< 日本人は全体として 21世紀の波に乗り切れていないのかも >
デジタル庁が2021年末に公表した「デジタル社会の実現に向けた重点計画」っていうのがあります。
PDFでも詳細を281ページっていう分量で公表していますね。
デジタル後進国って言われている日本なんですが、本腰を入れてデジタル化を推進するって目的で創設されたのがデジタル庁ですよね。
なんかね「重点計画」って言ってる時点で、ん~、ホントに後進国なんだなあって思わされる感じがします。
具体がなあんもないです。
産業革命が起きて、農業主体だった人類の生活が工業主体になったのは、18世紀半ば。
日本は江戸幕府10代将軍、徳川家治の頃です。
世界史でやりましたよね、産業革命はイギリスから始まりましたって。
革命とは言うものの、イギリスの中で産業構造が変わっていくのに、1760年代から1830年代ぐらいまでの、およそ70年間っていう短くない時間経過を要しているんですよね。
人の生活様式が変わるわけですからね、そんなに急激には変れませんもんね。
どんどん機械化が進んで、労働人口が一カ所に集中して、今現在の都市のような形が出来上がっていく。
貴族社会は影を薄くしていって、資本家層と労働者層っていう、いわゆる持てる者と持たざる者が明確に別れていく流れです。
人々は初めて接する機械に戸惑いながら、改良を重ねていって、19世紀の半ばごろには生活様式がすっかり変わってしまっていったわけで、当然ながら、変化の流れにすんなり乗れた人と、非人間的な機会に対する抵抗感を持ち続けてなかなか馴染めずにいた人も少なくなかったんだろうなあって思います。
当時の日本は取り残されました。ちょんまげ結った工業化後進国です。
明治になっていきなり産業革命を終えていた西欧社会と伍していかなければならないことになったわけですよね。
かなり深度のあるカルチャーショックだったと思うんですが、先人たちは見事に工業化を成し遂げます。
2度の世界大戦を経て、20世紀も半ばを迎える頃には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」って言ってました。
たいしたもんですよね。
凄かったんです、日本。
でもそれって、今現在の21世紀に生きている日本人、我々の実績じゃないっすよ。
デジタルっていう概念の捉え方にもいろいろあるとは思うんですけれどね、「デジタル社会の実現に向けた重点計画」って、「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化を」って言っています。
日本以外の、諸外国のデジタルは人に優しくないっていうことを言いたいんでしょうか。
人に優しいデジタルって全然意味不明です。デジタルっていう言葉に何を象徴させたいのか。
出遅れているっていうのに、あまりにも抽象的。アズ・ナンバーワンなんかには絶対なれません。
「新型コロナウイルス感染症対応で行政の非効率が顕在化しました。今こそデジタルを最大限活用した課題解決が必要です」
って言ってますけれど、「デジタルを最大限活用」って、なに?
デジタルって、モノじゃないんですよ。
どうもね、データ活用ってことを言いたいようなんですけれどね、データって入力しないと発生しませんよね。
紙に書いて、それをファックスで送って、ファックスを受け取った人が逐一手で入力してデータ化しているっていうことで、そもそものデータが不正確で、時間的にも遅れてしまって即時性がないっていう問題が指摘されているコロナパンデミック対応のニュースを聞きますと、なんだかね、悲しくなってきます。
報告フォーマットもけっこう面倒くさいらしいです。
お役所にパソコン、ないんでしょうか。
デジタル機器のインフラはもちろん重要ですし、これまでの日本企業の実績からすると、ハードウェア産業に頼りたい気持ちも分からないでもないですけどね、早急に手当てしないといけないのはソフトウェアの方ですし、ネットワークインフラの整備でしょう。
富岳っていう世界最高を開発していながら、充分には活用できていませんよ。
コンピュータっていう機械が発明されて第2の産業革命だって言われたかと思ったら、インターネットが開発されてあっという間に第3の産業革命だったわけです。
GAFAは全社、第3の産業革命の恩恵を受けているって考えてイイんじゃないでしょうか。
ま、恩恵っていうのか、第3の産業革命を起こしたっていう方が近いのかもですけど。
ネットワークの利用をリードしているわけですよね。
世界標準OSとオフィスアプリケーションを持っているマクロソフトが置いて行かれるほどの勢いです。
世界は急激に変わってしまっているんです。
日本のデジタル庁って、産業革命の認識が第2次で止まっているのかもですよ。
なんかね、ネットワーク社会っていうのを認めたくないのかなあって思っちゃいます。
お役人さまだけじゃなくってね、会社のエライ人たち。
オレは、自分ではパソコンなんて使わないよ。っていうことを自慢気に言っちゃってるエライさんって、いまだに居ますからね。
転んでしまえ!
日本をデジタル社会へ移行させていく気なんて、さらさら無い感じ。
時代錯誤、アナクロニズムを感じます。
ネットワークが進展してSNSが浸透しました。そのことによって世論が無視できないものになっていることって、政治家のセンセ方や、会社のエライさんたちが重視すべきことだと思うんですけどね。
アメリカで、性暴力被害者支援活動をしていた非営利団体がSNSを利用して展開した「#MeToo」運動は、瞬く間に地球全体に広まりましたよね。
スタートは2007年ごろらしいですけど、2017年にアメリカで、映画プロデューサーのセクシャルハラスメントに対して有名女優さんたちが「#MeToo」ってやって一大ムーブメントになりました。
ただ、残念なことにこの「#MeToo」は、被害者が加害者だったことが報じられたり、同性同士の差別意識が取り沙汰されたりっていう経緯があって、ひところの盛り上がりは無くなってしまった感じですね。
日本では「保育園落ちた日本死ね!!!」っていうのが2016年にありましたね。
即座に政府も取り上げざるを得ない問題成りました。
2019年には「#KuToo」が社会運動にまでなりました。
仕事場でハイヒール、ヒールのあるパンプスの着用を義務付けられているのはオカシイでしょ! っていう運動は署名を集めて厚生労働省への禁止要求につながりましたね。
政府側は、そういうのは会社ごとに決めてくださいとか、あやふやな態度のまま、世の中がコロナパンデミックになってしまって、「#KuToo」運動の動きは止まっている感じですが、デジタル化以前の問題として、こうしたアナクロニズムって、明らかにオカシイでしょ!
なかには女性の眼鏡禁止っとかね、意味の分からない規制っていうのもあるみたいですよね。
何を目的としているドレスコード、禁止事項なんでしょうか。
ヒールって実際に外反母趾の原因にもなっているらしいですからね、不合理とか差別とかいう概念のモンダイじゃなくって、肉体的なダメージにつながっているってことですよね。
見た目、ってことでしょうか。
オフィスで働く女性はヒールで歩いてこそ一人前? あほかッ!
校則、社則ってハラスメントですよね。今の時代には合っていないです。
時代は第3次産業革命を受けて、明らかに変わっているんでございますよ。
ハラスメントってことになりますと、女性の問題が取り上げられることが多いですけど、男性のスーツ自体、もはや時代に合ってはいないんじゃないかって気がします。
ハイヒールのような実害はありませんけれど、ネクタイなんて、そもそも存在が理解できませんよ。
いや、会社勤めをするっていうのは「そういうこと」だから、っていう思い込み。
ちゃんとするっていうのはそういうことでしょうっていう先入観。
お客様に向き合うんだから、スーツにネクタイが正しい姿です。そうじゃない奴は社会のクズですとでもいう勢いの正義中毒。
ちゃんとするっていうのって、どういうことなんでしょう。正式、仕来たりっていう意識なんでしょうか。
正式とか、これが正しいっていうのは個人によっていろいろありますよね。
メタ認知がまるでないんですよね。ちゃんとしなさいって言ってる人。
デジタル化に取り組む前に、まずカタチから入っていって、会社のドレスコードを見直してみるのって悪くないんじゃないでしょうか。
スーツ、ネクタイ、ハイヒールを禁止するべきってことじゃないです。
個々人の判断でイイんじゃないの、ってことです。
女性でもスーツでキメて、バッチリ化粧して、ルージュをキッと引いて、ハイヒールで戦闘態勢完了、ってことじゃないと仕事なんてできません、って人だって居るでしょうし、男性もスーツの着こなしに命をかけているような人もいますからね。
要は多様性の許容だと思います。
何か目に見える変化を優先させて、仕事のデジタル移行。
ん~、遠いかもですねえ。