< 充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない アーサー・C・クラーク第三の法則 >
教養、って言われちゃうと、胸を張れる人ってそうそういないんじゃないかって思いますけど、どでしょかね。
21世紀も四半世紀が過ぎて、どんな分野であっても、専門的な分野はシンギュラリティがやってきて、AIに任せておいた方が効率が良くなるっていう段階が既に始まりつつあるのかもしれないです。
今、我々は、AI第3の波のただなかにいるらしいんですね。
昭和も遠くなりにけり。
これまでの日常の発展は「専門バカ」のおかげだった部分が大きいことは否定できないことでしょうけれども、実績の全量的把握、漏れのないデータからの素早く的確な分析はすっかりAIに任せられるレベルになってきた。
じゃあ人間は何もしないでいられるのか。何もしないでいるっていうことは仕事にあぶれるってことで、稼ぎがなくなったらどうやって生活していくのか。
いや、AIを使いこなしていく役割は人間にしか果たせない。AIに出来ないことを考えるのが人間の仕事。
だから、AI時代の人類には「教養」が必要なんだそうです。
「教養」ってヤツでもってAIに対していかないと、人類としての存在価値が消えてしまう。
でもまあ、日本の場合ですけど、「専門バカ」からの脱却より前に「高学歴バカ」を駆逐することの方が先でしょうけどねえ。
教育が受験向けに特化して教養が貧弱になってしまったのは嘆かわしいことです。
テスト問題に応えて〇をもらえる技術はあるんだけど、世の中の、なにが問題なのかが判らない。すごく多いんですよね。
むむっ。脱線だっせん。
事務仕事のジャンルに生成AIが入って来たのはつい最近のことですけど、賛否いろいろありながら人手不足の解消に寄与してくれるレベルに進化してきているんだそうですね。
細かい事柄での調整をする必要があって、人間の手を介さないと最終的なアウトプットにはならないとしても、遠くない将来、生成AIの利用が職場の常識になっていきそうにも思えます。
公共機関が積極利用を進めていますもんね。
デジタルの進化は指数関数的にスピーディだって言われていますけれども、AIに何ができるのかっていう観点からみてみますと、その進化はホントにあっという間だったって言えそうです。
総務省「人工知能(AI)研究の歴史」を見てみます。
「AI(artificial intelligence)」日本語訳で「人工知能」っていう言葉が生まれたのは案外早くって、1956年7月から8月にかけての1ヶ月間、アメリカのニューハンプシャー州ダートマス大学で開催された「ダートマス会議」
この会議の提案書の中で初めて「AI(artificial intelligence)」っていう言葉が使われたんだそうです。
提案書を書いたのはアメリカのコンピュータ科学者「ジョン・マッカーシー(1927~2011)」と、「マービン・リー・ミンスキー(1927~2016)」
実際の会議で話し合われたのは、
「機械が人間の知能のような振る舞いを実現するための方法」
「機械が言語を使うことができるようにする方法」
「機械上での抽象化と概念の形成」
「今は人間にしか解けない問題を機械で解くこと」
「機械が自分自身を改善する方法」
このころからニューラルネットワークとコンピュータについての議論があったんだそうです。
こんなことを考え出していたんですね。半世紀ちょっと前のダートマス会議ですけど、わずか半世紀前っていうとらえ方も出来そうです。まだアイディア段階ですけどね。
世界初の汎用電子式コンピュータ「ENIAC(エニアック)」の誕生が1946年ですから、10年後にAIっていう発想をしているのって、けっこうスリリングな感じがします。
1950年代に入って急速にコンピュータ技術が発展したことによっての発想だったそうですけど、ダートマス会議以降の10年間ぐらいを「第1次AIブーム」っていうんだそうです。
ただ、ニューラルネットワークだとかの発想はあったにしても、その機能を果たすためには、当時のコンピュータ技術はあまりにも貧弱で、1960年代から1970年代にかけて「AI冬の時代」ってことになってしまいます。
冬の時代の中でも研究を進めたコンピュータ科学者はちゃんといて、1970年代後半には、スタンフォード大学のヒューリスティック・プログラミング・プロジェクトが提唱した「エキスパートシステム」が開発されます。
世界初のAIプログラムっていえるエキスパートシステムは、その名の通りエキスパート、つまりある専門分野についての知識をコンピュータに蓄積して、専門的な判断、問題解決を図るもので、医療診断分野、金融業界等々から大きな期待を集めて、世界各国で更なる研究が進められたそうです。
「第2次AI」ブームですね。
ところが、膨大なルールを予めプログラムしておく必要があることと、データが増えるにしたがってメンテナンスが困難になってしまってブームは急速に衰退してしまいます。
1980年代後半から1990年代は再び「AI冬の時代」
21世紀に入りますとコンピュータの性能は一気に上がります。ネットワークも速くなって、通信しているビッグデータそのものに対する取り扱いも出来るようになりました。
ここで新たに登場してきたAIプログラムが「ディープラーニング」です。
複数層のニューラルネットワークを用いて、大量のデータから自動的に特徴を抽出し、高度なパターン認識を実現する技術。それがディープラーニング。
一気に画像認識、音声認識、自然言語処理っていう分野で著しい成果をあげるようになって、商業的、産業的にAIが実績を上げ始めたんですね。
今は「第3次AIブーム」です。
この第3次AIブームをけん引しているのが「生成AI」でしょねえ。
テキスト生成型、画像生成型、動画生成型、音声・音楽生成型、それぞれにいろいろ出てきていますよね。
2022年に登場してきた「ChatGPT」の衝撃は今でも覚えている人が多いんじゃないでしょうか。
人類は、この実用的なAIを前にして使い方の工夫を迫られているって感じになって来ています。
さらには2025年1月には中国から「DeepSeek-R1」が発表されて、これまでの生成AIの1割以下のコストで「ChatGPT」と同等の性能だっていうことで、AI業界の株価にも大きな影響を与えて、衝撃的なニュースになりました。
まだまだヘンテコなアウトプットをしていることも多いんだそうですけど、「DeepSeek-R1」以外にも突然ハイレベルな生成AIが登場してくる可能性は誰にも否定できないでしょうね。
所詮AIなんてさ、っていうようなレベルじゃなくなっているんです。
労働力不足の解消にAIを役立てて、あるいは作業工数の削減にも利用できそうですし、マーケティングだとかには必須のツールになっていくんでしょうね。
ちゃんとAIに向き合って、共存していかないといけない時代になってきたってことなんだと思われます。
だからといって「教養」が必要ですよ、って言われてもですねえ、すでにオトナになってしまっている私たちは、なにをどうしたらイイのか。
そもそも「教養」ってなんなの?
「教養とは、幅広い知識や経験によって培われる知的素養や洞察力を指します。また、それらを関連づけて考える力を意味します」
ふううん。言うは易し行うは難し、ってやつでしょねえ。
でもまあ、なんにもしないでいると、AIサマに使われちゃう人間になっちゃうのかも。
なにをどうすればいいのか、いろいろ調べていきますとですね、どういうのか、先鞭をつけている企業がいくつもあるってことが見えてきました。
アメリカのGAFAMに代表されるような先進企業、まあ、全てではないんでしょうけれど、21世紀に入った頃からIT企業では哲学者を雇っているんだそうです。
「インハウス・フィロソファー(企業内哲学者)」
あんまり大きなニュースにはなっていないですけど、先進企業にとっての「AI時代の教養」とは、すなわち「哲学」ってことなのかもです。
哲学が先進企業の中でどんな役割を果たしているんでしょう。
もちろん企業内のことですから、そんなに具体的な仕事内容は公表されていないみたいですが、欧米世界では哲学コンサルティング会社が急増しているらしいんですね。
哲学。
「どうすればもっと成功できるのか」
って考える企業幹部に対して、
「なぜ成功しなければならないのか」
「そもそも成功とは何か」
っていう問いを返すことによって先入観から解放されて、新たな発想が促される。
とか、そういうことらしいです。分かるような分からないような。
欧米の先進企業が哲学者を雇用するのは「ルールメーカー」を目指すからだろうっていう説があります。
グローバル世界での企業競争で、優位に立つのはビジネスルールを創造して維持していける企業。
ルールメーカーになれば圧倒的優位に立てる。
ただ、誰かさんみたいに、自分勝手なルールをムリヤリ押し付けても世界がそれを受け入れてくれるわけがありません。
押しも押されもせぬルールメーカーになるには、哲学や倫理が必要。
とはいってもねえ、インハウス・フィロソファーが企業内で批判的な意見を維持しながら活躍できるかどうかは、かなり微妙な問題を抱えているようにも思えますねえ。
哲学って、どういう使い道があるのかなんて、ソクラテスさんに聞いたら、どんな答えが返ってくるんでしょうね。
高名な哲学者であるソクラテスですけど、奥さんからの評価はかなり辛辣なもので、無駄口ばっかり叩いてないで仕事に精を出すようにまくしたてられることはしょっちゅうだったみたいなんですね。
ソクラテスは弟子たちから授業料をとって生活していたんじゃなくって、生計を立てる仕事としては石材彫刻をしていたんじゃないかって言われているんですね。
でもまあ、ああだこうだの哲学的思考弁舌は、奥さんのクサンティッペにしてみれば、ただ無駄口を叩いているだけって見えていたのかもしれません。石材彫刻に精を出していたとは思えないソクラテスさんです。
さんざん悪態をぶつけても動じる気配がないので、クサンティッペは尿瓶の尿を頭から浴びせたっていうエピソードがあります。
どひゃあ! って思いますけど、当のソクラテスは、
「雷の後は雨はつきものだ」
ん~。さすが、なんですかねこれ。後世の誰かが作り出したエピソードなんでしょうけど。

「ソクラテスの妻」っていう作品をものした佐藤愛子はこんなことを言っています。
「ソクラテスみたいな男と結婚すれば、女はみんな悪妻になっちゃうわよ」
こういうエピソードから考えてみますと、哲学って、実生活には無力なんじゃないかって気もしますけどねえ。
紀元前399年にソクラテスが毒を飲んで刑に服したのは4月22日。
4月22日は「哲学の日」ってことになってます。
「生きるために食べよ、食べるために生きるな」
さらにはこんな言葉も。
「汝が良妻を持たば幸福者にならん。悪妻を持たば哲学者にならん」
自虐ネタ?
ま、なんにしても21世紀の世の中はAIと触れ合わないでは成り立たなくなってきています。
ある日突然、何もかもが変わってしまうっていうことが無きにしも非ず、なんでしょかねえ。
古代ギリシャ・ローマ時代に確立された自由人のための教養学問体系を「リベラルアーツ」っていうんだそうですけど、これからこの単語も大きく幅を利かせてきそうな気がしますねえ。
「AI時代の教養」ねえ、「リベラルアーツ」「哲学」ねえ。どうしましょ。。。