< 令和の時代にこの言葉が消えていってしまうとしたら かなり悲しい気がしますです >
聞いたことあるなあ、っていう格言っていうのか、言い習わしっていうような言葉。
いくつかありますよね。
信じる信じないっていう対象とは違うような気もしますけれど、言い得て妙、っていうところがあるから、昔から言い伝えられているんだろうと思います。
どこの国が発祥なのか、よく分からないのも含めてけっこうたくさんありますよね。
で、これは純日本でしょねえ、っていうのがあります。
「はじめチョロチョロ、中パッパ」
江戸時代から言われ始めたらしい、ごはんの炊き方についての言葉。
いつから言われ始めたのかについては、ハッキリしていないようですけど、一般人が、誰もが白飯を食べられるようになってからってことでしょうね。
稲作が安定して、それまで一般人の常食だった稗や粟に代わって米が流通し始めてから。
まだ誰もが上手にご飯を炊けなかった頃に、その時代の料理家、案外、お寺のお坊さんとかが米食の啓蒙として言い広めたものでしょうか。知らんけど。
江戸の町屋。だいたい長屋って言われる平屋の集合住宅ですが、一軒ごとに土間があって、そこに「かまど」が据えてあったみたいなんですが、落語なんかでよく出てくる「へっつい」がそうですね。
「おくどさん」っていう言い方もあります。
「かまど」っていうのは、釜を乗せる所、カマドコロ、っていう言葉から「かまど」っていうようになったそうです。
「へっつい」の方は、ちょっと言葉として難しい由来があるんですね。
かまどは漢字で「竈」って書きますけど、古語の発音は「竈(へ)」で、それを護ってくれる霊の発音が「霊(ひ)」で、火を使う道具としての竈に「つ」いている神様、っていうことで「竈つ霊(へつい)」がもともとの言葉だっていう説がありますよ。
ふううん、としか思いませんけど、「へっつい」って不思議な言葉です。
「火男」が「ひょっとこ」らしいですから、火の周りの言葉に小さい「つ」が付いているっていうのは、なにか人知を超えたものの存在を表しているんでしょうか。違うでしょかねえ。
「おくどさん」のくどっていうのは、煙突の意味を持つ古語だそうで、京言葉らしいです。
道具としての「かまど」自体は古墳時代から使われていたみたいなんですけど、白米ごはんの炊き方って意外に難しいっものだったってことなのかもですよね。
今は、世界に誇る電気炊飯器におまかせ、っていうのがほとんでしょうけど。
アウトドア派だと、ハンゴウでっていう方法で特に困ることなく白米ごはんが炊けているのも、この言葉のおかげかもしれませんよね。
日本人がごはんを炊く時のベースになっているコツ。
「はじめチョロチョロ、中パッパ。赤子泣いてもフタ取るな」
年代によるとは思いますけど、たいていの人が聞いたことのある言葉ですよね。
いつから、誰が言い出したのか分かりませんが、まさに名言ってやつでしょねえ。
日本人のDNA的に心地好い響きさえ感じます。
でもこれ、実は簡易バージョンだって知ってました?
「はじめチョロチョロ、中パッパ。ジュウジュウ吹いたら火をひいて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもフタ取るな」
っていうのがフルバージョンみたいです。
最初は弱火で、お湯になったころから一気にパッパと火の粉が舞い飛ぶぐらいの強火で炊いていく。
へっついで、薪を燃やしての炊飯ですからね。パッパは火の粉だそうですよ。
ジュウジュウ吹きこぼれてきたら火を弱めて、まだしばらく炊いてから、最後に、また火を強めて水分を飛ばして炊きあがり。
この後の蒸らしの工程では何があってもフタを取ったらダメですよ、っていうことなんですね。
日本の各メーカーの自動炊飯器も、この言葉をいかにスイッチ1つで実現させるかってことに懸命に取り組んで来たんじゃないでしょうかね。
火じゃなくって電気でね。
21世紀の今は、かまどだとか、羽釜なんていうのもさっぱり見かけなくなっていますけど、旨いごはんの炊き方が、こうした言葉として残っているのって、なんかウレシイ気がします。
令和の時代、そのままの工程を実行することはないですけれど、心構え、みたいな概念を日本人の共通項にしてくれている言葉なんじゃないでしょうか。
まったく違ったジャンルになりますが「終わりよければすべて良し」っていう言葉もありますよね。
そして「始め良ければ終り良し」っていう言葉もあります。
どっちも聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
改めて考えてみますと、正反対とまではいかないにしても、物事に対する取り組み方としてのアドバイスとしては、始めを大事にするのか、終わりを大事にするのか、アプローチは逆になっている感じの言葉です。
「終わりよければすべて良し」っていうのは、シェイクスピアの戯曲のタイトルとして知られていますけれど、古くから言われていた言葉をシェイクスピアがタイトルとして使ったのか、シェイクスピアが考え出した言葉なのか、意見は分かれているみたいです。
言葉自体は誰でも聞いたことがあると思うんですけど、「終わりよければすべて良し」っていう舞台を観たことのある人。あるいは話の内容を知っている人って少ないんじゃないでしょうかね。
1603年ごろに書かれた戯曲だそうですけど、シェイクスピア作品の中で「問題劇」っていうのに分類されていて、これまであんまり上演されて来ていないみたいですから、観たことあるよっていう人はかなり貴重な体験をしているってことになるんでしょうね。
ちょっと調べてみますとね、別にシェイクスピアを研究していたりするわけじゃないですけど、なんだかなあっていうオハナシなんでありました。
問題劇っていうのはシェイクスピア研究専門家たちの分類ですから、私のなんだかなあとは全く別のものなんでしょうけどね。
若い独身の伯爵に恋をした身分の低い娘が策略を巡らせて、王様の命令として結婚を勝ち取ります。
この策略って部分が、なんだかなあって思います。ご都合主義に感じますねえ。
伯爵は身分のない娘との結婚を嫌がって、他の女に言い寄ります。
娘はまたまた策略を巡らせて、伯爵が言い寄っている女と示し合わせて、伯爵が夜這いに来るベッドに入れ替わって待っていて、思いを遂げます。
なんなん!? あほか、っていう策略。
17世紀初頭、満足な灯りがない頃とはいえ、そんなんありなんか、って感じもしますけど、「ベッドトリック」っていって、当時の芝居にはけっこう使われたものなんだそうですよ。
へんなの。。。
で、指輪を使った策略っていうのがまたありまして、赤ちゃんを抱いた娘はめでたく伯爵と結ばれて、伯爵も永遠の愛を誓いましたとさ、っていう話なんでした。
いやあ、ハッピーエンドなのか、それ。って思っちゃいますねえ。
神様は出てこないですけれど、突然、何事も解決しちゃうっていう「デウス・エクス・マキナ」ですよね。
娘の抱いている赤子が泣いても、炊事場では誰もフタをとりませんでした。って、知らんけど。
問題劇なんだそうです。はい。
シェイクスピアって、やっぱり、過大評価???
21世紀の今でも有り難がっている人も多いんですけどねえ。
「ベッドトリック」? 荒唐無稽でしょねえ。