<♪ラ~メチャンたら ギッチョンチョンデ おしめにはったい 金剛童子>
「大山」という字を何と読みますか?
関東近辺の人であれば、ほぼ例外なく「おおやま」と読むと思います。対して西日本の人、ことに山陰の人であれば間違いなく「だいせん」でしょうね。
どちらも名山です。
「おおやま」は神奈川県の丹沢大山国定公園の山で、標高1,252m。東側の東京方面から望めば、丹沢山系の一番海側に雄姿を見せて、富士山と共に関東の信仰を集める山です。
関東百名山、日本三百名山の1つに数えられていて、観光地としても有名です。
「だいせん」は言わずと知れた中国地方の最高峰。標高1,729m。日本百名山ばかりか、日本百景にも選定されている鳥取県のシンボルですね。
関東の酒呑みでも知っている「大山銘柄鳥」は高級焼き鳥として人気ですが、「おおやま銘柄鳥」と読んで、店のオヤジの苦笑いを誘ったりしています。
だいせんとは読まない、というか読めないのかもです。
地鶏や銘柄鳥はいくつも種類がありますが、個人的には「だいせん銘柄鳥」がベストだと思っています。
出汁が出るとかじゃなくって、串焼きとして旨い鳥だと思います。
関東の酒呑みたちよ、ちゃんと「だいせん」と読んであげましょう。
「おおやま」と「だいせん」に共通しているのは、二つの山、ともに「富士山」に準えられていることです。
「だいせん」は伯耆富士、出雲富士と呼ばれていますし、「おおやま」はその稜線が富士山に似ていて、江戸に近いということもあって、多くの「講」が組まれ、古代から信仰を集めていたことが知られています。
「おおやま」の山頂には「阿夫利神社本社」がありますが、おおやまは別名として「阿夫利(あふり)山」「雨降り(あぶり)山」とも言うそうで、雨乞いの神として崇められてきた歴史があるそうです。
おおやまが見晴るかしている海が相模湾なんですが、地元の漁師たちにとって、海からいち早く見つけられる山ということで、古い時代の灯台の役割も果たしていたという話も伝わっています。
地域の農民、漁民たちに絶大な影響力の「雨降り山」「おおやま」ということですね。
この「阿夫利神社本社」の主祭神は「大山祇神(オオヤマツミノカミ)」で、富士山本宮浅間大社に祀られる「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」のお父さんです。
「木花咲耶姫」は、芝居やらなんやら、いろんな物語に取り上げられていて人気で有名ですが、「大山祇神」、お父さんの方は、どうでしょうか。イマイチかもですね。
富士山のお父さんが「おおやま」なんですよ。
こうした富士山との関係から江戸時代中期ごろから大山詣り、富士詣りが盛んになったんだそうです。
都内には「大山道」という名前の付いた通りがいくつもあります。途切れ途切れですが、ホントにいっぱいありますね。それだけいろんな所から「おおやま」へ大挙して出かけていたっていうことでしょう。
関東近辺の人なら誰でも知っている「青山通り」それが延長して渋谷を通って続いている国道246号。この大動脈も、もとをただせば「大山道」。246って長い道です。
今でも大山詣りは続いているとのことですが、ま、歩いては行かないでしょう。小田急線ですよね。
さて、ここで改めて、神奈川県の「おおやま」と鳥取県の「だいせん」という二つの山。
実は結構深い因縁があるようなんですね。
なんとそれは「天狗」繋がり。
「おおやま」の阿夫利神社には大天狗、小天狗の祠があるんですが、「大山伯耆坊(だいせんほうきぼう)」の伝説があるんですね。「おおやま」に「だいせん」の天狗さんってことです。
大山伯耆坊というのは日本八大天狗に数えられる大天狗。
国際日本文化研究センターに伝わる絵では、「肌は青白く、口は嘴のようになり、小さく鋭い歯が並んでいる。白い着物と袴をまとい、白い結袈裟をかけている。背から灰色の翼を生やしている」と説明されています。
「おおやま」には元々「白峰相模坊(しらみねさがみぼう)」という天狗さんが居たそうなんですが、保元の乱に破れ、配流先で無念の死を遂げた崇徳上皇の霊を慰めるため、讃岐の国、今の香川県の白峰山に飛んで行くのに際して、大山伯耆坊を「おおやま」に呼び寄せたんだそうです。
保元の乱の頃といいますから12世紀のことになります。その頃までは居たんですね、天狗さん。
神奈川県から香川県へ、鳥取県から神奈川県へ、ヒトッ飛び、だったんでしょうかね。
それ以来、白峰相模坊は香川県の白峯山で、大山伯耆坊は神奈川県「おおやま」で、今でも祀られています、ってことなんです。
なんだか凄い関係ですが、教科書、歴史書には載らない、破れし者の歴史があるのかもしれません。
ちなみに、香川県坂出市の「相模坊社」にはカラス天狗の木像が納められているそうですから、「大山伯耆坊」と同じ種類の天狗みたいです。同族のよしみってやつだったんですかね。
で、この伝説からすると「だいせん」には大天狗が居ないくなったってことになるんですが、出雲の地ですからね、神様が集まり過ぎて、天狗としては居難いところがあったのかもしれないです。
という次第で大天狗の大山伯耆坊も居る「おおやま」ですが、「大山祇神」のかつての名前である「石尊権現(せきそんごんげん)」を祀る阿夫利神社には、かつて源頼朝が戦勝祈願に太刀を納めたという故事もあって、農業、漁業の神であったばかりでなく、勝負事の神としても人気があって、江戸時代の大山詣りは一大ブームだったそうです。
徳川家康は幕府のシステムを定めるにあたって、多く参考にしたのは源頼朝の作り上げた武家政権システムだったといいますから、幕府が大山詣りを後押し、まではしないにしても、江戸っ子には信仰といっていいような頼朝人気というのもあったのかもしれません。
現在の「おおやま」には男坂と女坂の登坂道がありますが、江戸時代の大山詣りは女人禁制。
大山詣りは江戸近辺の男どもにとって、信仰とは言いながら、遊行という目的もあったでしょうね。
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」は弥次さん喜多さんの「お伊勢参り」の話でしたが、江戸時代の大山詣りは古典落語の演目にもなっています。
江戸っ子の大山詣りは町の名士を案内役にして講を組んだにしても、往復4,5日の道中は大騒ぎだったようです。
それでも代々続く「大山詣り」ですから、長い時間のうちにはだいたいの行動パターンというのが決まっていたみたいです。
まず頼朝の太刀奉納の故事にあやかって、木刀を用意します。
大きい方がご利益があるだろうってんで7メートルもの大太刀木刀が納められた例があるそうです。
ま、こういうタグイは、もちろん武運長久なんかじゃなくって、ギャンブルで大勝ちできますようにってなもんだと思います。平和が続いた江戸時代のことですからね。
で、その木刀を抱えて両国で水垢離をする。
大山詣りの連中、みんながみんなギャンブル運を願うわけではもちろんないわけですが、五穀豊穣、豊漁、疫病退散を真剣に願う江戸っ子もいたわけで、真剣に水垢離する人も大勢います。
両国には水垢離専門の茶屋もあったんだそうで、みんなそこで7日間、水垢離をする。
「懺悔懺悔 六根清浄 大峰八大金剛童子 大山大聖不動明王 南無石尊大権現 大天狗小天狗 哀愍納受 一龍礼拝 帰命頂礼」
お題目を唱えて、これを延々繰り返します。
懺悔して身を清め、おおやまのあらゆる神様仏様、天狗さんにもお願いするわけですね。
どうぞ願いを聞き届けてくださいってことです。
豊かな実りが得られますように。大漁となって村が栄えますように。疫病が退散しますように。そして、博打に勝てますように、でしょうね。
そうしてお願いされる、大峰八大金剛童子(おおみねはちだいこんごうどうじ)は山岳修験道の神様で、撿増童子、護世童子、虚空童子、剣光童子、悪除童子、香精童子、慈悲童子、除魔童子の八童子。日本独自の神様だということです。
大山大聖不動明王(おおやまだいしょうふどうみょうおう)は大山寺のご本尊。
石尊大権現(せきそんごんげん)は、門前町にある観音寺のご本尊である十一面観音。
そして大天狗、小天狗と唱えていくわけですが、お詣り道中の酒肴三昧を期待しての輩には、神さまのことなんてよく分からない。
でもまあ、分からないなりに一所懸命水垢離しますね。
「懺悔懺悔、六根清浄」
ここまでは無難に唱えます。意味がどうとか、関係なく、気持ちですね。祈りは、気持ちです。
で、次がよく分からない。でも大声で、見様見真似。
誰か注意する人があったとしても、
「いいんだよ、みんなこれでやってんだから」
「うるせえこと言うな。昔っから、おしめにはったいなんだよ」
ってなことでバカバカしくも真剣に7日間の水垢離をやり遂げるわけですね。
呑み食いしたい、遊びたい一心だけで、7日間もこういう水垢離はできませんね。自分で何を唱えているのかよく分からなくたって、とにかく一所懸命やる。そういう信仰心っていうのは、現代の日本人になかなか分からない感覚なのかもしれません。
神さまも居れば、天狗も居た時代です。
信じる者は救われる、といいますからね。学ぶべきところもあるように思います。
で、水垢離を終えた木刀を担いで、歩いて大山へ向かうわけですね。
で、大山へ着きますと、大山の滝でまた水垢離をする。またまた「おしめにはったい」を唱えるわけです。
そして清めたら山頂を目指して大山を登ります。
私も登ったことがありますが、男坂は、参道というふうに整えられたものではなくって、途中に崖みたいなところもありますし、今なら素直に女坂、なんとなればケーブルカーで登るのがいいと思いますです。
坂の途中では野生のシカの群れに遭遇しました。お互いにビックリ、という感じでした。大自然に触れることが出来ます。でも、崖です。しがみつきながら登ります。
江戸時代の大山詣りの人たち、「おしめにはったい」であろうがなかろうが、その目的意識といいますか、願い事を届ける意志の強さ。
現代では失われてしまった「何事かを信じる力」
宇宙の中で今、生かされて在る自分の命というものを知っている。自分の命が自分の思い通りになるものではないことを知っている。
そういう知恵があったんじゃないでしょうかね「おしめにはったい」にも。
この世には人知を超えたなにものかがある。
「なにものが おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」
日本には西行の歌だとされる、こういう真実の気持ちもありますしね。
大山名物には「大山豆腐」があります。雨降り山の水と、奉納された新鮮な大豆で作られたのがルーツだそうです。
なんとも安心できる風味の、旨い豆腐です。
金銭や米を奉納できない農民や漁民が、参拝できないことを嘆くと、自分たちに出来ることをして「大峰八大金剛童子 大山大聖不動明王 南無石尊大権現 大天狗小天狗」様に願いなさいと諭されて、地元でたくさん獲れるという地場の大豆を奉納する人がたくさん居て、寺や神社で豆腐作りが発展したという歴史があるそうです。
大山の麓にある土産物店では、これもまた名物の「大山独楽」が売られています。
色鮮やかな木独楽を回すことによって、お金周りが良くなりますように、という願いが込められているんだそうです。
さて、令和の日本です。
変異株の猛威が徐々に解明されてきていて、コロナ禍はまだまだ安心できるレベルにはなりそうにない感じです。
こうなってきますと、何かにすがるというか、平穏の回復を信じる気持ちを強く持たないと、感染しなくとも精神的にやられてしまいそうです。
心のよりどころ、暮らしのコアが欲しいところです。
「おしめにはったい」でも何でもいいから、何かを信じる力を得たいです。
榎本健一の「東京節」というヒットソングがありました。大正時代に流行った俗謡をカバーしたものですが、
「ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ」という歌声は、歌詞の意味としてはさっぱり分かりませんが、これもまた「おしめにはったい」と似たようなところがあって、洋食メニューを歌詞の中に取り込もうというアイディアから、そのときたまたま眺めていたメニューがパイだらけだったので「パイノパイノパイ」
でたらめの「ラメ」から引っ張って「ラメチャン」
で、もう何だか分からないけれど、とにかく作っちゃえという勢いで、
「ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ」
東京の名物を歌詞で並べて、それでもって、変わっていく世の中を風刺しながら、市長の言うことを聞きましょうと言いつつ、「市長さんたらケチンボで」と揶揄して、でもって最後には、
♪犬の小屋かと思ったら
♪どういたしまして 人間が
♪住んでおります 生きてます
♪衛生論も 体面論も
♪パイノパイノパイ
ん~、どうもね。こうして揶揄されちゃって、日本のエライ人は昔から変っていないのかもしれません。
オリンピック開催については、正常な判断が出来ていないんじゃないでしょうかね。何にすがっているんでしょうか。理解不能です。自分でも何を言っているのか分かっていないのかもです。
ちっとも尊敬できない、日本のエライ人たち。
「おしめにはったい」「ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ パイノパイノパイ」
何か気持ち的にコアとなるものをしっかり確率したいと思う、きょうこのごろです。
今はお詣りもダメ、な感じですが、心配し過ぎず、自棄にならず、暮らしていきましょう。
家の中で出来ることは、独楽を回すことぐらいですけれどね。。。