< ♪お酒呑むな 酒呑むな のご意見なれど ヨイヨイ >
♪酒呑みゃ 酒呑まずに 居られるものですか ダガネ
♪あなたも 酒呑みの身になってみやしゃんせ ヨイヨイ
♪ちっとやそっとのご意見なんぞで 酒 止められましょか
♪トコ ねえさん 酒もってこい
1951年の歌だそうですが、作詞、作曲が不詳だっていうんですから、なかなか貴重な歌でありますよ。
久保幸江っていう人のレコードは30万枚の大ヒット。これ、凄いですよ。昭和26年、30万枚です。
「ヤットン節」っていう歌。
まあね、令和の世の中だと、歌詞の内容に目くじら立てる人も出て来そうな歌なんですけど、作詞作曲不詳ってことは、お座敷小唄とか、そういう出自なのかもですね。
1951年、これから右肩上がりになっていこうっていう、日本経済の夜明け前、みたいな頃は、そういう雰囲気だったんでしょうかね。酒もってこい、っていうようなね。
大人の娯楽なんて酒しか無かったんだから、っていうのは昔、よく聞かされましたですよ。
酒呑み同士で話してんのに、なにょう言い訳しとんねん、って感じでしたけど、酒っていうのは、イイトコで止めておくっていうのが難しいものであることもまた、重大な事実なんでありますね。
ま、最近はへべれけになっている酔っ払いって、新宿とか以外では見なくなりましたけどね。
実はですね、ついこの前ですね、バッタリご対面してしまったんでありますよ。
昔懐かしの「オオトラ」しかもスカート姿の妙齢の女性なんでありました。
夜の9時ごろでしたね。
その日は吉祥寺の隠れ家呑み屋で呑んでおりまして、ちょっと駅から三鷹側に離れた店だったんですけど、駅まで路地をくねくね歩いて帰るその途中。
完全な住宅街っていう路地にね、大の字で寝っ転がっておられました。アゴマスク姿のメストラ。
小さなリュックはしっかり握っておられましたんで、盗難被害だとかは大丈夫な感じではありました。
ですがね、眠ってるわけじゃなかったんでした。
そのリュックをね、時々振り回すんですね。
それで、ふむ、生きておられますね、っていうのが確認できるんですけど、ま、通り抜けするような道じゃなくって車通りはあまり無いとはいえ、路の真ん中に女性が寝っ転がっているわけですからね、通りがかったマスク姿のオジサマがね、声をかけておられました
「おねえちゃん、呑み過ぎだな。ここで寝てちゃ危ないから、起きなさい」
メストラは目をしっかりつむっておられます。が、急に、
「もう歩きたくないのよ。もうホントにイヤなんだから!」
「駅まで歩けなくたって、ちょっと脇へ寄って座ればいいじゃないか」
「イヤなの~、イヤ、イヤ。とにかくイヤ」
ん~。令和になって始めてのコンタクトですね、ここまでの酔っ払いは。平成の時代でも出くわした記憶がないです。昭和の酔っ払いの生き残りでしょうか。それとも令和のネオドランカー?
そんなに寒くない晩でしたが、今どき珍しいスリーピースのオジサマは、言っても聞かないんで、無理矢理、両脇の下からメストラを抱えて、ズルズルと端へ引きずっていって、民家の外壁にもたれかからせていました。
同じように見かねたオバサマもいっしょに引きずるのを手伝っておられましたですねえ。
で、引きずられていったメストラは、不思議に素直にされるがままでしたです。
とちゅうでメストラの右足のスニーカーが脱げちゃいましたんで、また別のスーツ姿のオジサマが拾って、壁にもたれかかったメストラの脇に丁寧に置いておられました。
けっこうね、何人も、遠巻きに見ておりましたけれども、正体の無いメストラが力なく「もうっ!」って言ったのをきっかけに、オジサマもオバサマも、遠巻き連中も軽くため息をつきながら、自分の日常に戻って歩きだしました。
ま、大丈夫でしょ、って感じ。
メストラも含めて、全員がマスク姿でしたしね、かなり妙な景色なんでありました。
色とりどりのマスクではありましたけれど、薄暗がりの路地にマスクが集まって、何か集団作業みたいな雰囲気になると、どこなく異様な感じです。
メストラオネエサンは、駅へ向かっていたのか、駅から出てきたのか分かりませんが、たぶんおそらく駅から家に帰る途中だったんだろうと思われますね。オジサマの見立てとは違ってね。
駅から10分ぐらいの、脇道、言ってみればウラ路地みたいな通りでしてね、店が並んでいる場所からはちょっと離れた道なんです。
その辺に店はありませんし、私たちが呑んでいた店は看板も出していないトコなんですけど、近くに他の店なんかもありません。その店もそこから10分ぐらい離れている場所です。
メストラオネエサンさんがどこまで歩いて行くのか知る由もありませんが、「もう歩きたくない」って言うんですから、まだ先は遠いのかもですよねえ。
なんでそこまで呑むんだよ、っていう真っ当なご意見もございましょうけれども、酒呑みなんてものはね、そんなもんでございまして。はい。
メストラオネエサンも久しぶりに友達グループと楽しく呑んだのかもしれません。
まだまだ感染者の数も多い東京ですからね、いまだに控えているっていう酒呑みたちも、意外に少なくないんでありますよ。
それがまあ、何かのきっかけで、実に3年ぶり、とかいうこともね、ないではないんであります。
それで、勘どころを失くしたまま、「もう歩きたくない」ってなことになってしまった、のかどうかは知りませんけれどね。
こういう時に口にすべきなのが「御神酒上がらぬ神はない」って言葉なんでございます。
辞書にあたってみますと「酒を飲むことの好きな人が、自分の立場を守るために、言うことば」ってことなんでありしてね、そうですか、昔の酒呑みはそんなことを言っておりましたですか、って感じですねえ。
だって、聞いたことないですよ「御神酒上がらぬ神はない」なんて。
日本の酒の神さまっていいますと、
そしてなんといっても、富士山本宮浅間大社「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」
でしょうかね。他にも何柱か、酒の神っておられるんでしょうけれどね。
今、お神酒っていう言葉自体、お祭りの御神輿担ぎの休憩所に置いてある樽酒に貼ってあるのを見るぐらいなもんで、身近なもんじゃなくなっていますよね。
でも「御神酒上がらぬ神はない」って、なんだか妙な感じもしますね。ちゃんと酒呑みの言い訳になっているんでしょうか。
神様だって酒を呑むんだから、オレだって呑むんだよ、ってことですよね。
ちっとも説得力ないでしょ。
おまあ、なに様やねん! ってことになりませんかね。
神さまと酒呑みの自分を一緒にしちゃってイイんでしょうか。
ま、そんなツッコミを受けることもなく、そこそこ長いあいだ使われていた言い訳、だったんでしょうかね。
昔も今も、どこかで線引きして、へべれけにはならないように、酒のマナーもちゃんとしましょうってことなんですけど、ま、それが難しい時もあるってことですよね。
神社なんかで「正式な」お神酒をいただくときには、一定の型があるんだそうです。
その場の席に着いて、巫女さんがお神酒を注ぎに来たら、一拍手。
ええ~!? って思いますけど、お神酒です。一拍手です。
置いてある盃を両手でしっかり持って、注いでもらいます。
巫女さんの合図を待って、3口で呑みます。
呑み終わったら、盃の口を付けたところを指で拭いて、元の場所に盃を戻す。
ってことなんでありますけど、神社でそういう場面を見る機会もないですからね、ふううん、酔っぱらうとか、そいうのには縁がなさそうな呑み方ですねえって思うだけです。
そういう形式的な酒って、どうなんでしょう。味わうって感じでもなさそうですね。
いつもの居酒屋さんで一拍手はしないでおきましょう。いちいちパーン! とかやるのは、ハッキリ言って迷惑ってもんです。
やっぱり、「御神酒上がらぬ神はない」っていうのは、令和日本には説得力ないです。よね。
メストラは天然記念物、って思ったら、令和現在増殖中、って話も聞きました。
そなの?