ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【歌枕】「和歌」と書いて「やまとうた」って読むんだそうですよ

< 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 >

あれですよ、例の、万葉仮名ってやつ。
日本で初めての和歌だって言われているもので、スサノヲノミコトの作だそうです。


八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」
(やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)


なんかね、暴れん坊のイメージのスサノヲなんですけど、こんな家庭的っていいますか、愛情あふれる歌を詠んでいるんですねえ。
ま、神話だから、とか言ってしまっては元も子もないんですが、日本文化に形を与えた初めての人っていうふうに言えるのかもしれません。


この日本初の和歌は、ヤマタノオロチを退治して、救ったクシナダヒメを娶った時の歌なんだそうです。
天空で暴れて、日本海で大泣きして、怪物を退治して、いろいろ大変なスサノヲさんです。

 


妻籠(つまごみ)」っていうのは、夫婦で一つ所に籠るって意味なんだそうで、スサノヲがクシナダヒメと一緒に住むところを探していて、出雲の国の須我(すが)っていう場所が気に入った。
要はピンときたってことなんでしょうけど、ここイイねえって言ったとたん「八雲」が立ち上って、二人の棲み処、宮殿を守ってくれる垣根のようだ。
なんとめでたいことだろうっていう歌なんですね。


やえがきヤエガキばっかり言ってるっていう酷評もあるようですけど、めでたさ、うれしさを感じる気持ちがどんどんリフレインされていて、前向きで積極的なイイ歌だなあって思います。


ま、全くの素人ですからね、ただそう感じるってだけのことなんですけど。


この歌の「八雲立つ」っていうのは「枕詞(まくらことば)」ってやつで、「出雲」にかかっていて、出雲を褒めたたえる効果ってことになってるんですね。
和歌とか、全然分かってないんですけど、なんでそうなるの? って思います。


長い歴史の中でだんだんそういう使われ方をする言葉が出てきましたっていう説明も見かけますけど、だってこれ、日本で最初の歌なんでしょ。
最初の歌にして既に枕詞っていうのがあるんだったら、長い歴史の間にってことじゃナイじゃんね。


ま、スサノヲの作とかいうことも含めて、後付けで日本で最初のっていう作りごとなんだとしても、出雲を褒める言葉は八雲立つですよって、誰が決めたんでしょ。雲つながり、だけ?


五七五七七っていう「みそひともじ」の形式も、このスサノヲの歌から始まったのか、そのずっと前からあったものなのか、考え出すと和歌、俳句の決まり事って、けっこうミョーな感じかもしれません。
スサノヲの前って、イザナギイザナミさんですよねえ。


ただ、五文字、七文字っていう言葉の語感は、日本語として、なんでしょうか、DNA的に落ち着きがイイ感触だっていうのは分かるような気がします。

 


和歌は31文字しか使えないのに、そのうちの5文字を枕詞に使っちゃうっていう形式って、どういう美意識から出てきたんでしょうね。


その対象となる言葉のアタマを乗せるっていう意味で「枕」って言うんでしょうか。
落語の前振りに当たるような部分、短い導入部を「噺の枕」って言いますよね。
「歌枕」っていうのもあります。
枕詞は歌枕の一部っていう説があります。


この辺が「長い歴史の間に」ってことなんでしょうけど、歌枕っていうと名所旧跡のことって受け取っていて、枕詞っていうのとは、なんか違っているような気がするんですが、そういう方面の研究ってアカデミックの世界から出てこないのかもしれません。


歌枕の旅っていうのがありますよね。
明らかにその歌枕の場所、名所旧跡を訪ねて、自分の足で旅をすることでしょ。


いや、昔は違ったんですよって言われれば、はあ、さいですか、ぐらいの反応しか出来ませんけれど、昔っていつのこと? ですよ。歌枕の旅って松尾芭蕉が何回かやっていますよ。
芭蕉の前には西行さんがいますし、さらにその前だと能因さんがいて、平安時代の真ん中ごろの人ですよ。
いや、だから、その前。
はあ、さいですか。


「玉川」っていう歌枕があります。
日本全国に6カ所あって「六玉川(むたまがわ)」って言うらしいんですね。


その6つを北の方からみてみます。


「野田の玉川」
宮城県塩釜市多賀城市を流れる川で、今現在も川として流れています。


「夕されば 潮風越して みちのくの 野田の玉川 千鳥鳴くなり」


能因法師の歌で、新古今和歌集に入っています。
野田の玉川に掛かっている「おもわくの橋」っていうのも歌枕の1つだそうです。
海に注ぐ玉川の夕景がキレイなんでしょうね。
行ってみたくなる気持ちも分かります。西行さん、芭蕉さんも夕焼けを見たんでしょうか。


「調布の玉川」
今でも堂々とした東京の大きな川です。


多摩川に 曝す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき」


関東に住んだ庶民の歌で、万葉集です。

f:id:wakuwaku_nikopaku:20220315071030j:plain

にこたま辺り


特に調布市の辺りを詠んでいるってことは、その辺りに住んでいた人なんでしょうけれど、調布っていうのは、税として朝廷に布を収めていた土地からついた名前なんだそうです。
多摩川の流れに麻布をさらして手作りしていたんでしょうね。
かなしいっていうのは愛おしいってことなんだそうで、「この児」っていうのが子供って捉えることもできるでしょうけれど、やっぱりね、この娘って受け取って、イイんじゃないでしょうか。


「井手の玉川」
京都府井手町を流れている川で、「平成の名水百選


「駒とめて なほ水かはん やまぶきの 花の露そふ 井手の玉川」


千載和歌集」の撰者でもある藤原俊成の歌で、新古今和歌集
両岸に桜並木があって、今でも風流さを保っている感じですかねえ。
馬の足をとめて、水を飲ませて川景色に目をやると山吹がキレイだったんでしょうねえ。
山吹の露も流れに混じっているから、馬も満足なテイストでしょうってことかしらん。


「三島の玉川」
大阪府高槻市の川。地元では玉川の里って言っていて、遊歩道のある憩いの流れ。


「見渡せば 波のしがらみ かけてけり 卯の花咲ける 玉川の里」


夫が相模の守になったんで相模って名乗っていたっていう女性の歌で、後拾遺和歌集
卯の花っていうのは当然ながら「おから」のことじゃなくって「ウツギの花」で、卯月、4月に白い花を咲かせるんですね。
一面真っ白っていう光景なんでしょうね。
卯の花清少納言もお気に入りで、自分の牛車に飾ったりなんかしてたらしいですね。


「野路の玉川」
滋賀県草津市を流れていた川。萩の玉川っていう別称もあって親しまれていたみたいですが、今は川っていうんじゃなくって、保存会によってどうにか面影をとどめている感じです。


「明日もこむ 野路の玉川 萩こえて いろなる波に 月やどりけり」


源俊頼の歌で、千載和歌集
門外漢なんでしょうがないんですけど、この歌はなんだかすとんと来ませんです。
萩の玉川って言われるぐらいですから、萩の花もドワアッて咲いているんでしょうけど、萩の花ってピンク系ですよね。
川面にそのピンクが映えているとして、そこに白っぽい、あるいは黄色っぽい月が映りこんで、キレイですかね?
さらに言えば、月が出てたら萩の花って川面に映らない時間帯じゃないの?
次の日も月夜とは限らないしさあ。
いや、まあ、門外漢の感想ですから、はい。


「高野の玉川」
和歌山県高野山を流れている川。なのでタカノじゃなくってコウヤですね。


「わすれても 汲みやしつらん 旅人の 高野の奥の 玉川の水」


弘法大師の歌ってされていますね。風雅和歌集。
この歌はかなり不思議で、今現在の高野山では「奥の院裏山、霊峰楊柳山より流れ出る清水」って案内しているんですけどね、飲むなって言ってますよね、弘法大師さん。
昔は上流に毒虫がたくさんいて、飲んじゃダメっていってるでしょ! ってことみたいなんですけど、わざわざそんな歌を残したんでしょかねえ。

 


「やまとうた」は現代にもしっかり息づいていますよね。
でもあれか、ここ最近はヒット作って出てないんでしょうかね。


「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」
1987年、俵万智、「サラダ記念日」


この歌、古びないですね。カギカッコ付きの、やまとうたです。

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com