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【論語と算盤】ん~ 論語ってこれからの経済指標の1つになり得るの?

< 資本主義の暴走って言いますけど 再出発なんて出来んのかしらん >

世間一般で、今どき「論語」っていう単語を持ちだして、云々って言う人も珍しいでしょうけど、ビジネス本業界の一部ではちょっとしたブームみたいな空気感もあるみたいなんですね。


んえ? とかも思うんですが、そのブームだよって言っていた人によれば、2021年に放送されてたNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一の影響なんだそうですね。


2024年の新一万円札肖像画の人物に選定された、日本資本主義の父って言われている大人物ですよねえ、って話をしていたらですね、そこに割り込んで来たオヤジがいまして、はい、いつものごとく焼酎バーのカウンターでの話であります。


「ああ、あれだよね。マイナビバイトを使ってなくって、いっつもあぶれちゃってるサムライでしょ」


アに言ってるだあ~?
でも、こじんまりとウケテましたねえ。


テレビを持っておりませんので、こういう話題はなあんにも見えてこないんでありますよ。


知っている人には当たり前のことなんでしょうけれど、マイナビバイトのコマーシャルにはいくつかバージョンがあって、どのバージョンでもバイトの面接に行くと、もうすでにマイナビバイトの情報で他の誰かが決まっているっていう内容らしいですね。
で、その、いつも先取りされてしまってバイトにありつけないサムライをやっている人が、吉沢亮っていう役者さんで、その人が「青天を衝け」で渋沢栄一役をやってました。


っていう情報を共有できていなければ、渋沢栄一マイナビバイトが結びつくことはニャーですよ。

 


大河では、どんな人物像に描かれていたんでしょうか。
たまあにですね、テレビを付けている町中華とか、居酒屋で遭遇することがあります。NHK大河。


その時だけのことですから全体的なストーリーとか空気感みたいなモノは分からないんですけれどね、なんだかシリアスさのない絵面だなあって感じることが多いですね。ここ十数年。


ディレクションなんでしょうね。バラエティに慣らされすぎちゃっているように感じます。


渋沢栄一は、ずいぶん前に何冊か本で読んだことがあります。


まあ、当たり前なんですけど、幕末に青春していた人ですからね、その時代相応の荒々しい考え方と行動力の人だなあって印象。
もちろん本人の努力ってことはあるんでしょうけれど、天才だと思いますね。

 


現在の埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)の名主の家から出て、最後の将軍、徳川慶喜の家臣になるなんてことは、いかに混乱極まる時代背景があったにしても、周りを圧倒する才能、力量がないとあり得ない変遷だと思います。


しかも渋沢栄一の場合、尊皇派との付き合いも浅くないものがあって、若い頃は直情型の行動だったんじゃないかって思えますからね。


何をやるにしても、言葉通りに命がけだった時代ですから、その覚悟っていうのは現在からでは想像もできないレベルのものだったかもしれません。
刀が階級の象徴や、お飾りじゃなかったタイミングですよね、幕末って。


節操がないっていう批判は当時からあったみたいですけど、誰がお山の大将だとしても、そんなことはどうでもよくって、日本っていう国を諸外国に伍していくレベルにしないと、ヤバいよ、っていう考えだったからっていうのが定説ですね。
そうかなあ、どうもねえ、どうだったんだろうって思いますね。


最初からそういう考え方だったとは思えないような行動変遷ですけどねえ。


ここで言っている「そういう考え方」っていうのは「合本主義(がっぽんしゅぎ)」って言われているものですね。


日本資本主義の父って言われている渋沢栄一ですが、当人の言葉として残っているのは資本主義じゃなくって合本主義なんだそうです。


幕末の徳川方頭脳としてヨーロッパ視察団の一員だった渋沢栄一が、世界という概念をどう捉えていたのか、
いろんな説があるんですけど、シリアル・アントレプレナーとしての面ばっかりが強調されているような感じがします。
だいぶ年を取ってからの行動なんですけどね。


合本主義っていうのは官民を合わせてっていう意識なんだと思いますね。


幕藩体制身分制度から一気に西欧社会の帝国文明に飛び込んでいかざるを得なかったわけで、日本一国として独立を堅持していくために、武家だ商人だって言ってちゃダメだよ、お互いに協力しないとね。っていうことなんだろうと理解しています。
渋沢栄一だって、ずいぶん後になってから気付いた信念でしょ。知らんけど。


合本っていうのは、違う2冊の本を合わせこんで1冊の本にすることを言うわけですけど、その2冊の本っていうのは全く違う本、むしろ接点の無さそうな2冊を合わせ込むっていうようなニュアンスが合本主義なんじゃないでしょうかね。


今現在でもよく知られた渋沢栄一の著作に「論語と算盤」っていうのがあります。

 

論語ブームっていうのはこの本から来ているんだろうって思うんですが、倫理や道徳についてのエピソードが論語で、ソロバンはそのまま金儲けのことですから、合いそうにない2つのことがらを「合本」させて「公益」っていうものを実現させましょうって内容だって理解しています。


まあね、本の解釈っていうのは、読む人によって違いますからね。
その解釈についてはいろいろ意見のあるところだろうと思います。


そもそも論語の解釈にしてからが、遠い時代ってこともあって、ホントにさまざまにされていますよね。
論語読みの論語知らず、なんてことも言われます。


今現在の経営者や、これから起業を考えているような人が「論語と算盤」から何かを学びとろうっていうのはイイことなんだろうって思いますね。


否定する意見があることも理解できますけど、今の日本はいろんな方面でレベルが下がってきているように感じます。


老朽化っていうのか、かつての充実に慣れきってしまって、日本文化自体が経年劣化しているってことなのかもですよ。


根拠なく自信を持っている人が少なくないっていう、カーイソーな現実。
道徳経済合一って言っても、その道徳部分がねえ。。。


企業倫理の崩壊っていうことが報道されることが増えてきている現状ですが、こうした日本の現状って、世界的に言われている「資本主義の暴走」以前の問題ですよね。

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論語と算盤」で温故知新っていうのは期待できる気もするんですが、令和の日本にとって鏡となるような「論語」ってなんなんでしょうね。


古代の中国で言われた孔子の言葉が、そのまま鏡になればイイんですけど、なにか、もっと根本的に違った鏡が必要なレベルに落ちてしまっているんじゃないでしょうか。


ほんの一部の企業が利益を独占してしまっているっていうのが資本主義の暴走って言われている現象なんでしょうけど、日本の企業はその製品やサービス自体が陳腐化しているのかもです。
非難されるほどの売り上げが無いっていうのが現状ですもんね。

 


足るを知る、っていうのは老子ですね。


あるべきようは、っていうのは明恵上人。


その製品やサービスは金儲け以前として、使う人、享受する人にとって有意義有用であること。
世の中に必要なものを提供するための会社じゃなくって、仕事が金を儲けるためだけの手段になってしまっている企業が少なくないんでしょうね。


令和日本。


論語がホントにブームになっているんだとしたら、原点に帰るっていう意味ではイイことなのかもしれませんが、21世紀の論語みたいなのってないんでしょうかね。


SDGsっていうことを意識して社会活動、経済活動をしていくことになっていくわけで、個々人の意識改革っていうのって、時間かかちゃいそうですけどねえ。


我利我欲の亡者が、ホントいろいろやらかしてくれちゃってる令和日本です。


子曰く、吾十有五にして学に志す。


三十にして立つ。


四十にして惑わず。


五十にして天命を知る。


六十にして耳順う。


七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず 。


ですけどね、もういろいろの段階を過ぎちゃってますねえ。若者に期待です。