ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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【ラーメンあらかると】いろいろ食べて 結局 醤油ラーメンに帰ってくる

< 町中華 ラーメン屋って簡単に言うけど いろんなラーメンがありますよねえ >

日本人の国民食っていわれているラーメンですが、改めて考えてみますと、実にいろんな種類がありますね。


新横浜に「ラーメン博物館」が開館したのは1994年のことでしたが、ラーメンのバリエーションっていつごろから増えたんでしょうか。
一気に爆発的に増えたのか、それとも長い時間をかけて徐々に増えてきたのか。


令和現在のラーメンって、地域ごとに店ごとに、とにかくたくさんの種類があって、それでもって、まあね、だいたい旨いですよ。
インパクトの強い、味の濃いラーメンも旨いですし、アッサリ系の、なんでもないラーメンも旨いです。


近所の町中華でもしょっちゅうラーメンを食べますが、気が付いてみるとただのラーメンを注文することってほとんどなかったんですね。
タンメンだったり、麻婆ラーメン、担担麺とか、しっかりした具材の乗っかっているラーメンばっかりでした。
素ラーメンを食べていない。で、そのことに気付かされる出来事が、つい先日あったのでした。

 


長い散歩で歩いて行った先に、通り沿いに大きなマンションとオフィスビルに挟まれた50メートルほどのエリアがあって、昭和の空気感を漂わせている2階建ての家屋が取り残されてしまってでもいるように、4軒ほど並んでいました。


どの建物も民家風の2階家でしたが、オフィスビル側の2軒が焼き鳥屋さんとラーメン屋さんでした。


昼時を少し過ぎた時間帯でしたので焼き鳥屋さんは看板のみでシャッターが閉まっていましたが、ラーメン屋さんは赤いのれんがひらひらしていました。
トタン張りの外壁はだいぶ錆もみえていて、手動の引き戸。そこに掛けられているのれんは、色鮮やかな赤い地に白い文字でくっきりと「らあめん」と染め抜いてありました。
けっこう新しそうなのれんです。


通り全体が、どちらかというとしんみりした、派手さの無い空気感なんですが、その「らあめん」だけは元気な姿に見えたんですね。ひらひらした揺れ感がイイ。清潔そうなのれん。


錆びかけた薄い灰色の壁にはメニューボードが張り出されていて、そこには「らあめん 400円」とありました。


けっこう古そうなメニューボードです。
その他には「タンメン 450円」「チャーシューメン 650円」「チャーハン 500円」「オムライス 550円」などとあります。
ずっと前の値段をいつまでも書き換えずに、そのままなのかもしれません。


ただ、書かれているメニューの字は印刷書体で、古いものには見えないんですね。


ま、なんにしても町中華のラーメン一杯ですから、令和の値段になっていたとしても、そこまでビックリすることもないでしょう、と判断して、のれんをくぐってみました。


2つの長机があって、それぞれに6つのイス。2人がけの小さなテーブル席が1つ。窓に面したカウンター、というか棚席に3人、という黄昏た店内でした。昭和の町中華


棚席はアクリル板で仕切りがされています。ちゃんとしています。おばちゃんの愛想も悪くないです。
で、棚の上に置かれている小さなメニューを改めて見てみると、「らあめん」はやっぱり400円。


「安いですね」
って水を持ってきてくれたおばちゃんに聞くと、
「あはは、そうそう、昔から変えてないの。ずっと400円」


他のメニューもおそらくたぶん、ずっと昔のままの値段なんでしょうねえ。


失敗しても、まあいっか、のノリで「オムライス 550円」も魅力的でしたが、色鮮やかなのれんを見た時から、口がラーメンの口になっていましたので「らあめん」を注文しました。


棚席からちょっとだけ見える厨房にはおじさんの仕事している姿が見えました。
年季の入った白衣姿。視線を斜め下に落としたまま、黙々と仕事してます。

 


で、出てきた「らあめん」は、白い無地のラーメンどんぶりで、うっすら透明感のあるスープに、チャーシュー、なると、ほうれん草、刻みネギ。麺は中細縮れ麺。
ザ・シンプル。


400円ですしねえ、ありがたいことですよ。
で、レンゲでスープをひと口。


おおお~! 旨いんですよ、これが。懐かしい風味です。これですよ、これ。これぞラーメン。


熱さも熱し、特に主張のない麺もウマシ!
そうだった、ラーメンってこういう食べものだった、って本気で気付かされた感じでした。


乗っかっている具材って、ホント口休めっていうか、食感を変えるために口に入れるだけで、満足感は麺とスープにあったんでしたねえ。


400円っていう値段も満足感を後押ししてくれます。ごちそうですよ、ラーメンは。

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で、その日以来、近所の町中華でも普通のラーメンばっかり食べ歩いているんですが、600円とか650円が多いです。
値段にモンクはないんですが、あの400円らあめんの懐かしを感じるラーメンにはまだ出会っていません。


あの時感じたラーメンの懐かしさって、なんなん?
その正体を考えてみました。


1884年明治17年に北海道、函館の洋食屋さん「養和軒」で出された「南京そば」っていう塩ラーメンが日本で最初のラーメンなんだそうですよ。
洋食屋さんの塩ラーメン。へええ、です。南京だったんですねえ。


麺は中華麺だったんでしょうか。興味ありますねえ。


一時期「黄金の塩」っていうラーメンが市ヶ谷の店で評判になって、行列が出来ていましたが、塩ラーメンが最初だっていうのは意外です。
しかも洋食屋。ま、「洋」かどうかは分かりませんが、「和」じゃないですもんね。


養和軒の南京そばがどれほどの知名度だったのかは知りようもありませんけれど、1884年っていうと北海道の「屯田兵」が始まってから10年です。
南京そばが全国区じゃなかったであろうことは、想像に難くないですね。


そもそも、このころはラーメンっていう食べ物自体が、かなりの贅沢品だったのかもしれません。


1910年、明治43年になると、浅草に日本で初めてのラーメン屋さんが出来ます。「来々軒」です。
この来々軒っていう名前、なんとなく聞いたことはあるんですが、実物を見たことはないですね。


渡る世間で「幸楽」っていう名前が有名になる前は、来々軒が日本で一番有名なラーメン屋さんだったのかもしれません。知らんけど。
マンガなんかに出てくる町中華には来々軒っていう名前が多かったように思います。


来々軒のラーメンは醤油ラーメン。元祖ですね。東京ラーメンも来々軒から始まっているそうです。


来々軒の経営者が1916年、大正5年に栃木県佐野市に洋食屋さん「エビス食堂」を開業。


ここエビス食堂っていう洋食屋さんでも、来々軒のラーメンを出していたみたいですが、エビス食堂で修行していた調理人が、1930年、昭和5年にオープンさせた「宝来軒」っていうラーメン屋さんが「佐野ラーメン」の元祖。


栃木県の佐野ラーメンは一日で7軒のラーメン屋さんをハシゴしたことがあります。


車で行って、高速を降りてすぐの店で食べながら、地元の人に「佐野ラーメンといえば」って聞いて、移動。
そこでも聞いて、また移動っていう感じで食べ歩きましたが、スッキリ系の醤油ラーメンですね。


もちろん店によっていろいろ工夫があるでしょうから、一概に言えませんが、青竹打ちの平麺で、たぶんおそらく「たまり」醤油のスープでしたね。旨いですよ、佐野ラーメン。


1937年、昭和12年、九州、福岡県久留米市にオープンした「南京千両」が澄んだ豚骨スープのラーメンを出して評判になったそうです。ここも南京ですね。


で、澄んだ豚骨スープのラーメン店がどんどん広まっていったんだそうです。大人気。


1947年、昭和22年。同じ久留米市のラーメン屋さん「三九」が、間違ってスープをグツグツと沸騰させてしまって出来たのが、今で普通に言う白濁した「豚骨スープ」
失敗したけど飲んでみたら、意外に旨いじゃん! ってことでこれ以降の定番になったらしいです。


失敗は成功のもとアルアルですが、敗戦後2年っていうタイミングです。当時の食糧事情、栄養事情を考えますと、白濁した豚骨スープって、失敗じゃなくってチャレンジだったのかもですよね。煮だしたほうが栄養摂れそうじゃんっていう判断。知らんけど。


同じ1947年には広島県尾道の「朱華園」で「中華そば」が出されたそうです。
これは明らかに今につながる中華そばみたいですね。


なんとなくノスタルジックな感じのする「中華そば」っていう言葉の響きですが、尾道がルーツだったんですね。
これもまた意外な感じがします。
尾道ラーメン、イコール、中華そばってことですよ。


醤油です。シンプルラーメンです。今でも中華そばっていうメニューは見かけることがあります。絶対、日本人のノスタルジーを狙ってますよね。イイんですけど。


1955年、昭和30年になると、日本は戦後っていう時期を脱して右肩上がりの経済成長を始める頃になっていきますが、その頃東京中野で開業していた「大勝軒」で「つけ麺」が考案されます。
冷たい「もりそば」と温かい「あつもり」があって、大人気。


つけ麺を考案した山岸一雄オヤジは1961年、昭和36年に独立して「東池袋大勝軒」を開業するんですね。


つけ麺はずっと人気メニューで、1973年、昭和48年には「つけ麺大王」が開業しています。


ラーメンといえば外すことのできないのが「サッポロ味噌ラーメン」


これもまた1955年に「味の三平」で始まって、1967年、昭和42年に「どさん娘ラーメン」が全国展開し始めたってことらしいです。


ドサンコ」と「ドサンムスメ」っていう名前に落ち着いたっていうマンガみたいな争いもあったみたいですが、サッポロ味噌ラーメンには、風味を失っていない七味が大事、なんじゃないかって、個人的には思っています。


1968年、昭和43年、都立大学に「ラーメン二郎」がオープンします。


この頃からでしょうかね、透明感のあるスッキリ系の醤油ラーメンじゃない種類のラーメンが人気を得ていったのは。


1970年代になるとチェーン店の「ラーメンショップ」が全国展開を始めます。
何店舗か行っていますが、旨いですね、このチェーン店も。


透明感は強くないんですが、ゴテゴテしていないシンプル系のラーメンですね。中(ちゅう)がイイです。


そしてこのラーメンショップから「吉村家」が1974年、昭和49年に横浜に誕生します。
「横浜家系」の始まりですね。


今、新しいラーメンの味としては「鶏白湯」があげられるでしょうかね。


煮干し系のラーメンの人気も衰えません。


荻窪ラーメンは少し精彩を欠いている感じですが、八王子ラーメンはそこそこ人気です。

 


でもやっぱりですね、沸騰させないタイプのスッキリ透明感のある、だしの味が判る、シンプルラーメンが幸せです。


400円ラーメンの、その店で、もう1つ気になっているメニューは「オムチャーハン 600円」
ラーメンとオムチャーハンで1,000円です。


でもあれかな、そんなに食べられないかな。ん~。


安くて旨いのがなによりですよね。残しちゃいけません。


ラーメン、イイなあ~。