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妄想 たかじんの【東京】古い歌を聞いて自分と向き合うノスタルジーの独り呑み その3

< 1993年 平成5年 歌:やしきたかじん 詞:及川眠子 曲:川上明彦 >

「歌は世につれ 世は歌につれ」ってやつの3回目であります。


1991年のバブル崩壊を過ぎて、夜の街のバカ騒ぎとかがなくなって、東京全体がタメ息を付いているような空気感だったかもしれない1993年。
ユーミンの「真夏の世の夢」サザンの「エロティカセブン」ZARD「負けないで」がヒットした年でしたね。


やしきたかじんの「東京」って歌もこの年に発表されているんですが、ロングランっていうのか、じわじわと人気が続いたみたいですね。
東京はキライなんじゃ! って声高に言っていたやしきたかじんの歌「東京」が、一番のヒット曲で代表曲になっているっていう皮肉。


なんか知りませんけど、めちゃくちゃな人だったみたいで、やんちゃエピソードがたくさんあります。
売れてからテングになった、っていうパターンじゃなくって、デビュー前からそういう人なんだそうですよ。


でも、その「ベシャリ」って言われたトークの面白さからなのか、かなり人気のある人ではありましたね。


この「東京」って曲も、サビの歌詞「東京」っていう部分を「大阪」に代えてカラオケでガナル、っていうのが大阪でブームになった、っていうかそうするのが定番ってことになったみたいですからね。相当なもんです。
やしきたかじん自身もコンサートで歌うときには、その街の名前に代えて歌っていたそうですから、そういう楽しみ方をする歌だったんでしょうし、そういうサービス精神の人だったんでしょうね。


やしきたかじんの「東京」は、第27回全日本有線放送大賞読売テレビ最優秀賞」「特別賞」を受賞した歌です。

 

 

 


この1993年という年は「平成の米騒動」の年で、タイ米の輸入で日本の食が支えられたっていうことがありました。
米余り、だとか言われていて、日本人のコメ消費量が減り続けている中で、まさかの米供給不足。
政府を批判するのは簡単なんですが、ビックリするほど米の収穫量が減ったのは、冷夏だったから。


なんで冷夏になったのかとっていうと、1991年にフィリピンのピナツボ火山が大噴火したから、ってことなんでありました。
噴出物が空を覆ったんで、太陽光が充分に日本の地表に届かなくなっていたっていうんですから、そりゃまあ、いろいろ影響が出ますです。


この1993年と同じ年だったかどうか記憶が確かじゃないんですけど、町中華から「モヤシ炒め」が消えたんですよね。
ちょっと、その辺の話を。


バブル期の頃までは、個人的見解としてですが、アルバイトの時給と定食の値段っていうのはだいたい同じだったんですよ。時給がだんだん上がってきてほくほくしていると、定食も値上げになっている。


食費を切り詰めようとすると、安い定食を選ぶわけですが、その代表が「モヤシ炒め」でした。
「野菜炒め」より100円ぐらいは安かったんです。普通の定食屋、町中華でですね。


1993年辺りは、米と同じ理由で野菜も育たなかったんじゃないでしょうか、って思うんですけれどね。


「モヤシ炒め」が消えたのは、モヤシがとれなかったからじゃないんです。モヤシは安定供給。
そうじゃなくって、モヤシ以外がとれなかったからなんです。


例えば町中華のメニューには「モヤシ炒め」と「野菜炒め」と、両方あるのが普通でした。
具材の種類は同じなんですよ。キャベツ、白菜、玉ねぎ、ニンジン、そしてモヤシです。だいたいね。


モヤシの量が少なければ「野菜炒め」モヤシの量が多ければ「モヤシ炒め」そんな感じ。


で、野菜が高いからなんでしょうけれど、「野菜炒め」を注文して出てきたのが「モヤシ炒め」


いや、ちゃうちゃう、注文したのは「野菜炒め」


ん、それ、「野菜炒め」だよ。


ナニオーッ! こんなモヤシばっかりの野菜炒めってあるかア! モヤシ炒め分しか払わんぞ!


ってことが、たぶんおそらく、あっちこっちの町中華、定食屋で繰り広げられて、だって野菜、高いからってことで、説明するのも面倒だからなのかもですが、メニューから、値段の安い方の「モヤシ炒め」が消えてしまったんですね。


この時にメニューから消えたのは「モヤシ炒め」だったんですが、実質的に消えたのは「野菜炒め」の方だったんですよね。
「野菜炒め」を注文すると、それまでの「モヤシ炒め」が出てくるっていうのが常習化しました。


で、やがて野菜の収穫も戻るわけですが、「モヤシ炒め」がメニューに復活している店って少ないです。
今、普通に出てくる「野菜炒め」は、昔の野菜炒めに比べればモヤシの量がべらぼうに多いんです。
でもまあ、そういう世の中になってしまいました。


ギャーギャー騒ぎ立てる人なんて居やしませんですね。モヤシ、好きですけどね。

 

 

 


この年の総理大臣は宮澤喜一から、夏に細川護熙に変わって、政権交代が実現したんですね。


レインボーブリッジが開通して、Jリーグが開幕しました。
新語・流行語大賞年間大賞も「Jリーグ」でした。ま、新語、ではありますけどね。


「道の駅」がスタートしたのもこの1993年でした。
そっかあ、「道の駅」ってもっと昔からあるのかと思っていたんですけど、2023年で30週年ってことなんですね。Jリーグも30周年ってことになります。


さてさて妄想の始まりです。
この先は一杯ひっかけてから、読んで、つかあさい。っね。


東京のビル風が、やたらに冷たく、切り付けるように吹き挑んでくるのは、悲しい街だからなんだと、あたしは思っている。
あたしだけが悲しいわけじゃないんだ。分かり切ったこと。


吹き付けてくる風はドライなのにくすんでいる。そういうのが東京の特徴なんだろう。
とにかく冷たい街なんだ。風だけじゃなくって、人だって空だって、色が冷たい。


どこまで歩いたってビルは延々と続いて、ビルとビルの間から吹き流れてくる東京の風から逃れることは難しい。
それでいて、部屋に帰って、風から解放されると、しみじみと独りなんだってことを実感してしまう。
風にまとわりつかれていた方が、寂しさを感じないでいられるなんて、我ながらおかしな女になったものだって思う。

 


あの人と一緒に暮らしていた頃は、風なんて気にしていなかった。
こんなに風の強い街だなんて、意識もしていなかった。


肩を寄せ合って、二人並んでいればそこが、そこだけが世界だったし、風も何も、入り込む余地なんてなかった。
この人となら、いつ人生が終わってもかまわないって本気で思っていた。


それが幸せっていうものならば、あたしは本当の愛の生活をしていた経験があるんだ。
本気で人を愛したって言えるんだし、本物の愛を受け取ってもいたって、女としてのその本当の思いの名残りだけで、今、生きている。


今でも愛している。今だって憎んでいる。


♪痛いほど好きなのに


♪なんでなんで別れたんやろ


♪いまもまだ胸の奥


♪揺れる東京


大阪にはまだ、まだまだ帰らない。帰るつもりはない。
いつまで経っても慣れない東京だけれど、ここを離れてしまうと自分の中で、何かが本当に終わってしまうような気がするから。


まだ追いかけている。そんな気持ちはないつもり。
ビルしか見えない東京だけれど。弱くはないはずの、あたしだから。


♪あたしが本気で惚れた人


♪そう 生まれた街やから


♪祈るように きょうも灯が


♪ともる東京


作詞の「及川眠子」っていう人は「残酷な天使のテーゼ」「淋しい熱帯魚」だとか、多くのヒット曲を書いている人なんですねえ。
「眠子」って書いて「ねこ」って読むみたいです。

 

 

 


やしきたかじんねえ、ああいうユニークなタレントはもう出てこないでしょうねえ。
よくしゃべる、大阪のイタイおっちゃん。


自分も含めた世界全体を嫌って生きていた人だったのかもです。

 

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