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【東京「町」歩き】23区 新宿区編 新宿区の「町」はチョウかマチか

< 東京都23区 区部中央に位置する新宿区には なんと94もの町名があるのであります >

「【「町」の読み方】あなたが住んでいるのはチョウですか? それともマチですか?」で、日本全国の「町」の読み方について、ちと調べてみたわけですが、全体として「町」の読みは「チョウ」の方が多かったのでした。

 

でもこの結果は市部や区部の中の「町」は対象外としてのデータでしたので、差し当たって、東京23区の区部の中の「町」の読みについて調べてみようと思い立ったわけです。


市町村合併などによって失われいく地名も少なくない現状ですが、「チョウ」と読むか「マチ」と読むかという以外にも、「町」という字の付かない「町」というのもありますし、知らない町名、不思議な町名というのも少なくないだろうと思います。


東京都23区、第11回目は、「新宿区」です。

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新宿区の面積は18.22平方キロメートル。23区の中で13番目の面積。人口が34万9千人足らず。


区の木はケヤキ。区の花はツツジ


令和現在の新宿区は、区内へ通勤して来る人の数の方が多く、昼間の人口は夜の人口のおよそ2.5倍。
まさに都心というイメージそのものの数字ですが、実はこれ、倍以上に膨らんでいる昼の人口は、夜の方が増えている可能性もあります。


そうなんですね、ずっと昔から不夜城と言われる「歌舞伎町」をはじめとした歓楽街が広がっているからですね。
昼間働いている人たちが、夜になってどんどん帰っていって新宿から出て行くわけですが、駅で出くわす光景は夜になって新宿で降りる人の数の多さです。


東京には、いろんな夜の過ごし方があるわけで、そのいろんな過ごし方に対応している数少ない街が新宿だということが言えると思います。大きなお世話ですが、ホントいろいろな過ごし方があるでございますよ、いろいろ。


昼夜問わず、住人の数を倍以上上回る人間がうごめいている、東京都庁のある街です。

 


1970年代の半ばごろからは「若者の街」という看板を渋谷区に移した感のある東京事情ですが、1970年代からトキが流れれば、その頃の若者も、次第に若者ではなくなっていきますからね、歓楽を新宿に求める人口は年齢に関係なく常に一定多数ってことなんじゃないでしょうか。


不思議な求心力を持った街なんですよね、新宿は。今だって、若者が少ないってわけじゃないんです。


住人のうち3分の1、10万人ほどの人数を20代、30代の男女が占めているという特徴も新宿っぽいって言えるのかもです。現代の若者は新宿にけっこう住んでいるわけですね。


新宿という名前は、みなさんご存じ、新しい宿場っていうことですね。江戸時代の「内藤新宿」からとられている名前です。


1604年、江戸幕府が江戸五街道を整備して宿場を定めた最初に「新宿」は無かったんですね。
甲州街道沿いの最初の宿場は「高井戸宿」でした。現在の杉並区です。


他の四街道の最初の宿場は日本橋からだいたい2里、8㎞ほどだったのに、甲州街道の高井戸宿は4里、16㎞あったことから、そりゃ遠いよ、ってことで1698年に新しい宿場を、と幕府に願い出たらしいです。


ま、そういう記録が残っているんでしょうけれど、これって「オモテムキ」ってことなんでしょうね。


16㎞って距離は現代人の弱脚であるいても4、5時間ですよ。そんな遠いって程の距離じゃないのと、そもそも甲州街道って、江戸五街道の中で唯一、日本橋起点じゃないですよ。


甲州街道の起点は江戸城半蔵門です。モノの本でも甲州街道を含めて江戸街道5本の起点は全部日本橋ってしてありますけれど、甲州街道を西から歩いてみれば一発で判りますよ。半蔵門へまっすぐ突っ込んでいっています。日本橋へは内堀通りを通って回り込みます。


甲州街道は、ずっと高台を維持した街道で、起点が徳川十六神将服部半蔵由来の半蔵門。門の外には伊賀屋敷、甲賀屋敷が建ち並んで、おそらくは地下迷路も張りめぐらしていたでしょうし、武器を格納してあった「お箪笥町」もその周りに配置されていたようです。


江戸時代の古地図を見ますと、今のように北が上っていうようなルールはなくって、バラバラに書いてあるんですが、「城」っていう字を真っすぐ縦にして見直してみますと、江戸城から真っすぐ延びて、幅広に書いてあるのが甲州街道です。


徳川軍のメインとされた軍道なんだろうと思います。堅牢な道、っていう感じがしますよ。


ま、個人的な意見ですが、甲州まで逃げるための道っていう説なんか、ナンセンスだと思うですね。


新しい宿場開設を願い出たのが、幕府開闢から100年近くが経過した頃とはいえ、この軍道を当時の江戸市民がお気楽に歩いていたとが思えませんし、旅する人もおいそれと半蔵門経由で歩いていたとは思えません。


でも、平和が続いている時期です。
一般人がお気軽に歩ける道路では無かった甲州街道ではありましたが、新たな遊ぶ場所が欲しかったんじゃないでしょうかね。


こうなると、昔からお決まりの「おぬしも悪よのう」ってな流れになって、1698年、新たな宿場開設許可ってことになりました。知らんけど。

 

忖度は具体的な金銭になる。知らんけど。


甲州街道と青梅街道の分かれ目辺りが適当だろうってことで、そこにあった信濃、高遠藩の内藤家中屋敷を返上させて土地を確保。
そこに作った新しい宿場なので「内藤新宿」「新宿」って名前になったそうです。


この段階で、ね、なんだか「袖の下」ですよ。


ちなみに、江戸五街道に一里塚を設けて整備したのは、金山奉行で有名な「大久保長安」です。


そして青梅街道っていうのは、江戸城の白壁を塗るために、青梅の石灰を運ぶ目的で大久保長安が作らせた道路なんです。


そして甲州街道をどんどん進んで多摩川を渡ると、やがて八王子で、ここは大久保長安が500人町から1000人町へ拡大させた、拠点と言える町なんですよね。


甲州街道の整備にはことのほか力を入れたことでしょうし、大久保長安自身は1613年に亡くなっている人ですが、武田信玄の金庫番と言われた人で、死後すぐに横領の発覚ということで遺体を掘り起こされて斬首されたと言われています。


まあ、こういう常軌を逸したような事件の陰には幕府内の派閥争い、陰謀があるとしても、大久保長安自身は無類の女好きとして悪評の高かった人で、その長安に取り立てられたであろう甲州街道や青梅街道を管理する役人たちに「おぬしも……」的な文化があったかもしれないっていうのは、疑ってみてもそんなに遠くない気がします。


大久保長安っていう人は江戸初期第一の妖怪だと思います。謎の多い人です。

 


ってなわけで、新しい宿場を開設するにあたって、それ相応な額のワイロが役人に渡ったでしょうし、高額なワイロを渡してまでも開設するからには、そこで儲かる算段があったでしょう。


内藤新宿はすぐに「岡場所」として人気を集めて、飯盛女、茶屋女が大勢で客引きをする宿場となって、吉原の商売敵になったみたいです。


非公式のくせして、ふざけんな! っていう𠮷原側の訴えがあったとかなかったとか言われていますが、1718年に内藤新宿は廃止されてしまいます。


再開されたのは1772年のこと。


なんで再開されたのか。これは「宿場の飯盛女人数制限の緩和」があったから、らしいです。
田沼意次の消費拡大政策があったればこそ、ってことなんでしょうね。


今につながる歓楽街の歴史です。


内藤新宿の宿場敷地内、今の新宿2丁目に「成覚寺(じょうかくじ)」新宿5丁目に「花園神社」があります。


成覚寺は内藤新宿の飯盛女たちの投げ込み寺として知られていて、命を落とした飯盛女を裸にしてむしろにくるんで境内に投げ込むのが習慣だったそうです。凄い時代です。


新宿2丁目って、今はほら、また違った文化がありますですよ。ね。はい。


花園神社は「新宿総鎮守」として昔から信仰を集めていたそうで、別名が「三光院稲荷」


この別名から花園神社近辺を三光町と言っていたらしく、そういう地名は今はないんですが、今でも人によっては三光町で通じます。区役所、そして「新宿ゴールデン街」の辺りです。花園饅頭も有名ですよね。


すこし四谷方面に行くと「荒木町」ここも知られた呑み屋街ですね。「神楽坂」も新宿区です。

 

町名の94は23区内で最も多い数ですが、そのうちの15の町に「市ヶ谷」という名前が付いています。


1947年までは「牛込区」だった地域だそうで、お堀の北側、元祖「山の手」といわれた地域なので、その市ヶ谷っていう地名を大事にしているんでしょうね。


法政大学、中央大学東京理科大学などの各大学、防衛省があるのも市ヶ谷です。


令和になるとその名前も影響を薄めてしまっているかもですが「三島由紀夫」が割腹したのがここですね。

 

いわゆる江戸の町には入っていないけれども、江戸の歓楽街を今に引き継いでいるともいえる新宿区の町名の数は94あります。一つひとつの区画が小さいんですね。


「マチ 29」「チョウ 49」「町が付かない 16」でした。


「マチ 29」
市谷鷹匠町」「霞ヶ丘町」「片町」「市谷薬王寺町」「原町」「早稲田町」「赤城下町」「築地町」「市谷長延寺町」「市谷田町」「市谷船河原町」「払方町」「納戸町」「細工町」「北町」「袋町」「横寺町」「赤城元町」「新小川町」「二十騎町」「戸塚町」「四谷坂町」「舟町」「南元町」「信濃町」「内藤町」「余丁町」「市谷台町」「箪笥町


「チョウ 49」
「歌舞伎町」「下宮比町」「早稲田鶴巻町」「市谷柳町」「弁天町」「喜久井町」「早稲田南町」「馬場下町」「榎町」「東榎町」「中里町」「天神町」「山吹町」「水道町」「改代町」「市谷仲之町」「百人町」「市谷本村町」「市谷八幡町」「市谷左内町」「市谷砂土原町」「中町」「南町」「揚場町」「若宮町」「岩戸町」「矢来町」「白銀町」「津久戸町」「筑土八幡町」「東五軒町」「西五軒町」「市谷加賀町」「南山伏町」「市谷甲良町」「市谷山伏町」「南榎町」「北山伏町」「四谷三栄町」「四谷本塩町」「須賀町」「愛住町」「荒木町」「左門町」「大京町」「若松町」「富久町」「住吉町」「河田町」

お、多い。。。


「町が付かない 16」
神楽河岸」「神楽坂」「西早稲田」「大久保」「下落合」「上落合」「中落合」「西落合」「中井」「北新宿」「西新宿」「高田馬場」「四谷」「若葉」「新宿」「戸山」


安倍晋三泉麻人阿佐田哲也宇梶剛士大岡昇平緒形拳加賀まりこ岸田國士草刈民代西條八十佐藤浩市佐藤琢磨サトウハチロー塩沢とき篠山紀信渋谷陽一菅井きん杉田かおる玉袋筋太郎丹波哲郎筒美京平戸川純仲井戸麗市夏目漱石、平尾昌晃、二葉亭四迷三島由紀夫


なんだか凄い人がいっぱい居ますね。そういう文化風土みたいなのがあるんでしょうかね。

 

< チョウかマチか >

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