ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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【虫やしない】 初めて聞いてもなんとなく分かるような気がする日本語の言い回し

< いつから使われ始めた言葉なのか分かりませんが 昭和生まれの人であれば通じるでしょねえ 虫養い >

旦那が定年退職してから夫婦で始めたっていう小さな小料理屋さんがありまして、時々寄せてもらっています。


黒いエプロン姿の女将さんがしっかりと仕切っているお店ですね。


「なにごとも普通がイイんですよ。酒もサカナも、うちは特別なことはしません。60の手習いってやつで始めたお店ですから、欲張っちゃいけませんでしょ」


夫婦とも丸っこい体形の、ほんわかムード。カウンターのみのこの店の面白いところは、大将も女将さんも、2人とも料理をするところ。小料理って言っても肉じゃが、筑前煮とか、そういうのばっかりじゃなくって、肉でも魚でもなんでもござれのメニュー。お通しはナシのシステムです。


で、とくにどっちが何を作るっていう決まりもないんだそうで、注文を受けた時点で手の空いている方が作り始める。両方とも手が空いていなかったら、先に仕上げた方が次を作る。酒を注ぐのも同じやり方。


なもんで、この店はアテが出てくるのが早いんです。フライヤーの他にコンロの口が4つあって、オーブンとレンジと。厨房の大きさの方が客席より広い感じでたっぷりのスペースです。


「うちはほら、2人ともね、まあるく出来てるでしょ、身体が。広くないとつっかえちゃうんですよ」


大将はいつもニコニコしてますけど、積極的にしゃべるタイプじゃないんですよね。だいたい女将さんが店内の音声担当です。BGMもテレビもなし。調理をしている音と、女将さんの話し声でほんわかムードを醸し出して呑ませてくれる店なんです。


「はあい、カキフライのご注文いただきましたんでタルタルソース作りまあす。タルタルのメニュー、他にご注文ございませんですかあ。タルタルは一度にたくさん作った方がおいしく出来ますからね。出来立てのタルタルはタマゴの香りもしておいしいですよお。チキン南蛮とか白身フライとか、ご注文ございませんかあ。絶賛受付中ですよお」


カウンターに座る顔ぶれを見回しながらの注文催促は女将さんのお仕事です。

 

 

 


で、先日、その女将さんが調理の手を休めることなく、カウンターに陣取る酒呑みたち全員に向けて長広舌をふるったんでありますね。全員って言っても全席埋まって8人の顔ぶれ。


「おかげさまでね、あたしも無事に古希を迎えることが出来ましてね、うちのは5年前に古希になったんですけど、歩けるうちにっていうんでね、今度、十日ばかり旅行しようってことにしたんですよ。古希祝いってしゃれこみましてね。欲張ってあちこち歩き回るんじゃなくって、じっとね、ひとっところに落ち着いてのんびりしようって。山形の月山へ行くんですよ」


そりゃまたシブイとこ行きますね。


山形県には縁もゆかりもないんですけど、うちのがね、森敦(もりあつし)って作家のファンで、昔から月山に行ってみたかったって言うんでね。月山って小説、あたしは読んだことありませんし読む予定もないですけど、あれなんですって、60過ぎで芥川賞獲ったみたいなんですね。森敦は小島信夫とお付き合いがあって仲が良かったらしいんですけど、小島信夫はわりと好きで何冊か読んでいるんですよ、そうするとまんざら縁が無いわけでもなさそうじゃないですか。それでまた森敦の奥さんが山形の人なんですってね。東北は仙台に行ったことがありますけど、山形はどこも知りません。月山にはね、温泉もあるらしいんで、湯治っていうんじゃないですけどあんまり広く動かないでじっくりお湯に浸かったりなんかしてね、10日ばかりね、ゆっくりしてこようって思うんです。まだ日程、決まってないんですけどね。でもお店は開けてますよ10日間ずっと」


どゆことなんでしょ!?


「なんていいますかね、休みの間この厨房、何も動かさずに放っておくのが心配なんですよ、衛生的に。そりゃ帰って来たら大掃除してちゃんと消毒して始めれば問題ないんですけど、包丁だってね、使わない時間が長くなるとね、なんだか人の手に馴染まなくなっちゃう気がするんですよ、10日の間にね。なんとかならないかっていろいろ考えましてね、あたしの妹にやってもらうことにしたんです。妹はね、旦那をなくして今こっちにいますけど、京都でお店を手伝っていたことがあるんですよ。あたしと同じで料理好きでしてね。メニューにこだわらなくってイイから、とにかくナベカマ包丁を使って洗って、店の空気を動かしてちょうだいって頼んだんです。ですんで、ちょっと出し物が違っちゃうかもしれないんですけど、よろしく願いいたしますね。あたしの妹ですからね、もうおばあちゃんですけど、顔を覗きに来てやってください。あたしが言うのもなんですけど腕は悪くないと思うんですよ、まあ、そこそこにね」

 

いつも通り、一気におしゃべりになりますでうねえ。


で、いつ出発するのかとか、そういう話を聞かないまま終わって、何日かして行ってみますと、今時珍しい白いかっぽう着の女将さんの妹さんがニコニコと迎えてくれましたです。
体型も顔もそんなに似てはいらっしゃいませんね。ほそおもての妹さんです。


「ひとりでやっておりますんでね、お待たせしてしまいますけど、よろしく願いいたします」


やっぱり、姉妹ってことで、しゃべりかたはそっくりですね。


寒い日でしたんで肉じゃがを温めてもらおうかなって思ったら、肉じゃがの大皿が見当たりません。夏でも置いていた定番の肉じゃが、やらないんでしょか。

 

 

 

「ゆうべ、全部出ちゃったんです。気に入ってもらえて良かったんですけど、きょう、材料を買い揃えるのに時間取られちゃいましてね、もうすぐ煮あがりますんでもうちょっとお待ちくださいね、すいません」


あ、そなんですね。何の問題もないです。


と、おからの煮物が小鉢で出てきました。
あれ? お通しシステム?


「肉じゃがが仕上がるまで、これ。お通しっていうんじゃないんですけど、虫養いにどうぞ。お代には勘定いたしませんので」


おからとさつまあげ、白豆、にんじんとたけのこの細切りが、白地に青模様の小鉢の中でほこほこと湯気をあげています。

 

 

 


小鉢の中身もさることながら「むしやしない」っていう言葉にドカーンとやられましたね。


京都では普通に使う言葉らしいです。虫養い。


あなたのお腹を満たすほどのものではありませんが、グーグーと鳴って空腹を訴えているお腹の虫を黙らせるぐらいのものにはなりますよ。ぐらいの感じの軽い食べものっていうニュアンスなんでしょうけれど、虫用の食べものっていう呼びかたじゃなくって、虫を養うっていう言い方が、なんとも日本的なやさしさを感じさせるように思います。


虫は虫として、その虫の「飼い主」に対するサービス精神でしょねえ。


何に気を遣った言い回しなのか。単純な物言いじゃないところが日本的。


自分の腹の中には虫なんかイネーよ! っとか怒っちゃう向きには通じないニュアンスでしょかねえ。


腹の虫は空腹と何の関連もない時にも鳴いたりして不思議なやつですが、虫の知らせなんていうのもあります。


虫は誰の腹にもいるんですねよ、昔から。日本人にはね。


その虫が機嫌悪くならないように、あなた自身の満足の前に、あなたの腹の中の虫にご挨拶。腹の虫を活かしてあげましょ。虫を養いましょ。
っていうようなニュアンスと、私の作ったこの食べものはあなたの満足には適さないかもしれませんけれども、お腹の虫を養う程度にはなるでしょう、っていうような意味合いがバックヤードにありそうにも感じます。

 

 

 


ちょろっとネットで虫養いを調べてみますと京都の方言、っていう説明が多く見られましたが、東京浅草生まれの作家、池波正太郎のエッセイ集「ル・パスタン」に「虫やしない」っていう一編があります。

 

「少年のころは、遊び惚けて空腹となり、夕飯が待ちきれなくなってしまう。そんなとき、曾祖母や祖母が、
「ほら、虫養いだよ」
こういって、こしらえてくれたのは、にぎりめしにたっぷりと味噌をまぶしたものだった。
虫やしないとは、空腹の虫を一時的にしのぐということで、食欲のみか他の欲望にも用いられるが、むかしの人は何と気のきいた言葉を考え出したものだろう」


この言い方からすると、江戸時代、お城に奉公に出ていたこともあるっていう曾祖母も祖母も下町の人だったみたいですから、京都に限った方言っていうことでもなさそうですね。


晩年になって食も細って来て、今の食事は虫養いみたいなものになってしまったと、池波正太郎は結んでいます。
酒豪としても知られた作家さんでしたが、養われていた虫は食も酒も、ずいぶんと堪能してシアワセな虫だったでしょうね。

 

虫やしない。後世に伝えていきたい日本語ですねえ。

 

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