ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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酒呑みの食いしん坊、メタボはイヤだけどガマンは嫌い。

【ページビュー】はてなブログ 日本ブログ村 グーグルアナリティクス グラフで比較確認

<PV数の数値 なんとな~くだけど それぞれ違うよねえ なんとな~くねえ>

そもそも頭の構造が “なんとな~く” に出来上がっていますもんで、何を見るにつけやるにつけ、なんとな~くな日々なんでありますが、【稼げるブログ】でも考えてみました「PV数」について深掘りしてみようと思います。


っていうのはですね、今さらながらに気が付いたでありますよ。
それぞれ、使っている単語からして違うじゃんねえ、ってこと。


SNSっていうのは特に何もやっていませんで、「はてなブログ」のみです。
「日本ブログ村」と「グーグルアナリティクス」をブログの拡張機能みたいな意識で利用させていただいております。ブログを始めて4か月が過ぎたところです。
「グーグルアドセンス」っていうのにも参加させていただいておりますが、さっぱりです。人気ないですねえ。


アクセス数が集まらないと収益なんか望めませんよ、ってことなのでアクセス数を気にし始めましたです。PV数ってやつですね。


で、遅まきながら、ふと気が付いた。
はてなブログ」での表記は「アクセス数」
「日本ブログ村」での表記は「PVポイント」
「グーグルアナリティクス」での表記は「PV数」
だったのでありますよ。


カッコつけて言えば「アクセス数」も「PVポイント」も “脳内変換” で「PV数」という認識だったんですね。


でも改めて見てみればキッチリ違うじゃんねえ。


だからって違う性質の数値なの? とは思うわけです。違ってもらっちゃ困る、ような気がします。
違うといってもどれくらい違うのか、一瞥で比較するために折れ線グラフにしてみました。

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折れ線グラフにするにあたって、その値を変更したのは「日本ブログ村のPVポイント」です。
10分の1にしました。


というのはですね、日本ブログ村を利用している人はご存じかと思いますが、「日本ブログ村のPVポイント」はそもそも10倍した数値であろうと思われるからです。


というのは日本ブログ村ではランキングに参加するに際して、
「参加するカテゴリー・サブカテゴリーは最大3つまで選択できます。参加カテゴリーの合計は100%にしてください」
というルールがあるんですね。


ここに数値を10倍にしているんだろうと思う根拠があります。


最大3つのカテゴリに参加して、そのそれぞれのカテゴリで「PVポイント」に基づいてランキングされる仕組みです。
「参加カテゴリーの合計は100%にしてください」
というのは、ポイントの分配パーセンテージです。


日本ブログ村の「PVポイント」は、参加しているブログに所定の「ブログパーツ」を設置することによって、当該ブログページがウェブ上で表示されれば計測される仕組みです。


おそらくですが、1表示されるごとに1ポイントということになるんだろうと思われますが、それを参加している、最大3つのカテゴリに分配することになるわけで、小数点分配では “少し寂しい” ので10倍にしているのではないかと。
10倍しておけば「ポイント」として整数値で表現できますからね。


なので「はてなブログのアクセス数」と「グーグルアナリティクスのPV数」との比較をするにあたって、10分の1にすれば近似値になるのでは、という加工です。


さらには、日本ブログ村の断り書きとして
ブログパーツが表示されなければポイントが発生しない場合がある」
ということがあります。


でもこれは、当ブログの場合ですが、折れ線グラフからも判るように、総じて「はてなブログ」より「日本ブログ村」のポイントの方が高い値になっています。
カウントされない可能性がありますよ、と断っているサービスのカウントの方が上回っているわけで、不思議な現象ではあります。


PV数の定義は一般的に、
「ウェブサイト内の特定のページが開かれた回数」
であり、その「ページが開かれた」判断というのは、
「ブラウザにHTML文書が1ページ表示されたら1PVとカウントする」
ということになると思います。


1ユーザー1ぺーじでも、1ユーザー複数ページでも、とにかくHTML文書1ページが表示されれば1PV。


HTTP、HTTPSという通信プロトコルの中で、1通信の終了信号を当該サーバが「送信」した時点か、「受信」した時点で「HTML文書1ページ表示完了」という判断だと思います。


例えば当ブログの例でいうと、はてなブログのサーバにHTML文書が格納されているわけで、通信終了、つまりはてなサーバが通信を終了した時点で1PVカウントされるんだと思います。


日本ブログ村の場合は、当該ブログに設置されたブログパーツを読者ブラウザのJavascriptが読み込んで、日本ブログ村のサーバに信号送信して1PVカウントということになるんじゃないかと思います。
読者がJavascriptをオフにしていれば、ページ表示されてもカウントされないってこと。


ま、正式に、そういう文言で発表されているわけではありませんので、推測するだけなんですけれどね。


で、グーグルアナリティクスの場合は、ビッグデータ解析なのではないか、と思っているんですが、これはさすがに公表されたりする種類のものではないでしょうね。キギョウヒミツ、の類、ですね。


推測です。あくまでも思っているだけ。


で、折れ線グラフに戻ってみますと、たった6日間のデータなんですが「はてなのアクセス数」と「ブログ村のポイント数」に日ごとの高低差が見られます。
ここも不思議に思うところです。


日によってカウント数が他のサービスに対して多かったり少なかったりする。
安定して多いとか、少ないとか、一定していないんですね。


実際の「HTML文書1ページ表示完了」という事実は1つなのであって、カウント方法が違っているにしても、その方法が一定であれば、折れ線グラフの線が交錯するはずがありませんよね。同じ数値幅をもって平衡推移するはずです。


ところが、実際のデータは交錯しているんですね。


さらにこの不思議さを増す方向の要素もあります。


はてなのアクセス数」は自分自身のアクセスを含まない数とされています。それに対して「ブログ村のポイント数」は自分自身のアクセスもカウントされる仕組みだということになります。


所定のブログパーツが表示されたという信号を受け取りさえすれば、読者のアクセスだろうが運営者のアクセスだろうが、カウントする。


記事を新規登録したり、更新したり、あるいは確認したりでブログ運営者は自分のブログにアクセスするわけですから、「ブログ村のポイント数」の方が常に上回っていることが推測されます。
が、実際には「はてなのアクセス数」を下回っている日が、6日のうち2日。同値が1日あります。


ブログデータを保持しているサーバ構成が何台でどうなっているのか分かりませんし、アクセスしてくる側のサーバは何処をどう巡ってくるのか想定も出来ません。


こうしたデータ解析が直に当該サーバの情報を参考にして行われているのか、DNS的な機能の別サーバで情報を集約しているのか、分かりません。


「グーグルアナリティクスのPV数」はDNS的情報集約を利用していないと即応性も出せないようにも思えます。


総じて「グーグルアナリティクスのPV数」の数値が高いのは、自分のアクセスは含まない設定をしてはいるのですが、含まれているのかもしれません。


さらには、「グーグルアナリティクスのPV数」にはブログの表紙ページに対するアクセス数も含まれているんだけれども、「はてなのアクセス数」には含まれていないという可能性もあります。


疑問が解けたわけではありませんが、こうしてグラフにしてみることで客観性を出せたかなとは思います。


要はですね、こんな低い数値でああだこうだ言ってみてもしょうがないってことなんですけれどね。
っていうか、こういう低い値だからこそ、ああでもないこうでもないと考える、ってことなんでしょうね。


ここで気にしている数値の差なんて、しっかりアクセスを集めているブログからすれば「誤差」ってなもんでしょうからね。


いちばん高い値の「グーグルアナリティクスのPV数」でみても、1日のPV数が100を超えた日が1日しかなくって、しかもそれがこれまでの最高値。


これじゃあね、10倍足りんワッ! ってとこでしょうねえ。


はてなブログ」をやってるんだから「はてなブログのアクセス数」が精確なPV数なのかなあ、とも思うんですが、収益化を考えた場合、PV数、アクセス数というのは、あくまでも収益化のベースなのであって、その数値がそのまま収益ではありませんので、数値の違いに踏み込んでみても意味はないってことですよね。


分かってはいるつもりなんですけれどねえ。


少しずつPV数も上がって来てはいるんですがねえ。まだまだなんですねえ。


ま、切り替えて、先、行きます。


ランキングはランキングとして、ペッポコながら楽しめる要素ではありますしね。
なんだかねえ。コロナもなかなか下火にならないしねえ。


なんとな~く、いろいろ、遠いなあ。。。

 

【祝 大関復帰 照ノ富士関!】大相撲だけじゃない 塩のチカラの使い方

<そういえば 大関貴景勝は ちょこっとしか撒きませんね ホントにちょこっと>

大相撲に詳しいわけではないんですが、照ノ富士関の活躍、大関復帰は心振るわされるものがありますね。


ずいぶん前からモンゴルパワーが席巻している感じの大相撲ですが、コロナ禍の中で様々工夫しながら場所をこなしている関係者のみなさんの気配り心配りには頭が下がります。


裸のぶつかり合いを無事に15日間送れるって、並大抵の努力じゃないでしょうからね。
そんなしんどい中での取り組みで、圧倒的な感動をもたらしてくれたのがモンゴル、ウランバートル出身の「ガントルガ・ガンエルデネ」照ノ富士関ですね。


なかなか凄い経歴の持ち主で、モンゴルの中学校では、国内の数学オリンピックに出場して「金メダル1回、銀メダル1回、銅メダル2回」という成績を収めているんだそうです。
相撲の取り口とかさっぱり分かりませんが、やっぱり数学的な計算が取り組みに役立っているんでしょうかね。


2011年5月に初土俵を踏んでからの突破力も凄いです。


7月場所に序の口、9月場所序二段、11月場所三段目、翌2012年1月場所に幕下に昇進です。とんとん拍子。


幕下以下は「力士養成員」と呼ばれるんだそうで、いわゆる「関取」と呼ばれるお相撲さんは十両以上。
さすがの照ノ富士関も一気にとはいかず、2013年の9月場所に十両に昇進しています。でもまあ、プロの壁も突破して、モンゴルの数学チャンピオンが日本に来てお相撲さんになったわけです。


このころからケガや病気もあったようですが、2014年3月場所で幕内昇進。


1年後の2015年3月場所に関脇。そして7月場所大関昇進です。早いんです。


本割では横綱にもたびたび勝っていて、もっとも横綱に近い大関かと思われていましたが、ケガが悪化、病気の回復も思わしくなく、大関としての連敗記録を作ってしまうなどして、2017年11月場所関脇陥落。


そして平幕でもなかなか勝つこと叶わず、2018年3月場所に十両陥落。7月場所幕下。11月場所三段目。2019年3月場所には序二段にまで陥落してしまったんですね。陥ちるスピードも早い。酷な仕事ですよね。


なぜこの人は、こうまでして相撲を取り続けるのか。両ひざがダメになってしまっていて、陥落し続けている段階では、回復する可能性など無さそうに思えました。


スポーツ、格闘技にケガは付き物とはいえ、そういう自分を受け入れる度量。
大関まで張った人が「力士養成員」まで陥ちて、さらに負け続けて序二段。すぐ下は序の口です。入門して新弟子検査に合格したばかりの人たちがすぐ背中にいる状態です。
凄い精神力だなあと思っていました。トップアスリートならではの自負もあったんでしょうね。


ま、復帰後のインタビューで辞めようと思ったことはある、と言っていましたが、自分の中にやる気がなくなってしまっても自暴自棄にならず、相撲を取り続ける。
世の中への対応能力。照ノ富士関なりのミーニング・オブ・ライフ。
この数学チャンピオンにはどんな計算があったというんでしょうか。凄い人です。


ケガの治療、病気の療養も功をなしつつあって、2019年5月場所で三段目に再昇進します。


ネットで照ノ富士情報を追っていた私としては、かなり明確に興奮を覚えたことを記憶しています。


ああ、この人だったら、また上位に来るんじゃないか。そう感じたんですね。1年以上陥ち続けて、それでも耐えて戦い続けた男。「ガントルガ・ガンエルデネ」


ネットニュースに写真は無くて、文字情報だけの三段目再昇進。
でも、ニュースにはなったんでした。注目している人は少なからず居たんだと思います。相撲記者たちの中にも。


そしてまた快進撃が続きます。元大関の快進撃です。でも、全勝しないところがこの人らしい、のかもしれません。あれっ? って負けちゃう。相手だってプロですからね。


2019年7月場所幕下再昇進。2020年1月場所十両再昇進。7月場所幕内再昇進。11月場所小結昇進。返り三役なわけですが、返りったって、どっから返ってきたんだってことですよね。


そして2021年1月場所関脇再昇進。で、今度の2021年5月場所、大関復帰です。凄いです。大相撲史上初の快挙です。


思わず照ノ富士関の話に力が入ってしましましたが今回は「塩」の話です。

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お相撲さんは土俵の上で塩を撒きます。ちょろっと撒く関取とドバーっと撒く関取と、いろいろです。


照ノ富士関は、ま、普通な感じでしょうかね。


撒き方に決まりは無いそうなんですが、数年前の新聞に、時の横綱稀勢の里関の塩巻き写真が掲載されたことがあります。その右手の中心からキレイな同心円を描いて散っていく塩。美しいシンメトリー。


久々の日本人横綱として人気のあった稀勢の里関でしたが、あの同心円の見事さも実に日本人的、だったのかもしれません。


取組前に塩を撒いて真剣勝負の場である土俵を清める。そのための儀式なんですね。自分の身体、痛めている箇所へ塩を振りかける関取もいます。


ちなみに、大相撲で撒かれる塩は、東京、両国国技館で開かれる1月場所、5月場所、9月場所では愛媛県松山市、瀬戸内海に浮かぶ「伯方島」で作られている「伯方の塩」なんだそうです。伯方塩業株式会社。
3月の大阪場所、7月の名古屋場所、11月の九州場所で撒かれているのは味の素の「瀬戸のほんじお」
こちらは岡山県玉野市で作られているとのことですが、いずれも瀬戸内海由来の塩なんですねえ。


両方とも「あら塩」ってやつらしいです。


清めの塩って日本人には違和感のない風習ですよね。葬儀の後なんかにも塩で清めますよね。


塩で清めるのって他にもありますね、割と身近に。


お相撲さんの撒く意味と、割合近いかもしれないのが「塩花(しおばな)」ってやつですね。
穢れたと思ったときや、縁起直しのためにパッパッと撒く。
時代劇なんかにはよく出てきます。


嫌な客がようやく出て行った後なんかに、


「ああ、やだやだ。虫唾が走るよ。早いトコ塩撒いておくれ!」


ってやってますよね。あれが塩花。ドドーっとは撒きませんが、験直しってやつですね。


で、塩花にはもう一つ意味がありまして辞書を引きますと
「料理屋などの入り口に、山形に置く塩。盛り塩」
とあります。ほほう。これもまた馴染のものではありますね。

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料理屋とか店舗だけじゃなくって、自宅の玄関に塩花、盛り塩している人も居ますもんね。


小皿に円錐型、あるいは三角錐型に塩を盛っておいてあります。あれ、なんなんでしょ。


調べてみますと、盛り塩の風習は「奈良・平安」の時代からあった、と記述しているのが多かったんですが、よく分かっていないみたいです。
いくらなんでも「奈良・平安から」じゃ、時期特定になっていないですよね。時間が長すぎます。


まあ、それはそれとして、その由来です。


これには大きく2つの説があるんだそうです。日本由来と中国由来。


なんだかね、古くからある風習って何でも中国由来な気もしますが、まずは日本由来説から。


葬儀の際の塩でのお清め。神棚に供える盛り塩。
このことから塩には清浄効果があって、生命力の更新という意味を感じて盛り塩の習慣ができたのではないか、というものです。日本では。


って、説明になってないじゃん。


神棚に供えるのって、最初から盛り塩やん! なんで盛り塩するんですかって質問に、盛り塩するからって答えてるみたいなもんやん! って思います。よく分からない。


続いて中国説です。


中国説にはストーリーがあるんですが、そのストーリーが2つあります。


秦の始皇帝が起源というもの。もう一つが西晋の初代皇帝の司馬炎が起源というもの。
でも話は似ています。というかたぶん同じ話。


始皇帝阿房宮に三千人の美女を、司馬炎は自分の後宮に1万人の美女を囲いました。
まあ、デヘヘって話になりそうではありますが、江戸の大奥もしかりで、そこに入る女性は、言ってみれば地方豪族の外交官的役割もあったわけで、皇帝の寵愛を得られるかどうかは地元の生き死にをかけた争いでもあったわけですね。
仲間にイジワルするのが仕事、みたいな部分もあるってことですねえ。


知恵を絞って皇帝が寝所に訪れることを待ちます。ただ待っているわけじゃないんですねこれが。


皇帝の方としても、なにせ美女の数が多すぎるもんですから、選べない。選ぶのに時間をかけていれば朝になってしまう。


で、始皇帝は牛に乗って、司馬炎は羊に乗って、美女たちの部屋が建ち並ぶ廊下を行進する。で、牛、羊が停まった部屋で一夜を過ごす。とまあ、こういう仕組みを考え出したんだそうです。ご苦労様なことです。


で、始皇帝の牛。司馬炎の羊が足を停める部屋が決まってきた。


美女の中にも頭のいい人がいたもんで、自分の部屋の前に塩を置いておく。司馬炎の話では竹の葉に塩を盛っておいたらしいんです。
そこまでやって来ると、牛にせよ、羊にせよ、塩を舐める。羊なんかは竹の葉も食べる。
で、自然に足が停まって、皇帝のオナ~リ~、ってことになって、将を射んとせば塩を盛れ、ってわけで、盛り塩の風習が始まったという説。


この由来にあやかっているのが「お客さん酔ってらっしゃい」っていう意味の店舗の盛り塩ですね。


始皇帝司馬炎を比べてみますと、どうも始皇帝の方が分が悪いようでして、司馬炎に軍配が上がりそうです。


司馬炎の盛り塩説には、その賢い作戦を考えた女の人の名前が残っているんですね。


胡芳(こほう)というその人は、美しく、度胸もあり、頭脳明晰だったということらしいです。
商売繁盛ササ持って来い! のルーツにはなりそうな話ですが、これもなんだか眉唾ですよね。


アイディアは確かに感心させられますが、誰にでもできる簡単な方法ですから、独り勝ちがいつまでも続くわけがないですよね。みんなにあっさり真似されます。


しかもですね、これだと客を招くという縁起を担ぐ説明にはなりそうですが、盛り塩のあの形。円錐型や三角錐型にする必要は無さそうに思えます。


それに、自宅の玄関に盛り塩しているのって、千客万来じゃなくって、外に対して結界を張っている気がするんですけれどねエ。
外の世界の穢れを家の中に持ち込まない。盛り塩による結界。


なんかねえ、盛り塩。塩の神秘性とか、今のところ納得できる説明って無さそうなのでした。


塩。身体にとって、なくてはならないもの、だけれども摂り過ぎは毒。


空気、外気に対する効能というのも実際にありそうな気もします。コロナも追い払って欲しいところですねえ。


照ノ富士関はすぐに横綱になりそうですよね。
豪快に塩撒きして、邪気もコロナもぶっ飛ばしてください~。

 

【旅するマヨネーズ】キューピー 寿司 エビ との出会い そんでもってピザにも乗ってる

<エビマヨとエビチリって日本発祥って言われていますけれど ホントですか?>

マヨネーズが好きです。エビも好き。近所の町中華にあるエビマヨ、ンまいです。大好物。
酒のアテ。イイですねえ。


カウンター席から作っているところが見えて、なんか白い液体を入れましたね。


「なに、それ?」
「……。コンデンスミルク」


へっへっへ。こりゃ、ンまいわけでございます。身体に良くはないかもですが、ンまいです。エビマヨ。


そのエビマヨも、もうひとつ、エビ繋がりのエビチリも中華料理にカテゴライズされているのが普通だと思いますが、元々中国にあった料理ではないそうですね。
意外に多い日本発の中華料理です、という説があります。エビマヨとエビチリ。


エビマヨは日本で中華料理店を営んでいた「周富徳」さんが、独自に開発したものとされています。


でもこれ、いろいろ調べていってみますと、ちっとばかり違うみたいです。純粋に日本発とは言えないのではないかという記述がけっこう見つかるんですね。


周富徳さんがロスエンジェルスの中華料理店で食べたエビ料理。それがマヨネーズを使ったものだったそうです。
ってことはもともとアメリカにはマヨネーズエビ料理があったってことですよね。アメリカのエビマヨ。


でもまあ、ロスエンジェルスのエビマヨは周富徳さんの口には合わなかったそうで、日本に帰って来て、いろいろ工夫を重ねて作り上げたのが現在のエビマヨ。エビのマヨネーズ和えです。


周富徳さんのアレンジってことになりそうですね。
なので、純粋な意味としては日本発じゃないですよ。


コンデンスミルクやケチャップをいれたソースにからめたものが、現在のエビマヨで、その辺が周富徳さんの工夫ということなんでしょうけれど、町中華のメニューでも、その店ごとのソースになってますよね。
料理人はそれぞれ工夫するもんです。


アメリカのエビマヨって食べたことないですが、たぶん、今の日本のエビマヨより辛いんでしょうね。っていうか日本のエビマヨって、甘いです。身体に悪そうなほど甘い。だからンまい! です。


エビチリについても、なんだか似たようなもので純粋に日本発とは言えない感じです。


こちらは人気の中華料理人「陳健一」さんが、ご自身の父である「陳健民」さんが創作したとハッキリ証言しているので間違いないところなんですが、よく調べてみると、どうもこちらも中華料理の「干焼蝦仁(カンシャオシャーレン)」を日本人好みにちっと甘くした、ってことみたいですね。


今では普通にどこの町中華にもありますね、エビチリ。エビマヨより広まっているかもしれません。


日本人は甘いのが好みってこと、なんでしょうか。にしても、日本発っていいながら、工夫して作っているのは中国文化、だったりしていますね。


マヨネーズの話なんですが、エビチリ、エビのチリソース煮にマヨネーズは入っていません。はい。


でもまあ、かけたかったらかけていいですよ、エビチリにマヨネーズ。好きずきです。


20世紀末ごろでしたね「マヨラー」っていうのが取りざたされたのは。
私もマヨネーズ好きを自任していますが、マヨラーほどではありませんですね。


直接マヨネーズのチューブから吸うって人もいたようですが、どこ行っちゃったんでしょうか。ここ最近では見かけなくなりました。


マイマヨとか言って、マヨネーズを持ち歩いている人もいました。

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一度だけ遭遇したことがあります。


都内の町中華。マシマシとかのシステムのない普通のラーメン屋さんです。


カウンターの隣りに席を占めて居られました、その丸っこい体系の中年男は、出されたタンメンにマイマヨをどどーっとどんぶり一面に回しかけたんであります。マヨネーズイエロー一色。タンメンの野菜、見えません。


正直、ギョっとしました。


店のオヤジも思いっきり眉根を寄せて嫌がっておりましたね。


そりゃそうです。タンメンの味、スープの味、店の味とか、なあんもなくなってしまいますからね。マヨネーメンです。カロリー、相当高そうです。


いや、まあ、他人の好き嫌いをどうこう言うつもりはありませんですが、店にまで持って来なくてイイんじゃないかと、デッカイちゅうぶのマヨネーズ。そう思いました。
人気の調味料なんですけどね、マヨネーズ。


マヨネーズ消費量世界一はロシアだそうですが、ロシアではまだマヨラーは生き残っているんでしょうか。っていうか、そもそもマヨラーって日本独特なんでしょうけれどね。


マヨネーズのそもそもの発祥は、卵とオリーブ油で作られた「スペイン料理のソース」なんだそうです。


スペインの地中海側にあるメノルカ島、マオンで使われていたソース。サルサ・デ・マオン。
それが18世紀、1756年、メノルカ島の海戦という悲劇的な出会いによってフランスに伝えられて、広まり、19世紀中頃にはマヨネーセ、マヨネーズという名前で定着したということです。


サルサ・デ・マオンからマヨネーセ、マヨネーズ。ん~。そですか。


異説としては、同じスペイン、地中海のバレアレス諸島の1つ、マヨルカ島がマヨネーズの語源とするものがありますね。


マヨルカという名前の方がマヨネーズに近いのかも、です。ネイチャーの発音、知りませんけれど。


マップで確認してみますと、メノルカ島もマヨルカ島も同じバレアレス諸島で、メノルカ島が小島、マヨルカ島が大島。隣り合った島です。
どっちの島がマヨネーズの発祥地、ということではなく、両方の島で作られていたのかもしれませんね。


ちなみにメノルカ島には「ロブスターの煮込み」という名物料理があるそうなんですが、ロブマヨ、にはなっていないみたいです。


19世紀以降、世界中に広まっていったマヨネーズですが、日本人にとってもっとも馴染みの深いのが「キユーピーマヨネーズ」ですよね。


1925年、大正14年の3月9日に日本で初めてマヨネーズを発売したのが「キユーピー
発売は9日なんですが、日本で1番目ってことで、3月1日は「マヨネーズの日」なんですねえ。


キユーピー」の「ユ」は大文字です。そんなに気にすることもないかもしれませんが、冷蔵庫に入っているマヨネーズを確かめてみてください。「ユ」大文字です。


さて、マヨネーズです。マヨネーズ本体。


マヨネーズがキューピーと出会ったのは、どうやらアメリカなのではないかと思われます。


キユーピー創業者の中島董一郎(とういちろう)さんは、1912年、大正1年に当時の農商務省の海外実業実習生に応募して欧米に派遣されています。


一方、キューピーは1909年、明治42年アメリカのイラストレーター、ローズ・オニールさんが、雑誌「コスモポリタン」にイラストで発表しています。
あの愛らしい姿のキューピーは、古き良きアメリカ。女性イラストレーターの成果だったんですね。


コスモポリタンは今でも世界中で人気のファッション雑誌で、100か国以上で出版されています。


そして誰にも馴染のある、あのキューピー人形は1913年の3月に誕生しているそうです。


中島董一郎さんの実業実習スケジュールがどうであったかは調べられませんでしたが、ほぼピッタリのタイミングだと思います。
食品関連の実習であったと思われますが、アメリカに行ってコスモポリタンに触れないわけはないでしょうし、人気のあったキャラクターが人形として3次元になったわけですから、大々的に宣伝されてもいただろうと思われます。


日本人実業家にとって、栄養満点の国アメリカを象徴するキューピー人形。


中島董一郎さんは1916年、大正5年に帰国。翌々年の1918年、大正7年に缶詰販売を始めて、1919年、大正8年には食品工業会社に拡大。そして1925年、大正14年のマヨネーズ発売となります。


で、キューピーです。キャラクターとしてのキューピー。社名もキユーピーにしちゃった。
キューピーキャラクターありきのマヨネーズ。


食糧事情の良くなかった当時の日本にとって、物質文明を代表する大国であったアメリカを体現するキャラクターとしてのキューピー。そして卵黄を使用した栄養満点のマヨネーズ。
キャラクター選択として、中島董一郎さんにしてみればそれ以外なかったのかもしれません。


表装のビニール袋、斜めの赤い格子柄は、洋食屋さんのテーブルクロスのイメージなんだそうです。

どうぞめしあがれ、というテーブルクロスが背景だったんですねえ。


ふとしたことから出会ったマヨネーズとキューピーは、今では何の違和感もなく自然に同居していますね。

その後時は流れて、アメリカで日本食ブームの先駆けとなった「カリフォルニア・ロール」が人気なります。ここでも寿司職人として日本人が関わっているんですが、マヨネーズは寿司にも出会ってしまったんですねえ。1963年ごろのことらしいです。


アメリカ人に馴染のなかった寿司。健康ブームにのって、あっと言う間にアメリカ中に広まっていって、今ではマヨネーズを使うことは珍しくなっているらしいです。


おそらく同じころ、日本国内でマヨネーズはエビと出会っているんだと思います。エビだけじゃなくってコンデンスミルクともね。


エビマヨは、ちょっと形を変えながらピザの具にもなっていますしね。


万能なんです。マヨネーズ。


キユーピーハーフ、だとかカロリーを減らす工夫をしてきた歴史のマヨネーズです。どんな料理にも合いますし、変わらないンまさを提供してくれていますが、くれぐれも直接吸うようなことはしてはいけません。
栄養満点過ぎます。


育ち盛りの子供を持つお母さんがた。お気をつけなされよ!


キューピー人形は赤ちゃんのお友だちだと思いますが、マヨネーズを吸ったりすることのないように。


全く関係ありませんが、崎陽軒の焼売。表記は「シウマイ」です。「ウ」大文字。これが「ウ」まさのヒケツ?

 

【芋タコなんきん】令和の女の好むもの ジャニーズこんにゃく焼き芋焼酎?

<【きいろと紫】フラっと立ち寄り、サクっと飲み食い、ゴッツー美味いのに、メッチャ安い! 焼き芋の進化系>

変化しないものなど何もない、変わらないものは許さない、とでもいうような速すぎるほどの世の流れ。
たまに同級生と集えば「ああ、あった、あった」と今は消えてしまったものを思い出す。


でもですね、なんかね、いったん途切れたように思えて、いつのまにか復活している食べものってありますよね。


今回は「焼き芋」「さつまいも」の話です。


昭和の昔にはですね、屋台の物売りというのがたくさんありました。いろんな物を売りに来ました。


夏は金魚屋さん、風鈴屋さん、かき氷屋さん。


さすがに棒手振りという販売スタイルはほとんどありませんでしたが、リヤカーを引いて


「♪キンギョ~、え~、キンギョ~。出目金、黒金、メダカもあるよオ。ヨ~イ、キンギョ~」


職人の掛け声でしたね。啖呵売の雰囲気がありました。


「コオリイ~、さあ冷たいつめたい、出来立てのコウリ~」


出来立ての冷たさってのは、なかなかに分かりにくいんですが、おカネとどんぶりを手に子供たちが駆け寄ったものでした。冷蔵庫が普及していない頃ですね。


風鈴屋さんは、特に声を張り上げません。代わりに売り物の風鈴がチリンチリン、うるさいほどに音を立てます。そういう揺らし方をしていたんでしょうね。それに、街がそれ相応に静かだったのかもしれません。
風鈴屋さんは細長いリヤカーでしたね。


夏になると必ずやって来るのは、金魚売りとベンチャーズ、なんていうネタをずっとやっていた芸人さんも居ました。


季節は進んで、吹く風が冷たくなり始めますと、今度は石焼き芋の屋台がやって来ます。


蒸気で笛を鳴らしながら、


「イ~~シヤキイモ~。イシヤキ~」


というシンプルな声を張り上げるおじさんが来るかと思えば、


「イッシヤキの、ホッカホカの、アマ~イあまい十三里~。おいしいヤッキイモだよ~」


と、やたらに調子のイイおじさんも来ます。


こちらはですね、圧倒的に大人の女性が集まって来ていました。


「ほうら、焼き芋だよ。食べたいよねえ」

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などと腕に抱いた子供をダシにしているオカーサンたち。いっぱい居ました。


十三里という謎の言葉は、石焼き芋は「栗より」うまい。⇒ 「九里より」うまい。⇒ 「九里四里」うまい。
ってことで、九里と四里を足して十三里、というシャレなんだそうです。無理矢理です。
シャレになっているのかどうかは置いておきまして、とにかく焼き芋は、凄い人気でしたね。


お寺だとかの「落ち葉焚き」には、濡らした新聞紙にくるんださつま芋を火の中に放り込む人が必ず居ました。
焼き芋は甘い食べものの代表、日本の風物詩だったわけです。


でも、大阪万博の後ぐらいから、つまり1970年代の半ばあたりから、日本の豊かさは食生活全般にも広まって来て、リヤカー屋台の物売りという形態はすっかり見かけなくなりました。


いろんなファストフードに乗り換えてしまって、みんな焼き芋を忘れてしまったかのようでした。
ところが平成に入って少し経つと「ピ~ッ」という、あの笛とともに、軽トラの焼き芋屋さんが戻ってきました。


「イ~~シヤキイモ~。イシヤキ~」


「イッシヤキの、ホッカホカの、アマ~イあまい十三里。ヤッキイモだよ~」


の呼び声はテープで流していましたが、戻ってきたんですね。


まだデジタルが浸透していた時代ではなくって、軽トラの中からテレコのカセットテープ。
テレコっていうのは、カセットデッキ付きラジオ。あるいはラジオ付きカセットデッキ
それを助手席に置いて鳴らしていましたね。大音量。


台商売の仕組みとして、誰か取り仕切る人が居たんでしょうね。焼き芋の軽トラはずいぶんたくさん居ましたが、テープの声は数種類しかなかったように記憶しています。
それと、焼き芋売りのおじさんは、日本人が2割、外国のお兄さんが8割というような割合でした。


で、そういう外国のお兄さんたちはそれで、軽トラの石焼き芋商売で生活しているわけですから、夏でもやってました。季節、関係ないです。
炎天下で「♪ヤッキタテの、ホッカホカの」でした。


このころの日本は食べものの季節感とか、すっかり無くなっていましたね。


どんなものでも年がら年中、店先に並んでましたからね。石焼き芋でさえ季節ものではなくなりました。


でも、この夏の石焼き芋は長続きしませんでしたね。数年もしないうちに見かけなくなりました。
思うように利益を得られなかったのか、焼き芋売りのお兄さんたちが祖国に戻ってしまったのか、理由は知る由もありませんが、最近、焼き芋の軽トラ、見ないなあ。客観的にそう思っていました。


客観的というのは、あれです、個人的に屋台の焼き芋って買った記憶がないからです。
焼き芋をニコニコと買っているオネエサンたちを、ふううん、焼き芋かあ、と客観的に眺めていたからなんですね。見ているだけ。
キライなわけじゃないんですが、積極的に食べようとは思わないわけです。石焼き芋
石焼き芋って、男じゃなくって女の食べもの、なんじゃないでしょうかね。昔から。


江戸時代の言葉らしいですが、


「ちかごろ女の好むもの 芝居 コンニャク 芋 タコ なんきん」


というのがあるくらいですからね。たぶんずっと昔から、石焼き芋は女の食べもの。決定!


「芝居 浄瑠璃 芋 タコ なんきん」
「芝居 コンニャク 芋 栗 なんきん」


だとか、いくつかのバリエーションがあるようです。


ちなみに大阪の居酒屋さんで「芋タコなんきん」というメニューを食べたことがあります。
里芋とタコ、カボチャの煮物。普通にンまかったです。


それと藤山直美さんのドラマに「芋たこなんきん」というのがありました。NHKのテレビ小説。
関西方面には言葉としても残っているんでしょうかね。


大阪で食べた「芋タコなんきん」は里芋でしたが、江戸時代の「芋タコなんきん」がさつま芋だったか里芋だったかは意見の分かれるところらしいです。


「ちかごろ女の好むもの 芝居 コンニャク 芋 タコ なんきん」についてみてみますと、
芝居は歌舞伎で、今でいうイケメン、二枚目の人気は、そりゃあ昔から変わるわけもないですよね。


コンニャクとタコは、ん? と思ってしまうところ。
食感、歯ごたえが好まれたんだろうということらしいんですが、どうなんでしょう。令和の女性は、好きなんですかね、コンニャクとタコ。ま、嫌いではないのかもしれません。でもタコねえ?


で、芋となんきん。これはさつま芋とカボチャとしておきます。


すると、好まれる理由は「甘味」ってことになりそうです。


砂糖が今のように普及していなかったころですからね、甘味はいつの時代も女の好むもの、ってことなんじゃないでしょうか。
甘味処も、焼き芋の甘さも、今だって変わらず人気です。


石焼き芋の、外国のお兄さんたちが姿を見せなくなってしばらくしますと、なんと、スーパーやコンビニで売り始めましたよね。「石焼き芋」2015年ごろからでしょうかね。
「イッシヤキの、ホッカホカの」という呼び声こそありませんが、ほわほわした独特の香りが店内に充満しています。


けっこう売れていますよ。夏はやってない、と思うんですが、どうったかな? と、今でも見ているだけではありますが。


石焼き芋は、東日本の女性は「ホクホクの甘さ」が好みで、西日本の女性は「しっとりの甘さ」が好みなんだそうです。
どうでしょう? 納得できます? 人によるでしょっ! ってことだとは思いますです。はい。


第三次ブーム、といえるのかもしれない焼き芋人気ですが、2021年4月5日に大阪、南森町【芋スイーツ専門店「御芋屋 きいろと紫」】というお店がオープンしたそうです。

 

「きいろと紫」ってネーミング。


工夫して、もっかい工夫して、180度ひっくり返して大向こうをうならせるつもりが360度ひっくり返ってしまった、のかもしれませんが、そこがおしゃれやんか! ってことなんでしょうかね。


経営する「イートファクトリー」という会社は屋台居酒屋業態、ベトナム酒場業態などで海外を含んだ70以上の店舗を展開している若い会社で、


「大阪の良さを日本、海外の皆様に知って頂き、海外の良さを日本の皆様へ知って頂く」


ということを使命として、


「フラっと立ち寄り、サクっと飲み食い、ゴッツー美味いのに、メッチャ安い!」


というコンセプト。なんだそうです。


エエやんねえ。大阪。気軽に出かけられるように、早くなって欲しいですねえ。


「御芋屋 きいろと紫」では焼き芋だけではなく、


芋+4種の生クリーム+あんこの「いも生どら」
リンゴのジュレが爽やかな「やきいもモンブラン
芋プリン・クリームが2層になった「おいもプリン」
さつま芋とアイスのマリアージュを味わえる「おいもソフト」
だとかの「さつま芋スイーツ」

 

もラインナップ。


エエねえ。行きたいですねエ。食べたいですねえ。


社長さん、東京にも店舗あるみたいですが、大阪店舗限定なの、きいろと紫?
そんなんタコでっせえ。


食い倒れの街の意地を見せていただくことを、期待いたしますです。はい。


「やきいもモンブラン」って、要は「栗よりうまい十三里」なんでしょ?


男も食べますですよ、芋。

トトロです【とうめいな小トトロ】発売 興行成績だけでは見えてこないトトロ人気を考える

<いたずらっぽく笑っていて いつでも元気で楽しそうで 歩こう歩こう そんな気分にさせてくれるヤツ>

20年ほど前のことになりますが「トトロの楠」というのを間近に見たことがあります。
東京、神奈川の人にはお馴染みの私鉄、小田急線。


新宿駅から神奈川県の小田原駅まで行っている小田急小田原線で、西へ。多摩川を渡って丹沢山系に近づいて行きますと、1時間弱で鶴巻温泉という駅に着きます。


その名前の通り、温泉街です。小規模ながら歴史のある街で、「旅館陣屋」は将棋の名人戦や竜王戦、囲碁のタイトル戦の舞台として知られた老舗旅館です。

 

駅から5分ほどの距離で、玄関に着きますと「ドドーン」と陣太鼓で出迎えてくれる、雰囲気のある旅館です。
先代の女将さんに色々と話を伺う機会がありまして、対局室を見せていただいたり、1万坪に及ぶという庭園の説明を聞くことが出来ました。


その時に庭の大きな楠を指して、


「ここでね、宮崎駿がこの楠を見ながらね、となりのトトロの構想を練ったんですよ」


えっ! と思ってきょとんとしていると、


「アニメなんかご覧にならないかしら?」


と笑っておられたのを記憶していいます。


となりのトトロ。観ましたよオ。公開は1988年。ジブリスタジオが活動開始して、まだ間もない時期。
こうして西暦を記してみますと、ずいぶん経ったんだなあ、と感慨深い想いです。
作品としては「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」に続いて「火垂るの墓」と同時上映の作品ですね。


ナウシカ徳間書店の全7巻函入りセットも持っていたりするですねえ。

 

でも、トトロの制作裏話といいますか、そういうエピソードに詳しくはありませんでした。しかも樹の種類というのが判りません。名前と見た目が一致しない。


「はあ、クスノ、キ、ですねえ」

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とか、トンチンカンな空気感の応対だったと思います。失礼いたしました。世界的なクリエイターのイマジネーションには及ぶべくもないです。はい。


でも、その時の記憶はずっと大事に思って、残っています。


となりのトトロ」1988年公開。


日経平均株価が史上最高値の38,915円87銭を付けたのが1989年暮れのことです。「となりのトトロ」はその1年前、4月の公開。
日本全体が右肩上がりの景気に不必要にはしゃいでいたころですね。地上げにからんだろくでもないニュースも多かったです。


意外なのは「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」の興行成績がことごとくランキング上位に入っていないことです。


スタジオジブリの旗揚げもバブル景気が後押しした部分もあるんでしょうけれど、誰もが消費に糸目をつけない頃の人気映画だったはずですが、「となりのトトロ」は歴代興行収入のランキング50にも入っていません。
スタジオジブリ作品に絞っても、「となりのトトロ」は19位。


まあね、作品の良し悪しと、興行収入は直接結びつくものではないんでしょうけれどね。


今、その1988年の映画業界を振り返ってみますと、第43回毎日映画コンクールの日本映画大賞を「となりのトトロ」が受賞していますが、この頃は、
13日の金曜日 PART7 新しい恐怖」「エルム街の悪夢3 惨劇の館」「ダーティハリー 5」「ポリス・ストーリー2 九龍の眼」「ランボー3 怒りのアフガン」
だとかのシリーズ物が多かったんですね。


となりのトトロ」「火垂るの墓」以外にも印象深い作品も多くあります。


1999年の夏休み」「ぼくらの七日間戦争」「ドラえもん のび太のパラレル西遊記」「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
だとかね。日本映画も人気がありましたし、
「イングリッシュマン in ニューヨーク」「都会のアリス」「モモ」「グッドモーニング、 ベトナム」「ラストエンペラー
だとかも公開された年でした。


ちなみに1988年のアカデミー賞は「レインマン」で、日本アカデミー賞ブルーリボン賞は「敦煌」でした。


興行成績ではランク外の「となりのトトロ」ですが、令和の、今現在の人気、として統計をとってみたらどうでしょう。1位になるかどうかは分かりませんが、トップスリーからは外れないんじゃないでしょうか。


今でも街なかでトトロを見かけることは珍しくないです。
トトロって、ずっと、どこにでも、いっぱい居ます。ニーッって笑ってるトトロ。


1988年を振り返って見たわけですが、2021年3月下旬「どんぐり共和国」と「オンラインショップそらのうえ店」から、【とうめいな小トトロ】が発売されました。

 

「とうめいな」ってところがミソでしょうか。小トトロ、15cm。


<みずいろ>、<きみどり>、<むらさき>の3色で、3つとも「透け感 たっぷり」なんだそうです。


改めて言うまでもないことなんですが、トトロって3人っていうか、3匹出てきますよね。
いちばん大きいのが「大トトロ」読みは「おおととろ」らしいですよ。知ってました? けっこう「だいととろ」って言っている人い、いますけどね。「おおととろ」なんだそうです。でも確証はないっす。


毛は灰色。ぬいぐるみでよく見ますけれど、ちゃんと灰色ですね。胸に模様がありますね。
森の大楠に住んでいる動物。お化けとか妖精とかじゃなくって、動物なんだそうですよ。トトロ。


陣屋さんの庭の楠もそこそこ大きかったですが、身長2mの大トトロが寝ていそうなほどではなかったです。
太いし、大トトロ。


原作の初期設定では年齢1302歳。ええ~っ! やっぱし、もう動物とかじゃないですよね。
で、モデルのモデルみたいなコンセプトとしては「ミミズク」らしくてですね、初期設定段階での名前は「ミミンズク」
ん~。やっぱしあれですね、大トトロで正解だと思います。


ミミンズクじゃ、ぬいぐるみ、人気ないかもですね。


で、もう1人、というかもう1匹「中トトロ」こちらは「ちゅうととろ」毛は青色。
初期設定での名前は「ズク」だそうで、年齢は679歳。


この名前も「ミミズク」から来ているんでしょうね。身長は明確ではありませんが、小トトロよりちょっとだけ大きい感じでしたよね。にしても、けっこうなオトシでいらっしゃる。


で、「とうめいな小トトロ」の「小トトロ」の読みは「しょうととろ」


最初にメイちゃんと出会ったトトロです。毛は白くて、半透明。姿を消すことができる、という設定。


でも確か、トトロは一部の子供にしか見えないはずでした。その子供からも姿を消すことが出来るってことなんでしょうかね。


オカリナ吹いてましたね。


初期設定での名前は「ミン」で、年齢は109歳。


ふううん。小トトロ、100歳超え。ま、1302歳からすればまだまだ子供なんでしょうけれどねえ。
ま、あれです。透け感、消え感のある小トトロ。カ~イイです。


1302歳も人気ですけどね。


あの大御所、黒澤明監督の「黒澤明が選んだ100本の映画」に「となりのトトロ」がアニメとしては唯一入っています。ネコバスが好きだったみたいですね。


映画「トイ・ストーリー3」には、大トトロが出てきてますし、トトロは興行成績とは反比例の人気キャラクターだということですよね。


キャラクターの可愛さだけじゃなくって、映画そのものの魅力も大きいんだと思います。


舞台設定は埼玉県のトトロザワ、昭和30年代ごろの所沢市らしいですが、夜はシッカリ暗くって、お化けの伝説が残っていて、サツキの通っている小学校には「田植え休み」があったりします。


そういう時代が、確かに日本にもあったんですね。みんなが一所懸命に生きている。生活することが第一。食べるための労働が第一。子供だって労働力。でも決して重労働なんかさせないですよ。生きるために働くってこと。


電報や、呼び出し電話のエピソードもありました。


令和の世の中からすると、何とも不便、と感じる人も少なくないんでしょうけれど、デジタルのない生活って、悪くないです。ルネッサンスじゃないですけれども、アナログって復権してくる気配があったりしますもんね。


平成生まれの人たちに対しても、DNAなのか、日本人としての懐かしさを感じる映画なんじゃないでしょうか。


メイちゃんが病院のお母さんに届けようとしたトウモロコシ。日本で獲れたトウモロコシ。トトロザワのトウモロコシです。きっと旨いはずですね。


今ではノスタルジーでしかないんですが、そういうデジタルに急かされていなかった頃の、懐かしい日本を感じさせてくれる【とうめいな小トトロ】かもです。


そばに置いておけば、元気をくれる。歩こうって気にさせてくれるような、そんなヤツ。


トトロはいつだって元気いっぱいなはずですから。