< なんで出家するのかっていうのは ナゾ みたいですね >
あたかも自ら世界大戦を望んでいるかのような、前時代的侵略戦争のニュースを悲しく見聞きすることしか出来ないっていう個人としての怒りの感情。
元々はソ連の一部だった国なんだからっていう、戦略的意図が透けて見える、あきれるばかりの隣りの大国のロジック。
戦争の世紀、20世紀はすっかり過去のものになったはずじゃなかったの?
かたや一般市民を巻き込んだ殺し合いの戦争をしているっていうのに、かたやパラリンピック競技の競い合い。
スポーツは政治と切り離して考えないと、って言いますけど、戦争はもう政治っていうレベルを超えてますよ。
人類って、こんなにも愚かだったんだろうか。
利己的な遺伝子を働かせ過ぎているってことなんでしょうかね。
国連っていう世界組織もねえ、なんにも意味のあることを実行できない。ニューヨークの机の前から動こうともしない。
外野からあーだこーだ言うのは簡単だけど、でも結局、自分だって何もできゃあしないんだなあっていう、無力感、無常観、厭世観。
自分自身も含めて、世の中全体、なんだかなあって考え始めちゃったら、なにをどうしたらイイんでしょか。
そういう時、昔は隠棲するような場所があって、わりと上流の方の人たちも出家したりなんかしてるんですよね。
誰かエライお坊さんから「具足戒」っていうのを受けて出家するってことらしいんですけど、例えば、やたらと出家する人の多かったような印象のある平安時代末期とかには、エライお坊さんっていうのがちゃんと居たんでしょうね。
21世紀の日本でエライお坊さんって誰なんでしょ。
ま、あれですかね、特にエライっていうことじゃないお坊さんでもイイんでしょうかね。
袈裟を着たままベンツとかビーエムとかで檀家回りしているようなお坊さんでも、その具足戒っていうのを授けてくれるんでしょうかね。
でも、そういうお坊さんからじゃ、なんだか素直に受けられないような気がしますねえ。有り難くないです。
そんな罰当たりなことを言っているようじゃ、そもそも出家なんて出来ませんよ。ってことなのかもですねえ。
具足戒ってなんなん? って思って調べてみますとですね、要は、俗世間から離れて仏道に入るんだから、これしちゃイカン、あれしちゃダメよっていう仏教的禁止事項を諭されるってことみたいです。
異性との交渉だとか、仏教に関係ない物品をいつまでも持っていたりしちゃいけませんよ。
人を殺したり、モノを盗んだり、ウソをついたりしちゃいけませんよ。
っとかね、なんかいっぱいある「べからず集」をクドクド言われるみたいです。
「汝、殺すなかれ」ってキリスト教の教えにもあるんじゃなかったでしたっけ。
ま、宗教者になるっていうのは、どんな宗教でも似たような戒律があるんでしょうね。知らんけど。
出家したことで有名な西行さんは、お坊さんになったっていうより、隠棲したっていうイメージです。
世俗を離れて暮らしながらも、なかなか孤独の中に埋没できなかった歌人。
世俗の時の名前は佐藤義清っていう北面の武士だったそうですから、相当な上流階級の人だったわけですよね。
もちろん貴族階級じゃないですけど、武家の最上級。
悪人として語り伝えられている平清盛ですが、厳島に残されている文化財とかを見ますと、その文化教養レベルって一流な感じがします。
まあ権力欲っていう面ではろくでもない意識もあった人なのかもですけど、プーチンなんかとは全然違う教養人だったんだろうって思います。
時の権力を一身に集めた平清盛と、隠棲して高野山に籠った西行さん。
凄い対比ですよね。
得てして世の中っていうのはそういうもんなのかもですけどね。
西行さんは佐藤さんですから、藤原一族に分類されます。
平安末期っていうのは藤原一門がそれまでの得意絶頂から引きずり落されていく時期なのかもしれません。
貴族社会から武家社会に変わっていくタイミングですもんね。
隠棲した西行さんと、歌のやりとりなんかをしていた親友って人に寂然っていう、やっぱり出家した人がいます。
俗名が藤原頼業(ふじわらのよりなり)。藤原一門そのものの貴族ですね。
西行さんと同じく歌人としても名を残している人です。
でも、あんまり有名じゃない感じですかね。
実はですね、この寂然さん、「大原の三寂」って言われた有名な歌人の1人なんですね。
まあね、「大原の三寂」ってこと自体、西行さんの名前に比べてしまうと、そんなに知られてはいないですよね。
三寂ってぐらいですから3人居るわけです。
寂念さん、寂超さん、そして寂然さんの3人が「大原の三寂」です。
この3人、実の兄弟なんですね。
寂念さんは藤原為業(ふじわらのためなり)っていう次男坊。
寂超さんは藤原為経(ふじわらのためつね)っていう三男坊。
で、寂然さんは四男坊らしいです。
3人とも出家していて大原に隠棲して暮らしていたんだそうです。
頭の上に薪を乗せて都を歩き売りするっていう「大原女」っていうのも有名ですよね。
あの独特の大原女装束は、平家滅亡後、都を逃れて大原に隠棲していた建礼門院平徳子のお世話をしていた阿波内侍っていう人が、山仕事をするときの衣装なんだそうですよ。
で、建礼門院と同じ時代の「大原の三寂」
3人が3人とも歌人として有名だったんで「大原の三寂」っていうんですね。
西行さんは旅に出たりして、隠棲場所もいくつか知られていますけれど、有名なのは高野山ですね。
高野山は弘法大師空海ゆかりの場所ですが、大原は伝教大師最澄ゆかりの土地なんだそうです。
平安時代末期には、両方とも有名な隠棲場所として知られていたっていうんですけど、寂れた場所ってことを言いたいのかもですけど、有名な隠棲場所っていう言い回しって、なんかひっかかるものがあったりしますけどねえ。
世俗から離れるっていってるのに、そういう人たちが集まっちゃったら、そこにまた1つの世俗が出来ちゃうんじゃないでしょうかね。
ま、それはさておき、権勢争いの結果なのか、身分制度の中の色恋沙汰の無常観なのか、実際に出家して隠棲してみると、侘しいねえってことになって、高野山の西行さんと、大原の寂然さんは歌のやり取りなんかをしているんですね。
望んで人里を離れてはみたものの、静寂の世界の中に入ってみれば、それはそれで耐え難いような孤独がおそってきて、やりきれないものですねえ、っていうようなやり取りがうかがえます。
人間っぽいです。
歌のやりとりは、まず西行さんが贈って、寂然さんが答えるって形みたいなんですが、10首ずつあるそうです。
面白いのは西行さんの歌は全部「山深み」って言葉で始まっていて、寂然さんの返歌は全部「大原の里」で終わっているっていう、なんともシャレていながら、技術的にしっかりしている文化レベルで遊んでいるっていうところですね。
諦念っていうんでしょうかね、世の中もどうしようもないけど、自分も、まあ、しょうがないねって感じなのかもしれません。
だけれども、ヒステリックに嘆いているわけじゃなくって、静かな微笑で諦めている。
勝手な解釈ですけどね。
隠棲生活って、今はどうなんでしょうね。
っていうか、西行さんだとか寂然さんって、どうやってご飯食べていたんでしょう。
現代社会の中で、そもそもの隠棲生活の仕方が分らんです。
「山深み 岩に滴る水留めん かつがつ落つる栃拾ふほど」
大原の寂然さんが返します。
「水の音は 枕に落つる心地して 寝覚めがちなる大原の里」
山も里も、深々と静かで、西行さんも寂然さんも飄々として孤独。どこまでも静か。
♪京都 大原 三千院
って歌がありますね。建礼門院や寂然さんが暮らしていた往時の大原を感じさせる静寂を湛えたような歌ですが、今はねえ、インバウンドとか言っちゃってねえ、隠棲っていうのには似合いそうにない感じでしょうかねえ。
人類の文化レベルってのを考えてみますと、今って、けっこう悲惨なのかもですねえ。世界的に。
諸行無常でありまするう。。。
早く戦争止めてちょうだいよお~。。。