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【東京「町」歩き】23区 荒川区編 荒川区の「町」はチョウかマチか

< 東京都23区 北東部に位置する荒川区には 7つの町名があるのであります そっ 7つ >

「【「町」の読み方】あなたが住んでいるのはチョウですか? それともマチですか?」で、日本全国の「町」の読み方について、ちと調べてみたわけですが、全体として「町」の読みは「チョウ」の方が多かったのでした。

でもこの結果は市部や区部の中の「町」は対象外としてのデータでしたので、差し当たって、東京23区の区部の中の「町」の読みについて調べてみようと思い立ったわけです。


市町村合併などによって失われいく地名も少なくない現状ですが、「チョウ」と読むか「マチ」と読むかという以外にも、「町」という字の付かない「町」というのもありますし、知らない町名、不思議な町名というのも少なくないだろうと思います。

 


東京都23区、第2回目は「荒川区」です。


荒川区の面積は10.16平方キロメートル。23区の中で22番目の大きさ。ブービー区。人口が21万8千人足らず。


区の木はサクラ。これは足立区と同じですね。区の花はツツジ


令和現在の荒川区は、区外へ通勤している人の数の方が多くて、昼間の人口の方が夜より少ない区です。

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意外に大きくない区なんですねえ。


ところで、東京と大阪に共通していることといえば、両方とも水運で発達した街だということでしょう。
東京の水運は荒川水系だといえるんですが、その東京を代表する川の名前を戴いているのが荒川区


でも荒川区に接して流れているのは「隅田川」というのが面白いところです。


全国的に東京の川として名の知られているのは「隅田川」の方でしょうか。

花火大会がニュース報道されて川の名前も知られていると思うんですが、隅田川は荒川から分流している川なんですね。本流は荒川です。


時代劇なんかのセリフによく出てくるのは「大川」でしょうか。
この大川というのは隅田川の別名、とでもいうような名前で、江戸時代に特有の呼び名みたいです。


江戸時代といえば、江戸の三大刑場「鈴ヶ森」「大和田」そして「小塚原」が知られています。
コヅカッパラと発音された小塚原刑場のあったのが、ここ荒川区です。


現在の南千住駅の辺りにあったそうですが、江戸末期などには政治的にも大きな役割を果たした場所ですね。


その南千住駅から吉野通りを南へ下っていきますと、明治通りとの交差点が「泪橋(なみだばし)」


思川(おもいがわ)という川に掛かっていた橋が泪橋だそうですが、今は暗渠になっていて、ごく普通の交差点です。ただ、この泪橋という名前にある種の感慨を持つ人も少なくないと思います。


そなんですね、泪橋の橋下にあったのが「丹下ジム」
んはは~。思いだしました? 「あしたのジョー」ですね~。


あの矢吹丈がトレーニングを積んでいたボクシングジムはここにあったんです。泪橋です。
泪橋を渡って世界に出て行くヒーローが矢吹丈でした。


ライバル、力石徹の葬儀が行われた講談社の講堂は、泪橋から西へ5キロほどでしょうか。文京区にあります。


平成、令和でアニメの現場に詣でる流行が定着した感もありますが、昭和の人間はこの泪橋を通るとき、何か感じてしまうんじゃないでしょうか。そもそも名前が泪橋ですからね。

 


荒川区にはなんとなく人を静かにさせるような名前の場所が他にもあります。


「日暮里(にっぽり)」という名前があります。ひぐれさと、と書いて、にっぽり


名前に惹かれて駅で降りてみるっていう散歩を、経験している人って案外多いですよ。


古くは「新堀(にいほり)」という名前だったそうなんですが、この新堀という字は、そもそも当て字で、ニイホリという音からきているんじゃないかって説があるんだそうです。


山っていう意味のアイヌ語「ヌプリ」


もともとヌプリって呼ばれていた土地をニイホリと呼び伝えて「新堀」という字をあてた。


山と呼ばれているような高台に、新たに堀を掘る、ってことは充分考えられるような気もしますが、江戸、明治、大正、昭和と経て来て大きく土地改良が繰り返されたとしても、土地の名前となったような堀の存在は確認できませんね。

 

かつて在ったということも伝わっていないみたいですから、「ヌプリ」説は有力なんじゃないでしょうか。
地名の語源がアイヌ語って、すごくいっぱいありますよね。東日本は特に。


ま、いずれにしても江戸時代の初中期、新堀と呼ばれていたこの土地は、高台からの眺めが美しいことで知られていて、特に夕焼けの美しさに江戸っ子が集まったそうです。


江戸の世の中が落ち着いて来て平和を享受し始めると、花見、虫の音を聞きながらの月見、降れば雪見。数寄者、文人墨客の集う場所として人気が出てくる。


18世紀の初頭、享保の頃になると、新堀は「一日中過ごしても飽きない里」だと言われるようになっていたそうです。


「【酒屋へ三里 豆腐屋へ二里】という先人のあーだこーだに どーのこーのとクダをまく」の「頭光」さん、狂歌の天才、岸誠之さんは享保から数十年後の天明の時代の人でしたが、天明の大きな飢饉におそわれながらも江戸の風流好き、数寄者精神は引き継がれていたんだろうと思われます。


江戸文化って、なんかね、レベル高いっすよね。


1749年、寛延2年に「一日中過ごしても飽きない里」は「日暮らしの里」として「日暮里」という正式名称になったそうです。
「ヌプリ」から「新堀」、そして「日暮里」読みの音をベースにしているんでしょうけれど、気の利いた江戸の風流好きが居たってことですね。

 


日暮里という字面は、漢字三文字である種の静けさ、心が落ち着くような安心感を感じさせます。


令和の現在ではビルの建ち並ぶ日暮里ですが、昭和の後半までは下町風情を色濃く残した落ち着いた街並みでした。個人的な記憶としては、生姜焼きの旨い町、というイメージです。


今、どこの店でも生姜焼きといえば、豚肉を炒めながら生姜たれをかけて仕上げますが、日暮里の店の生姜焼きは、生姜しょう油に漬けてあった豚肉を炒めるという作り方で、生姜のピリリと効いた、正真正銘の生姜焼きでしたね。モンクなく旨かったです。わざわざ電車で行って食べていました。


生姜焼きの店は日暮里駅の東側にあったんですが、御殿坂通りを西へ行くと、下町グルメファンなら一度は行ったことがあるでしょう「谷中銀座」になります。


谷中銀座の通りは日暮里駅の方から歩いて行くと、途中から台東区になります。


「谷中メンチ」「元気メンチ」「ふわふわかき氷」「イカ焼き」「焼きドーナツ」「福にゃん焼き」「和栗スイーツ」「ちょんまげいも」


食べものばかりじゃなくって、ファッショングッズの店だとか、たくさんって楽しい通りです。


この谷中銀座をまだ未体験御の方、コロナ明けに遊びに行ってみるっていうプラン、イイと思いますよ。


さて、荒川区の「町」の読みのデータです。


荒川区は町の数が23区中最も少なくて、「7つの町」があります。


そしてそのすべてが「町」の付かない町なのでした。


「荒川」「西尾久」「東尾久」「西日暮里」「東日暮里」「町屋」「南千住」


池波志乃太田裕美伊集院光藤原カムイ、そして北島康介荒川区の出身です。


なんとなく落語の匂いのする荒川区ですが、八っつあん、熊さん、与太郎は、ま、いませんね。今はね。

 

< チョウかマチか >

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