< 「電気紙芝居」って言われたテレビもこれまでのチカラをすっかり失いつつある令和ですけどね >
2023年の夏場過ぎ辺りから海、山へ出かけるなんていうこともだんだんコロナ禍から復活してきましたよね。
イイことですよねえ。
21世紀の今ではやる人なんていないのかもですけど、山に登って叫ぶのは「ヤッホー」だったですよね。でもって海に向かって叫ぶのは「バカヤロー」だったりするっていうのはどういうことなんでしょうね。
ヤッホーは自分の声がはね返って来るコダマを期待しての、言ってみれば遊びなんでしょうけれど、海に向かって叫ぶバカヤローはストレス発散なんでしょうか。
海はちっぽけな人類のちっぽけな怒りの叫び声なんて、なんでもなく受け止めてくれる大きな存在とでもいうような解釈がいつの間にか定着しているのかもしれないです。山もデッカイですけどね。
最初に海に向かってバカヤローって叫んだ人って誰なんでしょう。あるいはそういうシーンを見せたドラマってなんだったんでしょう。
昭和の産物のような、いや、もっとかなり前からあるような、理由のない人間行動の1つってやつでしょかねえ。
別にバカヤローって叫ばなくたって、海辺へ行く人は、季節に関係なく一定数います。
海辺に行った人全員が叫んでいるわけじゃないですね。叫ぶ目的で海へ行く人、実はそんなにいないでしょねえ。
砂浜に腰を下ろしたり、岸壁から両足を投げ出すように座ったりして、いつまでも寄せては返す波を眺めるっていう海との付き合い方も定番と言えば言えそうです。
何もしない時間を堪能する。波の音だけ。ボーっとする。。。
海じゃなくって川であっても、水のそばにいると、人間っていうのは、ある種の落ち着きを得る者なのかもしれませんよね。精神的に好い効果がありそうです。
海に囲まれた国である日本とはいえ、どこの町もが海の近くであるわけもなくって、特に都市部では開発によって暗渠になったりして川の流れも身近にはないっていう場所の方が多いんでしょうね、今は。
わざわざ出かけていかないと、自然の水には出会えない。
そんな環境になってしまった地域、日本中のいろんな場所に「親水公園」っていうのが整備されています。
誰でも一度は散歩がてら行ったことがあるんじゃないでしょうか。
公園からはちょっと離れているだろう川の流れを引き込んで、人工のせせらぎを作り出していますね。せせらぎの脇は遊歩道になっていることが多いようです。
こうした親水公園っていうのは、水の流れに親しんで生活にやすらぎを、っていうことが目的なんだそうです。
日本の都市部に自然がなくなって久しい1973年、昭和48年に出来た東京江戸川区の古川親水公園が日本最初の親水公園。それから一気に増えたってことでしょうね。今は、日本全国どこにでも、たくさんあります。
東京と神奈川の間を流れる大きな川、多摩川の両岸にもいくつかの親水公園があります。
多摩川の中流の辺りになるでしょうか、公園の名前を確認したわけではないんですが、石畳の敷かれた遊歩道以外は樹木の目立つ緑道になっている親水公園が、私の散歩コースの中にあります。
水の流れの中にはコイが泳いでいますし、浅い流れを飛び石で渡る箇所があったり、遊歩道には小さなあずま屋があったり、石のベンチがあったり、けっこう歩く距離が長くあります。
天気の良い日には乳母車を押したお母さんや、子どもを肩車したお父さんがゆったりと散歩しています。
長く続いているその遊歩道の途中から入って途中から抜けるような歩き方を私はしているんですが、いつもはそこから抜け出るコンクリートの階段が修繕工事中だったので、もう1つ先の階段を目指して、わりに緑濃い林の中の土の道に入って行ってみますと、遊歩道の外れあたりにロッジ風の喫茶店があるのを発見しました。
数十メートル先へ歩いてみたら全然見たことのない景色だったんですね。ちょとビックリ。
「コーヒー」と白文字に染め抜かれたのぼりが、早い午後の陽射しを受けてはためいています。
これはもう入ってみるしかないでしょ、ってことで迷わず木製のドアを開けてみました。
重厚な木製ドアじゃなくって、軽い板の組み合わせで出来ているようなドア。
久しぶりに聞くカウベルの音がして、店の中もウッディでした。中も軽い感じ。
小さなカウンターがありますけど、そこには様々な色のいろんな食器がならべてありました。カウンターとしては使われていないんでしょねえ。
形として統一性のない小さな木製のテーブルが4つと、6人がけぐらいの大きさのテーブルが2つあって、大きな2つのテーブルには母子連れが5組ほどでしょうか、賑やかに笑い合っています。
何かのグループでしょか。意外な盛況ぶりにちょっと気圧されました。喫茶店っぽくないです。
ニコニコはしゃいでいる、大学生ぐらいにしか見えないお母さんもいます。
小さなテーブルは4つとも空いていましたので、入り口に近い方のテーブルにすっと座ります。
ショートカットに深緑のロングスカート、モジリアニの絵のような女の人が水を持って来てくれました。
「いらっしゃいませ。きょうのセットランチは低温チキンと目玉焼きのピタパンですけど、お食事なさいますか」
そのつもりは全然なかったんですが、思わず肯いてしまいました。
「セットのお飲み物はコーヒーか紅茶、あとハーブティーもありますけど」
大きなテーブルの子どもたちが元気だったこともあって、声をいつもよりは張って出している感じのモジリアニさんでした。無表情な笑顔。
コーヒーをブラックでお願いしました。
テーブル脇のラックを見ると、毎日新聞と朝日新聞が差してあって、その他には絵本がたくさん並んでいます。
ウッディな喫茶店に大量の絵本。
なかなかナイ珍しい取り合わせのような気がして、大きなテーブルの方を確認してみますと、小学校低学年ぐらいのその子どもたちは誰も絵本を広げている様子はありません。
そもそも子どもの数の方が多い喫茶店っていうことも珍しいなあと思いながら、素人の手作りっぽい天井をしげしげと観察しておりますと、大きなテーブルから、さっき大学生ぐらいに見えたお母さんが起ち上ってカウンターの奥へ入って行きました。
あ、やっぱり彼女は子どもたちのお母さんじゃなくって、この店のアルバイトさんなのかな。
ぐらいに思ったんですが、すぐにカウンターの前に画用紙の束を持ってその女の人が現れたときに、あ、自分はちょっと場違い、って思い知りましたですねえ。
子どもたちがたくさんいることと、ラックの絵本の理由も一気に理解出来たような気がしました。
っていうのはですね、その女の人は画用紙の束を胸の前にかざすと、大きな声で言いました。
「はい、それでは紙芝居を始めますよお。きょうのお話はね、おねえさん手作りの赤いオタマジャクシっていうお話です」
ありゃま! です。。。
紙芝居、ですよ。
カウンターは店の奥側にあって、すぐ前に大きなテーブルが2つ並んでいますので、おねえさんはこちらを向いて紙芝居をすることになります。小さなテーブルは遠い側になりますけれども、そんなに大きな店じゃないですからね、おねえさんが胸の前にかざしている絵も良く見えますし、声も充分に聞こえます。子どもたちもお母さんたちも静かに注目しています。
このとき不安といいますか、なんだかなあって思ったのは、この強制的紙芝居鑑賞会の案内が店の外にあっただろうかっていうことでした。紙芝居をこれから始めますっていうことが案内してあったら、たぶん店に入らなかったと思うわけですよね。
別料金をとられるかもしれませんし、紙芝居を見ながらピタパンとコーヒーって、なんだかなあです。望んでないですからね。
でも、モジリアニはもう作り始めているだろうしなあ、キャンセルして店を出るっていうのも、紙芝居を張り切っているおねえさんの気分を害しそうだしなあ。
「ところがところが、池の中には1匹だけ、赤いオタマジャクシがいたのです」
子どもたちもお母さん方も静かに集中して聞いています。
と、モジリアニがトレーにピタパンをのせてやってきました。
「劇団に入っているコなんです。人前でハッキリしゃべる練習ってことで、時々ああして紙芝居をやるんですよ。役所の掲示板に紙芝居の日の案内を出しているんですけど、こうして来てくれる人たちがけっこういるんですよね。そんなに長くないですから付き合ってやってくださいね。今コーヒーをお持ちします」
なんも言い返せませんね。でもどうやら追加料金は取られずに済みそうです。
「オタマジャクシたちは子どもたちだけで暮らしているのです」
おねえさんの紙芝居は手作りっていうことでしたが、絵面がけっこうポップですし、語りもイイ感じです。
それにしてもスマホやモバイル機器に馴染んでいるであろう今の子どもたちが、アナログ紙芝居に、のめり込むようにして聞き入っている姿には驚かされました。
昭和レトロブームっていう話はよく耳にしますが、紙芝居もブームの中に入っているんでしょうか。
すっかり忘れていた存在の紙芝居。
おねえさんは画用紙の束を胸の前に抱えて、器用にめくりながら語って聞かせていて、上手いもんだなあって感心したんですけど、ふと気付いてみますと、紙芝居の体験って、自分は初めてだったんですね。
映画やテレビの中で紙芝居をやっているシーンをいくつか見ていますので、どういうものなのかは知っていますけど、実体験はしていません。
みなさんはどうでしょうか。紙芝居のリアル体験って、してます?
オタマジャクシのおねえさんが、どういうアイディアでしゃべりの練習に紙芝居を選んだのか知る由もありませんが、いろいろ調べたんでしょうね。紙芝居に馴染んで育ってきているわけがないでしょうからね。若いおねえさんです。紙芝居屋さん、いないでしょ。
頑丈な自転車の荷台に紙芝居の箱をくくりつけてやって来て、カランカランって鐘を鳴らす。
「さあさあ紙芝居だよお。見たい子どもはこの飴を買ってちょうだいねえ。飴を買ったら、はい、そこに並んで座って座って。はあい、そこのお嬢ちゃんたち、紙芝居だよお」
まあね、商売としての紙芝居がいつまで存続していたかっていうのは、地域によってばらばらなんでしょうけど、昭和の中ごろにはもう希少価値になっていたんじゃないでしょうか。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげる(1922~2015)が紙芝居作家だったっていうのは知られていますけど、物語を考える人、絵を描く人、語って聞かせる人。それらを1人でやっている人。いろいろいたんでしょうね。
オタマジャクシのおねえさんは、全部1人でこなしちゃってますね。凄いです。
お話を考えて絵を描いて、話して聞かせる。なかなかに才能の必要な紙芝居です。知らんけど。
たまたま読んでいた文庫本。池波正太郎さんのエッセイ集「ル・パスタン」
ル・パスタンっていうフランス語は「ひまつぶし」っていう意味なんだそうですが、この本の中に「紙芝居」っていうそのものずばりの話があります。
池波正太郎さんは舞台の戯曲を書いて作家活動に入った人ですけど、そのきっかけを作ったのは子どもの頃に見た紙芝居だったろうって、自分で言ってます。
「紙芝居は、子どもたちに大なり小なり影響をあたえずにはおかなかった。私が後年、大劇場の脚本を書き、演出をするようになったのも、種々な理由があるにせよ、根本的な遠因は、このときの紙芝居にあったのはなかろうか……」
ところがすぐに嘆いていおられます。
「このような紙芝居は、いつの間にか、消えてしまい、かの「黄金バット」の全盛期となる。そしてガクブチのような箱に毒々しい絵を差し込み、引き抜くだけの、「曲もない……」紙芝居ばかりになってしまった」
ありゃ!? ですよね。黄金バットってテレビアニメにもなっていましたよね。モノクロでしたけど。その原作が紙芝居だっていう話は聞いたことがありますけれど、その人気の基になった紙芝居の黄金バットは「曲もない」っていう評価なんですね。
え? なんで? って思ったんですけど、池波正太郎さんの言う「このような紙芝居」っていうのが、絵を差し込んで引き抜く「だけ」のものじゃなかったから、評価が低いんですね。
じゃあ、絵を差し込んで引き抜くだけ、じゃない紙芝居っていうのはどういうのかって言いますとですね、
「そのころ、東京の下町へまわって来た紙芝居は、芝居か人形劇を観ている気分がしたものだ。
演物は「西遊記」だった。孫悟空や、猪八戒など、堅牢な厚い紙に克明な筆づかいで描かれてい、これを串に貼り合わせて、後方の幕の間から手を出してうごかす。うごかぬときは、串を木の桟の穴へ差し込む。
そのほかにも、いろいろと仕掛けがしてあって、糸を引くと、絵がガラリと変わったりする。拍子木でツケを打ったり、銅鑼を鳴らしたりして、非常に凝ったものだった。手先が器用で、弁舌に長けていなくては、そのころの紙芝居屋は、つとまらなかったろう」
紙芝居自体をリアルに体験したことのない身からしてみますと、最初の紙芝居は紙製の人形劇だったんだよおっていうのは、軽くカルチャーショックです。
「紙芝居」っていう名前の由来も素直に肯けますね。
オタマジャクシのおねえさんどころじゃなかったってことで、ホント驚きです。
後付けで調べてみますと、池波少年が惹きこまれたのは「立絵紙芝居」って言われたもので、後代になって絵を差し込んで引き抜くだけになったっていうスタイルは「平絵紙芝居」って言うんだそうです。
へええ、紙芝居に歴史があるんですねえ、っていう話なのでありました。
黄金バットねえ。とかいう話をしても、令和の日本ではちっとも通じないかもですよね。
あれでしょ、タバコの銘柄でしょ。
ああ、それはゴールデンバットですねえ。言葉的には同じですけどねえ。
そういえばゴールデンバットは2022年に銘柄廃止になって、1906年から続いていた歴史に終止符を打ったそうです。ファンもけっこういた両切りタバコの銘柄でしたけどね。
紙芝居の黄金バットは1930年が始まりってことですから、タバコのゴールデンバットのもじりなのかって感じもしますけれど、紙芝居原作者の鈴木一郎さんが生み出していたドクロに黒マントの「黒バット」っていうのが先行していて、その最終回に悪役の黒バットを倒す正義の味方として登場したのが、紙芝居作者の永松健夫さんが考えて黒マントを金色にして生まれたのが「黄金バット」だっていうことですから、ゴールデンバットとの関係性はなさそうですね。
尤も、鈴木一郎さん、永松健夫さんの両氏が喫煙者で、吸っていた銘柄がゴールデンバットだったかどうかは、記録に残っていないでしょうけれど。
アンプラグドな紙芝居って、テレビや映画、ネットにはない魅力があるのかもしれない、不思議な力を感じましたです。
紙芝居。令和の子どもたちも馴染んでいたのでありました。