< 観光旅行って そこ1点に絞って計画するもんでもないでしょうけど >
そもそも名所っていうのからして、いつ、誰が決めたのかっていうことが、おそらく曖昧なんでしょうね。
日本の名所って言えば「日本三景」ですよね。
宮城県の「松島」京都府の「天橋立」広島県の「宮島」
人によって感じ方、受け止め方は様々ですからね、この日本三景についてもガッカリっていう評価の人だっているのかもしません。
この日本三景っていうのは、謂れがハッキリしているんですよね。明白なんです。
儒学者、林羅山(はやしらざん)(1583~1657)の三男で同じく儒学者の林鵞峰(はやしがほう)(1618~1680)が、1643年、「日本国事跡考」を著した際に
「松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす」
って書いたことが日本三景の始まりってされています。
2006年には林鵞峰の誕生日、7月21日が「日本三景の日」に制定されています。
なんだって2006年に? わざわざ? ってことではあるんですが、「日本三景」にケチが付いた話は聞きませんね。
いやいや、おらの町だって日本三景に負けてないよ! っていう気持ちは郷土愛としてごく当たり前のモノでしょうし、評価するのは個人こじんですから、それでイイわけで、観光旅行が盛んになって来ると、一気に名所が増えたって感じなんじゃないでしょうか。
とするとですね、日本三景以外の名勝、名所っていうのは旅行会社が各地から掘り出してきているのかもです。
そうやって一気に増えたかもしれない名所だとして、パクツアーなんかだと旅行会社がルートの計画を立てて、観光客はスケジュールに追われるようにして、バスに乗って、歩いて、走って、計画通りに回ってくることになりますんで、帰って来ると「ああ~、疲れた。我が家が一番」なんてことになっていますよね。
誰しもが経験している「我が家が一番」っていう気持ち。
そんなことが何十年も続いたある日、「がっかり名所」なんて言われちゃうところが出てきちゃった。
そうなりますと、ランキング好きですからね、我々はね。
すぐにがっかりランキングが出来ちゃいますね。で、「日本三大かっがり名所」ってことになったんじゃないでしょうか。
「がっかり」とはいえ「日本三大」に数えられるっていうのは、なかなかなもんだ思うんでありますけれども。
だってあれでしょ、まず有名だっていうことと、がっかりだよっていう話は聞いていても、やっぱりそこへ行く、んですもんねえ。
立派なもんでありますよ。
行かないとがっかり出来ませんからね。ってなんだかよく分からなくなってしまいますが。
「日本三大がっかり名所」ってことでピックアップされているのが、まずは北海道の「札幌市時計台」
どの辺が「がっかり」なのかっていいますとですね、「ちっさい」ってところなんだそうです。
私も行ったことありますです「札幌市時計台」
たしかに、ふむう、こういう大きさでしたか、とは思いましたけど、ちっちゃ、とまでは感じませんでしたけどね。
ま「思ったより」大きくないねえっていう感想なんでしょうね、ほとんどの人が。
パンフレットやら、ネット情報なんかで見る「札幌市時計台」は、写真の画角で切り取られているんで、けっこう大きく見えちゃっているのかもですね。そのイメージで現地に行くと、ってことなんでしょう。
「札幌市時計台」は巷の会話では「札幌時計台」って言われていて、その響きがなんともイイじゃないですか。
北海道の広大さをそのまま感じさせてくるようなイメージさえ持っちゃいますよ。
時計台ってとこがまた、スマートだし、なんだか凛々しくさえ感じます。
1878年、札幌農学校、現在の北海道大学に演武場が設営されて、1881年に設置された時計台。日本最古の時計台だそうですよ。
大きさに価値があるわけでもないですし、初見の第一印象に引きずられることなく観賞するのがイイんじゃないでしょうか。
「日本三大がっかり名所」2つ目は高知県の「はりまや橋」
「はりまや橋」はどの辺が「がっかり」なのか。これは「札幌市時計台」と同じく「ちっさい」こと。
この「はりまや橋」も行ったことがあります。
高知にカツオを食べに行ったことがあって、そのとき街の中をウロウロしていたら偶然見つけたんでありました。
ちょっとジャンプすれば飛び越えられそうな堀に掛かっている短い赤い橋。コンクリートで固められた護岸の堀には水も流れていませんでしたし。なんなん? この橋?
って思って近寄って確認しますと「はりまや橋」だったんでありました。
思わず「え?」って声が出てしまうぐらい、これはホントに「ちっさい」です。全長20メートルの太鼓橋。
買い物途中のおばさんが反応してくれて、
「小さいでしょ。みんなビックリすんのよね」
「これがホンモノ?」
「そうですよ。これがホンモノ。どこかに大きいちゃんとした橋があるんじゃなくって、これがホンモノ」
ええ~!?
わざわざ教えていただいて、ご親切に、ありがとうございます。で、改めまして、ええ~!?
大きさなんて関係ないとは言いつつも、なんでこの橋が名所? って思っちゃいます。
いつごろ架けられたのかはハッキリしていないみたいなんですが、江戸時代に、高知の豪商「播磨屋」と「櫃屋(ひつや)」は本店同士が堀で隔てられていたんで、なにかと商売に触りもあるってことから私設に架けられた橋が「はりまや橋」
その後、街はどんどん変化していきます。堀もなくなって、橋も何回も架け替えられているみたいです。
でも、ますます分かりませんね。播磨屋、櫃屋っていう店が何の店だったかも分かりませんが、商店同士の私設の橋ですよ。なんで有名になったんでしょ。
これはもう、あれでしょねえ、「よさこい節」
「♪土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」
これでしょ。
よさこい節がいつから謳われるようになったのかにはいくつかの説があるみたいで、山内一豊が入国してきた1601年、高知城を築く時の木遣り唄から。江戸中期、18世紀初頭に流行った「江島節」がルーツ。時期は不明だけれど、薩摩半島のカツオ漁師たちが歌っていたものが伝わって来た。
いろいろあるらしいんですけど、かんざしを買ったところを見られちゃった坊さんは江戸末期の頃の人みたいで、ホントにいるらしいんですね。
「♪土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」
は一番の歌詞ですよね。
古くからあった地元のよさこい節に、ニュース性のある歌詞を加えて今に伝えて来ているんですねえ。
高知市の真言宗、竹林寺。ここにお坊さんたちの洗濯物を届けに出入りしていたのが、お馬さん。
昔はこんなふうに、女の人の名前でも干支の虎やら、龍やら、あるいは干支とは何の関係もなく強く丈夫な体で暮らしていけますようにってことで熊だとかね、そう言う名前も珍しくなかんだんですよね。
で、このお馬さん。絶世の美人。
煩悩を捨てたはずのお坊さんがメロメロになっちゃった。
1842、3年、天保ごろの話だそうです。
お馬さんにメロメロになって、衆人の目もはばからずかんざしを買ったっていうのは、竹林寺の脇寺、妙高寺のお坊さん。純信か慶全か、どちらかは分からない。
つまり、お馬さんに積極的にアプローチしたお坊さんは2人いたってことですね。
最初は年若い慶全とイイ雰囲気になったお馬さんでしたが、お寺の戒律に触れることになって慶全は追放。
その後純信とイイ仲になったお馬さんは駆け落ちしちゃいます。
なかなか激しい恋だったみたいなんですが、まあ、やっぱり、お坊さんとかんざしっていうのはうまくいかないみたいで、2人は関所破りで捕らえられてそれぞれ別の地方へ追放。
お馬さんは、追放先からうまく戻れたものか、地元の大工さんと結婚して明治18年には東京北区、滝野川に移り住んで、そこで1885年、60歳の生涯を閉じたそうです。
大政奉還が1867年ですからね、日本人の誰もが激動の時代だったんだろうって思いますけど、お馬さんはそれに輪をかけて大変な生活だったでしょうねえ。波乱万丈。
まあ、こうして別嬪さんの話は遺っているわけなんですけど、相手のお坊さんたち。まったく記録はないみたいですね。
「♪土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た」
での登場人物は、お坊さん1人だけなんですけど、その後のことは、知らんがな! であっさり終わっているみたいですね。
かんざし坊主、無念。。。
さて「日本三大がっかり名所」どんじりに控えしは、ってことでもないんですけど、長崎県「オランダ坂」
このオランダ坂はこれまでの2つと違って、なんで「がっかり」なのかというと、だって、普通の坂道じゃん! ってことらしいですね。
名所って言うけど、オランダって言うけど、フツーじゃん!
通称オランダ坂ってうのは3つあって「誠孝院前の坂」、「活水坂」、「活水学院下の坂」
長崎ですからね、出島です。オランダなわけです。長崎の人たちは海外の人をだれでもオランダさんって呼んでいたらしいんですね。
それで、高台にあった外国人居住区へ続く坂道が「オランダ坂」
これはですね、フツーじゃん、とか言って「がっかり」する方が、あのねって思いますけどね。
でもね、今の時代、みなさんいろんなところへ観光旅行していますからね、一周廻って、「がっかり」するところへ行ってみようっていう向きもあるんだそうです。
「札幌市時計台」「はりまや橋」「オランダ坂」ちゃんとした「三大名所」の話でした。
「オランダ坂」は行ったことがありませんけれど、どこも、全然「がっかり」じゃないと思うのであります。
何を期待しとんねん! あ、そうか、がっかりしたい? の、かな~ん?