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【あはれ】【天晴】いとをかし

< 紫式部の「あはれの文学」 清少納言の「をかしの文学」 >

インスタ映えする進化系スイーツと一緒にカシャッ、とかするのがサイコーな瞬間だよねえ、っていう現代女子にも通じるのかどうか想像できませんが、なんにせよ感動っていうのは、人間生活を充実したものにしてくれる大事なものですよね。


昔っからそうなんですよね。特に女子がね、萌えたがり、なのかもですよ。


♪お菓子食って涙が出そう


とか、今回はそういう話じゃないです。ん? そもそもお菓子じゃなくって、可笑しの方ですか。そかもです。


でも世田谷区の九品仏には「いとをかし(It Wokashi)」っていうオシャレな大福屋さんもありますよ。

 


ま、本題です。
平安時代の中頃の女性、清原諾子(きよはらなぎこ)さんって知ってます?
966年ごろのお生まれだそうで、亡くなったのは1025年ごろってされているチョー有名人です。


もう1人。同じころの女性、藤原香子(ふじわらかおりこ)さん。
970年ごろのお生まれで、亡くなったのは1020年ごろ。


共に生没年がハッキリしていないだけじゃなくって、この本名も推測レベルなんだそうですよ。
1000年も前のことになるとそんなもんでしょうかね。


清原諾子さんの世に知られたお名前は「清少納言
少納言って言ってもご本人は無冠だそうで、誰か身内に少納言っていう官職に就いていた人が居たんでしょうね。
枕草子」が完成したのは1001年ごろじゃないかって言われています。清原諾子さんが30代前半に書いた物だったってことになるわけです。


で、藤原香子さんの方はって言いますと、はい、「紫式部」ですね。
こちらも同じく、ご本人が式部っていう官職に就いていたっていうわけじゃないんだそうです。
源氏物語」の方は1008年ごろには完成したらしいです。
こちらも20代後半から30代前半に書いた物ってことなんでしょうね。


時代っていうのは不思議なもので、同じような才能を同じような時期に集中して登場させることが、時として見られますよね。
その時代の空気感っていうんでしょうか、人智を超えたチカラが働いているような感じさえしてしまいます。


清少納言さんと紫式部さんの職場は近いっていえば近いわけで、仲が良かったとか悪かったとか、そういう話をでっち上げている向きもありますけど、平安時代の女性たちって、外出することがほぼ無かった、っていうか、花見だとかのイベントの時にちょろっと出歩く程度だったっていう話もありますからね、一度も顔を合わせたことなんて無かった可能性の方が高いんじゃないでしょうかね。知らんけど。

 


言ってみればおふたりとも、当時の身分社会の中のエリートキャリア女性です。


清少納言さんは、一条天皇の皇后、藤原定子(ふじわらていし)に私的に仕えていたそうで、定子が若くして亡くなってすぐ宮仕えから離れたそうです。


この一条天皇の時代は藤原家の権力争いの激しかった時期で、なかなかに複雑なんですが、長徳の変の影響で、定子は妊娠したまま出家しているんですね。
オオゴトでっせ、これは。


長徳の変の裁きが落ち着いた時点で、定子は出家の身でありながら再度、宮中に入るんですね。
この間ずっと清少納言さんは定子に仕えていたみたいです。


で、出家しているっていうことも関係しているのかもですが、定子がいるにもかかわらず、一条天皇は2人目の藤原彰子(ふじわらしょうし)を中宮に迎えます。
どういうのか、そうせざるを得ないような、そういう藤原一族の権力争いの結果なのかもしれませんねえ。


皇后も中宮も、どっちも天皇の奥さんの呼び方なんですが、彰子が宮中に入る前までは定子が中宮って呼ばれていたらしいんですが、彰子が入って来たんで彰子が中宮になって、定子は皇后って呼ぶようになったみたいです。


その彰子の家庭教師の役割を務めていたのが紫式部さんってことなんですね。


もちろん部屋っていうか、住んでいた建物が違いますからね、同じ一条天皇の奥さんに仕えているとはいっても合う機会って、そもそも作らないように周りがしていたんじゃないでしょうかね。またしても知らんけど。


でもって、平安中期に著された、日本の誇るこの2つの作品なんですが、紫式部源氏物語は「あはれの文学」と言われているのに対して、清少納言枕草子は「をかしの文学」って言われています。


ここで言われている「あはれ」と「をかし」って、ほぼ同じ意味ですよね。


もののあはれ、っていうふうに使われる「あはれ」は読みとして「アワレ」って発音します。
ま、この部分に違和感のある人もいないでしょうけど、情感的にしみじみとした趣があるっていう意味で使われます。


一方のいとをかし、って古典の中でしか使われない感じの「をかし」ですが、こちらもまた、趣があるっていう意味では同じなんですが、「あはれ」に比べて、感覚的、明るい感じの趣でしょうか。


似ているけど違う。なんかね、才女っていわれる人にもタイプがあるってうのは今も同じですよね。


古典はねえ、苦手ですねえ。たぶんおそらく、中学時代のセンセが悪かったせいですよ。って完全に他人のせいにしちゃいますけど、同じ思いの人も少なくないんじゃないでしょうか。


そんな人がけっこういるっていうんで登場してきたのが「桃尻語訳枕草子」ですよね。
でもって「窯変源氏物語」っていうのもあります。
どちらも橋本治さんが現代語として読みやすく訳してくれていますが、源氏の方は原作から離れて源氏さんの語りで訳されています。


なので、この現代語訳からは、清少納言紫式部2人の性格の比較なんて出来ないんですけど、個人的な感覚として、枕草子は読めましたけど、源氏物語は3回チャレンジして、ちょこっと最初の方しか読めていません。


そういうトラウマがあるんで、「桃尻語訳枕草子」は読みましたが、「窯変源氏物語」は手を付けていませんです。
長いしねえ。


ところで「をかし」は古典的な意味での「趣のある様子」として使われることはなくなって、「可笑し」ってニュアンスでしか使われませんよね。今はね。
ことばの意味の変遷って不思議です。


なんでそうなったのかっていうのは、いろいろ説はあってもよく分かっていないっていうのがホントのところなんじゃないでしょうか。


もう1つの「あはれ」もやっぱり古典的な意味での「趣のある様子」としては使われませんね。

 


平安時代の後期にたくさんの歌を残した西行さんなんかは「もののあはれ」っていうのをとても大切にして、自分の歌の中にも「あはれ」はいくつも出てきます。


でも、今現在では「哀れ」って書いて、可哀想ってニュアンスで使われています。
カワイソウって漢字の中に入ってますもんね、哀って字が。


2つとも「趣のある様子」っていう似通った意味だった「をかし」と「あはれ」は「可笑し」と「哀れ」っていうほぼ正反対のニュアンスになってしまったんですね。不思議です。


ただですね、「あはれ」には「哀れ」っていうニュアンスの方じゃなくって、もう1つ違った意味で、今でも使われて残っている言葉があるんですよ。


元々「あはれ」は「しみじみとした趣」っていうニュアンスでしたよね。決してマイナス方向の意味じゃなかったわけです。
趣があってイイねえっていうことを伝えるのに、その気持ちを強く伝えたいっていうとき「あっぱれ」って表現していたっていうことなんですが、それは「天晴」っていう言葉で残っていますよね。

 

 

そんなに一般的に使う言葉じゃないですけど、アッパレ! っていうのは充分に今でも通じますもんね。
素晴らしいっていうニュアンスで使われる天晴ですが、この漢字は当て字らしいです。


そりゃそうでしょねえ。
天がスカアっと晴れるっていうニュアンスの使われ方は「あはれ」にはありませんもんね。
今となっては「哀れ」と「天晴」は同じ言葉だっていうふうには、全然思えませんけどね。


「あはれ」が「あっぱれ」になるっていうのは、「やはり」が「やっぱり」になっているのと同じですね。


あはれ、あっぱれ、いとをかし、というお話でした。