< 20世紀最高のバンド「ビートルズ」と「インド」の関係 オリエンタルブームの最初でしょか >
2024年3月後半の、とあるウィークデイ。学校は春休みの時期です。
殺風景なオフィス街の歩道を、制服姿、ロングヘアの女子高生が1人、歩いて来るのに行き会いました。
午後の早い時間。薄曇りの曇天で暑くも寒くもなく、風もなかったし、人通りもありませんでした。
女子高生くんは背中に背負った黄色いリュックから両肩に回した左右のベルトに、胸の前アタリで左右の親指を引っかけて、音楽を聴きながら軽く首を振って調子を取りながら歩いて来ます。
楽しげです。え~な~。
やがて車の通行音に交じりながらも聞こえてきたのは「オブラディ・オブラダ(Ob-La-Di Ob-La-Da)」
そうです、時代を超えてビートルズの名曲です。
でも、女子高生くん、なして周りに聞こえるように流してんの?
今はほら、みんなスマホに音楽をいれたりなんかしていて、ブルートュース・イヤホンで聞いてますよね。自分だけの個人的な楽しみ方。
普通、そうしてますよね。外に音を出すのはマナー違反。
すれ違いざまに確認して見ると、ロングヘアの内側にイヤホンが見えています。
ふむう。
彼女のスマホがどういう設定になっているのか知りようもありませんが、当人は外に音が出ていることに気が付いていない状態なんでしょうね。
♪ オブラディ・オブラダ ライフ・ゴーズ・オン ブラア!
そりゃそうでしょねえ。女子高生くん、君の人生はまだまだ続きますですよ。
ハッピーラッキーゴーッ! ってことでオッケーなんですけどね。
にしても、2024年の高校生がビートルズですかあ、っていう思いもあるんですけど、親子三代にわたってビートルズファンっていうのも聞きますしね、凄いです、ビートルズ。
半世紀以上経って、女子高生のお気に入りの曲として現役なんですねえ。
ホント凄いです、ビートルズ。
オブラディ・オブラダは、1968年にリリースされた「The BEATLES」っていう2枚組のアルバムに収められた1曲ですね。
自分たちのバンド名を冠したアルバム。
決して弱くはない「メンバーの気持ち」っていうのが込められているアルバム、なんでしょねえ。
「The BEATLES」っていうアルバムのジャケットは、真っ白な表面に「The BEATLES」って黒くエンボス文字が中段の右寄りに、大きくもなく浮かんでいるだけのシンプルなデザインで、別名「ホワイトアルバム」って呼ばれています。
レコードジャケットっていうのは、こうしたアート的な要素を反映させるに充分な大きさがあったですよねえ。
「The BEATLES」は思いっきりホワイトでした。
もちろんCDジャケットはレコードジャケットのデザインを引き継いでいるのがほとんどですけれど、面積が小さいですし、エンボス加工とか、そんなのは引き継げませんですねえ。
1968年っていえば、世の中はサイケデリック・ブーム。
原色系の派手なデザインに席巻されていたレコードジャケットに、ホワイトアルバムは小さくないショックを与えた存在だったそうです。
メインカルチャーに対するカウンターカルチャーっていうやつだったんですねえ。
カウンターカルチャーっていえば、後の世代にも知られているのはヒッピーカルチャーってやつで、スティーブ・ジョブス(1955~2011)が代表的な人として取り上げられることが多いですよね。
ヒッピーねえ、ふううん、ってな程度にしか知りませんです。
物質文化に対して精神文化こそが大切ってことで、欧米で流行ったのがドラッグだったりしたそうです。
ヒッピー・ムーブメントとして1969年にニューヨーク州サリバン郡で開催された野外コンサート「ウッドストック・フェスティバル」が有名です。
「平和と愛と音楽の3日間」
18万6千枚のチケットが売れたっていうことなんですけど、のべ観客数は40万人だったって言われています。
ドラッグの臭いが充満していて、交通事故とドラッグの過剰摂取で、合計2人の死亡。
出産も2件あったそうです。
大雨に降られたりしてカオスではあっても、概ね40万人の人々がヘーワに助け合って過ごした3日間だったって、プラス方向に評価されています。
ラブ・アンド・ピース! が定着したのってこれなんですよね。
映画にもなりましたし、レコードも2枚組でリリースされました。
日本にいてオンタイムで、この時のカウンターカルチャーを体験しているのって、1969年当時に二十歳凸凹だった「団塊の世代」が中心ってことになるでしょうかね。
私なんかは後付けで知っている世代。
映画の最初の方で、会場のスペースを提供したアメリカ人のオッサンが出てきて、
「イエ~イ! アイム・ア・ファーマー」
って叫ぶと、集まっていた若者たち全員が、
「ウオオオ~!」
って吠えて応えるシーンがあって、ふううむ、こういうのがカルチャーっていうものなんだべか、って思っておりました。
日本でいう団塊の世代っていうのも、まあね、いろいろ言われますけど、パワーのある世代ですよね。男女ともに。
ビートルズ世代っていうのと、ほぼ同義って言えるんでしょうね、団塊の世代って。
ジョン・レノン(1940~1980)が1956年にリバプールで「クオリーメン」っていうバンドを結成して、そこにポール・マッカトニー(1942~)と、ジョージ・ハリスン(1943~2001)が参加して、1960年にビートルズっていう名前に代えて活動を続けます。
メンバー編成はいろいろあーだこーだがあったみたいですね。
1962年、リンゴ・スター(1940~)が参加して、4人のビートルズは「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコードデビュー。
たちまち人気になって、流行っていうレベルじゃなくって新しい文化。
ビートルズを聴くっていうことが世界中の新しい習慣になったって言われています。
4人のメンバーは一挙手一投足に世界中のメディアの注目を集めながら、順調にレコーディングを重ねて新しい曲を次々に発表。
世界を飛び回ってコンサート活動を続けていましたが、1966年、アメリカでのコンサートを最後にライブ活動をやめて、スタジオでのレコーディング活動のみにしたんですよね。
つまりライブ活動は4年足らずの短い期間だけだったわけです。
だって、キャーキャー言ってて、誰もボクたちの歌を聞いてないんだも~ん。ってことだったとか、そうじゃないとか。いろいろ言われています。
その後はレット・イット・ビーとかのライブフィルムはあったりしますけどね。
そして1970年に解散してしまったビートルズでしたが、ホワイトアルバムを発表した1968年にはメンバー間のコミュニケーションは、既にあんまりよろしくない状態になっていたんだそうです。
例えば、女子高生くんの聞いていたオブラディ・オブラダはポール・マッカートニーの曲ですけど、録音にリンゴ・スターは参加していない。
なんか、そういう具合に揉めていたっていうことなんですよ。
で、オブラディ・オブラダのドラムをたたいているのはポール・マッカートニー。
スタジオでのレコーディングに専念する活動状態だった時期に製作されたホワイトアルバムは、30曲が収められているんですが、曲作りのメイン担当として数えてみれば、ジョン・レノンが14曲、ポール・マッカトニーが12曲、リンゴ・スターが1曲、そしてジョージ・ハリスンが4曲を書いているんですね。
合計すると31曲になるのは「バースデイ」っていう曲が、ジョンとポールがスタジオ内で1日で作って完成させた曲だそうで、これは2人で、って数えるからです。
ま、たいていの曲がレノン・アンド・マッカートニーって言われているビートルズですけど、ホワイトアルバムには、ジョージ・ハリスンの曲も4曲っていうそこそこの数が入っているんですね。
で、あの名曲「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(While My Guitar Gentry Weeps)」がこのホワイトアルバムに入っているですねえ。
スタジオレコーディングのギスギスした空気感の中、この曲の録音にはエリック・クラプトン(1945~)が参加しています。
ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンは親友なんですよね。
ま、好みは人それぞれではあるでしょうけれど、好い曲になりましたですねえ。
クラプトンの、レスポールギターでの泣きのギターワークです。
「ジェントリー・ウィープス」
直訳すれば、やさしく涙を流す、っていうような単語ですけど、これはジョージ・ハリスンが読んでいた東洋思想の本に書かれていた言葉なんだそうです。
ジョージ・ハリスンが東洋思想、特にインドヨガの考え方に傾倒してたっていうのは有名ですよね。
♪どうして君は進む方向を変えてしまったんだろう
♪すっかり道から外れちゃった
♪どうして君は別人のようになってしまったんだろう
♪誰も注意しなかったんだ
♪君を見てわかったよ、愛は眠りに落ちてしまったと
♪僕のギターが静かに涙を流す間に
「君」っていうのをジョージ・ハリスンの恋人ってとらえることも出来ますけど、この当時のビートルズメンバーそれぞれって考えることも出来て、なかなか意味深な歌詞なんですよね。
もう終わってる? そう感じてた? 知らんけどねえ。
ホワイトアルバムの録音の直前にビートルズの4人のメンバーは、ジョージ・ハリスンの企画でインドへ瞑想ツアーに行っているんだそうで、ホワイトアルバムにはインド滞在中に出来上がった曲が30曲中19曲入っているんだそうです。
例えばポール・マッカトニーの「マザー・ネイチャーズ・サン(Mother Nature’s Sun)」
♪田舎の貧しい少年として生まれたんだよ
♪母なる自然の子
♪ぼくは一日中ずっと座って、みんなに歌をうたっているんだ
インドでの瞑想修行っていうのがどういうものなのか、よく分かりませんがマザー・ネイチャーズ・サンっていうのは修行中に降って来たワードだったっていうことが言われています。
インドへの瞑想ツアーは1968年に実行されたんですけど、すでにビートルズの4人はスーパースターですからね、スケジュール調整とか、容易には実行できなかったんじゃないでしょうか。
しかもね、インドへ瞑想ツアーって、なんでしょか。
瞑想するために2か月間インドへ行くっていうツアー。
ちなみにホワイトアルバムの直前のアルバムは1967年にリリースされた「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」なんですけど、この時すでに瞑想ツアーっていうのを意識していたのかどうかは、分かりませんね。
瞑想はミステリーっていうのとはチャウでしょうしね。
ジョージ・ハリスンが率先して行われたインドへの瞑想ツアー。
インド人グルの「マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(1918~2008)」が主催する超越瞑想の道場で、瞑想、ヨガを学習、実践するものだったそうですけど、ビートルズは友人たちやガールフレンド、リポーターたちを巻き込んで総勢200人以上の「修行」になったそうす。
有名人が何人もいて、もう一大イベントです。
ビートルズがツアーとかを決行すればそういうことになりますよねえ。
このインドへの瞑想ツアーが世界中に東洋思想ブームを巻き起こした先駆けになるものだったのかもしれません。
でもですね、大盛り上がり! っていうのは長続きしなかったらしいです。
「インドの食べものが口に合わないんだよね」
ってことで、リンゴ・スターが2週間ほどでリタイア。
リンゴ・スターはカレーがお嫌い!? 知らんけど。
食べものが、っていうのはムリヤリ作り出した言い訳のようにも感じます。
そして、ポール・マッカトニーも1ヶ月でリタイア。理由は分かりません。
1858年から1947年までイギリス領だった歴史を持つインド。
瞑想ツアーに付き添った200人からの欧米人たちには、インド文明に対してなにか特別な感情、期待感のようなものがあったのかもしれませんよね。
身勝手な親近感だとか。。。
参加した取り巻きたちも1人抜け2人抜けしていったと思われるビートルズの瞑想ツアーですが、言い出しっぺのジョージ・ハリスンはキッチリと修行をやり遂げたそうです。
その結果出来た曲が「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」
修行の成果?
ジョン・レノンは2か月間残ってはいたそうですが、瞑想に没頭するっていうよりは距離を置いて参加者たちを観察していたのかもしれません。
ホワイトアルバムにはジョン・レノンがインドで作った「ディア・プルーデンス」っていう曲が入っています。
♪かわいいプルーデンス、外へ遊びに行こうよ
♪かわいいプルーデンス、新しい一日を迎えよう
ジョン・レノンが呼びかけているプルーデンスっていう女性は、とにかく超越瞑想に真剣に取り組んでいて、ヨガの講義や食事以外は自分のバンガローに3週間も籠っていたんだそうです。
2週間でリタイアしたリンゴ・スターは気付くことはできなかったでしょうけれど、2か月間、そこにいることはいたジョン・レノンが心配して「外へ遊びに行こうよ」って誘うのは、ごく自然な歌詞なんでしょうね。
♪笑顔を見せて 小さな子どもみたいに
そんなに夢中になるなよって言ってるんですもんね。
どうも修行に対しては距離を置いているように思えます。
このプルーデンスっていうのはもちろん実在する人物です。
200人からの参加者の中に女優の「ミア・ファロー(1945~)」もいたんですけど、知ってます? ミア・ファロー。
1966年にフランク・シナトラ(1915~1998)と結婚して、このツアーに参加した1968年に離婚しているんですね。
超越瞑想に期待する、精神的に大きなモノがあったのかもしれないですね。
ビートルズの友だち? だったんでしょうねえ。
ミア・ファローにとって1968年は女優人生の分岐点になった年で、この年の映画「ローズマリーの赤ちゃん」で主演を務めて一気に注目をあびて、翌年の1969年には「ジョンとメリー」1974年には「華麗なるギャツビー」でヒロインを演じている人気女優さんです。
そしてミア・ファローの妹「プルーデンス・ファロー(1948~)」も一緒に参加していたわけです。
さらにジョン・レノンは、この瞑想ツアーに対して批判的な曲をさらに2曲書いているんですね。
そのうちの1曲は、このホワイトアルバムに入っている「セクシー・セディー」です。
♪みんなをバカにしたよね
♪セクシーセディ なんてことしてくれたんだ
ってね、ヘンテコリンな歌詞ですよね。
セクシーなセディっていう女性が、なんかとんでもないことをやらかしてくれた。っていう歌詞なんですけど、このセディっていう名前で表現されているのは誰あろう、瞑想のグル「マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー」のことなんだそうです。
かなりダイレクトに批判しているのは、マハリシがミア・ファローに手を出そうとしたから、とか言われますけど、何があったのかは藪の中みたいです。
当初の歌詞は「セディ」じゃなくって「マハリシ」だったそうですけど、ジョージ・ハリスンが「そりゃ、いくらなんでもマズイよ」って言って、「セクシー・セディ」になった。
へええ。な歌だったんですね。
にしても「マハリシ」からなんでまた「セクシー・セディ」になるんでしょ。
そういうあたりもジョン・レノンの天才が出ているんでしょかねえ。
♪セクシーセディ 今にバチが当たるからな
で、もう1曲はこのホワイトアルバムには入らなかった曲なんですけど、ジョン・レノンが瞑想から受けた影響をダイレクトに歌っている曲ですね。
1968年の瞑想ツアーのときに出来た曲だそうで、ポール・マッカートニーの「マザー・ネイチャーズ・サン」と、対をなしているようにも捉えられそうです。
1968年当時ジョン・レノンが作った曲のタイトルは「チャイルド・オブ・ネイチャー(Child of Nature)」
なんか似たような響きのタイトルだから、ホワイトアルバムに一緒に入れることをためらったものか、当時のレコーディングが満足できるものじゃなかったからなのか、しばらくジョン・レノンの中で練り上げられていったみたいです。
そして、ビートルズ解散後、1971年リリースのジョン・レノンのソロアルバム「イマジン」の中に入れられたその曲は「 ジェラス・ガイ (jealous guy)」
歌詞の内容もツアーの時に作ったものからはずいぶん変わっているんだそうです。
♪君を傷つけるつもりはなかったんだよ
♪嫉妬してるだけさ
♪I'm just a jealous guy
いろんなミュージシャンにカバーされている名曲ですね。
ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーのカバーが全英で支持されていますし、日本だと、意外に思う人も多いかもですけど、踊るぽんぽこりんのBBクイーンズがシブ~ク決めてますねえ。
瞑想ツアーがアーティストに小さくない影響を与えるっていうのは、なんとなく分かるような気がします。
なにせ不思議の国、インドですからねえ。
2026年には名目GDPで日本を抜いて世界5位になるっていうインドですが、精神世界でも、また世界に影響を及ぼし始めるかもです。
そんでもって、国の名前をインドから「バーラト(BHARAT)」に代えるって話もありますよねえ。
余談ですけど、インドの九九って19×19までだそうです。
昔、インドの九九は99×99までだよって聞いていて、どんなアタマの構造になってんだろ、って理解のソトだったんですけど、つい先日インド人の技術者から聞いた話なので、19×19が正解なんだと思います。
ま、19×19だって、ひぇええ! ですけどねえ。