< 人生の夕焼けどき それを老境って言うんでしょうかね なんだかしみじみするです >
太宰治の「晩年」っていう短編集をご存じでしょうか。
ああ、あれね。昔、夢中になって読んだ、っていう人も少なくないと思います。
昭和、平成、令和と時代は進んでも、常に若い世代に支持され続けている太宰作品ですが、「晩年」は太宰の初の作品集で1936年、昭和11年の発行。
作品集の中に「晩年」っていうタイトルの小説はありませんが、「道化の華」「猿面冠者」など全部で15の短編が入っています。
「晩年」っていいながら太宰自身が23歳から24歳ごろに書いた作品を収めたものらしいんですね。
「晩年」っていうのは、人の一生の終わりの時期のこと。それを23、4の青年が作品集のタイトルにする。そしてその作品集を、やっぱり若い世代が読んで共感する。支持続けられている。
晩年をタイトルにした感覚。太宰治を経験してきた人だったら、なんとなく分かるんじゃないでしょうかね。
自分の一生っていうものについて、初めて真剣に考えるっていいますか、人が経験することのひと通りは見てきたんじゃないかっていう気分になるような、そういう時期が「太宰治期」なのかもしれません。
「晩年」は発行されてからの5年間で1500部しか売れなかったみたいですけど、令和現在の文庫本も合わせれば堂々たるミリオンセラー。「斜陽」「人間失格」だとかのベストセラーが出てからの再評価ってことなんでしょうね。
大嫌い! っていう人だってもちろんいますが、太宰治は押しも押されもせぬ人気作家。「晩年」も読まれ続けています。
もちろん人がいつ生を終えるかっていうのは、人それぞれバラバラです。23、4でリアルに「晩年」っていうことだってあり得るんですけどね。

ところで「晩年」と似たようなニュアンスを感じる言葉に「老境」っていうのがあります。
焼酎バーでよく顔を合わせるコバちゃんっていうオッサンが最近よく口にするようになったんです。
赤ら顔に出来上がって、持参のタオルでツルッとした頭ごと顔を撫でまわして言います。
「いやあ、こうして好きな酒呑んでね、旨いなあっていうアテ食べてね、なんかとりとめのないバカ話して笑ってね、一日を終えるって、自分はシアワセだなあって思うんですよ。老境の感覚なんでしょうけどねえ。老境って気持ちイイなって思うんです。あれ? それともただのバカヤローなんでしょうか」
一応、ロレツは回っていますけれども、女将さんからもう帰りなさいって促される合図になっている「老境」っていう言葉です。
60代半ばの気のイイおっさんなんです、コバちゃん。
そんなにしょっちゅう聞くわけじゃないですけど「老境」っていう言葉と、コバちゃんのシアワセそうな酔っぱらい顔は、なんかね、人生、捨てたもんじゃないっていう気にさせてくれます。そういう呑み仲間。
「老境」を調べてみますと、
「単に年齢を重ねた状態の老年ではなく、老いを受け入れた上での達観した精神状態や、人生の落ち着いた味わいを含めて表現されることが多い言葉」
だそうです。
英語表現ですと「old years」っていうよりは「twilight years」って感じですかね。
肯定的な達観ともいえそうです。
これまで生きてきて、望んでいたような人生じゃなかったかもしれないけど、成功者とはいえないかもだけど、いっちょまえに酔っぱらったりなんかして、あはは、なんて屈託なく笑えたりする相手がいるんだから、悪くなかったな、自分は充分にシアワセなんだよなって思える一日の終わり。
気が付いてみれば自分の人生も残り少なくなっていて、もうじき消えていく。ま、それも悪くはないさ。
コバちゃんだけじゃなくって、わたし自身も全くその通りって思うのであります。
毎年国連が発表しているデータの1つに「世界幸福度ランキング」っていうのがありますよね。
2026年のランキングも発表されていますが、日本は147ヵ国中61位。G7の中では最低です。日本の順位はいつも低いんですよね。
フィンランドが9年連続世界1位。アイスランド、デンマークが続いていて、幸福度はいつも北欧諸国がトップクラスを独占しています。
この「世界幸福度ランキング」は2012年から国連の関係機関が、3月20日の「国際幸福デー」に発表し始めたんですよね。最初のころは面白がっていましたが、国力が下落傾向とはいえ日本がなんでこんなに幸福度が低いって判断されているのかなあって、だんだん不思議に思うようになってきました。
幸福度のランキングは6つのパラメータによって判断されているんです。
・社会的な支え:44位
・1人あたりのGDP:28位
・健康寿命:2位
・人生の選択の自由:85位
・寛容さ:122位
・腐敗の少なさ:29位
この結果から見えてくることは、日本は「人生の選択の自由」と「寛容さ」が著しく低いってことですね。
このうち「寛容さ」については、「過去1カ月間に慈善団体へ寄付をしましたか?」っていう質問があるそうなので、寄付文化とは縁遠い日本が低評価なのは分かる気がします。生活習慣的に不利。
文化基準の世界標準なんて、まあ、かなり難しい問題ですね。
もう1つの「人生の選択の自由」っていう項目。これ、自由がないのが日本社会、っていう気がしないでもない。
最近はフリータとして生活している人も多いじゃないかっていう意見もあろうかと思いますが、フリーターという働き方はその人たちが必ずしも自ら望んだものじゃないっていうのが現実だと思います。
日本のウェルビーイング学会が公表した「日本版ワールドハピネスレポート2026」によりますと、日本は「経済成長と幸福度/ウェルビーイングが一致しない国」なんだそうです。
「年収や学歴、家庭環境以上に、人生の幸福度を左右する要素は《自己決定感(自分で人生の選択をしている感覚)》である」とも言っています。
もっともらしく聞こえますが、そもそも幸福度って、正しい幸福っていうものがあって、そこに到達するためにこうしましょうなんていうんだとすれば、なんかナンセンスに思えます。
ましてや国単位の幸福度っていうんじゃ、その国で暮している個人はオイテケボリになっているんじゃないでしょうか。
個々人がその時点でシアワセかどうかなんて判断の難しいものでしょうし、あしたも同じようにシアワセなままかどうかなんて、誰にも保証できませんよね。さらにいえば、個人の感じるシアワセ感自体、安定したものじゃなくって、年代によって変化するんじゃないでしょうかね。
自分のエネルギーが充満していうちは、大きく変化するもののような気がします。
今、自分はフシアワセだって感じている人もいるにはいるんでしょうけど、それはシアワセに向かって頑張る意思があるってことなのかもしれません。若ければまだ時間的な余裕もあるでしょうしね。安定したシアワセは望むべくもない。
こうして考えてみますと、コバちゃんの「いやあ、こうして好きな酒呑んでね、旨いなあっていうアテ食べてね、なんかとりとめのないバカ話して笑ってね、一日を終えるって、自分はシアワセだなあって思うんですよ。老境の感覚なんでしょうけどねえ。老境って気持ちイイなって思うんです」っていうシアワセ感。とってもヨサゲに思えてきます。
自分のダメさ加減も受け入れて、自分自身を否定はしない。それが自分だから。バカヤローでもイイんです。
老境の感覚に目覚めるには、全部ひっくるめて、自分自身を受け入れる度量が必要なんでしょうね。
自分の老いをシアワセに受け入れる。
コバちゃん、意外とジンブツなのかもですねえ。
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