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【安息のすゝめ】 寝だめするとかサボルとか そういうんじゃなくって ホントの安息って?

< 元気って身体のことだけじゃないですもんね ニュートラルな気持ちになって自分を復活させませう >

雨の夜でした。


そんな天気でも傘をさして、歩いて、呑み屋さんにやって来るですねえ。酒呑みはねえ。


でもまあ、雨の夜は客が少ないです。わざわざ来ない。
ってことで日本はまだまだ大丈夫、な気がしますねえ。ポンコツがね、少ないってことでしょ。


とか、まったくもって無責任な話をカウンター越しに焼酎バーのマスターとしておりますと、ミッコちゃんがやって来て、スカートをパタパタ叩きながら、


「なんでこんなに濡れちゃったのかしら。あたし傘さすのヘタなのかも」


すかさず女将さんが、


「そんなに強い雨じゃないのに、風も出てきたのかしらねえ。はいタオル」


ミッコちゃんのすぐ後からスーツ姿の3人連れが入ってきて、店内はさっきまでとは打って変わって賑やかな雰囲気になりました。
3人連れはとくに濡れているようには見えませんでしたけれどね。


カウンターのいつもの席に腰を落ち着けた、どうやら傘をさすのがヘッポコなミッコちゃんは、誰に向けてでもないような感じでこう言いました。


「ずっと疲れがとれないからさあ、病院行って血液検査してもらったんだけど、きょう結果が出て、別に何ともないらしいのよね。でも、疲れがとれないって言ったらさあ……」


マスターが背中で、


「ミッコちゃん、コロナやった?」


「ないない、やってない。あたしはかかってない。インフルエンザにはなったけど」


「じゃ、それでしょ」


「なにかの後遺症とか、そういうんじゃ全然ないんだって。それで、どうしたらいいのか聞いたらさあ、安息にしなさいって言われたのよ。なんなの安息って?」

 

 

 


むむう。たしかにね、なんなの? っていう言葉が出ちゃうかもですよねえ。


安息ねえ。
安静にとかいうんだと、動きまわらずに静かに過ごす、寝てなさい。みたいなニュアンスだと思うんですけど、安息っていったいどういう状態、状況のことを言うんでしょね。


しょっちゅう聞くっていう言葉じゃないです。


女将さんがスマホで調べますね。


「心身を安らかにして、くつろぐこと」


「くつろぐことかあ。気持ちの問題ってことかしら。疲れすぎてる身体だとくつろげないような気がするなあ」


「お酒呑めばくつろげるでしょ」


「あ、そっかあ。なるほどお」


って、そういう結論でイイのかどうか、よく分かりませんが、ま、ひとまずそゆことになりました。


でもね、なんとなく考えちゃいましたよ。
安息っていう言葉は普段耳にすることの少ない単語ですよね。


なんでそのお医者さんは安静とかじゃなくって安息っていう言葉を選んだんでしょう。っていうのが気になって調べてみたんであります。


日本語としての安息っていうのは、ひょっとすると「安息日」っていう単語から来ているのかもです。


安息にする、安息にするべき日。だから安息日。っていうんじゃなくって、安息日っていう単語の方が先に在って、その日の過ごし方、態度をこそ安息という、っていうふうに言っているんじゃないでしょうか。


日本に聖書が入って来たのは16世紀、ザビエルの時代だったらしいですけど、創世記が日本語に訳されたのも、その時代からそんなに遠くはないんでしょうね。


ザビエルっていう人はカトリックの司祭だそうですからユダヤ教じゃなくってキリスト教ですね。
聖書は新約聖書ってことになります。


キリスト教徒が自分たちと区分けするために旧約聖書って呼んでいるユダヤ教の聖書に書かれているヘブライ語の「shavat(シャバト)」っていう単語が安息日で「世界創造後の7日目の休息日を記念する日」を意味するんだそうです。


キリスト教でもそれを受け継いでいて、「sabbath(サバス)」って言うんだそうですね。


これを日本語に訳す際に、単に休日っていうのと違うよねってことでひねり出したのが「安息日(あんそくにち)」っていう単語なんじゃないでしょうか。


「あんそくび」って読んでもイイんでしょうけど、たいていのテクストでは「あんそくにち」って読ませている特別性も相まって、なんとなくそんな気がします。


単に身体を休めるっていうのとは違うんですよっていうのは、どういうことなのか。


ユダヤ教安息日っていうのは、とにかく働いちゃダメな日なんだそうです。


料理を作るっていうのもダメ。


働くっていう行為は人間が生きていくために行う務めだけれども、安息日に働かないことは神に対する人間の義務。


つまり、安息日は人間が神に思いをいたして、祈りの気持ちで過ごす日、っていうことなんだそうです。


の~んびりするとか、だらあ~っとするとかじゃないんですね。


安息日っていうのはユダヤ教だけじゃなくって、3つのいわゆる「アブラハムの宗教」に定められている日です。

 

 

 


こういう話があるんでありますよ。


太古の預言者アブラハムには、サラっていう奥さんがおりました。
サラにはハガルっていう女奴隷がおりました。


アブラハムとサラとの間に出来た子どもがイサクで、ユダヤ人の始まりなんだそうです。


イサクの子孫にヤコブっていう男がいて、ヤコブの別名がイスラエル


この民族の宗教がユダヤ教ですね。


そしてこのユダヤ民族から登場してきたのがイエス
エスキリスト教を始めるわけですね。


一方、アブラハムとハガルの間に生まれた子どもがイシュマイル。


イシュマイルの子孫たちがアラブ人で、アラブ人のマホメットムハンマド)が始めたのがイスラム教。


ザっと言ってしまうとこんな感じで、予言者アブラハムから始まった三大一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教のことをアブラハムの宗教って言うんだそうです。


セム族の宗教っていう括り方もありますね。


で、先行しているユダヤ教聖典、いわゆる「旧約聖書」に記してある神の御業が「安息日」の始まりってことになるんですね。


葬式仏教の日本人でも、ぼんやり聞いたことがあると思いますけれど、一神教の神さまは「YHWHヤハウェ)(エホバ)」ってされていますね。


アブラハムヤハウェに指名された予言者ってことになっています。


その神、ヤハウェが世界を創ります。創世記ですね。


「はじめに」神は天と地を創って、光あれ、で、昼と夜を創ったのが第1日。この日は日曜日ってことになっているんですね。


大空を創って、大空の上の水と、大空の下の水を分けたのが第2日。


陸と海を創って、陸に果樹植物を生えさせたのが第3日。


大きな光に昼を、小さな光に夜を司らせて、星々を創ったのが第4日。


水の生き物と空を飛ぶ生き物を創ったのが第5日。


地の獣、家畜、そして自分自身の形に似せて男と女を創ったのが第6日。


こうして創生が完成して、全てのワザを休んで、聖なる日としたのが第7日。


ってことで、7日目が「安息日」ってことになっているんですね。


ユダヤ教では労働しちゃいけない日になっていて、神を礼拝する日って定めているのは先述した通り。


ユダヤ教安息日は金曜日の日没後、土曜日の日没までの1日で、調理だとかの労働もしちゃいけないってことで、食べものは金曜日の日没前に調理しておくっていう風習を守っている信者も少なくないんだそうです。


ってことでユダヤ教安息日は土曜日。


ところが、ユダヤ教の中から始まったキリスト教安息日は日曜日なんですね。


キリストが復活したのが日曜日だからなんだそうです。


4世紀に、時のローマ皇帝コンスタンティヌス1世が「日曜休業令」ってうのを発布しているんですね。


これは土曜日の安息日を廃止して日曜日を礼拝日にしたっていうことで、日曜日がお休みっていう習慣の始まりがここにあるんですね。


礼拝日、イコール、安息日じゃないんですけど、第7日目が休みの日っていう感覚で月曜始まりのカレンダーにも、気分的にそういう根拠があるのかもですね。


もちろん、きちんと安息日と礼拝日を区別しているキリスト教の宗派もあるそうです。


イスラム教ではどうなっているかといいますと、安息日は金曜日なんだそうですね。


メッカ生まれのムハンマドが神の啓示を受けてアッラーの信仰を広め始めたんですけど、そのころのメッカは多神教だったんで、ムハンマドは迫害を受けていたそうなんですね。


そんな時にメッカを訪れていたメディナっていう街の商人たちがムハンマドの説教を聞いて感激して、自分たちの街に招いたんだそうです。


それじゃあっていうんで、数少ない信者たちとメッカを脱出したのが金曜日。


ただ、イスラム教でいう安息日っていうのは必ずしも休みの日っていうことじゃなくって、集団礼拝、金曜礼拝っていうことになっているみたいです。


神に思いをいたす日、っていうことでは一緒ですね。


イスラム社会も広いですからね、金曜日が休みの社会もあれば、そうじゃないイスラム社会もあるんだそうです。

 

 

 


まとめてみますと、


ユダヤ教安息日は土曜日。


キリスト教安息日は日曜日。


イスラム教の安息日は金曜日。


多くの日本人は、ナンチャッテでもなんでも仏教徒ですから、安息日なんてものはナイ! のかっていうと、そうじゃないらしいんです。


もちろん熱心な仏教徒の方もいらっしゃるでしょうけれど、たいていの日本人は葬式仏教って揶揄されるくらいに仏教儀式に明るくないですよね。


でも、あるみたいです。仏教にも安息日


「六斎日(ろくさいにち)」って言うんだそうですね。
仏教でも、六斎ビ、じゃなくって、六斎ニチ。


陰暦の8日、14日、15日、23日、29日、30日が六斎日。


陰暦の日付って大きめのカレンダーには載ってますよね。いわゆる月例ってヤツです。
月に6日あるから六斎日。


で、六斎日には、「八斎戒(はっさいかい)」を守る。


6だったり8だったり、〇△◇□なんじゃ! ってわたくしなんぞは罰当たりあことを思ってしまいますが、八斎戒っていうのは、こういうふうに生きなさいっていう仏教徒のイマシメなんだそうです。


イマシメですから常に守るべき約束。


で、そうではあっても、毎日じゃ守るの大変だから、六斎日には八斎戒を思い出しなさいね、っていうことなんだそうです。


アブラハムの宗教と、なんとなく似ている感じなんでしょうかね。


八斎戒っていうのは、


・不殺生戒:故意に生き物を殺傷しない。


・不偸盗戒:他人のものを盗まない。


・不淫戒:性行為をしない。


・不妄語戒:嘘をつかない。


・不飲酒戒:アルコール類を飲まない。


・不坐臥高広大床戒:立派な寝具や坐具でくつろがない。


・不着香華瓔珞香油塗身戒:化粧品や香水、アクセサリーなどで飾り立てない。


・不作唱技楽故往観聴戒:音楽や演劇を故意に行わない、鑑賞しない。


の8つなんですけど、宗派によっては9つ目のイマシメが加えられることもあるそうです。
仏教にも宗派ってたくさんありますもんね。


・不過中食戒:正午から次の日の日の出まで食べ物を口にしない。


人類は必要だからこそ宗教っていうのを発明したんでしょうけれど、日常の煩雑さに紛れて、つい見失いがちになっちゃうから宗教の根本を思いだしなさいね、っていうのが安息日ってことなんでしょうね。


生きものとしての人類の原点回帰。


でもあれですね、ミッコちゃんがお医者さんに言われた安息っていうのとは違うのかもです。


ミッコちゃんに必要なのはニュートラルな自分になること、みたいなことなんじゃないでしょうか。

 

 

ボーッとするのがイイんでないかい!?


ボーッと生きてんじゃねえよ! って叱られてばかりの日本人、かもしれないですけど、実はボーッとするのがヘタな日本人も多いかもです。


わたくしはボーッとするの得意です。はい。


100均で砂時計を買って来ませう!


で、じっくり眺めます。さらさらと流れ落ちる砂。落ちきったらひっくり返して、またサラサラ。


途中で砂がつっかえちゃったりするのも、100均のご愛敬。


おっきいのがイイんだと思いますけど、おっきいのはちょと高いお店でないと売ってませんね。


川べりの土手道をぶらぶらする。


空が大きいんで、普段の環境とは違う空間にいる自分を感じながら、川の流れに目をやったり、川面を吹き渡って来る風を予測してみたり。一所懸命に歩いて先を急がない。ぶらぶら散歩。


地球っていろいろ存在しているんだなあって、のどかにすべてを受け入れるような気持ちになれる気がします。


やがて消えていっちゃうのかもですけど、エンジンね、車だとかバイクの。


素人がエンジンの調子をみるには、ニュートラルにして、いかに安定しているかをみるですよね。


身体と気持ちと、ニュートラルに戻す安息の方法を、自分なりに見つけるのがイイんでないかい!?


どんどん安息しちゃいませう!

 

 

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