ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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酒呑みの食いしん坊、メタボはイヤだけどガマンは嫌い。

【寒山拾得(かんざんじっとく)】で「森鷗外」は何を言おうとしたんでしょうか

李白杜甫が心酒を嘗めて 寒山が法粥を啜る さて きょうはどっちをいくべきか>

「夕涼み よくぞ男に 生まれけり」などの句で人気の宝井其角(たからいきかく)は松尾芭蕉の弟子の俳人ですが、1683年に初の句集「虚栗(みなしぐり)」を出しています。


その後書きに芭蕉が書いたのが「李白杜甫が心酒を嘗めて 寒山が法粥を啜る」


弟子の句の出来を評した言葉の一部ですが、最高級の褒め方ですね。其角という人も相当の才能です。
酒を愛して、呑んでは詩を吟じたとされる李白杜甫は、8世紀、唐の時代の詩人ですね。二人とも酒で死んだとされています。そう言われるほどの酒好きだったそうで、酒といえば李白杜甫なんですね。


ちなみに宝井其角という人は酒が弱かったらしいです。でも酔人の境地が分かっちゃう。


芭蕉の評価は、あくまでもその句が、中国の酒精詩人二人の域に達しているという意味で「李白杜甫が心酒を嘗めて」としたんだと思います。

 


其角は臨機応変の人で、面白い逸話が残っています。


宴席で一筆を求められた有名な書家が「この所 小便無用」と書きつけておおはしゃぎ。なんじゃそのセンスは空気を読めよっていうんで、座はどっちらけになってしまった時、居合わせた其角がすかさずその筆を取って「花の山」と続けて座を保ったという話です。


蕉門とされる俳人たちは其角に限らず、こうした臨機応変で、しかもウィットに富んだ応答ができたようで、こんな逸話もあります。


赤穂四十七士の1人、大高源吾も俳人として名高い人で、蕉門ではなかったようですが、其角と交流があって、討ち入りの直前に「すす竹売り」に身をやつしている時にばったり出会ってしまった。


其角が、
「年の瀬や 水の流れと人の身は」
と詠んだのに対して、


「あした待たるる その宝船」
と返すシーンが歌舞伎にあります。


こうした芝居に取り上げられるぐらいに、江戸の町で知られた人気者だったんでしょうね。


この後付けの逸話に妙なところで感心させられてしまうのは、松尾芭蕉、蕉門の俳人たちと、赤穂浪士たちが、同じ空気を吸って、江戸、東京の街を歩いていたんだなあってことだったりします。


有名な俳人たちにも、赤穂浪士たちにも、普通の生活があったんですよねえ。ふうむ。


さて「李白杜甫が心酒を嘗めて 寒山が法粥を啜る」に戻ります。


李白杜甫は有名人ですから、名前だけでも知っている人は少なくないと思いますが、寒山の方はどうでしょうか。


李白杜甫より少し前の時期になりますが、やっぱり唐の時代の人です。お坊さんですね。


森鷗外に「寒山拾得(かんざんじっとく)」という短編がありますが、この「寒山」がその人です。


では「拾得」とは何でしょう。
じつはこれも同時代のお坊さんの名前なんですね。


寒山拾得」を読むまでは全然知らない名前でしたが、2人ともに中国画の題材となっているレベルの高僧だそうですから、中国では有名なのかもしれません。
風狂」の人として知られています。2人が2人とも「風狂」の人。


その寒山の啜る「法粥」とはどんなものでしょう。
少し長い逸話が残されています。


寒山と拾得が中国画の題材として人気のキャラクターだということに間違いはないんですが、実はもう1人、寒山、拾得と並べられる風狂人が居るんですね。
豊干(ぶかん)禅師です。

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寒山と拾得については実在したかどうか疑問視されることもあって、禅師と呼ばれることも無いんですが、豊干という人は禅師と呼ばれるのが普通です。臨済宗の修行を積んだ高僧とされています。


ですが、この豊干という人も、虎にまたがってお堂の中を歩いたりという「風狂」な逸話が残っていたりして、やはり実在したかどうか判然としないみたいです。


森鷗外の取り上げた「寒山拾得」の逸話は、中国では語り伝えられてきたものなんだろうと思いますが、日本ではさして知られた話ではないと思います。
登場するのは、もちろん寒山、拾得、と豊干です。そしてもう1人、狂言回しのような役割を担う「閭丘胤(りょ きゅういん)」という役人が居ます。


4人ともが実在の人物ではない可能性もありますし、4人とも実在した可能性もあります。


寒山、拾得、豊干は風狂の人ですが、閭丘胤という役人さんは今でいう知事さんみたいな役職で、実務の人です。

 


閭丘胤が知事に昇給して都会へ旅立つ前、頭痛に悩んでいたところへ、みすぼらしい姿の豊干が現れて、碗に汲んだ水に閭丘胤の精神を集中させたかと思うや否や、その水を口に含んでプワーっと閭丘胤の顔に吹きかけます。


人の上に立つことを天命と意気に燃える閭丘胤はカッとなりますが、声を出す隙も与えず豊干は、


「頭痛や如何に」


歩けないほどに悩んでいた頭痛が嘘のように消えていたので、礼を授けようとすると、受け取らない。


自分はこれから知事として台州へ赴くんだけれど、と話をすると、豊干はその台州から来たという。


台州には誰か会っておくべき人物は居るかと尋ねると、天台山文殊菩薩寒山という男と、普賢菩薩の拾得という男が天台山に居ると言って、豊干は去っていった。


後日、台州へ赴任した閭丘胤は、周りにかしずかれ、下にも置かない扱いに満足しながら知事生活を謳歌していた一日、みすぼらしい豊干の言葉を思い出して天台山を訪れてみた。


寒山と拾得は、あっさり見つかった。2人は寺の台所の隅に並んで座っていた。豊干よりさらに汚れた姿をした小男たちだった。


それでも文殊菩薩普賢菩薩だという話を思い出して、丁寧に話しかけた。まずは自分の輝かしい役職から名乗り始めると、豊干がしゃべったんだなと、2人は大声で笑いながら山の方へ走って行ってしまった。


山の岩場まで追いかけていくと、「まあ頑張りなさい」という声を残して2人とも消えてしまった。


だいたいこんな話なんですが、拾得は豊干が山の中で拾ってきた捨て子だったそうで、それで名前が「拾得」


寺の炊事の洗い物が担当で、仕事は真面目にやるけれども、ワアワア大声で喚きながら堂内を歩き廻ったりするという奇行で知られた男で、寒山とだけは仲が良かった。


寒山は才を認められないことから世を捨てた詩人で、独り、山の中で暮らしていた男。隠棲人ですね。
仲の良い拾得を訪ねていくと、いつも食器を洗った際に出る残飯を寄せ集めて入れてある竹筒を渡してくれる。
その竹筒を持って山に戻る帰り道、季節の野草を摘んで竹筒に入れる。


そうして出来上がるのが寒山粥と呼ばれるもので「法粥」の正体です。禅宗の修行僧たちがガサツに食事をするはずもなく、そもそも精進料理を食べ残すなんてことは考えにくいことです。
つまり、せいぜいというか、ようやく「粥」と呼ぶしかないシロモノ、だということでしょう。


李白杜甫の贅沢とはいえないまでも享楽の酒に対して、人間の食べるものとしてこれ以下は無いとさえいえるような寒山の法粥ということですね。最上級から最下級まで。


森鷗外という文豪が「寒山拾得」で書きたかったのは、もしかするとですが、寒山や拾得ではなく、もちろん豊干でもなく、エピソードとしてはわき役の「閭丘胤」だったのかもしれません。


文豪であり、陸軍中将、高等官、さらに医学博士、文学博士であった森鴎外


女性問題で小倉に左遷された経験もありながら、様々な役職に就いて軍人としても役人としてもトップ階級であった人ですから、軍役を退く、行きつくところが見えてきた年齢になって、ふと頭に浮かんだ役人の虚しさを「閭丘胤」という人物に見て書いたのかもしれません。


役職に縁のない一般人には、なかなか理解できそうもない心境。閭丘胤という高級官僚が寒山拾得に取り残されてしまった時の感情は、同じような役職を経験していないと分からないことだと思います。


どっちが、より人間らしいといえるのか、という疑問。

 


森鷗外は「寒山拾得縁起」という「寒山拾得」を書くにあたってのエピソードも残しています。

 

その中で「寒山拾得」を書いたのは、寒山詩というものを知った鷗外の子供が、寒山について質問するので、それに応えるために書いた、というような理由を記しています。
この時の、鷗外を問い詰めた子供というのは、たぶん「森茉莉」だったろうと思います。


寒山拾得」を発表した1916年。長男の於菟は26歳ですから、父親に寒山についての質問をするとは思えません。長女の茉莉が13歳です。次男の不律は既に亡く、次女の杏奴は7歳。三男の類が5歳ですから、寒山詩に興味を示して、父、森鷗外寒山の物語をさせたのは、13歳の茉莉が最も可能性が高そうです。
にしても森家の子供たちの名前って、かなりユニークですよね。


さてさてきょうは、李白杜甫の酒の酔いの世界に遊ぶか、寒山拾得の人の世を悟りきった粗食に甘んじるか、まあ、どっちを選んだにしても、どちらの境地にも程遠いレベルでしか味わえませんけれどね。


はい、どっちにしても酒の話です。ん? 寒山と拾得は酒とか呑まない、でしょうかねえ。風狂ってなんなんでしょうかねえ。これも真似できませんよねえ、正体が分かりませんので。
森茉莉っていう人も風狂だったらしいですけれどねえ。


最後に、森鴎外の「寒山拾得」は青空文庫で読めますです。

 

【麻婆春雨】永谷園の【ぶらぶら社員】が作り出した日本発の中華料理

<ええ~っ! でも四川料理の螞蟻上樹っていうのがあんじゃん! の巻き>

1981年にインスタント食品として永谷園から発売されたのが「麻婆春雨」ですからね、日本発であることは間違いないとしても「中華風総菜の素」ってところが妥当な評価でしょう。中華料理って言ってイイのかどうか。


真似したとか、パクリじゃんとか、眉根を寄せるようなことじゃないと思いますね。
もう40年も経っている「日本発」の中華っぽい人気商品です。


永谷園って「お茶づけ海苔」「あさげ」「ゆうげ」「ひるげ」だけでも、ずっと前からどこの家の食卓にものぼっているインスタント食品メーカーとして定着していますよね。「松茸の味お吸いもの」もあります。

 


で、話はちょっとズレるんですが、永谷園といえばってことで、気になっていることが1つ。


20数年前。仕事の関係で日光街道国道4号線を車で走るということを定期的に繰り返していた時期がありました。2か月に1回ほどのペースでしたね。


埼玉県の越谷市辺りで、ある日気が付いた見覚えのあるカラーリングの建物。


歌舞伎の定式幕(じょうしきまく)の、黒、オレンジ、緑の縦じま模様です。景色として違和感を感じるほどの目立ち方でした。あの色合いは「悪目立ち」な感じがします。
駅の近くですし、劇場なのかな、ぐらいの認識でいました。歌舞伎好きの町長さんが居たりとか。


関東近辺以外の方々にはシチュエーションが分かりにくいかもしれませんが、越谷市っていうのは「草加せんべい」で知られる埼玉県草加市国道4号線で少し北上した辺りの地域です。


新宿から日本橋経由で国道4号線をまわりますと混みますので、環状7号線経由で入っていました。
越谷市は東京の通勤圏ではありますが、集客する劇場を新設するってことになると、ちょっと疑問を感じてはいました。悪目立ちの定式幕。


ある日、早い午後に通りかかりますと、越谷近辺としては4号線が珍しく渋滞で、車がなかなか進みません。
で、じっくりその定式幕の方に目をやってみますと、「和食処 永谷園」と書いてあったのでした。
なんと、あの永谷園ファミリーレストランだったんですね。


ほほう、ファミレスでお茶漬けってことなんですね。とは思いましたが、車で走るコースは「和食処 永谷園」のある反対側の車線なので、入りそびれていました。帰りは別ルートを通っていましたからね。


「和食処 永谷園」って名乗っているので、お茶漬け以外にもメニューはあるんだろうなあと思いながら、やがて月日は流れ、っていっても2年も経っていなかったと記憶しているんですが、定式幕は消えていました。
あれ? 無いなあ。見えなくなると急に寂しい悪目立ち。


そもそもいつごろ出来たのかがハッキリしませんが、ずいぶん短い期間での撤退だったように思います。


で、その「和食処 永谷園」の話をしても知っている人が全然いない状況だったんですね。
でも確かにあったはずです。


♪幻なのか夢なのか 時の流れは続くのか♪ あの日の【コビトラーメン】に続いて、まぼろしの店舗ってことではないと思うんですがね。ネットにはちらほら情報もありますしね。


でも、入ったことないんですね。


ま、永谷園もいろんなビジネスにチャレンジしているってことなんでしょうけれどね。

 

引き際も肝心ってことも理解できます。でもって、体験できなくて残念だった「和食処 永谷園」なのでした。

 


その永谷園なんですが、調べてみますと創業者の永谷嘉男(ながたによしお)さんが、1953年に設立しているんですね。


戦争から東京に帰って来て、実家の製茶業の再建を荷って、早速「江戸風味お茶づけ海苔」を開発。1952年に発売開始。大ヒット! で、1953年に永谷園の設立です。


1964年「松茸の味お吸いもの」
1967年「赤だしみそ汁」「お好み焼
1970年「さけ茶づけ」
1972年「梅干茶づけ」
1974年「あさげ」
1975年「ゆうげ」
1976年「ひるげ」


70年代は続けざまにヒット商品を出していますね。凄いです。


で、さらに驚くのは、この永谷園、永谷嘉男さんが設立する前は製茶業をしていたわけですが、そもそもは日本全国に現在の製茶法を広めたとされる永谷宗円という京都、宇治の人が江戸で起こした商売が始まりだということです。


17世紀から18世紀の人です。どえりゃー老舗です。永谷嘉男さんは10代目ってことになるらしいですよ。
ものづくりっていうのは、やっぱり、なにか血のなせる業みたいなところがあるんでしょうかね。


永谷宗円さんという人もかなりのやり手だったんでしょうけれど、10代目の永谷嘉男さんっていう人もなかなかで、「麻婆春雨」誕生秘話がメッチャユニークです。


「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」のヒットを出して順風満帆と思われる1979年、永谷嘉男社長が、新商品の開発のために造りだしたというのが、全くユニーク過ぎる「ぶらぶら社員制度」


「2年間で成果を出すこと」「出社の要無し」「経費無制限」


そういう制度。自主決裁権を持たされた遊撃隊。でも隊長1人だけの一匹ひつじ。ひつじかよ!


で、このぶらぶら社員に任命されたのが、当時、開発企画室長だった能登原隆史さん。
この能登原隆史さんが日本全国、世界各国を回って、2年目、1981年に出した企画が「麻婆春雨」なんだそうです。

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2年間という期限をまるまる使って結果を出すあたり、能登原隆史さん、ナイスです。さすが一匹ひつじです。


「麻婆春雨」のアイディアの発端は中華スープだったらしんですが、なんかね、その辺りのホントのアイディアの素みたいなものは「企業秘密」ってことでしょうね。


「麻婆春雨」はあっという間にヒットしました。へええ、春雨ってこういう食べ方があるんだなあと思った記憶があります。今でも大好きですね。ドメスティック・ビッグ・ヒット・マーボです。


ケンミン食品の「麻婆ビーフン」パッケージの類似問題で、永谷園が販売差し止め裁判を起こしたりと、別の方面での話題も賑やかでした。裁判は1997年に和解しているようです。


町中華や居酒屋さんでのメニューにもありますね。「麻婆春雨」


ですが、店で出てくる「麻婆春雨」はホントに麻婆なんですよね。麻婆春雨なんだから麻婆でイイじゃん。ってことではあるんですが、なんかね、永谷園の麻婆春雨はちと違うんですよね。「企業秘密」の部分が旨いんだと思います。豆腐の代わり、茄子の代わりの春雨じゃないってことなんですよね、きっと。


で、ですね。一緒じゃんっていう意見もある四川料理の「螞蟻上樹(マーイーシャンシュー)」
これは赤坂の中華屋さんで食べたことがあります。4、5回。


最初メニューを見たときはウッソー! ってヒキましたね。蟻っていう字がありますよ。食べものなのに。


螞蟻っていうのはアリそのものらしいです。マーイーって発音みたいですが、マー良くないです。


アリとかわざわざ食べなくたってイイですって思ったら、春雨にくっ付いたひき肉をマーイーと言っているだけのことでアリさんは関係ないのでした。


辛味は豆板醤がダイレクトで、とろみはないんですね。真っ赤です。
春雨をもどして炒めたものということでは同じですが、ま、違う食べものって思っています。
「螞蟻上樹」と「麻婆春雨」


でもまあ、こういうのって、料理としての違いっていうより、店による違いの方が大きいんじゃないでしょうかね。


永谷園の「麻婆春雨」がヒットしたっていうのも、味だとか料理の種類だとかいうことに加えて、案外、最も大事だったのはそのネーミングなんじゃないかって気もするんですね。
商品名ってすごく大事だと思います。


樹の上のアリ、なんかより、春の雨です。春雨は日本人の食卓に馴染んでいますからね。そして麻婆というのも市民権を得てきたタイミングでの「麻婆春雨」
あっさりヒットしてすんなり受け入れらるのは分かるような気がします。


麻婆豆腐だって、そんなに昔から一般的じゃなかったですからね。


春の雨というネーミングはもちろん日本独自のものですが、春雨そのものは中国から伝わって来た食べもので、中国語では「粉条(フェンティアオ)」「粉絲(フェンスー)」というらしいです。


さすが、ダイレクトなネーミングです。「螞蟻上樹」っていうのも中国的にはシャレオツな感覚なのかもしれないですけれどね。やっぱり春雨がイイです。風情があります。


粉絲の「絲」って、青椒肉絲(チンジャオロース)の「絲」ですね。粉を細くしたものですよオって、分かりやすいんだけれど、ね、やっぱり春の雨に軍配が上がりますよね。


ちなみに「ぶらぶら社員制度」って、麻婆春雨が大成功したもんだから、いろんな会社も試してみたそうです。
ですが、1社も成功していません。成果無し。


なんと永谷園も後年、ぶらぶら社員制度リバイバルをやったことがあるらしいですが、半年で撤収! だったということです。
目的を持ったぶらぶらって、やっぱりね、チョー難しそうです。


簡単に出来るのは目的もなあんもない、ただのぶらぶらです。はい。

 


にしても、どこの会社も「新商品」が欲しいんですね。そりゃそうでしょうけれど、ぶらぶらして成果を出すのって、かなり特殊な才能ですよね。

 

【鯛巻き はも巻き う巻き】まだまだ続くコロナ禍の中 ほっとするものを食べたいです

<いろんな工夫があって いろんな歴史があって いろんな旨さを知っている日本人だから>

自粛要請が緩和されるからといって、出口が見えたというわけじゃない感じの日本ですが、いったいいつまで続くんでしょうかね。もう、気持ち的にグッタリですよね。
実は内容的に緩和じゃないし、飲食業界もホント大変。ダメージ大きいみたいですよ。


先日、ブルワリーを併設したレストランへ久しぶりに顔を出してきました。ご時世がらランチですね。ランチビールとか、もちろんナシです。店も客も、なんともつまらんわけです。


店長さんとは何回か話をする機会もありまして、その日も人懐っこい笑顔を思い浮かべながらお邪魔してみたんですが、居ませんでした。


奥さんが出てこられて、


「会議なんですよ。ウチだけじゃなくて、もう限界ですからね」


商店会として意見をまとめて、逆に自治会に対して営業許可要請を出そうということらしいです。


奥さんは始終うつむき加減。いつもだったら笑顔の可愛らしい明るい人なんですけれどねえ。
みんな、そうなっちゃってますよ。げんなりです。


ランチ営業はしているものの、ビールを提供できないブルワリー。夕方からの営業は悲惨な状況だそうです。

 


もうちょっとすれば、って、全然言えない状況が続いていますね。ホント疲れました。
宅呑みも、こう長く続くと煮詰まる方向に行ってしまいます。


でもね、何か工夫をしながら、精神的健康を維持しないといけませんです。コロナに負けないアイディア。政治にイライラしない工夫。


なんかないもんでしょうか。考えてみました。


ずいぶん前ですが、初対面のアメリカ人のオッサンと、スターバックスで長話をしたことがあります。


オーダーをしているカウンターで、
「アタシ2m。ちょうど、ぴったり2mよ」
と話しかけてきたのがきっかけでした。身長の話は何の意味か分かりませんでしたが、ニコニコした丸顔で、身体も丸っこくて、ちっこいんです。おそらく160cmぐらい。2mって、なんなん?


ま、テキトーに相槌しておいて、触れずにおきましょうって感じ。


だったんですが、混んでいたこともあって、表のテーブルに一緒に座ることになったのでした。


軍関係だという黒人のオッサンで、ニューヨークと東京をしょっちゅう往復しているとのことでしたが、
「日本人、誰も笑ってくれないね」
としょげていました。


あったりまえじゃ! 何がおもろいねんッ! とは言いませんでしたが、はい。悪いやつでもなさそうでした。


日本語は上手でしたが、これを機会に、とかいう雰囲気に全然ならないオッサンで、わけのわからない話を幾つかした中で記憶に残っていることが1つだけあります。


ニューヨークは日本食ブーム。


ふむふむ、それは聞いたことがありますね。


日本食が好きなニューヨーカーは、特に出汁が好き。


ほほう、出汁ですか。出汁ねエ。出汁なんて単語、よく知ってますねえ。


ニューヨーカーはコーヒーの代わりに日本の出汁を飲むよ。


うっそー!


いろんな出汁の旨味を感じることが出来れば、心が落ち着くよ。


ん~。
というような会話だったんですが、ないことでもないか、っていう気になったのでありました。出汁ね。


「心が落ち着くよ」


何故だか今、あのオッサンの言葉が頭の中に蘇ってきました。

 


ま、出汁を自分で作って、そのまま飲もうとは思わないんですが、確かに旨い出汁の効いたものを食べたら、「心が落ち着くよ」かもしれません。
出汁といってすぐに思い浮かぶのは、やっぱり「だし巻き」でしょうかね。


前の記事【だし巻き】はプレーンのだし巻きについてでしたが、今回はだし巻きのバリエーションといいましょうか、関東人にとってはある意味「変わりダネ」とも言えるかもしれない種類のだし巻きについてです。


あまり興味のない人にとっては、結局玉子焼きでしょ、ってことになっちゃうのかもしれませんが、たかがたまご焼きであっても、ちゃんとしただし巻きはベストクオリティだと思いますし、ほかにも日本の先人たちが工夫したいくつかのだし巻きがあるんですね。


まずは「うまき」
ウナギのかば焼きのたまご巻きです。

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以前は時々作っていたんですがね、今はやらなくなりました。ウナギが高くなったからです。


でもこれ、天然よりも養殖の方が向いていると思います。でっぷりとしたヤツ。
ラッキーにも切り身で安くて姿のイイのを見つけたら、ぜひやってみて欲しい一品ですよ。
時々セールとかやっていて、これホントにウナギなの? ってぐらい安いのがあったりします。そんなんでオッケーです。


かば焼きにしますので、かば焼きのタレが必要です。安くてちっさいのでイイと思います。ウナギもタレも。


出汁は好みですから、なんでも、とは言いながらお勧めは濃い昆布出汁ですね。


煮立てちゃいけませっていうのがお約束の昆布出汁ですが、思いっきり煮立てます。しっかり色が出るまで。
火を止めても鍋から出さないで、そのまま冷めるに任せます。昆布は入れっぱなしです。


ウナギは酒に漬けておいてから焼きます。少し焼けてきたらタレを塗って、ひっくり返して、少し焼いてタレを塗って、またひっくり返して、2回ぐらいやれば安いタレでもしっかり味が付きます。


大葉を千切りにして用意しておきます。


玉子を溶いて、出汁を混ぜます。昆布は入れません。


で、フライパンへ。ガシャガシャっと箸でかき混ぜて少しかたまり加減の玉子の端っこへかば焼きを乗せます。その上に大葉の千切り。
あとは普通のだし巻きの要領で巻いて、出来上がりです。


出過ぎだよ、というレベルの昆布出汁がかば焼きに負けず、大葉の青さと相まって「心が落ち着くよ」です。


こういうの、最初に作ったヤツ、エライッ! いや、出汁じゃなくって、うまきですね。


続いては「はも巻き」


これは愛媛県へ行ったときに一回だけ食べたことのある一品です。


カウンターから厨房の見渡せる小料理屋さんで、しっかり見て覚えているつもりではありますが、自分では作ったことないです。はい。すびばせん。


でも、ハモとか普通には売ってないっすよ。
で、おそらくたぶんの作り方です。


仕込み済みのハモの切り身を煮ます。たぶん水と酒と塩とうま味調味料だけ。ハモが浸るぐらいの分量。
煮立ってきたら火を止めてハモを皿に取り出しておきます。


玉子を溶いて、ハモを煮た出汁ちょっとと混ぜます。出汁は後でも使うのでちょっとです。
だし巻き玉子を普通に作ります。普通にね。んははです。


出来上がっただし巻きをさっきの皿のハモのとなりに並べます。
残っているハモの出汁に醤油ちょっとと片栗粉をいれてアンにします。
皿のハモとだし巻きにかけて出来上がりです。


何といいますか、素朴でありながら上等な感じの旨さです。「心が落ち着くよ」です。


アンの中に三つ葉とか、ポンって入れてあげると、もっと「心が落ち着くよ」だと思います。


も一つは「鯛巻き」


これは時々、作りました。経験ありますです。はい。
鯛の安い時だけ作ります。パックの切り身でイイです。


切り身を茹でます。色が変わったらオッケーです。氷水にあけておきます。


鍋に水としょう油、砂糖を適量入れて熱します。味醂が好みの人は入れてもオッケーだと思いますが、ねとっとした甘さになってしまうので、ま、お好みで。


氷水から鯛を鍋に移して煮込みます。ほうれん草とか緑系の野菜を加えるのもオサレです。
鯛が色づいたら皿にあげて、身をほぐしておきます。野菜を加えた場合は野菜も一緒にあげておきますよ。


溶き玉子に鍋の煮汁を混ぜて、だし巻きを焼いていきますが、途中途中で鯛のほぐし身を具材として入れていきます。
出来上がった鯛巻きに、残った煮汁をかけて完成です。


こりっとした味わいが魅力の鯛の刺身とは一味ふた味違った「鯛巻き」です。「心が落ち着くよ」です。


ま、3つとも酒のアテ、がサイコーですけれど、ごはんにももちろん、最強です。

 


旨い、と思うものを食べて、心を落ち着けて、平常の自分をまだまだ守っていきましょう。


日本の味なんです。「心が落ち着くよ」

 

【紅い白身さかな】鮭はいつからシャケになって なんで急にサーモンになったんでしょか

<ルイベっていうのは アニサキス対策をしたアイヌ文化のずいぶん昔からある食べ方なんですね>

食文化といいますか、ごく一般的に生活をしていて、たいていの日本人は普通にものを食べて暮らしているわけですが、気が付いてみると、いつのまにか消えてしまった食べもの、逆に、いつの頃からか食べ方の変わってしまった食べものっていうのがありますね。


嗜好品としてのお菓子や、デザートなんかでは流行り廃りというのがあって、変化してしまうというより、製造する側が流行までをも作り出そうとしている感があります。品目を変化させたい欲求があるっていうことですよね。商売です。


今はそういうのを含めて食文化というのかもしれません。

 


素材の組み合わせを工夫して作り出す嗜好品とは違って、天然自然のものでも、食べ方に変化の見られたものもいくつかあります。


知っているつもりになっていても、改めて驚かされる食べものというのもあります。
最近のものですと「台湾産のパイナップル」
芯まで食べられますよ、と言われて、すぐにピンとは来ませんでした。パイナップルの芯? という印象。


まあ、パイナップルを1個丸ごと買ってきて、家で剥いて食べるっていうことが普通だという人も少なくないのかもしれませんが、私はまったく想像すら出来ません。
自分で、自分の家でパイナップルを、あの硬そうな皮を剥いて切り分けるという経験をしていないからですね。


そういうことをしたいという欲求もありませんし、ほぼ缶詰でしか食べたことがありません。
料理の中に入っているものですと、一時期の町中華で酢豚にパイナップルが入っていました。
なんで中華の中にパイナップルなんだ、ということが話題になって、必要、不必要論争みたいなことも起こりました。


ま、この場合は必要不必要というより、甘酢でからめられたパイナップルが好きか嫌いかという論争に終始するのが普通だったと思います。
甘酢のパイナップルは嫌い、というのが多数派だったからなのか、経費削減のためなのか、令和の町中華で酢豚にパイナップルが入っている店って、なくなったんじゃないでしょうか。話も聞きません。
個人的にはすごく残念です。


で、台湾産のパイナップルの芯ですが、そこが特に旨いという種類のものではないらしく、無駄にせずに食べられますということなんだそうですね。それに切るときに取り除く手間が要らない。


台湾産のパイナップルは新種とか、品種改良の産物として日本市場に登場というわけではなく、これまでほぼ100%を中国に輸出していたものが、中国側の輸入制限を受けて、他の国へ輸出する必要があったので、今回、日本に入って来たという経緯らしいです。


台湾バナナっていうのは誰でも知っているでしょうし、食べたことがあると思いますが、台湾パイナップルって知っている人、日本に居たんでしょうか。台湾旅行とか行っている人たちは知っていた、んですかね。
でも、一気に人気が出たみたいです。日本と台湾の友好関係に寄与するという一面もニュースになったりしていますね。交流としては好い方向の出来事だろうと思います。


台湾産パイナップルファンの中国人は残念がっているでしょうけれど。


ま、個人的には、芯まで食べられますよっていうのを聞いて初めて、パイナップルの芯というものを意識して、そういえば輪切りのまん中に丸い穴が空いているなあ、という程度の認識だったのでした。


普通に身の回りにあって、充分知っているようで、実はよく分かってない食べものっていうのがあるわけです。分からなくたって困らない。というか取り立てて意識しない食べもの。


今回はサーモンの話なんですが、極身近な魚ですよね。好き嫌いはあるでしょうけれども、食べたことのない日本人って珍しいでしょうね。
でもサーモンって、昔、無かったんです。いや、ホントに。


んなバカな。昔からあったよ、だって弁当に入ってるおかずの代表じゃん。
というゴイケン、御尤もでございます。


昭和の時代のお弁当。日の丸弁当なんていうものがありました。これはおかずと言ってイイのかどうか、白ごはんの真ん中に梅干しがどーんと配してある。ザッツ・イット、という強者も居ないではありませんでしたが、たいていは弁当箱の一隅に「おかず」を入れてありました。


そういう取り外し型仕切りの付いたアルマイト製の弁当箱。
定番は「たまご焼き」と「焼き鮭」どっちか一つです。両方入っていたりなんかすると、ザ・ゴージャス!


男子も女子も、だいたいそんなようなお弁当でした。ごはんの真ん中のデッカイ梅干し。あるいは、ごはん全面海苔、とかそんなお弁当。


で、「鮭」の話なんですが、これ、なんて読みます?


「サケ」ですよね、普通に考えれば。でも今の中年世代より若い人たちは「シャケ」って読む人の方が多いかもしれません。でしょ? 間違いってわけじゃないですよね「シャケ」


なんでそうなったか。それはですね、はい、想像の話でありますが、「シャケ」と発音する機会の方が多いからだと思われますね。


昔、流行ったアイヌの木彫り。2足歩行のクマが笹竹に4、5匹突き通して肩に担いでいる置物だったり、口に大きなのを咥えて斜めに振り返っている木彫りのクマが、どこの家の玄関にも飾ってありました。あれはどういう流行りだったんでしょうかね。
ま、それはイイとして、あのクマが担いでいるサカナ。あれは「サケ」と発音していました。


「鮭」なんですから「サケ」です。たぶんこれが正解の読み方なんだろうと思います。
ところが、弁当に入っている「焼き鮭」になると「ヤキジャケ」と発音します。「シャケ」ですね。


お歳暮、正月の贈り物としてこれもまた昭和の定番だったものに「新巻き鮭」というのがありました。塩漬けした鮭が贈答用の箱に入ったりして、年末年始の家々を往ったり来たりしていたものでしたね。アメ横の名物品でもありました。
この「新巻き鮭」も発音は「アラマキシャケ」「アラマキジャケ」で「シャケ」なんですね。


「銀鮭」なんかも「ギンジャケ」です。「ギンザケ」と発音する人もいますね。


いずれにしても「サケ」とは発音しないです。


これって日本語の発音の特徴で、前になにかしらの言葉がくっ付くと、その後に続く言葉の発音が変わるっていうパターンだと思うんですよね。


で、高度成長期以来、日本の小学生の描く絵として「切り身で泳いでいる魚」が紹介されて話題になりましたね。
かつての雪印の社員が、牛乳が牛の乳であることを理解していなかったというニュースが駆け巡ったのも同じころだったと思います。


そんな事情を、他人事として笑ってばかりも居られない、というのが現実ですね。パイナップルの芯をしらないわけですからね。

 


知識として「鮭」というのは単独で「サケ」として存在していることを知らなくて、食べものとして呼ばれる「シャケ」の方が身近でリアルなものになったということなんだろうと思いますね。


ところで、この「鮭」にはもう一段回、わりと最近、呼び名の変化がありましたよね。

 

こっちの変化は、実は呼び方の変化だけではなくって、モノが違うって話なんです。
それは「サーモン」


え? それってただ英語読みしただけなんじゃん?


そりゃそうなんですが、じゃあ、なんだって急に鮭を英語読みにしたんでしょか。


それはですね、「サーモン」って呼ばれている「鮭」は日本人じゃなくって、ノルウェー人なんです。
って、ヒトじゃねえし!


それと、ノルウェー語で「鮭」は「laks(ラクス)」なので「サーモン」じゃないです。


だけれども、今や日本では「サーモン」が普通になりましたね。店の刺身でも、スーパーの切り身パックでも。


1990年代から日本で一般的になった「サーモン」って呼び名の魚はノルウェーの養殖魚なんだそうです。


ノルウェーラクスの養殖が始まったのは1970年代のことだそうで、そんなに昔からってわけでもないんですね。で、日本に縁のあったノルウェー人のビョーン・エイリク・オルセンさんが日本人は生で魚を食べるんだから、ノルウェーの養殖ラクスも人気が出るんじゃないか、ってことで販売に力を入れ出したのが1980年代。


ここでちょっと日本人の鮭食について振り返ってみますと、さっき言ったお弁当のおかずは「焼き鮭」でしたね。
定食屋さんのメニューでも鮭は焼き魚でした。って今でも焼き鮭は定番ですけれどね。


居酒屋さんの御造りに、3種盛りでも5種盛りでも、鮭は入っていませんでした。


そうなんですね、ずっと日本では生で食べることは無かったんです、鮭は。


なぜならば食中毒の可能性があったから。そです、有名な「アニサキス」です。


昔から知られていたんですね、鮭のアニサキスって。アニサキスって名前で呼ばれていたかどうかまでは分かりませんが、生で食べちゃダメ、っていう食の常識。


なのでオルセンさんのラクスも、最初は見向きもされなかった。鮭は生で食べません。


ただ、オルセンさんには根拠のある見通しがあったんですね。


天然の鮭はオキアミをエサにしているんだそうですが、そのオキアミに寄生しているのがアニサキスの卵や幼虫。
オキアミを食べる天然の鮭は中間宿主としてアニサキスの成長に寄与します。鮭の中で育っているわけです。
アニサキスの最終宿主はクジラ、イルカなどの大型海生哺乳類だそうで、人間の身体の中では成長できず、数日で死亡するのが普通。


でも、その数日間で内臓に噛みついたりして悪さをするわけです。


それは大昔から知られていて、鮭は焼き魚としてしてしか食べないという習慣だったわけですね。

 


ただオルセンさんのいけるはず、という思惑にも理由があって、ノルウェーの養殖ラクスにはオキアミを食べさせていない。その他にも食中毒の原因になるようなものは何もない。
で、名前を英語の「サーモン」にして日本人に馴染みの刺身、寿司ネタとしてプレゼンしたんだそうです。


それに乗ったのが、当時ブームになりつつあった回転寿司チェーン。


柔らかく脂のノッた「サーモン」はあっという間に市民権を得たという流れなんですね。
つまり「サーモン」は「サーモン」という種類の魚なのであって「鮭」じゃないんだよ、っていう商法。


サーモンは生で食べます。寿司ネタ、刺身ですね。


日本で、というかアイヌの人たちが昔から食べていた天然鮭「ルイベ」というのは、生の鮭を雪で凍らせた保存食としての食べ方で、これはもう生活の知恵なんでしょうけれど、凍らせることによってアニサキスは死滅するということなんですね。

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提供:農林水産省


これもまたナマではない食べ方ですね。


自然の知恵というか、アイヌの人たちはちゃんと知っていたということです。


あの2足歩行のクマが担いでいた鮭は、ルイベになる前の天然鮭。クマはアニサキスに苦しむことはなかったんでしょうか。やっぱり痛がって泣いていたかもですね。


「ルイベ」は今でも北海道の郷土料理として人気の一品です。
農林水産省のページ「うちの郷土料理 北海道 ルイベ」にも紹介されています

 

今現在の定食屋さんで「サーモン」の刺身に、アニサキスの心配は全然ないわけです。


なんとなれば「サーモン」しか無いからです。「鮭」の刺身はメニューにありません。鮭は焼き魚。


総じて考えてみますと、日本人にとっての鮭は、「サケ」「シャケ」から「サーモン」になったということで、天然から養殖に移り変わったということが言えそうです。でもノルウェー人。ノルウェー人、ありがたいです。


今見るメニューとしては、生の「サーモン」、冷凍の「ルイベ」、焼き魚の「ギンジャケ」


旨い嬉しいバリエーションがちゃんと残っていて、紅い白身魚の鮭は健在といえそうですね。

 

【熱中症】リアル体験リポート その2 あっさり回復ってことにはならない件

<ビックリするほどあっと言う間に回復 と思ったらそんなに単純なものじゃなかったです>

前回【熱中症 リアル体験リポート】での「熱中症からの回復」はホントのことではあったんですが、記事を書き終えてちょっとしてから、また身体の異常を感じることになってしまいました。
右腕の痺れは全く感じられませんでした。回復しています。完全回復と思っていました。

 


ところが、夜、風呂からあがって寝る段階になって、背中をベッドに付けたときに、痛みを伴った筋肉の重さを背中全体に感じました。背中を付けるとジワッと痛い。
ジッとしていることが出来ません。痛苦しいので眠れないわけです。


背中をベッドから離して右腹を下にしてみました。だいぶ楽にはなりますが、今度は次第に右腹の肋骨周りが痛重くなってきます。
で、今度は左を下に。同じことですね。数分もしないうちにその姿勢に耐えられなくなります。


とても不思議な痛みなんですね。
飛び上がるような種類の痛みではないんです。
さすったり揉んだりして緩和される感じでもなく、普段感じない、その部分の筋肉の重さが痛みとして実感される。表面じゃなくって奥深い部分の痛みって感じです。手当ての効かないようなもどかしさ。


痛みの程度はさほどでもないんですが、じっとして耐えられるレベルではないんですね。イライラする。


結局眠れないので、睡眠はあきらめて起きて本を読むことにしました。


身体を縦にしてれば、当たり前ですが背中の痛みはほとんど感じません。圧迫があって初めて感じる痛みなんですね。
ところが、椅子に座って本を読んでいると、今度は太ももの裏側、つまり椅子に接している部分に、その痛重さが出てきました。
こうなると座っていることも出来ないんですね。


夜中に立ち上がって本を読んでいました。単に立っている分には特にどこにも痛みは出ません。
ただ、本を読んでいるとは言いましてもですね、やっぱり集中は出来ませんね。


痛重さのせいで眠気はとんでしまっていますけれども、身体を落ち着かせることが出来ない。まさに身の置き所がないっていう状態です。


結局、立って本を読んでいても集中出来ないので、もういちどベッドに横になってみました。
痛重さが、もしかすると消えているのではないかという淡い期待、だったんですが、事態は変わっていませんでした。


横になっていると背中の痛重さばかりでなく、ふくらはぎがツリそうになります。


パッと起き上がってつま先を引っ張り上げるということをするんですが、ベッドに腰かけていると腿裏に痛重さが出てきます。ふくらはぎのツリが中途半端なまま立ち上がって、ツリの痛みが一気に来て、またストンと腰を下ろさざるを得ないってことを繰り返しているうちに、今度はスネがツッてしまいました。スネですよスネ。
こんなところがツッたりするのかとビックリです。とんでもなく痛いです。


スネの筋肉が妙な感じに集まってしまっているのが見えて、痛さに拍車がかかります。
押したり揉んだりしても元に戻らない。
横になれない、椅子に座ることもままならない。脚がツル。


ただ立っているのが一番ラクなんですが、長時間そうしているのは、やっぱり無理ですね。
立って過ごして、横になってみて、椅子に斜めに腰かけてみたりしているうちに明るくなってきてしまいました。


どうせ眠れないのだからと、散歩に出ることにしました。じっと立っているのではなく、歩く。ウィズ・マスク。ウィズ・ペットボトル。

 


まだ夜明けまでに30分ほどある時間ですし、さすがに暑さはまだ来ていません。
徐々に明るくなっていく街をフラフラと1時間ほど歩いて、帰って来ました。


普通に歩けました。歩いている間はどこにも痛みは出ませんでした。ツッたスネの痛みも消えました。
驚くのは、散歩している人、ジョギングしている人、けっこういますね。マスクをしていない人、あごマスクn人がほとんどでした。ノーマスクの時間帯って感じなのかもです。

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朝6時前には帰って来たんですが、この時間帯の散歩でも汗だくになりました。けっこうゆっくり歩いたんですけれどね。しょうがないです。


すぐにお風呂に入って、湯船の中でふくらはぎや太ももをマッサージしてみました。
強く押すと、まだ痛重さがありますがかなり軽減された感じでした。


で、風呂から出て横になってみますと、背中の痛重さはかなり軽減されていて、そのまま眠りにつくことが期待できそうでした。
ですが、腿裏とふくらはぎの痛重さはまだ強いままで、あおむけで膝を立ててみたり、立てた右ひざの上に左のふくらはぎを乗せてみたり、まあ、やっぱり落ち着くことは出来ず、眠りには入って行けそうにありませんでした。


そのうち、気温も上がってきましたので、エアコンを入れました。


と、エアコンの風が脚にあたると、痛さが増すことに気が付きました。痛さが鋭角になる感じ。
エアコンをとめて、窓を開け、あおむけにはなれるので、両足の膝を立てて、組んだり離したり。
やっぱり眠れないんですね。


こうした熱中症の後遺症ともいうべき症状は、誰にでも同じように現れるものなかどうか分かりませんし、この筋肉の痛重さというのが、後遺症といってイイものなのかどうかも分かりません。
眠れませんし、暑いし、痛いし。気持ち的にはずっとイライラです。


で、ホントに身の置き所が無いので、また散歩に出ました。曇りで、前日よりは風がありました。
ゆっくり、また1時間ほど歩いて、また風呂に入りました。何してんだ! と、自己ツッコミ。


そして、横になって、フッと落ちて、左ふくらはぎがツッてガバッと起き上がって時計を見ると、2時間ぐらいが過ぎていました。
少し眠れたんですね。


そして、その時には、背中の違和感はほとんどなくなっていて、両足の痛重さもずいぶん軽減されていました。
腿裏の痛重さが薄らげば、座って本を読んだりすることも出来ます。


サロンパスを貼って、補水液を飲んで、お茶を飲んで、仕事して、夜早めに食事をして、風呂にゆっくり浸かって、寝ました。眠れました。


やっとどうにか普通の目覚めで、筋肉の違和感もなくなりました。


丸2日が経過して、熱中症から脱することができたと思います。


熱中症に関しては、その予防についていろいろ説明してあるネット情報がありますが、熱中症からちゃんと回復するための方法というのは、見つかりません。


あ、治った、と簡単に思ってはいけないのかもしれません。


でも、じゃあどうするのがイイのか。これは分かりません。
熱中症かな? と思うような症状になってしまったら、動けるようになってからも、しばらく安静にして様子を見ることが肝要ってことだと思います。仕事やなんかも可能であれば、次の日ぐらいまでは休んだ方がいいのではないかと思います。


身の置き所のない苦痛っていうのは、肉体的なダメージもさることながら、精神的に追い込まれる感じが強いです。


ま、なんにせよ、熱中症にならないことが一番ではあります。気をつけましょう。

 


しかしですね、人間の身体って、突然、ダメになったりするものなんですね。コロナから回復した人たちの後遺症問題が取り上げられることも増えてきました。
感染すると、急変するんだろうなと、斜めからですけれど実感しました。


熱中症で免疫系も弱っているでしょうし、ワクチンもまだですし、引き籠って過ごそうと思います。


みなさんも、充分、充分、ご自愛くださいませ。。。