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【木彫りのねずみ】ものづくりに魂を込めた伝説の職人【左甚五郎】

< ロボット全盛時代だからこそ 全ての日本産業に手作りの神髄を見せていただきたい >

「100均散歩」なんてなことを言って、時間ができればあちこちの100均の店に出没するのが習慣になっているって方がいらっしゃいましてね、これを買ってきた、これは100円じゃ安いと思って手にとったら800円だったとか、でも安いよとか、そんな話ばっかりしておられます。
まあね、なんとなく分かる気はしますけどね。


当たり前って言えばアタリマエなんですけど、100均の店も季節感を演出したりなんかしていましてね、シーズングッズをズラリと並べています。
そうじゃなくたって、100均のアイテムもけっこう移り変わりが激しいんですよね。


なんせほぼ全ての品物が100円なんですから、お、って思えば手に取って、無理なく買えるっていう開放感っていいますか、安心感、満足感みたいなものがあるんでしょうね。


目的なくウロウロする場所として街の路地よりも100均の店内っていうのは、現代人にとってアリな場所なのかもしれません。
ストレス解消の100円ってことになっているのかもです。
雨の日でもオッケーですしね。


私も先日行ってきました。100均散歩っていうんじゃなくって、爪切りを買いに行ってきたんであります。


ちゃんと使える爪切りは持っているんですけどね。


でもまあ、年代物でして、もう20年以上使っている代物で、すっかり手に馴染んでいる感じもする相棒なんでありますが、やすりの部分がですね、すり減ったわけでもないんでしょうけれども、なんかちょっと、な感じになってきたんで、ここはひとつ、新しい爪切りをって考え出したのはずいぶん前のことになるんですね。
で、そういえば100均に爪切りってあるのかな、って思い立って出かけてみたわけです。

 

 

 


ウロウロするまでもなく、すぐに見つかりました。
へええって思っちゃいましたね。前に買った時の値段なんて覚えちゃいませんけれど、千円まではしなかったにしろ7、800円ぐらいはしたんじゃないでしょかね。それぐらいが普通の値段、っていう記憶です。
でもそれが100円です。


ん~。こりゃ、散歩っていうか、何かイイモノないかなって100均の店の中をウロウロする趣味っていうか、そういう気持ちに、どことなく親近感のようなものも感じちゃいましたねえ。


やすりの部分なんですけどね、前から使っている爪切りのは、溝が細かく刻みつけてあるタイプだったんですが、新しい100円の爪切りのは、ホントにやすりの形状になっています。
「紙やすり」のぎざぎざがそのまま金属になっている感じ。


加工機械の精度も昔とは違ってきているんでしょうねえ。ってことで、爪切り1個100円、お買い上げ、です。


で、帰ってきて、早速使ってみました。まず、やすりの部分。
気になっていたのがやすりの部分でしたからね、まずはそこを確認です。
めっちゃ削れます。


でもあれです。前の爪きりが、爪を切った後の切り口を整えるためっていう感じの削れ方だったとすると、新しい100円の方のやすりは、ただやたらに爪を削るって感じです。


ザリッていって爪が、どういう形状であったとしても、とにかく削れます。
爪っていう形状が、ザリザリ削れてカルシウムの粉になる。


やすりなんだから削れてアタリマエじゃん、とは思うんですが、なんか理不尽な削れ方を感じるんですね。
人体に向けて使う道具じゃない感じ。


でもまあ、もう買っちゃったんだし、いいか、って思いながら、爪切りの本領部分、爪を切ってみました。


切れ味、ワル~!


バチっとかいって無理矢理「切断」される感じ。
いや、もちろん爪は切れているんです。でもねえ、なんか気持ち良くないです。


しかも切った後の爪をツラツラ確かめてみますと、切れ口が、やっぱりスムースじゃないんです。
ちゃんと削ってアト処理してあげないと、切り口から何層かに分かれてしまいそうな気さえします。


テコの力を利用して、爪を圧切する機械。それが100円の爪切り。
人間味なんかこれっぽっちもない。気持ち良くない。でもメードインジャパンです。


だって100円で売るんだよ。効率よく大量生産しないと作れないでしょ。100円なんだよ。
はい、おっしゃる通りでございます。


でもね、どうもね、気持ちが良くないんで、結局、前からの爪切りを使っている次第でございます。
メードイン「オールド」ジャパン。


今の商品って、安かろう悪かろうになってやしませんかね。爪切りに限らず、なんでもです。
メードインジャパンでもです。


日本は資源のない国なんだから、モノづくりっていうことに特徴を持たせて、モノのクオリティで世界に伍していくしかないって方針だったのも今は昔。


品質を追い求め過ぎたっていう「ガラパゴス化」で競争力を失ってしまったっていうことが批判されて、いつのまにか安かろう悪かろうまっしぐらになってしまっているんじゃないでしょうか。
工夫が予算の方ばっかりにいっているのかもです。


しかも、そうやって国際競争に勝てているわけじゃないですしね。


円安、輸入品高騰、ウクライナ戦争、ブレグジットによって、国内生産復帰の流れが出てきているみたいなんですけど、どんどん新しい技術が出てきている現状を考えてみれば、技術の国外流出だとか、産業の中空構造だとかに対して、抜本的な改革が期待できるタイミングなのかもしれませんね。
良い方に考えれば、ってことですけど。

 

 

 

 

全てのジャンルで「メードインジャパン」の輝きを取り戻して欲しいところです。


「神は細部に宿る」っていうところを特徴として、安かろう悪かろうから脱却できる技術を持っているはずの日本、日本人だと思いたいんですねえ。


伝説の大工、彫刻職人の「左甚五郎」っていう人がいますね。


日光東照宮の「眠り猫」は、世の中が太平になったんで安心して眠れるようになったことを表現しているっていう説が知られていますけれども、違った説もあります。


徳川家康の御廟である日光東照宮の猫は、眠っているんじゃなくって、薄目を開けてちゃんと周りを伺っている。なにかコトがあればすぐに飛び出せるように身構えている。
眠っているように見えても、臨戦態勢で世の中を見ておるぞ!
ネコのくせにタヌキ寝入りってことですね。


そう言われてみればそう見えてくるっていうところが左甚五郎の左甚五郎たる由縁なんでしょうかね。
眠り猫の薄目。

 

 

日光東照宮にはまだあります。左甚五郎作の「見ザル、聞かザル、言わザル」も有名です。
人の心得として、よく言われる言葉にもなっていますよね。


ところで、埼玉県の秩父神社には同じころの左甚五郎作だっていわれている三猿がいます。
「お元気三猿」
「よく見よう、よく話そう、よく聞こう」っていう活発そのものの三匹の猿。


秩父神社の猿たちが居てこその日光東照宮の猿たち、ってことなんでしょうか。


左甚五郎作っていう彫刻が、数も作られた年代も、偽物が多いって言われる理由の1つになっているのかもしれませんが、「ウデ」を持っている人が少なくないのが日本の特徴だっていうふうに考えることも出来そうです。


ポンって叩くと、横にカニ歩きする「叩き蟹」なんていう噺が落語にあります。


こんなのもあります。
女ばっかりの大奥で妊娠した女中さんの荷物から出てきた張り型。銘が掘られていて、読んでみると左甚五郎。こりゃあ懐妊しても不思議じゃないよ、なにせ左甚五郎が作ったやつは生きてんだからって話だとか、ユーモラスに語り伝えられている職人、左甚五郎です。


大酒呑みで放蕩者。甚五郎にちなんで酒呑みのことを左党って言うようになったんだとか、そんな伝説さえ残していますが、実在さえも疑われている人なんですよね。

 

 

でも、日本人のモノづくりの根底に、左甚五郎っていう職人の、モノづくりに込める魂っていうのは消えていないんじゃないかって思いますけどね。


落語として、いくつも語り伝えられている左甚五郎。
いっぱいある噺の中でも、特に有名なのは「ねずみ」でしょうか。


甚五郎さんが仙台の安宿に泊まるんですね。宿っていっても物置みたいなところ。ねずみがたくさん棲んでたっていうんで、宿の名前は「ねずみ屋」
客なんか居やしない。


「ねずみ屋」のうらぶれた主人。元は向かいの立派な旅館「とら屋」の主人だったんだけれども、5年前に先妻に先立たれて後妻を迎えたところ、とんでもない女で、番頭と組んで「とら屋」を乗っ取って、亭主を追い出した。
それで気落ちした亭主は1人息子と「ねずみ屋」を営むことになったって次第。


あまりの貧乏ぶりに、ねずみたちも居なくなっちゃった。


甚五郎は、転がっていた木片で、ねずみをその場で彫って置いて行く。
そうすると、その木彫りのねずみが、生命を得たかのように動き回る。


評判を聞いた旅人が、店先に出された動く木彫りのねずみを見るために泊まりに来るようになる。
だんだん繁盛してきて、建て替えに建て替えを続けて、やがて向かいの「とら屋」を凌ぐほどの宿になっていく「ねずみ屋」


「とら屋」の後妻は悔しくて、仙台で名のある彫刻師に頼んで、屋号に合わせたとらの木彫りを作って店先に出す。
すると、木彫りのねずみが、ぴくとも動かなくなってしまった。


動かないねずみじゃ客は泊ってくれません。「ねずみ屋」はだんだん窮していきます。
そんなうわさを聞き付けた甚五郎が「ねずみ屋」にやってきて、自分で彫ったねずみに語りかけます。


「なんだい、おまえさん。どうしたって動けなくなっちまったんだ」


「はい、向かいに恐ろしいモノが出てまいりましたんで」


「おまえさんはねずみだろ」


「へい」


「なんだってそのねずみが、あんな出来損ないのとらを怖がる道理があるんだい」


「え? とら?」


「ああ、しかもかなりの出来損ないだ。目ん玉だってどこを見てるんだかハッキリしやしないよ。それをなんだって怖がって動けなくなってるっていうんだ」


「あ、いや、とらだったとはつゆ知らず、ねこかと思っていましたもんで」


ってことで、また甚五郎の木彫りのねずみは元気に動き回るようになりましたとさ。

 

 

 


不出来なとらは、ねこになれるとしても、デジタル産業のハードウェアもソフトウェアも、不出来な状態じゃ商品になりませんですけどね。


魂を込めた逸品を、国内生産でなんとかひとつ、ドカーンっとお願いしたいところであります。


あとがないんだから。