来た人もいるかと思います。そうなんです、スナフキンは原作ではスヌスムムリクっていう名前なんですね。


スヌスは嗅ぎタバコ、ムムリクは野郎という意味なんだそうで、スナフキン嗅ぎタバコ野郎っていう名前ってことになるんすね。


原作の名前のままのスヌスムムリクでは日本語的に馴染めないでしょ、っていうことで、嗅ぎタバコという意味の英語、スナフを充ててスナフキンとしたんだそうです。


キンはなんなのか、分かりません。


大当たりでしたね。スヌスムムリクのままだったら今の人気は無かったかもしれないです。それにしてもムムリク族、野郎族って……。


スヌスムムリク。


はい、そうなんです。わたくし、ぱうすむむりくの、言ってみれば同族なんでありまして、はい。
勝手ながらの同族宣言ではございますが。

 

 

 


スナフキンはご存知の通り、旅人で、ムーミンの親友ですが、同じムムリク族であるチビのミイ、スナフキンは彼女の弟だって知ってました?


流れ的に、ちびのミイ姉さんもわたくしの同族でございます。ムムリク族。


キャラクターの大きさのせいもあって、ミイは子供、スナフキンは煙草を吸いながらギターを弾いたりしているしで、大人の印象だと思うんですが、ミイが年の離れた妹ではなく、スナフキンの方が弟だということはなかなかショックだったりしますよね。


ただ単にミイが見かけよりは年をとっている、だけなのかもしれませんが。


まあ、ミイのあの話しぶりは、充分に大人だっていえるものではありますけれどね。


ミイとスナフキンはお父さんが違うようなんですが、姉弟だったんです。


こういう家族関係は日本の子供向けアニメにはない、なかなかシリアスな設定です。
特に説明はしていなかったと思いますけどね。


ミイとスナフキン、二人のお母さんであるミムラ夫人は、ほんのたまにしか登場しませんでしたが、いつも明るい感じの子だくさんママでした。


こうしたキャラクターたちの相関関係を明らかにしたうえで、現代ドラマを考えてみるのも、面白いかもしれません。
オリジナルドラマですね。


さて、スナフキンが人気のキャラクターである秘密はどこにあるのでしょうか。


これを知ることは、我々がある種のドラマ、物語を書こうとする場合の主人公を考えるとき、大きなヒントになるのではないでしょうか。


スナフキンは孤独を愛する旅人です。これが魅力の源泉でしょうか。


ギターを弾いてハーモニカを吹いて、自作の歌を口ずさむシンガーソングライターでもあります。
吟遊詩人っていえるのかもしれません。妖精のね。


この辺りがスナフキン的カッコよさなんでしょうか。そこに皆が憧れるんでしょうか。
どうなんでしょうね。


2016年にノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランはある意味、現代の吟遊詩人、ヒーローといえるのかもしれません。


服装にこだわりが無さそうなところはスナフキンと似ているかもしれませんね。


日本に目を向けてみると、平安中期の能因法師、平安末期の西行法師、江戸前期の松尾芭蕉らが、旅する歌人ですね。ですが、スナフキンとの共通点となると、「?」です。


歴史上の人物と北欧の妖精を比べても意味はないかもしれないですけどね。


スナフキンが人気を博しているのは、その見た目もあるでしょうけれど、歌でもなく、そのセリフによるところが大きいように思えます。


自分なりの生き方を譲らない、強い言葉をたくさん言っていますよ。
スナフキンの名言、っていって取りあげられたりもしています。


そのセリフが人気の源泉だとすると、物語の主人公を創作するうえで参考にすべきところが、そのセリフの中にありそうです。


我々の書く主人公も、たいていの場合、しゃべりますからね。参考になる部分があるはずです。


スナフキンは言います。


「大切なのは、自分のしたいことを自分で知っていることだよ」

 

 

こんなセリフを言えるのは、登場人物のパターン分類として、スーパーヒーロータイプでしょうか。


完全に主人公を飲んじゃってますよね。
自分のしたいことを自分で知っている。


言葉としては分かりやすいですが、果たして自分がやりたいことなんて、誰にでも明確なことだとは思えません。


スーパーヒーロータイプの主人公にしても、その行動の理由、自分のしたいことを理解するのは、第三者や大きなアクシデントに促されて、ということが多いように思います。


ただ、このセリフはドラエモンがのび太に向かって言っていても違和感のない種類の言葉でもあるように思えます。


スナフキンは主人公じゃないですけど、ドラえもんは主人公ですね。


スナフキンとドラエモンの比較については、また別の機会にしておきますが。


登場人物が読者、観客に寄り添った近しい存在として、初期段階に共感を得ることに成功していれば、その先、その人物がやるべきこと、独立した登場人物としての、自分のしたいことが何なのかは、その人物以上に読者、観客が感じ取るものになるんだと思われます。


登場人物自身にハッキリと気付かせる役割は、重要な仲間、登場人物の相手役が担います。


「大切なのは、自分のしたいことを自分で知っていることだよ」


っていうセリフに関していえば、スナフキンは主人公ではなく、主人公を助ける相手役ということになるでしょうか。


このセリフも、考えてみれば主人公であるムーミンに対して発せられるのですから、まさに相手役のセリフってことになるわけですね。


スナフキンのダントツの人気は、相手役が主役を食ってしまった例なんでしょうか。
これはあり得るのかもしれません。


スナフキンはこうも言います。


「長い旅行に必要なのは、大きなカバンじゃなくて、口ずさめるひとつの歌さ」


「自由が幸せだとは、限らないよ」


「僕は孤独になりたいんだ。来年の春、また会おう」


トーベ・ヤンソンの原作にしても、テレビアニメにしても、スナフキンは全編に登場しているわけではありません。登場回数は多い方なのですが、出ずっぱりのキャストじゃないんですよね。


今あげたセリフも、すぐにどこかへ旅立ってしまう感じがアリアリです。


これによって、スナフキンはメインストーリーから消え去ってしまうことが自然なことなんだと思わされてしまいますね。


いつもふらふらと旅に出て、孤独を愛する男といえば、思い付くのはトラさんですよね。
男はつらいよ」日本映画界のヒーロー。


荷物の少ないスナフキンに対して、トラさんはいつも大きなカバンを持っていましたね。
まあ商売道具が入っているんでしょうから仕方のないところでしょうけれど、トラさんとスナフキンが話す機会があったら、どんな会話になったでしょうか。


でも口ずさめる歌はトラさんも持っていました。


トラさんは圧倒的に主人公ですから、出て来ないことも多いスナフキンとは違う存在なんでしょうけどね。


「当たり前だよ、このタコ」とか言われてしまいそうです。


♪奮闘努力の甲斐もなく
のトラさんです。


トラさんとスナフキンの比較についても、また別の機会に。


テレビアニメでスナフキンが登場しない回を見ているとき、我々はどういう気持ちで見ていたでしょう。


「今回、スナフキンは出てこないのかなあ」


「今頃スナフキンは、どこでどうしているんだろう」


おそらくこういう気持ちになって見ていたんじゃないでしょうか。


登場していないのに、あるいは出ていないからこそ、その存在を待ち望まれるキャラクター。
それこそが主人公をしのぐ人気の相手役ということなのでしょう。


こういう役回りは、物語のウラ主人公としての役割り。


そういう登場人物のキャラクターを創造出来たら、物語はかなり成功に近づくんじゃないでしょうか。


つまり、登場してくることを望まれて、登場していないときは、今頃何をしているか心配されるような人物。これこそ主人公以外の、我らがヒーローではないでしょうか。


スナフキンはこんなことも言っています。


「君はきょう一日、ムーミン谷に笑いを与えたんだ。ムーミン谷はきょう一日、何となく楽しい。それは君のおかげだ」


視点がメタレベルなんですよね。


こういうセリフが偉ぶったように聞こえないのは、スナフキンの見た目に依るのでしょうか。
それとも飄々とした普段の態度から感じることなのでしょうか。


このセリフから受け取れるのは、スナフキンの他人に対する気遣い、なのかもしれません。


べたべたとはしていないけれども、ちゃんと見ている。そして、見ていることを偉ぶらずにさらっと伝える程度の積極さは持っている。


友だち。ホントの友だちってことでしょねえ。


我々がこれから書いていく物語の中で主人公、登場人物をどう創造するか。どういう言動をさせるか。魅力の出し方が工夫のしどころなんでしょうね。


さらにスナフキンは言います。


「孤独になるには、旅に出るのがいちばんさ」


でも虚無的なわけではなくて、


「その奥さん、親戚は多いし、知り合いもたくさんいたんだ。でもね、言うまでもなく、知り合いがたくさんいたって、友だちが一人もいないってことは、あり得るんだよ」


ここまでシリアスなことも言うんですよね。


スナフキンのセリフが魅力的なのは、声に出した言葉そのものによって醸し出される、言外の意味がカッコイイからではないでしょうか。


「君と僕は、友達だ」


っていうことを、相手に伝えるのに、どういう表現が、より心に沁みるのか。言葉だけじゃなくって、その行動も、主人公、そしてウラの主人公には重要なんだと思います。


蛇足的に、もう一つ。


シーンの最後に言う、何でもない一言が、決定的に印象深く感じられることによって、その主人公が、その物語自体がとてつもなく魅力的になることがあります。


物語の終わらせ方、余韻を残した引き際の巧みな技術。


工夫に工夫を重ねて、その懐かしいような余韻を目指したいところです。


それは、監督、小津安二郎。シナリオ、野田高梧小津安二郎。1953年公開の「東京物語


ラストシーンで笠智衆演じる周吉が、原節子演じる次男の嫁、紀子に言います。


「きょうも暑うなるぞ」


このセリフが珠玉のものであることは、映画を観ている人には異論のないところではないでしょうか。
半世紀以上前の1953年の作品ですが、観ていない人はぜひどうぞ。


この一言に、生きていく人間、日本人の生活が感じられるのです。言外の情感です。


まったく普通の意味しか持たない「きょうも暑うなるぞ」っていうセリフが万感の思いを乗せて聞こえてくる。
その朝を迎えるまでの生き方を観てきた観客は、なんでもない言葉であるからこそ、グッとくるわけです。


周吉と紀子が眺めやる景色は、あの、尾道の海です。絵の力もあります。


余韻を残して、映画は終わります。
これが物語なんですね。名作映画です。


尾道ムーミン谷。風景も大事ですが、やっぱり登場人物です。

 

 

 


魅力的な言葉を発することが不自然でないキャラクターの、主人公も含めた登場人物たち。


主人公ムーミンに対する相手役スナフキン。いえいえ、スナフキンというキャラクターはウラの主人公と受け取って良いのだと思います。


これから物語を書いて行こうとするわれわれは、スナフキンに負けない主人公を創りましょう。


そうです、やり遂げなければならないのは、ビート・ザ・スナフキン! です。

 

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