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【東京「町」歩き】23区 台東区編 台東区の「町」はチョウかマチか

< 東京都23区 北東部に位置する台東区には 34の町名があるのであります >

「【「町」の読み方】あなたが住んでいるのはチョウですか? それともマチですか?」で、日本全国の「町」の読み方について、ちと調べてみたわけですが、全体として「町」の読みは「チョウ」の方が多かったのでした。


でもこの結果は市部や区部の中の「町」は対象外としてのデータでしたので、差し当たって、東京23区の区部の中の「町」の読みについて調べてみようと思い立ったわけです。


市町村合併などによって失われいく地名も少なくない現状ですが、「チョウ」と読むか「マチ」と読むかという以外にも、「町」という字の付かない「町」というのもありますし、知らない町名、不思議な町名というのも少なくないだろうと思います。


東京都23区、第15回目は、「台東区」です。

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台東区の面積は10.11平方キロメートル。23区の中で一番小さな区です。ものすごく意外な感じがします。


人口が21万3千人足らず。


区の木はサクラ。区の花はアサガオ浅草寺アサガオ市は有名ですもんね。


令和現在の台東区は、区外から通勤して来る人の数の方が多く、昼間の人口は夜の人口のおよそ1.9倍。この数には観光客は入っていないんでしょうし、もちろん海外からの観光客数も入っていないんだろうと思います。


まあね、コロナ禍では観光客とか、ほとんど居ないでしょうし、寂しい仲見世通り、らしいですけれどね。


首都圏以外に住んでいて、台東区っていう名前を聞いたことないっていう人でも、この地域の町の名前はいっぱい知っていると思います。


全国区の町がたくさんある台東区です。


秋葉原」「蔵前」「上野」「浅草」「雷門」「日本堤」「池之端」「根岸」


みんな台東区の町の名前ですが、さまざまな場面で聞いたことがあるんじゃないでしょうか。


かつては知られた台東区の町で、1966年に町名変更されて消えてしまった名前があります。


「山谷(さんや)」がそれですね。


戦後の復興から始まって、1964年の東京オリンピックを一つの終点として、怒涛の勢いで進められた日本の近代化。ビル、高速道路、護岸。一気に街がコンクリート化したその労働力を支えていた「日雇い労働者たち」のねぐらが「山谷」


ドヤ街と呼ばれた地域です。日本の都市にはいくつもあります。あるいは、ありました。


「山谷」という名前が「清川」「日本堤」「東浅草」に分散されてからの今でも、簡易宿泊所や、安いホテルがいくつもある地域で、海外からやって来るバックパッカーたちから人気のある町です。


海外のバックパッカーたちは「山谷」という旧名を知らないでしょうけれど、台東区「山谷」の名前を全国区にしたのは1969年に発表された岡林信康の「山谷ブルース」という歌です。


歌が発表された時にはすでに「山谷」という町名は無くなっていたはずですが、通称というか、1980年代ぐらいまでは、地域のホテル街を指して「山谷」という名前で呼んでいました。
地名、地域名ってそういうもんですよね。


大ヒットした「山谷ブルース」ですが、令和の今では、みんな、そんな歌知らんなあって状態でしょうかね。


放送禁止になったというエピソードを持った歌なんですね。
歌自体が出来たのは1968年ごろだったそうです。


岡林信康という人は日本のボブ・ディランだとか言われることもあった人気フォークシンガー。
ライブで人気のあった曲「くそくらえ節」で業界的に売り出そうとされていた「時の人」なんですね。


当時はレコードですから、A面が「くそくらえ節」、そしてB面に録音されたのが「山谷ブルース」


だったらしいんですが、「くそくらえ節」っていうタイトルはヨロシクナイっていう「レコード倫理規定委員会」からのお達しが。


オカミの御眼鏡には適わなかったわけです。ま、くそくらえ! って言われる側ですからね、オカミは。


発売直前の発売禁止通達に大慌てになったビクターレコードは急遽の策として曲のタイトルを変えます。


「ほんじゃまあおじゃまします」


んははのは。


オカミに対する反発心もあってなんでしょうか、ハハアーッ! お代官サマーってなもんで畏まった素振りは全然ありませんね。何でもイイからタイトル変えりゃイイんだろッ! っていう不満が感じらえる対応です。


でもまあ、「ほんじゃまあおじゃまします」っていうタイトルになったからって録音されている歌詞まで変わるわけじゃないですからね。


細かいところまでは知りませんが、「くそくらえったら 死んじまえ」っていう歌声はそのままだったでしょうからね、結局は発売中止に追い込まれてしまいました。


そんじゃあさあ、ってことで「くそくらえ節」は脇に置いといて「山谷ブルース」をA面、B面に「友よ」を録音して発売にこぎつけたんだそうです。
これが日本のフォークの神様、岡林信康のデビューになったわけです。


大ヒットでした。オンタイムじゃないんですけれど、知っていますもんね。

 

当時は70年安保の学生運動もまだ盛んな頃で、政治風刺っていうのはかなりストレートに、どぎつく行われていた感じですよね。
学生たちの熱い季節だったんですね。


「くそくらえ節」改め「ほんじゃまあおじゃまします」はそのまま陽の目を見ずに消えてしまったかと思ったら、制作側にも意地があって、1969年、ライブ録音盤として発売。B面は「がいこつの唄」


政治家個人を口撃しているわけじゃないし、どや、これで、っていう発売だったんですが、一旦こじれた問題に明快な解決は見られず、「お下劣ねえ」ってことで、今度は放送禁止になってしまいました。


この頃は放送禁止って少なくないんですよ。


その理由っていうのは、まさにモザイク国家日本の面目躍如で、過剰というか、臭いものには蓋、手錠にはモザイク精神なんですね。
根本的解決なんて目指さない。


視聴者にしてみれば、なんでやねんって感じる放送禁止ソングには、


1971年赤い鳥の「竹田の子守唄」


1974年なぎら健壱の「悲惨な戦い」


1975年憂歌団の「おそうじオバチャン」


1976年ピンク・レディの「S・O・S」


ほかにもたくさんありますが、岡林信康さんはですね、デビュー曲がそういう扱いだったから、色眼鏡で見られるようになったせいなのかどうか、1人のアーティストとして何曲も放送禁止扱いを受けています。

おそらく放送禁止のレコード(記録)でしょう。


1968年「山谷ブルース」「友よ」


1969年「くそくらえ節」「がいこつの唄」「チューリップのアップリケ」


1970年「手紙」「私たちの望むものは」


1971年ライブ「ヘライデ」


ま、今、カラオケで「山谷ブルース」を歌う人もいないでしょうけれど、歴史的背景を背負って全国区になった山谷という名前も、今は昔。ドヤ街っていう単語は、もう死語ですもんね。


台東区の山谷は、大阪市釜ヶ崎横浜市の寿町と共に日本の三大人足寄場として知られた、右肩上がりの日本を支えた場所だったのでした。

 

思いもよらず山谷の話が長くなってしまいましたが、山谷から名前の変わった「日本堤
実はこっちの日本堤っていう名前の方が古いんですよね。江戸時代の名前です。


江戸時代初期には利根川の流れを変えたりと、かなり思い切った治水工事を敢行した江戸幕府ですが、この浅草北部の一帯も川の氾濫の絶えない土地だったそうで、1621年に堤防を築いて氾濫を防いだ。


それが日本堤なんですが、近所の待乳山(まつちやま)を崩した土で急ごしらえの土手に、江戸市民は不安を抱えていたそうです。


で、堤を強固にするって理由で、なわけはないと思うんですが、1656年に幕府は、𠮷原遊郭浅草寺北側に移転させて、この日本堤を𠮷原へ向かう通路のメインにした。
弱いんじゃないかっていう噂だった日本堤の上を、𠮷原の客、冷やかし連中も含めてぞろぞろ歩く。


な、これで堤は自然と踏み固められるってわけよ。って、これは落語にもならないような落とし噺ですが、なんとなく、今の日本堤を歩くと、この話を思いだしてしまいます。


ま、吉原へ、ってわけじゃありませんけれど。今は土手じゃありませんしね。


日本っていう名前を背負っちゃっている堤って、なんか凄いです。
関東だと、横浜に「日本大通り」っていうのもありますね。短い通りですが、意味なく何往復もしましたです。


台東区の話でした。


浅草といえば、電気ブランの「神谷バー」みんな知ってるウイスキーベースのカクテルですよねえ。
でも、神谷バーは、都の緊急事態宣言の自粛要請に従って、しばらく休業状態が続いていますね。宣言期間が延びれば休業期間も延びるんだと思います。寂しいことです。


浅草寺仲見世通りもガランとしているみたいですよねえ。


実際に行くと、人混みにうんざりしちゃったもんなんですけれど、ガランとした光景をテレビなんかで見せられると、悲しいものがあります。


浅草寺の大提灯。浅草へ行ったことのない人でも、テレビや写真で見たことはあると思います。世界的に有名な提灯。実物を見るとデカイなあって思いますよ。


そのバカでかい提灯がデーンとぶら下がっているのが雷門ですが、くぐって北側へ歩いて行けば仲見世通り。


おもちゃのチョンマゲを売っている店があったりして、海外観光客から大人気。だったですけれどねえ。
プラスティックのカタナを振り回して大はしゃぎしてました。


大提灯のぶら下がっている雷門のある場所は、住所的には「浅草2丁目」


大提灯の目の前の通りが「雷門通り」で、渡ってその南側一帯が住所としての雷門です。こっちにもね、いろいろ個性的な店があります。


東京を代表する歓楽街。
その時代はとっくに過ぎたっていうことをまことしやかに言う人も少なくないですが、上野、浅草っていう土地はですね、日本人のDNAが落ち着ける空気が漂い続けているような気がします。


海外からの観光客が喜ぶのは、チョンマゲかつらだけじゃなくって、この日本的な、江戸も偲ばせるような空気感なのかもしれませんよね。トポスの力です。


台東区は、ひと頃の落語名人がたくさん住んでいた土地でもありますね。


上野には床の傾いているビリヤード屋さんがありましたけれど、今はもう、でしょうねえ。知らんけど。

 

区の名前より町の名前の方が耳通りのイイ台東区の町名の数は34。


「マチ 0」「チョウ 0」「町が付かない 34」でした。


「マチ 0 」
「チョウ 0 」
杉並区、墨田区、世田谷区に続いて4つ目になりますね。マチだチョウだっていうより、町の付かない方が多いのかもですね。23区全部について調査し終わった時点で、まとめてみたいと思います。


「町が付かない 34」
柳橋」「浅草橋」「鳥越」「蔵前」「小島」「三筋」「元浅草」「寿」「駒形」「松が谷」「西浅草」「台東」「秋葉原秋葉原に丁目はありません。「上野」「東上野」「北上野」「下谷」「根岸」「池之端」「上野公園」「上野桜木」「谷中」「浅草」「入谷」「竜泉」「花川戸」「千束」「今戸」「東浅草」「橋場」「清川」「日本堤」「三ノ輪」

 

安達祐実渥美清天海祐希荒木経惟荒俣宏安藤和津石井ふく子石川淳伊東四朗永六輔大沢悠里小椋佳梶原一騎鬼龍院翔久保田万太郎佐野元春沢村貞子滝田ゆう萩本欽一浜口京子林家正蔵山口もえ山田太一

 

なんかね、みんなが酒を呑むわけでもないでしょうけれど、みんな酒席座談の名手、みたいな感じがします。ベタベタしない、さっぱりした性格、のような勝手な憶測。

 

< チョウかマチか >

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