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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【老境】何歳になったからじゃなくって 自分の「老いを受け入れた心境」のことなんでしょねえ

< 人生の夕焼けどき それを老境って言うんでしょうかね なんだかしみじみするです >

太宰治の「晩年」っていう短編集をご存じでしょうか。


ああ、あれね。昔、夢中になって読んだ、っていう人も少なくないと思います。
昭和、平成、令和と時代は進んでも、常に若い世代に支持され続けている太宰作品ですが、「晩年」は太宰の初の作品集で1936年、昭和11年の発行。


作品集の中に「晩年」っていうタイトルの小説はありませんが、「道化の華」「猿面冠者」など全部で15の短編が入っています。


「晩年」っていいながら太宰自身が23歳から24歳ごろに書いた作品を収めたものらしいんですね。


「晩年」っていうのは、人の一生の終わりの時期のこと。それを23、4の青年が作品集のタイトルにする。そしてその作品集を、やっぱり若い世代が読んで共感する。支持続けられている。
晩年をタイトルにした感覚。太宰治を経験してきた人だったら、なんとなく分かるんじゃないでしょうかね。


自分の一生っていうものについて、初めて真剣に考えるっていいますか、人が経験することのひと通りは見てきたんじゃないかっていう気分になるような、そういう時期が「太宰治期」なのかもしれません。


「晩年」は発行されてからの5年間で1500部しか売れなかったみたいですけど、令和現在の文庫本も合わせれば堂々たるミリオンセラー。「斜陽」「人間失格」だとかのベストセラーが出てからの再評価ってことなんでしょうね。


大嫌い! っていう人だってもちろんいますが、太宰治は押しも押されもせぬ人気作家。「晩年」も読まれ続けています。


もちろん人がいつ生を終えるかっていうのは、人それぞれバラバラです。23、4でリアルに「晩年」っていうことだってあり得るんですけどね。

 

 

 

ところで「晩年」と似たようなニュアンスを感じる言葉に「老境」っていうのがあります。


焼酎バーでよく顔を合わせるコバちゃんっていうオッサンが最近よく口にするようになったんです。


赤ら顔に出来上がって、持参のタオルでツルッとした頭ごと顔を撫でまわして言います。


「いやあ、こうして好きな酒呑んでね、旨いなあっていうアテ食べてね、なんかとりとめのないバカ話して笑ってね、一日を終えるって、自分はシアワセだなあって思うんですよ。老境の感覚なんでしょうけどねえ。老境って気持ちイイなって思うんです。あれ? それともただのバカヤローなんでしょうか」


一応、ロレツは回っていますけれども、女将さんからもう帰りなさいって促される合図になっている「老境」っていう言葉です。
60代半ばの気のイイおっさんなんです、コバちゃん。


そんなにしょっちゅう聞くわけじゃないですけど「老境」っていう言葉と、コバちゃんのシアワセそうな酔っぱらい顔は、なんかね、人生、捨てたもんじゃないっていう気にさせてくれます。そういう呑み仲間。


「老境」を調べてみますと、


「単に年齢を重ねた状態の老年ではなく、老いを受け入れた上での達観した精神状態や、人生の落ち着いた味わいを含めて表現されることが多い言葉」


だそうです。


英語表現ですと「old years」っていうよりは「twilight years」って感じですかね。
肯定的な達観ともいえそうです。


これまで生きてきて、望んでいたような人生じゃなかったかもしれないけど、成功者とはいえないかもだけど、いっちょまえに酔っぱらったりなんかして、あはは、なんて屈託なく笑えたりする相手がいるんだから、悪くなかったな、自分は充分にシアワセなんだよなって思える一日の終わり。


気が付いてみれば自分の人生も残り少なくなっていて、もうじき消えていく。ま、それも悪くはないさ。


コバちゃんだけじゃなくって、わたし自身も全くその通りって思うのであります。


毎年国連が発表しているデータの1つに「世界幸福度ランキング」っていうのがありますよね。


2026年のランキングも発表されていますが、日本は147ヵ国中61位。G7の中では最低です。日本の順位はいつも低いんですよね。


フィンランドが9年連続世界1位。アイスランド、デンマークが続いていて、幸福度はいつも北欧諸国がトップクラスを独占しています。


この「世界幸福度ランキング」は2012年から国連の関係機関が、3月20日の「国際幸福デー」に発表し始めたんですよね。最初のころは面白がっていましたが、国力が下落傾向とはいえ日本がなんでこんなに幸福度が低いって判断されているのかなあって、だんだん不思議に思うようになってきました。


幸福度のランキングは6つのパラメータによって判断されているんです。


・社会的な支え:44位
・1人あたりのGDP:28位
・健康寿命:2位
・人生の選択の自由:85位
・寛容さ:122位
・腐敗の少なさ:29位


この結果から見えてくることは、日本は「人生の選択の自由」と「寛容さ」が著しく低いってことですね。


このうち「寛容さ」については、「過去1カ月間に慈善団体へ寄付をしましたか?」っていう質問があるそうなので、寄付文化とは縁遠い日本が低評価なのは分かる気がします。生活習慣的に不利。
文化基準の世界標準なんて、まあ、かなり難しい問題ですね。


もう1つの「人生の選択の自由」っていう項目。これ、自由がないのが日本社会、っていう気がしないでもない。


最近はフリータとして生活している人も多いじゃないかっていう意見もあろうかと思いますが、フリーターという働き方はその人たちが必ずしも自ら望んだものじゃないっていうのが現実だと思います。


日本のウェルビーイング学会が公表した「日本版ワールドハピネスレポート2026」によりますと、日本は「経済成長と幸福度/ウェルビーイングが一致しない国」なんだそうです。

 

「年収や学歴、家庭環境以上に、人生の幸福度を左右する要素は《自己決定感(自分で人生の選択をしている感覚)》である」とも言っています。


もっともらしく聞こえますが、そもそも幸福度って、正しい幸福っていうものがあって、そこに到達するためにこうしましょうなんていうんだとすれば、なんかナンセンスに思えます。


ましてや国単位の幸福度っていうんじゃ、その国で暮している個人はオイテケボリになっているんじゃないでしょうか。
個々人がその時点でシアワセかどうかなんて判断の難しいものでしょうし、あしたも同じようにシアワセなままかどうかなんて、誰にも保証できませんよね。さらにいえば、個人の感じるシアワセ感自体、安定したものじゃなくって、年代によって変化するんじゃないでしょうかね。


自分のエネルギーが充満していうちは、大きく変化するもののような気がします。
今、自分はフシアワセだって感じている人もいるにはいるんでしょうけど、それはシアワセに向かって頑張る意思があるってことなのかもしれません。若ければまだ時間的な余裕もあるでしょうしね。安定したシアワセは望むべくもない。


こうして考えてみますと、コバちゃんの「いやあ、こうして好きな酒呑んでね、旨いなあっていうアテ食べてね、なんかとりとめのないバカ話して笑ってね、一日を終えるって、自分はシアワセだなあって思うんですよ。老境の感覚なんでしょうけどねえ。老境って気持ちイイなって思うんです」っていうシアワセ感。とってもヨサゲに思えてきます。


自分のダメさ加減も受け入れて、自分自身を否定はしない。それが自分だから。バカヤローでもイイんです。


老境の感覚に目覚めるには、全部ひっくるめて、自分自身を受け入れる度量が必要なんでしょうね。
自分の老いをシアワセに受け入れる。
コバちゃん、意外とジンブツなのかもですねえ。

 

 

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【文化庁 100年フード】その16 鹿児島県【ぷちむっちゃー】

< ぷちむっちゃー? 方言なんでしょねえ とは思いますけど なんかカワイイような投げやりなような >

文化庁の「100年フード」に選ばれている食文化、品目の名前を見て、なにそれ? っていう、どんなものなのか予想もつかないのを選んで、いろいろ突っ込んでみようっていう「100年フード」からの第16弾です。

 

9つ選ばれている鹿児島県100年フードの、①伝統〜江⼾時代から続く郷⼟の料理〜に選ばれているのが「ぷちむっちゃー」です。


「ぷちむっちゃー」って? なんやねんな、それ? なのであります。少なくとも食べものの名前っぽくはないですね。


「ヨロン島観光ガイド」によりますと、

 

※ ※ ※ ※ ※
『ぷち』=よもぎ、『むっちゃー』=餅を意味し、鹿児島県与論島の伝統的な「よもぎ餅」で、月桃(げっとう)の葉に包んで蒸し上げる郷土菓子です。


島に自生するよもぎと黒糖をもち米粉に混ぜて作られ、葉の爽やかな香りと黒糖の優しい甘さが特徴です。


旧暦の3月3日に行われる節句の伝統行事「浜下り」の時期につくられ、健康を願う食べ物として世代を超えて受け継がれています。
※ ※ ※ ※ ※


ってことで、ほほう、鹿児島県っていっても奄美の与論島なんですね。郷土菓子。

 

 

月桃っていうのはショウガ科ハナミョウガ属の常緑性多年草。高い抗菌力と防腐作用があって、奄美では広く使われているみたいです。
黒糖が使われているってことで、さすが奄美のお菓子ですね。


健康を願うお菓子が「ぷちむっちゃー」なら、健康を期待できる酒は「黒糖焼酎」でしょうかね。むふふ。


黒糖焼酎は、8つの有人島で構成されている奄美群島のうち、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島の5つの島にだけ蒸留が認められている焼酎。


長寿で有名な徳之島出身の「泉重千代(いずみしげちよ)(生年不確定~1986)」さんが愛飲していた黒糖焼酎「マルシカ」はネームバリューがありますよね。


確定できていないみたいですけど泉重千代さんは120歳の長寿を全うしたっていうことで、黒糖焼酎は長寿の酒なんて言われているんでありますよね。

 

 

 


ちなみに女性杜氏に代々受け継がれているっていうマルシカは、泉重千代さん生存中の1965年に販売が中止されたそうなんですけど、その時までの名前は「まる鹿」
で、2020年に「マルシカ」として復活しているんですね。もちろん女性杜氏の仕事だそうです。


残念ながら「まる鹿」は呑んだことないんですけど「マルシカ」は何度かいただいておりますです。
マイルドな口当たりで、クイクイいけちゃう、どっちかっていうとキケンなタイプの黒糖焼酎だと思います。ま、感じ方は人それぞれですけどね。


徳之島が「マルシカ」なら、ぷちむっちゃーの与論島には「島有泉(しまゆうせん)」があります。


行きつけの焼酎バーで時々仕入れてもらっていて、しょっちゅうお世話になっております。
けっこうドライなタイプの黒糖焼酎ですね。大好きです。


ま、酒呑みは、どんなタイプの酒でも旨いウマイって呑んでいると思われますけど、与論島にはこの「島有泉」を欠かすことのできない「与論献奉(よろんけんぽう)」っていうイベントがあるんだそうです。


遠来の客をもてなす、戦国時代の1561年から続いているらしい与論島特有の酒の宴。


与論島に限ったことじゃないでしょうけど、島っていう地理的条件はどうしても孤絶間をともなっていて、海を渡ってわざわざ来てくれたっていう気持ちのあらわれとして形作られて、伝わってきているんでしょうね。


どんなのかっていいますと、

与論島にやって来た客人(まれびと)たちと、島の住人たちが歓迎の宴に集います。


島の住人の中から「親」を決めて、全員で輪になります。ま、四角いテーブルに勢揃いって感じも多いんでしょうね。


ここで出てくるのが1つの朱塗りの大盃(おおさかずき)です。
大盃に黒糖焼酎、島有泉を適度に注ぎます。


親は、客人たちに歓迎の意を伝え、自己紹介、与論献奉の説明をにぎにぎしく行います。
アイサツが終わったら、親は軽々と大盃を吞み干します。


呑み干した大盃を時計回りに隣りの人に渡して、島有泉を注ぎます。


渡された人は自己紹介やらをやって、やっぱり大盃を吞み干します。


で、時計回りに次の人へ。


全員が大盃の洗礼を受け終わったら、親のところに戻ってくるわけですが、親は「ご苦労盃」っていう〆の一杯を呑み干します。
これで1周終わり。


ここでみなさん笑顔で、めでたく解散、になるわけもなく、今度は隣りの人が親になって、またぐるぐる大盃のまわし吞みが再開されるっていう宴が与論献奉。

 

 

 


あな恐ろしや。終わりがないじゃん!


客人の中には呑めない人だってるわけですが、与論献奉にはそういうことにも配慮したルールが定められているんだそうです。
吞めない人はひと通り口上を述べた後で大盃をそのまま返せば、なんと親が代わりに呑んでくれる。


そして大盃に島有泉を注ぐ量も、注がれている途中で「トオッ!」っていう掛け声を発すれば、そこで注ぐのを止めてくれる。


島有泉は20度、25度、35度の3種類あるんですが、与論献奉で呑まれるのは概ね20度が多いんだそうです。ま、呑めない人、強くない人への配慮なんでしょうかね。


何周ぐらいするのが平均的な与論献奉なのか、データはなさそうですけど、客人の代わりに呑むっていう親。与論島の人たちってスンゴク強いんでしょうね。「トオッ!」です「トオッ!」力強くね。むはは。


「与論献奉十カ条」っていうのがあります。


第1条    与論献奉は、与論固有の献奉であり与論島の象徴(誠の心)である。


第2条    与論献奉は、全町民の真心を主賓に献上してから関係者全員に施行する。


第3条    与論献奉は、敵物適量を厳かに1回だけ施行する。


第4条    与論献奉は、平等に施行し何人たりともこれを断ることはできない。


第5条    与論献奉施行者は、主賓等の適量を誤ってはいけない。


第6条    与論献奉施行者は、施行前に趣旨等を口述し味見をしてから施行する。


第7条    与論献奉受杯者は、献杯する前に自己紹介等スピーチをして献杯する。


第8条    与論献奉施行中は、何人たりとも離席せず私語を慎み、受杯者のスピーチを拝聴しなければならない。


第9条    与論献奉施行者は、献奉を終了したら速やかに主催者に報告し、御苦労杯を受け献奉が終了した旨を全員に報告しなければばらない。


第10条    与論献奉施行者は、献奉施行の一切の権利と義務を負うものをする。


お! 第3条に「1回だけ」ってありますね。ん~。一応ね、ってことなんでしょうか。


アルコール消毒っていう考え方もあるかと思いますけど、コロナ以降でも大盃でまわし吞みをやっているんでしょうか。


って思ったら、やっぱりね、調べてみますと、ちゃんと対応している新与論献奉っていうのがあるみたいで、従来の「一つの大盃を大人数で回し飲みする」形式を改め、自分専用のグラスを使用するなど衛生面に配慮したスタイルに改まっているみたいです。

 

 

 


ところで与論島は「よろんじま」って読むのが正式らしいんですが、「よろんとう」でもイイよ、ってことでもある。むはは、与論島、大好きです。遠いですけど行ってみたい島です。


軽く焼いた「ぷちむっちゃー」をアテに島有泉の30度、じっくりいってみたいですねえ、じっくり。


お菓子の話じゃなくって黒糖焼酎の話になってしまいました。ま、当ブログはそんなもんであります。てへへ。

 

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< 100年フード >
【文化庁 100年フード】2021年から文化庁がやり始めた100年続く食文化を認定、PRする制度
【文化庁 100年フード】その2 東北にある「もちの聖地」
【文化庁 100年フード】その3 秋田県 【こさかまちかつらーめん】
【文化庁 100年フード】その4 山形県【冷たい肉そば】
【文化庁 100年フード】その5 埼玉県【ゼリーフライ】
【文化庁 100年フード】その6 東京都【武蔵野地域のうどん⽂化】
【文化庁 100年フード】その7 神奈川県【サンマーメン】
【文化庁 100年フード】その8 山梨県【上野原せいだ芋の⾷⽂化】
【文化庁 100年フード】その9 長野県【ひだみの⾷⽂化〜ひだみ餅、ひだみコーヒーゼリー、ひだみ餡⼊りパイ〜】
【文化庁 100年フード】その10 三重県【海の七草粥】
【文化庁 100年フード】その11 京都府【松花堂弁当】
【文化庁 100年フード】その12 奈良県【飛鳥鍋】
【文化庁 100年フード】その13 広島県【いんおこ】
【文化庁 100年フード】その14 福岡県【福岡柳川/⾙柱粕漬・海茸粕漬】
【文化庁 100年フード】その15 長崎県【対⾺ろくべえ】

 

【文化庁 100年フード】その15 長崎県【対⾺ろくべえ】

< ろくべえさんって誰やねん!? って人の名前じゃないんでしょうね フードなんだもんね >

文化庁の「100年フード」に選ばれている食文化、品目の名前を見て、なにそれ? っていう、どんなものなのか予想もつかないのを選んで、いろいろ突っ込んでみようっていう「100年フード」からの第15弾です。

 

8つ選ばれている長崎県100年フードの、①伝統〜江⼾時代から続く郷⼟の料理〜に選ばれているのが「対馬ろくべえ」です。


「ろくべえさん」に突っ込む前に、そもそも対馬ってどこ? っていう話からなんですが、日本地図を示されて、さあ対馬はどこでしょうって聞かれて、ここ! って自信をもって答えられる人ってどれくらいいるでしょう。半分以上はいるでしょうか。

 

 

 


「魏書 第30巻 烏丸鮮卑東夷伝倭人条」
3世紀末に発行されたってされている、いわゆる「魏志倭人伝」ですが、日本に関して初めてのまとまった記述のある中国正史ですよね。


こんなふうに登場して来ます。


「始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活」


卑弥呼の時代の日本なわけですが、中国正史に最初にあらわれる日本っていう存在は「対馬国」なんですね。


「1000余戸」の家の中には少なくとも4、5人は同居していたと考えますと、対馬国の人口は4千人から5千人。もっと多かったかもしれませんね。


2026年時点の対馬の人口は2万5千人弱ですから、古代の対馬国の方が、比較としては大都市だったのかもです。
大陸と日本を結ぶ要衝の地だったことは間違いありませんからね。


九州北部の玄界灘に浮かんでいる長崎県の島で、島全域が対馬市の1島1市体制なんだそうです。


日本神話の「国生み」では「大八島国(おおやしまぐに)」が誕生するんですけど、その8つの国っていうのが、
淡路島、本州、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島ってことで、ここにもしっかりとポジションを占めている対馬なのであります。

 

 

遣隋使、遣唐使の寄港地だったわけですし、大陸との交流でものすごく重要な島だったんですね。


時代が進んで豊臣秀吉の朝鮮出兵の時も、是としたかどうかは別にして大きな役割を果たしたものと思われます。


国境の島。今現在では観光っていう大陸との懸け橋として平和的な交流拠点ですよね。


その対馬に興味深いエピソードがあります。


時は元禄。江戸文化華やかなりしころ。対馬では深刻な農作物の害獣被害に悩まされていたそうです。
そこで対馬藩は「陶山鈍翁(すやまどんおう)(1658~1732)」っていう対馬藩の郡代で儒者の主導で1700年から9年かけて「猪鹿追詰(しししかおいつめ)」を敢行しました。
対馬のイノシシ、シカの全滅作戦です。


そら恐ろしいことですが、この陶山鈍翁っていう人、自らの命を賭けて決死の覚悟で全滅作戦を遂行しているものと思われます。なぜって、この時期1700年から1709年っていうのは、あの「生類憐みの令」が敷かれていたからです。


儒教を尊んだっていう徳川綱吉。儒者である陶山鈍翁の全滅作戦はなおさら許しがたいものがあったでしょう。
しかし偶然なのかどうか、全滅作戦の終了と生類憐みの令の終了は同じ1709年となっています。この1709年に将軍綱吉は亡くなっているんですよね。陶山鈍翁さん、セーフ。


9年に及んだ「猪鹿追詰」の結果、対馬のイノシシは絶滅、シカは激減。


農作物への獣害はほぼなくなって、陶山鈍翁さんは「対馬聖人」と崇められて島民から感謝されたそうです。

 

 

 


で、今、令和の対馬。深刻な農作物獣害が出ているんだそうです。


イノシシは江戸時代に絶滅したのに、なんで? シカ? ツシマシカが増えちゃったから?


実は平成に入ってから対馬で1頭のイノシシが確認されていたそうです。おそらくペットとして持ち込まれたものが逃げ出すなどして野生化したんじゃないかっていうんですね。
もちろん1頭だけじゃ増えるはずないんで、何頭も持ち込まれた結果なんでしょうね。


シカの方は、ツシマジカといって対馬にしかいない固有亜種だそうで、1966年に県の天然記念物に指定されて保護された結果、島には天敵がいないため爆発的に増えてしまって、重大な獣害が発生。


1981年には有害鳥獣として捕獲が再開されて、2006年には天然記念物の指定も解除。
実害があるからとはいえ、人間ってワガママ勝手ですよね。


とはいうものの、令和になってから日本各地でクマの人的被害がニュースになっています。イノシシ、シカによる農作物への被害も相当なものがあるようです。とくに対馬にはツシマヤマネコだとか希少な固有種に対する生態系への影響が心配されている現状なんだそうです。


生物多様性は重要ですが、数が増え過ぎると何かしらの対処をしないといけない。生態系への影響、食料生産への影響、そして人命への影響を考えると、「猪鹿追詰」じゃないにしても、駆除っていうのはいろいろ止むを得ないんでしょうね。当事者でなければ分からないことも多そうです。


さて、いよいよ「ろくべえさん」です。


農林水産省の「うちの郷土料理 ろくべえ/六兵衛 長崎県」を見てみますと、

「島原地域と対馬地域に江戸時代から伝わる郷土料理」とあります。


同じ長崎県だとはいえ、有明海に面した島原と玄界灘の対馬って、どう考えても直接の交流が自然にあるようには思えない地理的関係にありますよね。
100年フードにピックアップされているのは「対⾺ろくべえ」で、島原の名前は付いていません。


100年フードに島原の名前があるのは「島原⼿延そうめん」で「ろくべえ」じゃないです。なんで対馬だけをピックアップしたんでしょ?


ん~。「うちの郷土料理」はさらに言います。


「調理方法に多少の違いはあるが、どちらの地域でもさつまいもから作った粉をこねてうどん状にして、つゆに入れた料理である」


さつまいもで作ったうどん。旨そうではありますね。
なんでさつまいもからうどんを作ったのか。「うちの郷土料理」はこう説明しています。


「島原地域では1792年、眉山(まゆやま)が火山性地震で崩壊したことで、大量の土砂が有明海に流れ込み津波が発生した。それは広く沿岸部を襲い、一帯の農地を荒らし、飢饉を招いた。付近の民衆はやせた土地でも育つさつまいもを主食にして飢えをしのいだ。料理の由来は、深江村(現在の南島原市深江町)の六兵衛という人が保存食用のさつまいもの粉末とつなぎとして山芋を合わせてうどん状にした料理を考案し、多くの人々を喜ばせた。これが島原における「六兵衛」のはじまりだといわれている」


なるほど、つなぎに山芋を使っているんですね。そしてろくべえさんは実在したってことです。
でも島原です、対馬じゃない。


「うちの郷土料理」はこう続けます。


「対馬では、ろくべえの原料としてさつまいもを発酵させて作る保存食「せん」を用いる。さつまいもは島民を飢えから救ったことから「孝行いも」(こうこいも)と呼ばれている」


これじゃあ島原のろくべえが対馬に渡った経緯は分かりませんですね。


眉山の崩壊による被害が九州北部を超えて対馬まで及んでいるとも思えません。
かなり離れた地域の島原と対馬にどういう関連があるんでしょうか。そもそも結果として名前と材料は同じでも関連性のないものなんでしょうか。


島原では「六兵衛」って漢字表記するのが普通なのに対して、対馬では「ろくべえ」ってひらがなで書くのが普通。さらには対馬の「ろくべえ」はその昔「せん汁」って呼ばれていたらしいんですね。保存食の「せん」の汁だってことで分かりやすい名前です。


各々のレシピを見てみますと、ちょっと違っている部分もあるんですね。


島原ではそもそもサツマイモのことを六兵衛って呼んでいるみたいなんですが、その六兵衛の粉と重曹を混ぜ合わせて、しっかり練る。
練りあがったら1センチぐらいの厚さの生地に引き伸ばして、うどん状に切る。
それを茹でて、出汁と具材はお好みで、っていうのが「島原六兵衛」

 

 

 


一方「対馬ろくべえ」は、「せん」から作るってことなんですが、「せん」っていうのは「デンプン」のことみたいです。


そのデンプン団子「せんだんご」がとんでもなく手間暇がかかるんですね。


サツマイモを生のまま砕いて、1ヶ月水に浸しておく。


水から出して袋にくるんで発酵させる。


柔らかくなったサツマイモを団子にして、黒カビが付くまで数カ月発酵させる。


黒カビの付いた団子を水にさらして灰汁をとりながら熟成させていく。


熟成した団子を濾してデンプン質を沈殿させる。


沈殿したデンプン質を小さな団子にして乾燥させる。


この乾燥した団子が「せんだんご」ってことで、「千」の手間暇がかかるからのネーミングなんだそうです。


で、水で柔らかく戻して生地に練り上げます。生地を「ろくべえせぎ」っていう専用の押し出し道具で沸騰したお湯の中へ、にゅるるんっと落としこむのが「対馬ろくべえ」


つまりつなぎを使っていない特性麺ってことになりますね。


なんかね、両方とも食べたことはないんですが、かなり違う感じのする「六兵衛」と「ろくべえ」です。


「ろくべえせぎ」っていう名前の道具があるぐらいですから、相当前から対馬でも「ろくべえ」って呼ばれていたってことなんでしょうね。

 

 ろくべえせぎ

島原の人が対馬へ旅して「せんだんご」を食べたら「お、これは六兵衛に似た味だ。島原では麺にして食べてるよ」ってなことから「六兵衛」の話になって、飢えを救った「六兵衛」に感動して「せんだんご」を麺にした。やがて「ろくべえせぎ」も作られて現在に至る。みたいなことなんでしょうかね。知らんけど。


東京からだと羽田から福岡空港まで2時間ぐらい。
福岡空港から対馬空港までは30分だそう。
福岡空港から島原まではレンタカーで3時間弱。


そんなに遠くはないんですけど、なかなか行く機会が、って感じです。
ろくべえさあ~ん! 立派な人の名前でした。

 

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< 100年フード >
【文化庁 100年フード】2021年から文化庁がやり始めた100年続く食文化を認定、PRする制度
【文化庁 100年フード】その2 東北にある「もちの聖地」
【文化庁 100年フード】その3 秋田県 【こさかまちかつらーめん】
【文化庁 100年フード】その4 山形県【冷たい肉そば】
【文化庁 100年フード】その5 埼玉県【ゼリーフライ】
【文化庁 100年フード】その6 東京都【武蔵野地域のうどん⽂化】
【文化庁 100年フード】その7 神奈川県【サンマーメン】
【文化庁 100年フード】その8 山梨県【上野原せいだ芋の⾷⽂化】
【文化庁 100年フード】その9 長野県【ひだみの⾷⽂化〜ひだみ餅、ひだみコーヒーゼリー、ひだみ餡⼊りパイ〜】
【文化庁 100年フード】その10 三重県【海の七草粥】
【文化庁 100年フード】その11 京都府【松花堂弁当】
【文化庁 100年フード】その12 奈良県【飛鳥鍋】
【文化庁 100年フード】その13 広島県【いんおこ】
【文化庁 100年フード】その14 福岡県【福岡柳川/⾙柱粕漬・海茸粕漬】

【文化庁 100年フード】その16 鹿児島県【ぷちむっちゃー】

 

【文化庁 100年フード】その14 福岡県【福岡柳川/⾙柱粕漬・海茸粕漬】

< 有明海の恵みをピックアップしたっていうことなんでしょうけど 粕漬なんですね >

文化庁の「100年フード」に選ばれている食文化、品目の名前を見て、なにそれ? っていう、どんなものなのか予想もつかないのを選んで、いろいろ突っ込んでみようっていう「100年フード」からの第14弾です。

 

12ある福岡県100年フードの、①伝統〜江⼾時代から続く郷⼟の料理〜に選ばれているのが「福岡柳川/⾙柱粕漬・海茸粕漬」です。


この江戸時代から続く郷土の料理に「うなぎのせいろ蒸し」は入っていますが、「柳川鍋」は入っていませんです。
現在進行形の文化庁100年フードの選定みたいですから、この先入ってくるのかもですけど、どうもね、他の地域もそうですけど、どことなくポイントがズレているように感じてしまう発表の仕方です。


さて柳川なんですが「うなぎ」「どじょう」が食べたいとか、「川下り」を楽しみたいとか、そういう期待感とは別に、個人的に特別な好印象を持っているのであります。柳川の歴史が好きなんですね。


現在の柳川市は、ほぼ全域が筑紫平野に属していて、市全体がすごく平坦な土地。ま、昔から変わらないんでしょうけど。


その、障害物のない土地に水路を巡らせて飲料水や農業に利用する工夫っていうのは、なんと弥生時代から始まって今に至るまで連綿と続いているんだそうです。


筑後川水系の矢部川、沖端川から取水して市街をゆったり流れて最終的には有明海にそそいでいる、縦横に巡らされているんでしょうけど。柳川の水路。
有明海にそそいでいるっていうのもイイですよね。明け方の空にのこっている月が「有明」
美しい名前です。


その有明海に面した水の都、柳川。


日本の三大水郷は茨城県の「潮来」、滋賀県の「近江八幡」そしてこの福岡県の「柳川」とされています。


街なかに水の流れがあることは、人を穏やかにする、なんてことはないでしょうか。根拠ないですけどそういうイメージがあります。
2000年以上前から続いている水との付き合い方が柳川の風土そのものをつくり上げているのかもしれません。柳川を訪れる人にも、なんとなくそういう風土の恩恵がある、みたいな。

 

 

 


食からちょっと離れますが、歴史の話です。


古墳時代に九州北部で勢力を張っていたのが「筑紫氏」だったので、この地域は「筑紫」って呼ばれていた。


飛鳥時代に律令制が敷かれると都に近い筑紫北部を「筑前」南部を「筑後」っていうようになって、柳川は筑後に含まれるっていうことになりました。


戦国時代に九州北部に覇を唱えていたのは「九州三国志」の一角をなす大友氏。その臣下であった「蒲池治久(かまちはるひさ)(生没年不詳)」が1501~1504ごろに柳川城を築きます。現在の柳川の原型が出来たっていうことになるかと思います。


1578年、豊後国の大友宗麟と薩摩国の島津義久が争った耳川の戦い。九州三国志の争いです。


この戦いで蒲池治久から4代目、3代目柳川城主の「蒲池鎮漣(しげなみ)(1547~1581)」は、大友側を裏切って大友勢の大敗をまねきます。


大友宗麟の領内では混乱に拍車がかかって離反する武将たちが相次ぎ、大友氏の勢力は衰退していきます。戦国時代あるあるですね。中央では織田信長が勢力を一気に拡大している頃です。
蒲池鎮漣は九州三国志の一角である龍造寺隆信を頼りますが、策にはまって討ち取られてしまいます。ウラギリモノは長続きしませんですね。


1581年、主のいなくなった柳川城に入ったのは龍造寺隆信の義弟、鍋島直茂。佐賀藩の藩祖ですね。


1582年、本能寺の変。


柳川では1584年に龍造寺家の家晴が城主となります。
戦国の世は移り変わりが激しいです。


1587年には豊臣秀吉が九州平定をして九州三国志の終焉となります。


そして柳川城に入ったのが秀吉から「その忠義、鎮西一 その剛勇、また鎮西一」と絶賛されていた勇将「立花宗茂(1567~1643)」です。


立花宗茂は大友氏の一族。戦国武将ファンには知られた人物ですよね。
実際に着用していた甲冑から推測される身長は175~180センチ。平均身長が160センチとされるこの時代、かなりの高身長ですね。
さらに胴具足の胴回りもかなり大ぶりだそうですから、悪目立ちするほど大柄な人だったみたいです。


こうした身体を活かした剛勇はかなりのものだったことは想像に難くありません。


でもですね、立花宗茂の凄さはそうした体力的なことだけじゃなくって、情報の収集力と判断力、それに基づいて戦術を練り上げて、素早く味方の部隊に伝えて行動させる指導力があった人だったろうと思われます。まさしく文武両道の人。人気の理由がこの辺りにあるんでしょうね。


九州平定での活躍ぶりを秀吉に認められて、大友氏の家臣から、豊臣大名、柳川城主として独立した立花宗茂なんですが、軍功の華々しさもさることながら、清廉潔白な人柄で家臣たちからとても慕われていたそうです。


筑後国柳川13万2000石、一国一城の主となった立花宗茂はさっそく柳川城の整備に力を注ぐとともに、掘割の機能を利用できるように城下町を建設しました。


戦国時代の剛勇ではあるんですが、強兵っていう狭い観点じゃなくって、国自体を強くするっていう行動ですね。家臣たちばかりじゃなくって住民からの人気も高かったようです。

 

 

 


立花宗茂が柳川入りしてから12年が過ぎて、1600年、関ヶ原の戦いが起こります。


立花宗茂の武勇を知る徳川家康は莫大な褒章を約束して東軍に誘ったそうですが、豊臣秀吉に恩義を感じていた立花宗茂は敢然として西軍に味方するんですね。


柳川から関が原に向かった立花宗茂軍は関が原とは琵琶湖を挟んで反対側の大津城で、突然東軍に寝返った京極高次と闘うことになります。
立花宗茂が大津城を攻略したとき、すでに遅し。関ヶ原の戦いは1日もかからずに終わってしまっていたんですね。


やむなく柳川城に引き返した立花宗茂は、当初、籠城して闘うことを選択したそうですが、家臣たちばかりか多くの住民たちまでもが城を枕に討ち死にする覚悟を示したことから、命を無駄にする無常を感じて浪人の道を選んだんですね。
処分的には改易除封となりました。


柳川城を取り囲んだ東軍の大名たちも、立花宗茂の人となりを惜しんで無茶な戦いは仕掛けなかったようです。


わずかな家臣を引き連れて柳川を離れ、京都、江戸などで浪人生活を送ることになるんですが、剛勇は剛勇を知るっていうことなんでしょう、救いの手を差し伸べる男が現れます。


「西の立花宗茂、東の本多忠勝」と並び称された徳川四天王の筆頭ともいえる「本多忠勝(1548~1610)」です。


本多忠勝は生涯で57回の合戦に臨んで一度もかすり傷1つ負わなかったっていうツワモノ。
立花宗茂とは違って本多忠勝は160センチと標準的な体格の男だったそうです。


立花宗茂の武勇だけじゃなく、才覚を知っていた本多忠勝は家康に働きかけて、御書院番頭っていう5000石で親衛隊長のような役職に据えて徳川家に召し抱えたんですね。


そういう立場でも才覚を現した立花宗茂はさらに1万石を加増されて1606年、福島県の棚倉藩に大名として復帰が許されます。


周りの誰もが立花宗茂の人物を評価していたっていうことなんでしょうね。敵方の猛将が浪人から大名として復帰するんですからとんでもないことです。

関ヶ原の戦いの後、大名に復帰できた西軍の武将は立花宗茂を含めて全部で11人いるそうです。


戦国時代の敵味方は時間とともに入れ替わって、複雑な人間関係があったんだろうと思われます。


さて、住民たちと涙の別れを告げて立花宗茂が去ってしまった柳川城に新たな城主として入って来たのは「田中吉政(1548~1609)」っていう三河の岡崎城主だった男です。


東軍として関が原に参戦して、なんと逃走中の石田三成を捕らえるっていう戦功をあげて、その褒賞で筑後一国32万石を与えられて、柳川城を本拠としたんですね。1601年のことです。


名君として親しまれた立花宗茂を追い出して入って来た格好になるわけで、かなり居心地が悪かったんじゃないでしょうかね。


しかしですね、この田中吉政っていう人物がまた傑物だったんですね。


今現在の柳川の用水路網を水運と呼べるレベルにしたのはこの田中吉政だとされています。


新田開発も積極的に進めて、この水運を利用した柳川の稲作は大きく発展しました。
さらには水路だけじゃなくって、自らの名前を冠した田中街道を整備するなど陸路の拡張、有明海の干拓など、一気に名君ぶりを発揮しています。

 

 

 


名君に次ぐ名君。柳川。


なんだか柳川っていう街の風土が人物を育て上げているんじゃないかっていう気さえしてきます。


その新しい柳川城主、田中吉政が1609年に亡くなって、家督をついだ田中忠政も柳川の整備に力を尽くしたそうですが、1620年、36歳の若さで死去。跡継ぎがいなかったのでお家断絶、改易となってしまうんですね。


1621年、新しい柳川城主となったのは、なんと棚倉藩主を務めていた立花宗茂。江戸時代唯一の返り咲き大名です。


10万9千石、柳川城主、立花宗茂。20年ぶりの復活。住民たちは立花宗茂を忘れてはいませんでした。
その後明治時代まで柳川城主は立花家が務めています。


江戸時代後期になると柳川の水路で、うなぎ、どじょうの育成が始まったらしいです。
まあ、それも立花宗茂、田中吉政の水路整備があったればこそ、ですよね。


蒲焼にしたうなぎを錦糸卵と一緒に、タレをまぶしたご飯の上に乗せて、せいろで蒸しあげる、っていうのが柳川の郷土料理「うなぎのせいろ蒸し」


もう1つ。柳川といえば柳川鍋。
どじょうの食べ方にも種類があって、
生きたどじょうを酒につけて酔わせ、そのまま割り下を入れた鉄鍋で煮込んで食べるのが「丸鍋」


頭をとったどじょうを背開きにして骨を取り除いて、身だけを煮込んで食べるのが「ぬき鍋」


ぬき鍋と同様のどじょうをササガキゴボウと一緒に割り下で煮込んで、最後に溶き卵で閉じるのが「柳川鍋」


今現在のうなぎは鹿児島などの他県からの仕入れ、どじょうもいろんな地域からの仕入だそうで、柳川産じゃないみたいなんですけどね。


ま、世の中の流れとして仕方のないことなのかもですけど、うなぎやどじょうを柳川の水路に戻そうっていう活動が実績をあげつつあるっていうことなので、純柳川産のせいろ蒸し、柳川鍋が復活する日も近いのかもしれません。


で、100年フードの「⾙柱粕漬」「海茸粕漬」もまた、しだいに有明海のものではなくなってきているっていうことなのであります。


「⾙柱粕漬」に使われている貝はタイラギやホタテ。
「海茸(うみたけ)粕漬」は海茸っていう二枚貝の水管部分の粕漬。
酒のアテとしてよさそうですよね。

 

山下鹿造商店

地元でがんばっておられる方々のご苦労っていうのは相当なものだと思いますが、勝手ながらホンモノの柳川の食の復活を願っております。


柳川ね、いつか、ゆったり、のんびり歩いてみたい街です。
ちなみに柳川には「川下り」だけじゃなくって「川上り」をやってくれている会社もあるんだそうです。
平坦な掘割だから可能なんでしょうけど、そういうユーモアセンスもイっすよねえ。

 

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< 100年フード >
【文化庁 100年フード】2021年から文化庁がやり始めた100年続く食文化を認定、PRする制度
【文化庁 100年フード】その2 東北にある「もちの聖地」
【文化庁 100年フード】その3 秋田県 【こさかまちかつらーめん】
【文化庁 100年フード】その4 山形県【冷たい肉そば】
【文化庁 100年フード】その5 埼玉県【ゼリーフライ】
【文化庁 100年フード】その6 東京都【武蔵野地域のうどん⽂化】
【文化庁 100年フード】その7 神奈川県【サンマーメン】
【文化庁 100年フード】その8 山梨県【上野原せいだ芋の⾷⽂化】
【文化庁 100年フード】その9 長野県【ひだみの⾷⽂化〜ひだみ餅、ひだみコーヒーゼリー、ひだみ餡⼊りパイ〜】
【文化庁 100年フード】その10 三重県【海の七草粥】
【文化庁 100年フード】その11 京都府【松花堂弁当】
【文化庁 100年フード】その12 奈良県【飛鳥鍋】
【文化庁 100年フード】その13 広島県【いんおこ】

【文化庁 100年フード】その15 長崎県【対⾺ろくべえ】

【文化庁 100年フード】その16 鹿児島県【ぷちむっちゃー】

 

【文化庁 100年フード】その13 広島県【いんおこ】

< その昔「げきおこぷんぷんまる」っていうの ありましたけどねえ 陰気に怒ってるの? >

文化庁の「100年フード」に選ばれている食文化、品目の名前を見て、なにそれ? っていう、どんなものなのか予想もつかないのを選んで、いろいろ突っ込んでみようっていう「100年フード」からの第13弾です。

 

9つ選ばれている広島県100年フードの、③未来〜⽬指せ、100年! に選ばれているのが「いんおこ」です。


いんおこ?
いろいろ想像してみても、いったい何なのかさっぱり分かりませんね。100年フードなんですから食べものではあるはずなんですが、そういうニュアンスさえ感じられない名前です。


女子中高生の流行り言葉なの?


って思ったら、あっさり解結。
「いんおこ」っていうのは「因島(いんのしま)」の「お好み焼き」のことお~。


うどんを使ったお好み焼きで、因島のソウルフードだそうです。


なあんだ、そういうことか。っていう結果だったわけなんですけど、この因島、一度だけ通ったことがあるですねえ。ホントにサラ~っと通り過ぎただけ。
そうです、あの有名な「しまなみ海道」を車で走ったことがあるのであります。


広島県の尾道市から瀬戸内海へ飛び出して、尾道市の向島(むかいしま)、続いて尾道市の因島(いんのしま)、続いて尾道市の生口島(いくちじま)、続いて今治市の大三島(おおみしま)、続いて今治市の伯方島(はかたじま)、「伯方の塩」っていうのはこの伯方島の塩田を復活させたいっていう思いを込めたネーミングなんだそうですね。そして続いて今治市の大島(おおしま)、の6つの島を通って今治市に到達するのがしまなみ海道。


天気が良い日に通りますと(とか言っても、1回しか通ってませんけどね)、まさに海の上を直接滑っているかのような錯覚に陥ってしまう、非日常体験を味わえます。これは間違いないです。


尾道から向島までは徒歩でも自転車でも渡し舟を利用するのが一般的らしいですけど、向島から今治市まではしまなみ海道の両側に自転車道・歩行者道が整備されていますから車以外でもチャレンジできます。


地図で見ますと短いように見えるかもしれないしまなみ海道ですが、全長80キロメートルほどあります。歩いて踏破するとなるとしっかりした計画を立てないと難しいでしょうね。6つの島々には宿泊施設もあるようです。


因島はそんなしまなみ海道の広島側の島なんですね。因島は広島県。


お好み焼きっていえば広島県も有名ですよね。


って、こういう話題になると思い出すのが、生ビール好きでカープファンで、必ずどこかに赤い色のものを身につけている元気印の隣り町のゆかりオバチャンです。広島出身なんだそうです。
広島のどこの出身なのかは聞いていませんが、お好み焼きについて一家言を持っている人なんであります。


「東京へ来たらさ、み~んな広島風お好み焼きって言うよねえ。フ~って。フ~ってなによ。広島のお好み焼きなんだから広島お好み焼きでイイじゃないの。なんでフ~なのよ。大阪のお好み焼きを大阪フ~なんて言わないでしょ。広島だけ差別すんなッ! 広島焼きなんじゃ!」


まあだいたいこんなようなことを熱く語るのが定番。誰彼かまわず噛みつくんです。


でもこれ、ちょっと調べてみますと「広島風」っていう表現の凄さが見えてきます。


いわゆる「粉モン文化」として知られているのは確かに大阪を中心とした地域ですが、この地域のお好み焼きは「混ぜ焼き」っていわれる、粉を水で溶いた中に具材をいれてかき混ぜてから焼くスタイルですね。


関東の人間からしてみますと、まさにそれがお好み焼きの定番ってことになると思うんですが、この「混ぜ焼き」のお好み焼きを「関西風」っていうんだそうです。


これに対して広島のお好み焼きは、薄い生地に具材を重ねてかさねて焼いていく「重ね焼き」あるいは「乗せ焼き」っていう独自のスタイルなので、「関西風」に対して「広島風」っていわれるようになったんだそうです。


つまりですね、関西っていう広域に対して、広島は広島だけで対応しているからこそ「広島風」ってことなわけです。


そういう話になりますと、ゆかりオバチャンはなんだか曖昧にされたような気持になったみたいで、ムカッとしているんですけど、むしろ胸を張ってイイ「広島風」なんでありますよ。


でもですねえ、個人的にはあんまり食べないです。食べつけていない。お好み焼き。
お好み焼きパーティとか、やったことないですし、周りにお好み焼き屋さんも多くない感じ。


Googleさんによりますと「人口10万人当たりのお好み焼き屋さんの店舗数ランキング」っていうデータがありまして、これがけっこう意外なものに感じられます。


断トツのトップは広島県で「41.48軒」
第2位が徳島県で「17.65軒」


あれ? 大阪じゃないです。
第3位は愛媛県で「16.92軒」


四国勢が強いんですね。四国のお好み焼きは関西風が多いんだそうです。


第4位になってやっと関西風の地元、兵庫県が「16.20軒」でランクインしています。


本家本元だろうって勝手に思い込んでいた大阪府は「14.15軒」で第7位にランクイン。
人口10万人当たりのお好み焼き屋さんの店舗数は広島県が断トツでしたが、店舗数そのものであれば、こっちは大阪府が2000軒以上で断トツ1位。ま、面目躍如ってところでしょうか。


ちなみに東京都の人口10万人当たりのお好み焼き屋さんの店舗数は2軒から3軒ってことで、比較にならないですね。


もんじゃ焼き屋さんの店舗数は「1.36軒」
東京はもんじゃ焼きでしょ、っていう声もありますが、お店の数としてはお好み焼き屋さんの方が多いんですね。とはいっても、両方やっている店舗が多いような気もします。
でもまあ「粉モン文化」じゃないってことですね。


お店の数は広島だとして、実食の方はどうなのか。


月に1回以上お好み焼きを食べる人の割合は、広島県、兵庫県、徳島県が50%でトップ。大阪府、愛媛県、岡山県が45%で続いているようです。
広島県のお好み焼き、凄いんじゃないでしょうか。


そしてそして「はてなブログ」ねこのミーさんの記事にこんなのを見つけました。
「広島県民は1週間に1.5枚以上食べる? 自宅キッチンで焼く、究極のキャベツの「蒸し」が秘訣」

 

※ ※ ※ ※ ※
1. 広島県民の驚くべき「お好み焼き摂取統計」
その昔、NHKのニュースで興味深いアンケート結果が報じられていました。
東京の人:1年に0.5枚
大阪の人:1ヶ月に1枚
広島の人:1週間に1.5枚
※ ※ ※ ※ ※


どっひゃあああ! 東京人の身体の成分には、お好み焼きがほとんど入っていないのに対して、広島県民の身体はかなりのパーセンテージがお好み焼きで占められている! って感じでしょか。エライ違いでっせ。


広島県っていうラスボスが存在していたことを知って、お好み焼きに対する認識を改めないといけませんですね。


で、そんな広島県のお好み焼き事情の中で、因島、「いんおこ」っていうのは、またひと味違ったポジションを占めているってことなんでしょうか。なんで特別に「いんおこ」なんていうネーミングになったんでしょ?


そしたらですね、さすが「お好み焼き県」の広島。県内にいろんなお好み焼きがあって、それぞれにネーミングがあるんでした。


牛、豚のひき肉を使った府中市の「備後府中焼き」


名物の細うどんを使って、生地を2つ折りにした半円形の呉市の「呉焼き」


地元の米を使った庄原市の「庄原焼き」はソースじゃなくってポン酢で食べるんだそうです。


砂肝とイカ天を使った尾道市の「尾道焼き」


生地に酒粕だとか日本酒が練り込まれているっていう竹原市の「純米吟醸たけはら焼き」


鶏モツを使った三原市の「三原焼き」


唐辛子を練り込んだ中華麺を使った三次(みよし)市の「三次唐麺焼」


たまご、納豆、山芋を使った熊野町の「ふわふわ納豆焼」


そして、うどんを使った因島の「いんおこ」

ってことなんでありました。

 

 

 

もっとほかの土地にもユニークなお好み焼きがあるのかもしれませんね。


100年フードはこれからも追加データがあるんだろうって思いますけど、こんなにある中で、なんで「いんおこ」だけがピックアップされているのか。
広島は広島で「広島風」の粉モン文化を全体としてアピールした方が好くないですかねえ。文化庁さん。

 

ま、大きなお世話、ですけどねえ。

 

< 100年フード >
【文化庁 100年フード】2021年から文化庁がやり始めた100年続く食文化を認定、PRする制度
【文化庁 100年フード】その2 東北にある「もちの聖地」
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