< 葱鮪鍋って聞いたことはあっても 見たことも食べたことも無いですねえ >
いつものごとくではありますが、ちと「ねぎま」から離れたところからのスタートであります。
キノコ狩り、とかしたことがありませんので、その醍醐味だとかは話に聞くばかりでホントの理解はできていないところもかなりあるんだろうと、常々思ってはいるんですが、改めて考えてみますと、キノコってかなり不思議な食べものですよね。
キノコ全部を一様に食べものとして考えちゃダメよ、ってところがあるのは、みなさんご存じ。
香りマツタケ、味シメジ、と言うかと思うと、キノコの毒にあたった事故のニュースを聞くこともある。
自然に生えているキノコを最初に食べた人って、かなり勇気あるなあって思いますが、食べもの事情ってそうして誰かが「人類初」をやってくれないと始まらないわけで、旨いもの、食べられるものの発見と共に、誰かが犠牲になってきた歴史が今に続いているってことなんですもんね。
再興の調味料とも言われる空腹事情が、たくさんの初め人間をつくり出してきたんでしょう。
世界的には様々な意見がありますが、日本人はクジラなんて獲って食べちゃう暮らしをずっと昔からやって来ていることも、考えてみるとなんだかトンデモナイチャレンジですよね。
クジラが1頭獲れれば、肉ばかりでなく、どこも捨てることなく活用できるので、その浜は1年間潤ったといわれますからね、クジラ漁で犠牲が出ることは織り込み済み。そういう食べものなんですよね。
ま、マンモスなんかも獲物にしていたらしいですからクジラだって、ってことではあるんでしょうけれど、陸と海の違いって、なかなかだと思います。人間って凄い動物です。
クジラやマンモスよりはだいぶ小さくなりますが、マグロだって相当な大きさです。人と同じぐらい。
古代、釣っていたのか、銛で突く漁だったのか。自分と同じぐらいの大きさの魚を海で仕留めるんですから、命がけだったでしょうね。
「板子一枚、下は地獄よ」といいます。長い歴史の中で人間の道具が進化すると、危険は減っていきます。そうなると、どうしても獲り過ぎってことになっちゃって、結果、マグロは多くの種類が絶滅危惧種という事実。
で、最近は近大マグロだとか、養殖に力を入れてきている人類です。魚の家畜化。
21世紀の今ではアメリカ、中国でも普通に食べられるようになったマグロですが、古くから親しんできた日本人も、ちょっと前まではその食べ方が今とは違っていたそうです。
今では高級品のトロですけれど、江戸時代では「ネコマタギ」
実際にネコがトロをまたいで通るところなんて、もちろん見たことはありませんが、そう言われていますよね。
中トロ、大トロといってランクといいますか、値段的にも分類されている現在のマグロですが、江戸の人たちにとっては「マグロの脂身は不味い」とされていたんだそうです。
むしろ赤身より安かったのがトロ、ってことなんでしょうね。
冷蔵庫の無い江戸時代ですから、鮮魚の保存方法も今とは違います。マグロが盛んに食べられるようになったという江戸末期ごろ、切り身をしょう油漬けにして保存する方法が開発! されたみたいです。
「ヅケ」ですよ、マグロのヅケ。
今は保存するっていう目的じゃないですけれど、ヅケ丼って人気ですよね。
しょう油に漬けることによって保存するという目的に、マグロの赤身は素直に漬かってくれて、江戸っ子の要求に応えてくれたんですが、脂身、トロは、その脂によってしょう油をはじいてしまうので漬かりません。
ただ悪くなっていくだけ。もともと江戸っ子の人気も赤身ばかりですから、トロは畑の肥料にするのがせいぜいで、たいていは廃棄。ネコだって喜びゃしない。
トロは「ネコマタギ」と呼ばれる次第と相成りました、ってことなんですね。
ですが、まあ、こういうジャンルにも「初め人間」は居るもんです。
なんだ、せっかく命を張って獲って来たものを、土に食わせるだけじゃ面目ねえ。っていうことだったのかどうかは分かりませんが、いろいろあれこれさんざやってみた江戸っ子の「初め人間」
しょう油、日本酒、味りん、出汁の割り下を鍋に張ります。
火を付けて、大量の関東ネギをぶつ切りにして放り込む。
煮立ってきたら、「ネコマタギ」を細かく切ったものをドサッと乗せて、煮る。
ネギには割り下とトロの脂、その旨味が移る。
トロには割り下の甘味とネギの香りが移る。
好みに煮えたところで、山椒やトウガラシを振りかけて食べる。
トロの脂が多い方が旨い、というのが江戸っ子の評価。価値の高い赤身を使ってみると、割り下で煮込むっていう調理に耐えられなくて、ボソボソになってしまう。安い方のトロの勝ち!
こうして人気の一品となったのが「葱鮪鍋」これが「ねぎま」と呼ばれる江戸料理なんですね。
「聞くところによると、いわゆる朝帰りに、昔なら土堤八丁とか、浅草田圃などというところで朝餉に熱燗でねぎまとくると、その美味さ加減は言い知れぬものがあって、一時に元気回復の栄養効果を上げるそうである」
土堤八丁、浅草田圃と呼ばれた土地は、吉原の近所にあった飲食街。
遊女屋から出てきたツワモノたちが、冬の朝の腹ごしらえに喜んだという「ねぎま」「葱鮪鍋」です。
言葉を短く端折るのが好きな江戸っ子ですからね、「ねぎまぐろなべ」⇒「ねぎまぐろ」⇒「ねぎま」とでもなっていったんでしょう。
この「葱鮪鍋」っていうのは食べたことないですが、レシピから想像してみますと、タネから何から違ってはいますが、廉価版の「すき焼き」みたいな料理なんじゃないでしょうかね。
こうして調べてみるまでは「ねぎま」って、昔はトリじゃなくってマグロだったらしいよ、という話を知っているだけでしたので、トリの代わりにマグロが串に刺してあって、焼いて食べていたのかなあ、ぐらいにしか思っていませんでいた。
そですか、鍋だったんですね。
「ねぎまの殿様」っていう落語もありますが、「葱鮪」っていうのは冬の季語なんだそうです。
永井荷風の盟友として知られる小説家で俳人でもある「井上唖々(いのうえああ)」
「居酒屋に 靄たちこむる 葱鮪かな」
大正の頃の東京の居酒屋風景でしょうか。冬の冷え込む店の中に、葱鮪鍋のモヤがたちこめて、匂いまでが伝わって来そうな句ですね。
大正の頃までは確実にねぎまは鍋だったってことみたいです。串焼きの煙をモヤとは表現しないでしょうからね。
戦前戦中に活躍した俳人、日野草城はこう詠んでいます。
「あたたかき 葱鮪の湯気や ぶしやうひげ」
病み上がりの無精ひげ? このねぎまも鍋ですよね。
ってことはですね、ねぎまって言えば焼き鳥ってことになったのは、戦後のことになりそうです。
どうも、この繋がりがよく分かりません。
鍋料理の名前を串焼きに持ってきたって、ホントなんでしょうか。
ねぎまの「ま」は、マグロの「ま」
ん~。なんか、全然違う流れがあるような感じもしますけれどねえ。
通常言われている説。
葱鮪鍋の材料、ネギとマグロを串に刺して焼くようになって、それからマグロが高級になっていったんでトリにしたっていう説には、なんか、すんなりとは納得できないです。
マグロ、トロをネギが焼き上がるのと同じ時間、焼いちゃったりしますかね。
葱鮪鍋がマグロよりもネギがメインだったとして、焼き鳥にも価格の工夫からか、ネギを挟み込んでみて、客に好評だった。
「なんだって焼き鳥にネギなんか挟んだんだ?」
「ネギも旨いでしょ」
「まあな、結構合う感じだな」
「ほら、ねぎまってのもあるじゃないですか」
「ああ、マグロな」
「うちはトリのねぎまってことですよ」
こんな?
つまり、全く別の発想の串焼きの初め人間が居て、人気の鍋料理の名前をもって来ちゃった。
ん~。謎です。
ま、焼き鳥のねぎまは塩でもタレでも、旨いです。そのうち葱鮪鍋も、チャンスがあれば。
そういえば最近、焼き鳥屋さん、行ってないですねえ。
東京は緊急事態宣言中。焼き鳥屋さんもやっていません。ノンアル7本セット、とかやっていた店も、休んでいます。
2021年の夏。セミが鳴きはじめて季節は廻ります。生ビール中ジョッキ。。。くぅ~。。。