< 2007年から3月9日が「ありがとうの日」として一般社団法人日本記念日協会に認定されているです >
不思議なもので、肉親同士とか夫婦間で、心で思ってはいても「ありがとう」って普通に言えないっていうのが、一般的な日本人らしいですよね。
近しい人にこそ「ありがとう」って言えない。言えていない21世紀の日本。
言葉にしなくたって、だとか、言わなくたって伝わっているでしょ、とか、そんな言い訳にもならないようなことを言ってごまかしている人のなんと多いことでしょう。いや、ホントのトコは知らんけど。
じゃあさ、肉親に対して言えなくたってさ、他人に対してだったら言えてるんじゃないの?
いやあ、どうでしょねえ。普段から周りの人に対して、ありがとうって言えてます?
職場の同僚ってことになると、ありがとうが嫌味にとられちゃったりとか、面倒なこともあります。
でもまあ、気を付けてさえいれば、けっこうありますよね「ありがとうシチュエーション」
「ありがとうの日」を定めたNPO法人HAPPY&THANKSは、「積極的にありがとうという言葉を口に出して、周囲の人に感謝を伝え合う」っていうのが定めた狙いだって言ってます。
子どもの頃から周りの人に感謝の気持ちを伝えて、「いい子」に育ってほしい。
そういう願い、なんだそうです。「いい子」ね。
相手に伝えるから、口にするからこそ、感謝の気持ちが育っていく、ってことなんでしょうかね。
オトナも参加しちゃいませう!
3月9日は「サンキューの日」「感謝の日」「サンキューアートの日」だとかすでに制定されている記念日があったんだそうですけど、あえて39は外さずに、日本語で「ありがとうの日」にしたみたいです。
ま、法人の名前にTHANKSがはいってますからね、3月9日、でしょねえ。
HAPPY&THANKSっていうNPO法人は2006年に設立されて2021年に解散しているみたいです。
でもまあ「ありがとうの日」は残っているってことになるんでしょねえ。
一方ですね、7月15日は「世界ありがとうの日」なんだそうであります。
こちらを制定したのは「OKWAVE」
多くのQ&Aサイトを運営している、日本のナレッジコミュニティですね。
1999年に「OKWeb(オーケイウェブ)」として起業されて、2005年に「OKWAVE(オーケイウェイブ)」に改名されています。
「OK」っていうのは、「Oshiete? Kotaeru!」の略、なんだそうです。
なんでアルファベットなのかは知らんですう。
7月15日は「OKWAVE」の創業日。
Q&Aサイトによって悩みが解決された時に生まれてくる「ありがとう」っていう感謝の気持ちを「ありがとうボタン」をクリック、タップすることによって世界中に表しましょう。
それが「世界ありがとうの日」なんですね。
世界に向けてのありがとう。身近な人間に向けてのありがとう。
3月9日は「ありがとうの日」
7月15日は「世界ありがとうの日」
覚えておいて、感謝の気持ちを伝える大切さを忘れないようにしよう、って思いますですねえ。
日本のNPOと日本の会社が定めた記念日ですから「ありがとう」ってことになるんでしょうけれど、日本全国どこでも「ありがとう」って言うのかっていうと、そうでもないみたいです。
「ありがとう」って言う言葉が通じないってことじゃなくって、その地方固有の「ありがとう」っていう言い方があるみたいなんです。
聞いたことないですね。今でも使われている言葉なのかハッキリしませんが、ありがとうのニュアンスをちっとも感じられません。地元の人にとっては通じる感情があるんでしょうけどねえ。
富山県「ごちそうさま」
ええ~? 意味的にはありがとうと同じグループって感じもありますけど、ごちそうさま、ですかあ。
まあね、食べ終わった後に、ありがとう、っていうの、アリはアリですねえ。
長野県「おかたしけ」
かたじけない、とかからの発生でしょか。
岐阜県「うたて~」
山形県と一緒で、単語的なありがとうは感じられないですねえ。
これ知ってます。なんでだろ? って思って調べたらNHKのテレビ小説で取り上げられたことがあって、雑誌なんかでも「だんだん」とかやっていたからですね。2008年の放送だったらしいです。
ひょっとして見てました?
徳島県「たまるか」
言葉のニュアンス的にはありがとうとは反対方向から発せられている響きを感じちゃったりしますねえ。
じっさいに耳にすれば、たまるかッ!っていうんじゃなくって、ほんわか柔らかいニュアンスなんでしょうかね。
徳島方面の方、いかがでしょ?
沖縄県「たんでぃがーたんでぃ」
宮古地域の言い方らしいんですけど、こうなりますと、もう沖縄語、ですね。
さっぱり分かりません。
これ以外にも関西圏では「おおきに」って言いますよね。
って思ったら、おおきに、って言う人は今はほとんどいないんだそうです。
「まいど、おおきに」とかうのは、ドラマなんかで関西色を出すための工夫として使われるんじゃないか、っていうのが知り合いの大阪人の分析でした。
「おおきに」っていうのは略語なんだそうで、フルで言えば「おおきに、ありがとうさん」なんだそうです。
大いに、大変、すっごく、ありがとう、って言い方。
ってことはですね、今は使われなくなっているにしても、関西弁の「おおきに」っていうのは、肝心かなめの「ありがとう」を略しちゃって、大いに、大変、すっごく、って言っているってことになりますね。
「さんきゅうべりまっち」を略したら「べりまっち」になりました。
それが「おおきに」っていうこと、なんでしょねえ。
ありがとさんっていうのは言いにくかったんでしょうか。
言葉って違和感なしに何気なく使ってますけれど、ちょっと調べてみると、案外に面白いもんです。
日本の中でさえこうなんですから、世界ってことに目を向けてみますと、どうなるんでしょ。
日本人なら誰でも知っていて、むしろ英語だっていうことを意識せずに使っているかもしれない「サンキュー」
「サンキュねえ」「サンキューでしたあ」
とか、普通に日本語とミックスで使ってますよね。
「Thank you」
サンキューって言ってますけど、単語的にはサンクユーなんですね。
Thankは感謝するっていう意味で、think、考える、思う、想うっていう言葉とルーツは同じなんだそうです。
サンキューは「あなたに感謝します」「あなたを想っています」っていう言葉なんですね。
ユーを省いてサンクスっていう言い方もしますね。
サンクスっていう名前のコンビニもありました。
「Merci(メルシー)」
フランス語ですね。
語源はラテン語のmercesってことで、慈悲っていう意味なんだそうです。
慈悲の心を示すっていう施す側からの言葉が、長い時間をかけて感謝を表すように変化した。
ふううむ。なかなか不思議なものですねえ。
「Danke(ダンケ」
ドイツ語。
「Danke schon(ダンケシェーン)」っていう言葉もよく耳にしますよね。
単にダンケ、って言うより丁寧な表現。
Dankeは考えるっていう意味だそうで、あなたのことを考えていますよ、想っていますよ、ってことで、やっぱり感謝を伝える意味として使われるようになったみたいです。
シェーンの方は英語でいうナイス、みたいな意味合いなんだそうです。
丁寧語っていうより、表現そのものとして相手を敬うような感覚なのかもですね。
語源的にはラテン語から派生した「Gratia(グラティア)」ってことになっていて「好意」っていう意味。
このグラティア、イタリアに渡ると「Grazie (グラッチェ)」になっているみたいです。
あなたに好意を持っていますよ、っていう意味から感謝の言葉になっていったんですねえ。
「謝謝(シェシェ)」
中国人がやっている町中華は珍しくなくなりましたが、シェシェはあんまり聞かないです。
ま、そりゃそうですよね。日本でやっている町中華ですから「ありがとございましたあ」って日本語で言いますもんね。
謝謝、言に射るで謝です。
射っていう字は矢を放ってゆるんだ状態の弓っていう意味なんだそうで、謝は言いたいことを言ってほっとしています。っていうようなニュアンスなんだそうです。
あなたは私が言いたいことを言わせてくれた、っていうような感謝の気持ちってことなんでしょうかね。
近所の中国人町中華に発音に厳しい女将さんがいて、
「シェイシェイ言う日本人多いけど、違うよ。シィエシェよ」
ま、カタカナでその発音を書き表すのは無理なんですけど、最初のシェはゆっくりハッキリとシィエって発音して、2つ目のシェは軽く追いかける感じ。でしょかねえ。
酔っぱらったオヤジ連中に中国語の発音を教えているのを聞いて、
「中国語、上手いねえ」
っていうと、笑いながら、
「あはは、とってもウマイよ。あたし、中国人だからねえ」
って言ってます。
別嬪さんの女将さん。
こうして並べてみますと、ありがとうっていう言葉はどの国のことばであっても、けっこう耳にしているように思います。
日本語のありがとうは「有り難う」ですよね。「謝謝」から派生した言葉ではなさそうです。
まあね、知られていることではありますけど、有り難いっていうのは、奇跡的な出来事だ、この世の中でなかなか有りそうにないことだっていう言葉なんですよね。
そういう希少な、滅多にないことをしてくれたことに感謝していう言葉が、有り難う。
こうして改めて考えてみますと、相手の行為行動を最大限に持ちあげている言葉だったんですね。
ちなみに、ありがたい、の反対語は、あたりまえ、なんですって。
意味的にはすんなりその通り、ではありますけど、ありがたいの反対語は? って聞かれて即座にあたりまえって答えられる人、多くはないんじゃないかと。どうでしょか。
中国語がルーツではなさそうな「ありがとう」はどこから来たのかって言いますと、インド。
仏教用語からだそうです。
古代の中国を経由して日本に入って来た漢字文化ですが、「有り難う」と「謝謝」を日常用語として選び取っていった根底にある生活習慣の違い、みたいなことを考えてみるのも一興かもです。
「仏説譬喩経」っていう仏典にある「盲亀浮木のたとえ」が、有り難い、とはどういうことなのかを教えてくれています。
「もうきふぼくのたとえ」って読むんだそうです。
お釈迦さまが弟子の阿難(あなん)に問います。
「阿難よ、そなたは人間に生まれたことをどのように思っているかね」
「はい。大変うれしく思っております」
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出す。また広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。風に吹かれるままにあっちへこっちへ漂っている。丸太ん棒の真ん中には穴があいている。阿難よ分かるか」
「はい分かります」
「百年に一度海面に浮かび上がるこの盲亀が、浮かび上がった拍子に丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」
「絶対にないと言い切れるか」
「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
「盲亀浮木」っていうのがいかに有り難いことか。そして、人間として生まれて来れたことこそが有り難いことなんだっていう教えなんですね。
ありがたやアリガタヤって言いながら、「盲亀浮木」のこのお釈迦様の教えを思い出す生活をしていきたいなあって思いますです。
この世に生まれ出たこと自体が、みんな、誰でも、有り難いこと。
ありがとうには、相手に対する感謝の気持ちはもちろんですが、人に感謝するっていうことで自分自身の気持ちが晴れやかになるっていう効果もあるんだそうです。
ま、効果があるとか、そういう打算じゃなくって、ありがとうって言って穏やかに暮らしたいですね。
京都市左京区にある「曼殊院(まんしゅいん)」の庭園は小堀遠州の枯山水で知られていますが、2022年に再建された宸殿の前庭は「盲亀浮木之庭」って名付けられています。
こういう話を聞きますと、京都、行ってみたくなりますねえ。
オーバーツーリズムとかが引いた頃に行ってみましょうかねえ。「盲亀浮木之庭」で生命の有り難さを噛みしめるために。ありがとうございますの意味を改めて考えるために。
あざ~す、あざ~すばっかり言い暮らしている「あざ~す星人」は、ウミガメさんに噛まれてしまいなさい!
長文。お付き合いいただき、ありがとうございます。