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【酒はしづかに飲むべかりけり】飲食に一所懸命だったのは人なのか時代なのか

< 長生きする酒呑みと 若死にする酒呑みと 日本の酒呑みを考える >

洋酒、日本酒なんていう分け方をすることがありますね。
とってもザックリした分け方で、そこに明確な決まり事があるとも思えませんが、この場合の日本酒っていうのは清酒ばかりを言っているんじゃなくって、焼酎、泡盛なんかも日本酒、ってことでオッケーなんじゃないでしょうか。


そうした日本酒に対しての洋酒ですから、欧米の酒がメインなんでしょうけど、要は日本以外の酒ってことになるんだろうと思いますね。


世界最古の酒はワインだってことになっているらしいんですが、今のように嗜好品として、つまり酔っぱらうために呑む酒っていうのはいつ頃から普及したのかっていうことを考えますと、そんなに昔からのことじゃ無さそうなんです。

 


醸造酒は植物の化学変化を利用してアルコールを作り出しているわけですし、蒸留酒となりますと、その自然発酵したアルコールの純度を高めるために蒸留っていう工程を加えているわけですけれど、それは酩酊を求めてっていう工夫じゃなくって、なにか別の目的があっただろうと考えられるんですね。


洋酒に関していわれているのは、その始まりは「クスリ」だっただろうっていうことです。


ワインを蒸留したブランデー、コニャックが純粋に、っていう言い方は少しズレているのかもしれませんが、酒として楽しまれるようになったのとほぼ同時期にウイスキー、スコッチなんかも出てきているみたいです。


蒸留っていう方法が考え出されたのは、記録に残っているよりかなり前の時代なんだろうと思われますね。


ある種の液体、たいていの場合植物を浸して化学変化をした後の液体、それらの混合液を熱して、沸点の違いを利用して特定の成分を取り出す。あるいはその成分の濃度を上げる。
原理を知ってしまえば何のことはないことなのかもしれないんですけど、これはもう、農家の作業や商人の工夫っていうよりは、科学者の仕事ですよね。


ヨーロッパ中世に盛んになって名前を残している「錬金術師」ですが、たぶんおそらく古代からあった職種で、科学、医学の研究者たちだったんだろうって思われます。


卑金属から貴金属を作り出そうっていうことで、さまざま怪しげな実験を繰り返しているイメージを持たされていますけど、後世の取り上げ方が偏向しているんでしょうね。


「賢者の石」や「グリーン・ライオン」っていう一般受けするアイテムの存在もホントのことかどうか、ね。
いろんなものをゴタゴタと大鍋に入れ込んで、ぐるぐるかき回しているイメージの魔女も錬金術師の仲間ですよね。
魔女のスープもやっぱり化学変化を促す工夫ってことですもんね。
動植物に関する広範な知識がないと出来ないことです。


錬金術師たちの絵面として、その実験室によく描かれているのが「蒸留器」ですね。
古代から在った人類文明の利器。


人間の疾病に対して効能を示す物質の発見、抽出、高濃度抽出。
アルコールが殺菌作用を持つ事に気付いた古代の天才が居るんでしょうね。


クスリとして使われていた蒸留物、アルコールが、酒として楽しまれるようになるまでは、長い時間がかかっているんだと思われます。
メソポタミア、エジプト、ローマとか、あの辺りの酒文化。


一方、日本ではどうなんでしょう。


古代の日本酒は「どぶろく」ですよね。濁り酒。
米が発酵して出来る白濁したアルコールをそのまま呑んでいたってことなんでしょう。
日本の酒の発生についてはいろいろ説があるみたいですけど、稲作が定着して、保存方法の確立する前に、あれ? っていう状態になっちゃって、呑んでみたら、うひょ~、旨いじゃん。なんだか気持ちイイし。


ってな感じで、どぶろくを呑む習慣が始まったんじゃないでしょうかね。知らんけど。

 

 

なんでそうなるのかとか、菌の存在とか知らなくたって、有り難いものが出来ちゃう。出来ちゃった。
呑んでみれば、ほろほろ~って酔っぱらいます。イイね~。


洋酒がクスリから始まったとして、日本酒は最初から酔うための嗜好品だったのかもです。


どぶろく、濁酒を濾過して澄んだものにしたのが清酒ですね。
清酒が誕生した辺りでは、麹だとか、米の削り方だとか、なんで酒になるのかが分かっていたんだろうと思われますね。

 


日本の歴史の中で錬金術師って言われるような人たちが居なかったのかどうかは分かりませんが、有名な酒呑みはちゃんと居ます。
ま、近代、現代の話なんですけど。


始まりからして嗜好品なんですから酒呑みにノーガキなんかナイんです。
ただ旨けりゃいいんです。気持ち良く酔っぱらえれば言うことないんです。


名人と言われた「五代目古今亭志ん生
三代目古今亭志ん朝の親父さん。女優、池波志乃のお祖父さんですね。


毎日一升酒だったそうです。


この人は、酒でも呑むかっていうんじゃなくって、酒だ酒、酒を呑むんだっていう、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしって御仁ですね。
1890年、明治23年の生まれですから、いわゆる「不機嫌の時代」明治の男。
東京、神田の人です。


なんかね、ロクなもんじゃなかったみたいなんです。


素行不良で、当時の尋常小学校を退学させられているみたいですよ。退学させられるような小学生の不良な素行って、いったいなにをやらかしたんでしょうかね。
ただですね、明治の教育方針って、今からすると、なんなん? っていうのがけっこうあるみたいで、後に芸妓ナンバーワンになる「萬龍」っていう女の子は、妖艶すぎるっていう理由で小学校をクビになっているらしいですからね。ホントだとすれば、はあ? なんなん? ですよね。


五代目志ん生です。


般若の刺青を入れたり、妻子を連れて夜逃げしたりしながらも落語を続けていたんですけど、落語界のカオに楯突いたりなんかして全然売れません。
仲間内では「死神」だの「うわばみの吐き出され」って呼ばれて、酒だけは呑み続けていたみたいです。


そのうち関東大震災が起きちゃったときには、余震が続く中、こんなに揺れたんじゃ酒がみんなこぼれて地面に呑まれちゃう。こりゃ大変! ってことで酒屋に駆け付けて酒を買い込もうと思ったら、酒屋は商売どころの状態じゃない、追い返そうとしても、どうしても呑ませろってきかない。
勝手にしろって言うと、その場で樽から一升五合、タダ酒呑んでふらふら帰った。


地震でテンヤワンヤなのは酒屋だけじゃないですよね。志ん生の家だって大変な騒ぎ。
おまけに奥さんは妊娠中。
内の亭主は地震の中どこへ出かけたのか、何をしているのか。
あたふたしているところへ、正体無く、ふらふらになって志ん生が帰って来る。


そりゃまあ、ひっぱたかれますよねえ。大正時代でもねえ。


「うわばみの吐き出され」ってね、凄い表現ですけど、まあ、コンニャロな男だったんでしょう。


戦争中は満州へ慰問に行ったそうなんですけど、行く理由が、向こうへ行ったら酒が呑めそうだから。
戦後、命からがら、なんとか帰って来れてから売れた。


なんかね、どうやら帰って来るみたいだよアノヤロウが、なんて噂になったみたいです。
戦後急に売れたっていうようなエピソードになってますけどね、どうでしょう。やっぱり帰国がニュースになるような下地があった人なんでしょうね。
なんたって名人なんです。


船で博多に着いて、ひっぱたかれたオカーちゃんに電報を打ちます「△□日帰る、酒頼む」


酒を呑むついでに落語をする、ってな感じだったのかもですけど、名人です。一気に人気者。


出し物が途中から違う噺になっちゃったり、登場人物の名前を忘れたり、途中で寝ちゃったっていうエピソードが語り伝えられますね。
ちょこんと座って寝ちゃったもんですから、若手が出ていって起こそうとすると、客席から、
「いいよいいよ、寝かしといてやんな。志ん生がそこへ出てるだけでイイんだから」
って声がかかったとか、かからなかったとか。


世間的には「ぞろっぺえ」として知られた志ん生でしたが、家の中での稽古の真剣さを見知っている家族からは絶対の尊敬を集めていたんだそうです。
さすが名人っていう逸話ですね。


長い貧乏生活について聞かれることがあると「おれは貧乏してなかった。家族が貧乏してただけだ」
んはは。気が利いているっていうのか、とぼけているっていうのか。


いつも菊正宗だったそうです。


患ってからは、マネージャ役をやっていた長女が、こっそり水で薄めて出していたんだそうですけど、当の「うわばみの吐き出され」は、家族の思いを感じ取って、娘のことでもあるし黙っていたのかもしれないですね。
水で薄められたら、志ん生じゃなくたって気付くでしょうからねえ。


でも、さすがに名人の娘ですよ。親父さんの末期を察して、生のままの菊正宗を出して、酒談義をしたのが最後の父娘の会話となったそうです。


しかしね、毎日一升酒かっくらって、志ん生がくたばったのは1973年、昭和48年です。
享年83ってことですからね、大酒呑みの大往生って言えるんじゃないでしょうか。


納豆が好物だったんだそうで、全国の酒呑みのみなさん、せいぜい見習って、納豆を常備しておくのがイイのかもです。

 


五代目志ん生に先駆けること5年、1885年、明治18年に宮崎県で産まれた歌人が「若山牧水


「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」


「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」


の歌は、日本人であれば知らない人の無いぐらいに有名ですよね。
令和の今はそうでもないのかしらん。
でもイイ歌ですよね。日本の歌だなあって思います。


この人の酒好きも有名で、やっぱり毎日、一升酒を欠かさない大酒呑みだったらしいですね。


酒好きがたたって肝硬変で43歳の命を落とした人なんですが、夏場に亡くなって、数日経って、冷房なんてないころですからね、普通なら腐臭がし始めるのに全然そうならない。


「生きながらにアルコール漬けになっていたのかも」


とかね、そんな逸話の残っているレベルの酒呑みです。


「愛酒の日」っていうのがあって、それは8月24日なんですが、この日が若山牧水の誕生日っていうことに因んで定められたそうです。


凄く多くの歌を残している若山牧水ですが、酒の歌もけっこうあるんですよね。


「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」


が知られていますね。


どうしようもなく酒呑みなんだよねえって、勝手に親近感を抱くのが、


「かんがへて 飲みはじめたる 一合の 二合の酒の 夏のゆふぐれ」


へっへっへ。夏じゃなくたって日は暮れて行くんですけどね。酒と共にね。


「ほんのりと 酒の飲みたく なるころの たそがれがたの 身のあぢきなさ」


っていうのもあります。
きょうは呑むのやめとこうって、思っていても、暗くなってくるとね、ね!


「まさむねの 一合瓶の かはゆさは 珠にかも似む 飲まで居るべし」


菊正宗、人気ですね。わっはっはな酒呑みの心情です。


「足音を 忍ばせて行けば 台所に わが酒の壜は 立ちて待ちをる」


なんで忍び足でダイドコに行くのかは、家族生活ってことなんでしょうね。奥さんの目がありますからねえ。
肝硬変になってもキッパリ酒を断つことができない。


「人の世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにのたのしみ」


そです、その通り、ではありますが、長く楽しむための工夫ってのをすればね、もっとたくさんの名歌を残してくれたのかもですけどね。


呑まずに居られないって人は、たくさん居ましたし、今でも、ま、居ますよね。


日本酒はですね、久保田の千寿がイイですねえ。好きですねえ。依存症にはならずにすんでいる、と思いますけど。
五代目古今亭志ん生若山牧水の頃には無かった清酒、久保田の千寿です。呑ませたかったですねえ。縁もゆかりもありませんけれどねえ。


明るいうちは呑まない、って決めておりますです。はい~、呑みませんとも。たぶん。