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【鳥人間】人はなぜ空を飛びたがるのか 日本の鳥人間たちを探る

< 鳥からグライダーへ グライダーから飛行機へ ヘリコプターは独自の発想なんですね >

15世紀半ばから16世紀初頭にかけて活躍したイタリア、レオナルド・ダ・ヴィンチのメモに残っている、スクリュー型プロペラ。手書きの絵を見た記憶の人も多いかと思います。
実現されることはなかったそうですが、現在のヘリコプターの基になったとされています。


人が空を飛ぼうとしていたことが確認できる最古の資料ということになるのかもしれませんが、おそらく、ダ・ヴィンチが人類で初めて空を飛ぼうという欲求を感じた人、では無いでしょうね。

 


大昔から、空を飛びたいという気持ちは在って、エンジェルだとか、人ばかりじゃなくってペガサスなんて羽の生えた馬なんかも考えしたりしていますね。
自分では飛べない人間であっても、空飛ぶ馬に乗って自分も飛ぶという発想で、ペガサスこそは飛行機、ヘリコプターの原型といえるのかもしれません。


日本はどうでしょう。


日本書紀」に出てくる「天磐船(あまのいはふね)」はUFOにも通じるような概念が生み出したものかと思われますが、古代日本人は鳥のように飛ぶ、というよりは、天、神との交信を欲求する気持ちが強かったのかもしれません。


空は宙とも書きますしね。

 


18世紀の中頃。日本にも具体的な実績を遺している「鳥人間」が出現しています。


1757年に岡山で「浮田幸吉」が、1762年に茨城で「飯塚伊賀七」1768年に琉球で「安里周祥(あさとしゅうよう)」という「鳥人間」が生まれています。


江戸の中後期ですが、世界的視点でみてみれば「産業革命」の時期になります。人間生活に大きな変化をもたらした「蒸気機関」ですが、世界レベルで情報が共有されているはずもなく、何か人類として新たな「道具」を欲して作り上げるというエネルギーのうねり、のようなものがあった時代だったのかもしれないですね。


同じ時期に、この狭い日本の中で3人も「鳥人間」が出現しているっていうのは、かなりの驚きを感じないではいられません。


浮田幸吉は、日本で初めて空を飛んだと言われている表具師で、鳥人幸吉などと呼ばれています。
小学館から出ている飯嶋和一の「始祖鳥記」浮田幸吉の半生を描いた傑作です。

 

飯島和一という作家は歴史上の出来事に題材をとって、数々の傑作を楽しませてくれていますね。大好きな作家の1人です。


浮田幸吉は、鳥が飛ぶ仕組みを独自に研究して、表具師の技術で羽を制作。1785年の夏。橋の欄干から飛んだそうです。当時、河原で夕涼みをしていた町民たちは大騒ぎ。なにせ、羽を付けた人間が自分たちの頭の上を飛んで行ったんですからね、パニックです。


そもそも実際に人が空を飛ぶなんて、誰も、考えることすらしていない時代です。
概念的に一番近い存在は「天狗」とかじゃないでしょうか。
鳥だ、飛行機だ、いや、スーパーマンだ! とかそういう時代じゃないんですからね。


浮田幸吉の飛行っていうのは、グライダーの滑走だったんでしょうね。


しかしまあ、防具だとか何も付けない中で、とにかく飛びたいっていう欲求だけで、実際に飛んじゃうんですからね、偉人ですよね。空飛ぶ初め人間。


偉人というのは周りの人間になかなか理解されません。空を飛んじゃった幸吉は岡山藩士に捕縛されて、「所払い」となります。
生まれ故郷の岡山に留まること、相成らんっていうことです。


この辺のいきさつは「始祖鳥記」で読むとリアリティがありますよ。


飯塚伊賀七という人は、いかにも江戸時代的な名前の人ですが、今でも地元では「つくばのダ・ヴィンチ」として知られる「名主」ですが、まあ発明家なんですね。


人力飛行機ばかりでなく、驚くほど多数の発明品を遺している偉人なんですが、実績の割には名前の知られていない人かもしれません。


伊賀七の飛行機は、浮田幸吉が飛んだという噂を聞いてから制作されたものでじゃないかと言われているようですが、人力飛行機が一朝一夕に出来る物とは思えませんですからねえ、同時進行的に試行錯誤していたと考えるのが適切じゃないかと考えます。


大きな羽を作り上げて、ペダルを足で踏むと羽ばたいて飛ぶことができた人力飛行機だそうです。
どうしても空を飛ぶとなれば、思い浮かぶのは「鳥」なんですね。竹とんぼ、ヘリコプター方向じゃなくって。


伊賀七の発明品は人力飛行機のほかに、和算に基づいた「大型そろばん」酒買い、茶くみという「からくり自動人形」打穀機、自動製粉、精米機などの「農業機械」さらに「和時計」や多くの「建築物」そして「地図」


「つくばのダ・ヴィンチ」と呼ばれるのもなるほどと頷かされる「鳥人間」です。


からくり人形なんかは、実際に動かして実験を進めていたらしいですから、近所の人たちからしてみれば、かなり「変わり者」だったでしょうね。


安里周祥は「飛び安里(とびあさと)」と呼ばれている琉球の花火師だそうです。


飛び安里の飛行機は飯塚伊賀七の人力飛行機と同様の仕組みだったそうで、「オーニソプター」として記録されているようです。


「オーニソプター」という羽を羽ばたかせることによって飛ぶ仕組みの飛行機もまた、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計図を遺しているものだそうです。
ダ・ヴィンチも「鳥人間」なんですね。ヘリコプターと飛行機、両方考えていた。


安里周祥は「オーニソプター」で飛行に成功して、琉球王から恩賞をもらったんだそうです。


事実であるとすれば浮田幸吉とは真逆の結果になったわけで、表具師と花火師の運命は大きく離れたものになったんですねえ。人間の運命っていうもは、理不尽です。


沖縄文化って、なんくるないさ~、でものすごくイイ文化なのかもですねえ。

 


ところで、飛行機と言えば誰でも思い浮かべるのが「ライト兄弟」ですね。


兄のウィルバーは1867年生まれ。弟のオーヴィルが1871年生まれです。自転車屋さんということも有名です。
人類初の有人動力飛行成功という栄誉を受けています。


三人の日本人「鳥人間」の100年ほど後の兄弟ですね。時代が進むと、技術や道具のレベルも進みます。


ウィルバー・ライトが生まれる1年前、1866年に愛媛県に生まれた「二宮忠八」という人が居ます。


陸軍の軍人さんですが軍用として「飛行器」というのを考案した日本飛行機の父と言える「鳥人間」です。
人を乗せて飛ぶウツワだから「飛行器」


忠八の考案した「玉虫型飛行器」は、軍の中で認められず、開発にまで至らなかったようなんですが、1954年、英国王立航空協会はイギリスの展示場へ「玉虫型飛行器」の模型を展示して、「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」として二宮忠八を紹介しています。


陸軍の上層部は、この明治のころから評判悪いんでしょうかね。残念な感じがします。
権利や利潤ばっかり追っかけて、文化文明なんて、全然理解していない。


浮田幸吉」「飯塚伊賀七」「安里周祥」「二宮忠八」以外にも日本の「鳥人間」は一定数いるのかもしれません。空を飛びたいという憧れは誰にでもあるのかもですよ。


読売テレビが主催している「鳥人間コンテスト選手権大会」をご存じでしょうか。


1977年から続いている、もはや年に一度の日本の恒例行事になっていますね。
2021年で44年目を迎えるわけで「鳥人間」のすそ野の広さ、みたいなものを感じます。


年に一度のイベントですが、これまでに、台風が会場の琵琶湖を直撃したために中止となった1997年。リーマンショックによる予算の問題で中止となった2009年。そしてコロナ禍によって中止となった2020年の3回、コンテストは行われませんでした。


2021年は7月半ば時点で、開催されるかどうか決定されていませんね。どうなるでしょうか。毎年予選から本番を通じて7月、8月ごろの開催でしたが、ま、2021年は、というか、2021年も、ね、無理でしょうかねえ。


自然災害やパンデミックの中での中止はやむを得ないところでしょうが、2009年の中止は、この「鳥人間コンテスト」にとって、予算が原因だったわけですからベーシックな問題です。そのままその時点の32回で終了してしまう危機だったわけですね。


ところが日本国中の「鳥人間」たちから存続の要望が多く出されて、新たなスポンサー「岩谷産業」が名乗り出てくれたことで、今につながっているんだそうです。


空を飛びたいという思いは、コロナ後も存続していくんだと思います。


鳥人間コンテスト選手権大会」は記録の方も凄くて、人力プロペラ機ディスタンス部門では、なんと60㎞も飛んでいます。偉業を達成したのは「BIRDMAN HOUSE伊賀」DMG森精機伊賀事業所の社員チームだそうです。


伊賀です。完全にこじつけですが、伊賀七の精神が受け継がれているのかもです。知らんけど。


凄いなあと思います。感心します。空を飛びたいんですねえ。「鳥人間」たちはねえ。


中島みゆきさんは歌います。


♪ああ人は 昔々 鳥だったのかもしれないね~

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それはたぶん、違うと思いますです。はい。

 

 

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