< コロナ禍が明けて 何をやるにしても そのための準備 出来てないですねえ >
コロナ禍の自粛制限がどんどん解かれていって、言ってみればコロナ前に戻っていくっていえる状況になってきました。ようやくですね。
ですが、当然のごとく時間が後戻りするわけじゃありませんので、新型コロナがインフルエンザと同等の扱いになるっていう新たな段階に入るだけで、制限の解かれた社会の中で生活していくってことになるんでしょうね。
誰でもが普通にです。
日本の新規感染者数がなぜ急激に減ったのか、解明は出来ていないらしくって、正式な発表はありません。
特に日本人が、ということでは無いと思うんですが、周りを見渡しても、けっこう真面目に自粛生活を送っていた人が多かったのは事実ですね。
みなさんの周りでもそうだったろうと思います、
その結果なのかどうかは分かりませんが、日本特有の現象として、ウイルス自体が自滅してしまう変異をしたんじゃないかっていう見方もあるみたいです。
コロナの第6波については、専門家はこぞって絶対来るよっていう見解みたいですが、どうなるのかは神のみぞ知る、ですよね。
でもまあ、新規感染が治まったように見える期間だけでも、精一杯のびのび出来たらイイですよねえ。
とは思うんですが、どうもね、みなさん、なかなか自粛気分から抜け出せないでいるのかもしれないです。
近所の町中華、居酒屋に行ってみたら店の人が愚痴ってましたよ。
町中華は23時まで、居酒屋は24時までの営業に復帰して、アルコールもふんだんに揃えて準備万端だったらしいんですが、ちらほらしか客足が戻って来ないんだそうです。
そうねえ、みんなねえ、もう2年近く、しっかり自粛生活していましたからねえ。
宅呑みに慣れちゃって外に呑みに出なくなっちゃったのかねえって、がっくししてました。
そうなのかもですねえ。ニュースのインタビューなんかで聞こえてくる声は「まだコワイ感じですよねえ」とか「減ってきてはいるけど、まだまだ終わったわけじゃないでしょ」ってなところです。
慎重です。
店の売上が激減している中で、制限解除に向けて仕入れた材料の中には足の短いものも多くあるので、売り上げにつながらないと苦しいんだよねえ。
そうねえ、そりゃそうだよねえ。
ではあるんですが、1人でいつもの3倍呑んだり食べたりは、はい、できませんよね。
外に出ることに慎重になるのは当然ですし、理解できますが、もう既存のインフルエンザに対する警戒程度の生活態度でイイんじゃないのかなって気がしますよ。
自粛要請による行動変容から、自粛解除に合わせた行動変容のタイミングなんじゃないかってことです。
ま、酒を呑みに外へ出ましょうってことじゃなくって、一度経験している自分自身の生活行動変容を活かして、新たなエンジョイを見つけ出すっていうような行動です。
なかなかね、そんな勇気が出ないっていうのも分かる気もしますけれどね。
日本製のワクチン、治療薬も来年中には出てきそうな雰囲気にはなっています。
閑話休題「幸運は勇者に味方する」っていう「名言」があります。
ヨーロッパ各地で言い伝えられている言葉らしくって、いろんな言い回しがあるみたいです。
「幸運は用意された心のみに宿る」っていう意味のフランス語が知られているでしょうか。
19世紀のフランスの生化学者・細菌学者「ルイ・パスツール」の言葉だそうです。
低温殺菌法の開発も知られていますが、なんといってもワクチンの予防接種法を開発した人として有名ですね。
パスツールの名言は、邦訳するのが難しい言葉の使い回しなのか、いくつかのバリエーションがあります。
「 le hasard ne favorise que les esprits préparés」というパスツールの言った言葉は一つですので、意味的には同じになる、はずなんですが、日本語だけで判断すると微妙にニュアンスの違いを感じてしまうところが面白いです。
「偶然は準備のできていないものには微笑まない」
「チャンスは備えあるところに訪れる」
「幸運の女神は、常に準備している人にのみ微笑む」
そして「幸運は勇者に味方する」などです。
一番短いのが覚えやすいので、これをタイトルにしてみたってわけです。
パスツールは、自分の研究成果が偶然性による幸運ということもできるだろうけれども、その幸運な偶然は常に準備していたから訪れたんですよ、ということを言っているんでしょうね。
勇者っていうのは、常に鍛錬している者だっていう認識。
この概念に似たものに「セレンディピティ」っていうのがありますね。
偶然に素敵な幸運に巡り合うっていうような意味の言葉ですが、これは18世紀のイギリスの政治家、ホレス・ウォルポールが作った言葉だそうです。
セレンディピティも、常に周囲に対する注意を怠らなければ、巡って来た幸運に気付くこともないっていうようなニュアンスですね。
ユングの「シンクロニシティ」「アーキテクト」の概念にも通じるものがあるように思えます。
シンクロニシティは「意味のある偶然の一致」「必然性のある偶然」とか訳されていますね。分かるような分からないような。
ま、心理学まで解釈を拡げてしまうと収拾がつかなくなるきらいが出てきてしまいそうですがね。
ヨーロッパ文化の基底にはこうした「勇者」のイメージがあるのかもしれないです。
勇者と訳すしかない単語であっても、その言葉の持っている意味、ニュアンスにけっこう開きがある例の1つってことになるんでしょう。
日本人に馴染みのある「論語」には「知者は惑わず 仁者は憂えず 勇者は懼れず」っていう言葉があります。
知者も仁者も勇者も、新たな困難から逃げるようなことはないっていう感じだと思うんですが、これもやっぱり常日頃の準備っていうのが物を言うってことなんでしょうね。
南アフリカの大統領だったネルソン・マンデラは「勇敢な人というものは、怖れない者ではなく、恐怖を克服する者だということだ」って言っています。
何か動き出さなければ、イイことに出会うことも無いでしょうけれど、2年もの巣ごもりの間にそうした準備をしてきたかってことを考えてみますと、どうもねえ。。。
胸を張って新たな生活行動変容ですって、そんなビジョン、ないですねえ。
なんにも準備なんて出来ていないので、酒でも呑むしかないですかねえ。
勇者って、簡単にはなれませんよね。
なんかイイことないかなあ。。。
っと近所の町中華、居酒屋にせっせと出かけているのであります。