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【詩人 茨木紀子】正しく 居心地の好い気品という 女の美しい強さ

< 気品っていうものにも種類があって 日本女性特有のたおやかさ ってものでしょか >

お天気おねえさんたちの「東京都心 積もる積もるサギ」っていうのがあった当日、雪はまあ、けっこう降りはしましたけれど、積もりませんでしたね。


はずれた方がイイよねっていうこともあって、翌日は「雪の予想は難しいんですよねえ」って言い訳してましたけど、ま、イイんじゃないでしょうか。予報なんだし、バーローとか非難する人もいないと思いますよ。
これからも予報、よろしくお願いいたしますです。

 


で、翌日は晴天で、キレイな夕焼けになって、平和な夜を迎えたわけなんですが、コンビニへ行こうと外へ出てすぐ、なんか上の方からの視線といいますか、気配を感じて、ふっと上を見上げてみますと、頭の真上に煌々とした三日月が居ました。


ずいぶん高いトコにいるんだなあって感じました。遠い月。
それに妙に明るい。というか白っぽいお月さま。


ほんのしばらくの間でしたが、車の通行もなくって、珍しく静かな夜。純粋に暗い夜空に浮かぶ明るい月。
頭を思いっきりそらして見上げるお月さまは、言葉なく、静かに笑っているように感じました。


月って不思議ですよね。色合いや大きさにかなり違いのある時があるように思います。


険しいような表情に見えることもあれば、うんうんって頷いているように感じることも、そしてその夜のように笑いかけているように思ってしまうこともあります。
ま、勝手にそう思う、ってだけのことなんですけどね。


あらゆる星の中で、月だけは言葉を持っているんじゃないかっていう気がしています。


なんかそういう心の持ちようっていうのか、気持ちを開けるような感じになれる時がある。
精神的に弱っていたのかもしれません。


元気の回復が必要なタイミングなのかもです。


疲れがたまって来ると、下を向きがちになってしまいますからね。首が痛くなるぐらいに上を向かせてくれただけでもお月さまのパワーを感じます。


そういう月明りを感じられるアンテナ、みたいなものがいつも機能しているかっていうとそんなこともなくって、上を向けたってこと自体で回復期なのかもなあって、能天気かもしれませんが思うです。

 


角田光代さんが「恋か、それに似た何か」っていうエッセイの中でこんなことを言っています。


「何歳になっても恋をしているべきだというのはつまり、枯れるな、というようなことである」


「たしかに恋というものは、他人を意識する。外界とつながるということだから、恋をすれば人は開かれる」


「たとえその終わり方が苦くとも、かっこわるくとも、恋は確実に人を成長させる。でも、もはや恋による成長は私には不要だと思っている。必要なのは、恋に似た何かだ」


「きれいであるということが、服装や髪型や顔立ちといった、外見ばかりを意味するのではないと、年齢を重ねてから知った。内面の美しさというのは、善意や無垢さではなくて、外に向かって開かれていることを意味するらしいことも、だんだんわかってきた。意識が外に向いていれば、人を思いやることができるし、自我を押し通すこともない。そうしたものを失わず保ち続けるには。自分にとって何が必要か、知ることが先決なのだろう」


言葉の人ですからね、外に向いた意識が探り当てたものが、角田光代っていう人の中にどういう言葉で取り込まれるのか、そこが面白そうです。


たしかバンドマンと結婚しておられますよね。音楽にも開いた感覚を向けているんでしょう。

 


ボブ・ディランノーベル文学賞を受賞したのは2016年でした。


世界的には批判する声尾もありましたけれど、シンガー・ソング・ライターの文学性が受賞に値するのは当然のことだと、個人的には思います。


フォークソングの貴公子」って呼ばれていたボブ・ディランですが、有名になる前から応援していたフォークソングリバイバル運動の中心人物がピート・シーガー


「花はどこへ行った」「ターン・ターン・ターン」のヒット曲で知られていますね。


時代的にベトナム戦争に反対する歌、反戦歌を多く歌っているんですけど、その中の1曲に「When I Was Most Beautiful」っていう歌があります。


「わたしが一番きれいだったとき」っていうタイトルなんですけど、これ、日本人の「茨木紀子」っていう人の詩を英語に訳して歌っているんですよね。


知っている人はご存じのことだと思うんですが、この茨木紀子っていう詩人、スーパーな人だと思います。
1926年、大正15年に生まれて、2006年、平成18に亡くなっています。


「わたしが一番きれいだったとき」っていう反戦の意思を表す言葉の選び方、凄いと思います。


〝わたしが一番きれいだったとき〟


〝街々はがらがら崩れていって〟


〝とんでもないところから〟


〝青空なんかが見えたりした〟


〝わたしが一番きれいだったとき〟


〝まわりの人達が沢山死んだ〟


〝工場で 海で 名もない島で〟


〝わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった〟


〝わたしが一番きれいだったとき 〟


〝わたしの国は戦争で負けた 〟


〝そんな馬鹿なことってあるものか 〟


〝ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた〟


まったく無理をしていない、自然な、女性の言葉として書き上げられた詩ですが、町をのし歩く、その背筋はさぞや真っすぐだったろうなあって感じさせます。

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言葉の選び方、並べ方、巧いというんじゃなくって凄いって思いますね。


も1つ。

「自分の感受性くらい」


〝ぱさぱさに乾いてゆく心を〟


〝ひとのせいにはするな〟


〝みずから水やりを怠っておいて〟


〝駄目なことの一切を〟


〝時代のせいにはするな〟


〝わずかに光る尊厳の放棄〟


〝自分の感受性くらい〟


〝自分で守れ〟


〝ばかものよ〟


「恋に似た何か」を外に向かって開かれた意識で掴み取るための「自分の感受性」
そんなものは自分で守らなければ、誰が守ってくれるっていうんだ、っていう現実。


ばかものよっていうメタレベルの自己意識。
なんでしょうか、この茨木紀子っていう人。


これまで全く知らなかった人なので、最近珍しいカルチャーショック。


戦時中、国に尽くそう、そうしなければいけないっていうふうに生活していた日本人。
やっぱりそれは変だったんだ、っていう怒りに似た気持ちもあったんでしょうね。もっと自分自身の判断を信じて良かったんだっていう反省みたいな感情。


各々が各々で、みんな誰でも1人なんですよっていう、強さも感じますよね。


強さだけから出てくる言葉ではない、っていうのがハッキリわかるのは、しっかりと愛した夫を持ったんだなあって感じさせる詩もあるからなんですね。


茨木紀子さんが49歳の時、25年間連れ添ってきた医師の夫が亡くなったんだそうです。
大好きだったんだと思います。


大阪生まれの茨木紀子さんですが、2人東京で暮らした家で、夫の死後3も0年を暮らして、自分の死後には夫の故郷、夫の眠っている山形県のお墓に葬ってくれるよう遺言しておいて、独りで生涯を閉じた人らしいです。


「歳月」


〝真実を見きわめるのに〟


〝二十五年という歳月は短かったでしょうか〟


〝けれど  歳月だけではないでしょう〟


〝たった一日っきりの〟


〝稲妻のような真実を〟


〝抱きしめて生き抜いている人もいますもの〟


「急がなくては」


〝あなたのもとへ〟


〝急がなくてはなりません〟


〝あなたのかたわらで眠ること〟


〝ふたたび目覚めない眠りを眠ること〟


〝それがわたくしたちの成就です〟


しっかりと人を愛することも知っていた詩人。


作品を集めてみようかなって思いっています。もうちょっとね、しっかり、自分の感受性を守りながら、誠実に生きられるかも知れないですから。