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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【おじさん構文】とか【おばさん構文】っていうのってなんでダメなの?

< 若者ルール そんなん知らんがな! でイイんじゃないかって気もしますけどね >

主にLINEメッセージについてなんですが、ちょっと前から取り上げられているのが「おじさん構文」っていう中年男性に特徴のある文体。


それからちょっとして、おじさんがあるなら、こっちもねって感じで言われだしたのが「おばさん構文」です。


スマホ、パソコンで使われる文章、文字は「打ち言葉」っていう表現もあって、独自の文化を作り上げてきているっていうことが言えそうなんですけど、「おじさん構文」「おばさん構文」っていうのは、あまり好いニュアンスで取り上げられてはいないみたいですねえ。


自分ではLINEをやっていないからなのか「おじさん構文」も「おばさん構文」も身近に感じたことはないんですが、取り上げているデジタル記事を読んでみますと、どうやら、世の趨勢についていけていないから「おじさん構文」「おばさん構文」になっちゃうって書いてあるのが多かったですね。


秒進時歩なんていうことも言われるデジタル世界ですが、それはハードウェア、ソフトウェアの技術的な分野のことであって、そうしたインフラにのっかる創作物とは別のことですよね。
最先端、イコール、デジタルネイティブ文化ってことでもないんじゃないかって思うですよ。

 

 

 


これから先もLINEをやる予定はありませんので、まったく外野からの意見になるかもしれませんが、「おじさん構文」「おばさん構文」って批判されちゃう現象のコアには、ヤアねえ、とか、ウザイって感じている要素があるんじゃないでしょうか。


そして、そういう感情を表現した最初の人たちがデジタルネイティブだったんで、若い世代に嫌われるような文体、文章表現は控えるようにしましょうっていう、いってみれば不文律みたいな同調圧力に、全体的に賛同している状態。


ヤアねえって指摘されちゃう文章表現っていうのは絶対的なもんじゃなくって、相対的なもんでしょうし、オヤジ世代から送られてくる、ヤアねえなメッセージは、デジタルネイティブ世代だけじゃなくって、同じオヤジ世代の人にとっても、やっぱり同じようにヤアねえなものになると思います。


ウィキペディアの「おじさん構文」に、例としてあげられているメッセージを見てみます。


「〇〇チャン、オッハー❗😚今日のお弁当が美味しくて、一緒に〇〇チャンのことも、食べちゃいたいナ〜😍💕(笑)✋ナンチャッテ😃💗」


まあ、例として作り上げたメッセージなのかもですけど、こういうのが「おじさん構文」ってことだとしますと、明らかにビジネスシーンで使われているLINEメッセージじゃなさそうですね。


ホントにこういうメッセージが来たら、キモイでしょ。どんな世代だとしても。


これがもし、おばさんから若い男子に対してのメッセージだとすると、怖さ倍増です。


そんなに親しくもないのに「チャン付け」してくる。
一文の中に何個も絵文字、顔文字を入れてくる。
意味不明なセクハラもどき。
語尾のカタカナが意味不明。
カタカナの「ナンチャッテ」で一応、セクハラに防衛線を張っているようなのは、確信犯でセクハラをしている疑いあり。


ってことが、こんな短い一文に対して指摘されちゃうんですね。


もちろん、この1つの例だけから「おじさん構文」全体について理解したつもりになっちゃいけないんでしょうけど、このメッセージから言えることは「おじさん構文」はヘボイ口説きメッセージ文体だってことです。


スナックのバイトのオネエサンに対して送ったとすると、まあ、オネエサンからは仕事として、一応の「色よい」返信は来るのかもですけど、ミャクとか、あるわけないでしょ。


シチュエーションによっては軽く笑って流す、ってわけにもいかないこともあるのかもですけど、こういう「おやじ構文」のメッセージを送って来るオヤジは、ワルイ奴じゃないんだろうと思います。
ウザイしダサイかもですけど、積極的な行動を起こせないタイプなように感じますね。

 

 

まあ、こうしてブログを書いていて、LINEとは表現形式が違っているとはいえ「打ち言葉」として、何か参考になることがあるかなあって思って覗いてみた「おやじ構文」なんですが、単に悪文だっていうことぐらいしか感じとれず、そこに新しい文章形式が登場しているってことじゃなかったんでした。


ブログをTwitterやLINEみたいに使っている人もいますけど、まあだいたいは、メッセージっていうより文章ですよね。
当ブログの文章は、ブログ全体の中でもおそらく長めな方になっているんだろうって思いますけど、「おやじ構文」があてはまる度合いは低いんじゃないでしょうかね。


ま、あてはまるとしても、それはそれでイイんじゃないの? って思います。


「おばさん構文」って揶揄されるメッセージっていうのは「おやじ構文」とは違って、ウザイしたごころっていうのはないんでしょうけれども、過度なデコレーションっていうのがあるみたいです。


おやじよりはおばさんの方がデコレーションに対する抵抗感って無いでしょうし、視覚に訴えるメッセージのやりとりを普通にやっているのはおばさんで、デジタルネイティブはそんなメッセージを書きません、っていうんだとしても、別にデジタルネイティブに合わせ込んで、自分の文体を変えようとする必要って、ないんじゃないですかね。

 

 

 


「おやじ構文」「おばさん構文」オッケーじゃないでしょうか。
そういう「自分の世代の文字文化」ってことで良くないですか?


まあね、なんだか悪く言われちゃっている感じだけど、自分は「おやじ構文」「おばさん構文」好きですけどっていう意見も、世代に関係なくあるみたいですけどね。


なんで悪く言われちゃっているかっていうことだけをピックアップして考えてみますと、「おやじ構文」はしたごころ。「おばさん構文」はデコレーション。
要するに、したごころとデコレーションのせいでメッセージの文意自体がアヤシクなってしまっているのかもなあって思いますよ。


したごころの「おやじ構文」は、LINEっていう特徴もあるかもですが、ちょっかいを出している感じなんで、そもそもメッセージを送るっていう必然性なんてない場合が多いんじゃないでしょうか。


主要用件がちょっかいなわけですから、「ヤッホー、〇〇チャン」とかメッセージを送っても、「おまあ、誰やねん。何の用があんねん!」って思われちゃうのがせいぜいで、「おやじ構文」ウザイって言われる代表みたいになっちゃいますよね。
こういう文章ってユニークでしょ、って思っているところがそもそもダサいです。


したごころがあって、血液が下半身寄りになってしまうと、アタマに血が回らないんで文章が意味不明になっちゃう。


その人に作ってもらった弁当でもないのに、「😚今日のお弁当が美味しくて」って言われても、
「おまあが食べた弁当なんか、旨かろうが不味かろうが、関係ないねん!」ってことですもんね。


それと、これは「おばさん構文」についても共通しているんじゃないかって思うんですけど、絵文字、スタンプだとかデコレーションが一文の中に数か所使われていると、飾りやら色合いやらが、メッセージを書いている当人にとってもうるさくなっちゃって、自分が何を書いているのか分からなくなっちゃったりするんじゃないでしょうか。


書いてる本人にとって意味不明なメッセージって、受け取る側は、もっとちんぷんかんぷんってことになっちゃいますよね。


「おじさん構文」だとか「おばさん構文」だとか、構文なんて呼んで話題にしていますけど、構文とかいうレベルじゃなかったですね。


結果として送信されたメッセージが悪文であれば非難の対象になるでしょうし、ちゃんと文意が伝われば、手間暇かけてメッセージ書いてくれたんだなあってなるだけのように思えます。
絵文字、顔文字、凄くうまく使って、ニュアンスを伝えることの巧みなメッセージもけっこう見ますからね。


LINEってですね、呑み屋さんでもLINE交換しましょうっていうのは、よく誘われた時期っていうのがありまして、流行り始めた数年前ですね。それなりに酒呑みたちのコミュニケーションが成立したりもしていたみたいですが、個人的には1つも参加していませんね。
丁寧にお断りさせていただいております。


プロジェクトやチームでのLINE参加についても同様ですね。
一斉配信メールもあるのに、それ以上の繋がりが必要ですか、ってことですね。昭和の小学校の連絡網でもあるまいし。


呑み屋さんのLINEグループも、1年もしないうちに不活性化しちゃうのが普通みたいですね。

 

 

 


時代の流れに乗ってみないと、解らないことも多いでしょうけれど、こと、大人の、社会人のLINEに関しては、かなり否定的に捉えているですよ。個人的にはですね。


N人が集まったグループLINEといっても、実際のコミュニケーションは、N対Nの会話、対話じゃなくって、1対Nの一方通行の繰り返しになるんで、居酒屋トークに遠く及ばない結果にしかならないと思うからですね。


せいぜいがイベント連絡とか、その程度になってしまうんで、「打ち言葉」の面倒くささがネックになって、続かない結果になるのが自然なんじゃないでしょうか。


「おじさん構文」って言われてバカにされようが、「おばさん構文」って言われて卑下されたとしても、その文体、書き方が自分のお気に入りなんであれば、そのまま続ければイイんじゃないでしょうかね。


今回の記事は「おじさん構文」っていうのに、ブログ記事を書くためのニューカルチャーを求めて調べてみたら、ふううんっていう結果に終わてしまったので、ちょっとね、トゲトゲしてしまったかもしれません。
悪しからず。


こんブログはですね、ちょっとイラっとくるようなテーマの記事だと、文節が長くなりがちっていう特徴があるかもですねえ。うまくセーブできていないってことでしょかねえ。良くないことですけどねえ。


なにはともあれ「おじさん構文」「おばさん構文」って言われている文体は構文っていうレベルじゃなかったですし、「おじさん構文」「おばさん構文」って批判している側の文章も、そんなに言葉を大事にしている人たちの文体でもなかったのでありました。


でもまあ、用もないのに、っていうのはやめておいた方がイイんじゃないでしょうか。