<令和3年の日本を牛耳っているのは週刊文春なんでしょかね>
なぜこのタイミングで? なぜ内部データが? そして、なぜ、また文春が?
と話題の輪を広げた「オリンピッグ発言問題」からさかのぼっても「東北新社接待問題」「緊急事態宣言下同伴出勤問題」「東京高検検事長賭け麻雀問題」「法務大臣ウグイス嬢違法買収問題」
エライ人たちの言動に信頼を寄せられない事態が続いている今の日本で、枚挙にいとまのない “センテンススプリング” の活躍が続いています。
“センテンススプリング” という言葉が流行ったのは2016年のベッキーさんの不倫報道からでしたね。
同じ時期の2016年1月、週刊文春WOMANに「あの頃、私はOL委員会だった」という記事が掲載されました。
著者はもちろん、清水ちなみさん。
大人気だった「OL委員会・おじさん改造講座」が週刊文春で連載が始まったのは1987年、昭和62年のことでした。昭和ですよ、昭和。もう既に懐かしすぎます。
「おじさん改造講座」は瞬く間に日本中に浸透して、文春の売り上げもどーんと伸びたらしいです。
映画にもなりましたし、記憶している方も多いと思います。
実はその清水ちなみさん、2009年にくも膜下出血で倒れて、脳梗塞になって失語症を患っていたということなんです。
2016年1月の「あの頃、私はOL委員会だった」という記事は回復して最初の「書く仕事」だったのかもしれませんね。あるいは口述筆記だったりしたのかもです。
2020年の6月には「文春オンライン」で「「OL委員会」の人気コラムニストが忽然と姿を消した理由」という連載記事を、これは正真正銘自分で書いて、復活しているようです。目出度いです。
「おじさん改造講座」はバブル景気の中で、その改造を指摘されている当の「おじさん」側に妙な余裕があったのか、OLさんたちばかりでなく、改造のターゲットであるおじさんたちにも支持された人気コラムでした。
「バブルくん」などと揶揄された当時の新入社員たちも、今や会社の重鎮に納まっていることでしょう。
1997年の連載終了まで11年も続いた「おじさん改造講座」でしたが、果たして、おじさんたちは改造されたんでしょうか。
「おじさん改造講座」は会社のおじさんたちを「不思議な生き物」として、その生態を露にしようとするコラムでした。
わっはっは、だったのです。当のおじさんたちにも面白かったのです。ホントに不思議な生き物だったのですよ。
清水ちなみさんはFAXアンケートという形でOL仲間を募り、最終的には8,000人という数のOL委員会になったということです。FAXです。昭和です。
目の付け所、行動力、ジャーナリストとして抜群の才能があったってことでしょうね。
もう一つ言えば、週刊文春との出会いというのも大きかったように思います。
週刊文春は創刊時から、女性読者を大事にする、というのがモットー。ヘアヌードブームなんかにものっからず、変わらない姿勢を貫いています。女性目線を大事にしている週刊誌。イイですね。
才気あふれるジャーナリスト、清水ちなみさんが生まれたのは1963年の2月20日、東京だそうです。
その1年ちょっと前、1960年9月13日に、同じく東京に生まれたもう一人の才女がいます。
その人は「東北新社接待問題」「NTT接待問題」で矢面に立たされた山田真貴子さん。“呑み会を断らない女” として取り上げられました。
山田真貴子さんは学年として清水ちなみさんの1つ上ってことになりそうですね。
山田真貴子さんは早稲田大学法学部から1984年に郵政省に入られます。
一方の清水ちなみさんは青山学院大学文学部から1985年にコンピュータ関係の会社に就職されています。
「おじさん改造講座」の連載開始が1987年ですから、入社してすぐに清水ちなみさんは社内の「不思議な生き物」の存在に気が付いて、ユーモアを交えながらもおじさんたちを「改造」しようという “戦い” を始めたと言えそうです。「おじさんたちって、ヘンッ!」ってことですね。
山田真貴子さんの方はといいますと “呑み会を断らない女” としての、これも男社会の中での “戦い” を始めていたと言えるでしょう。
圧倒的な東大閥の勢力の中で、早稲田の花は、全省庁初の女性官房長就任、女性初の総務審議官就任を経て、女性初の内閣広報官にまで出世しています。凄い人です。
「このハゲッ!」とか叫んじゃう女性議員なんかとは比較にならない実力、才能。
女性の活躍の場を広げようという空気の中で、退任はもったいないことでした。
ただ、一般企業に比べても圧倒的に男社会であろうお役人さん世界で、山田真貴子さんという人は、男としての働きを自らに課していたのではないか、という気がします。
男にへりくだるのではなく、自分を男として仕事に対していく。仕事をする自分は女でなくてイイ。
“呑み会を断らない女” という自らの発言は、どういう文脈の中で言われたものなのか定かではありませんが、新しく入省してきた新人へのスピーチの一部だと報道されています。
自分はこうやって、つまり嫌な呑み会という風習にも積極的に参加して、男社会の中を泳いできましたよっていうふうにも聞こえます。呑み会も仕事なんですよ。男として仕事するのがイイですよ。
女ならではの、というのは偉くなってからしかできません。女性は、偉くなるまでは “呑み会を断らない女” でいくのがイイと思いますよ、っていう感じ。ま、そう感じるのは偏見の類かもしれませんけれどね。
まさにこれからだったんじゃないか、と思うわけです。返すがえすも残念ですね。
で、そのスクープをとった文春側に足を置いていたのが清水ちなみさんです。
コンピュータ関連の会社に入った清水ちなみさんは、ずっと女として、嫌な事はイヤ、嫌いなものはキライ、として戦ってきたように思えます。
なにせ「おじさん改造講座」ですからね。新入社員であっても女性としての意見です。
この二人の、人柄というのではなく、仕事に対する姿勢。
山田真貴子さんも清水ちなみさんも、幸せな家庭生活を送っておられることと思います。
家の中では妻であり、母であり、才能あふれる女なんだろうと、勝手ながら思います。
清水ちなみさんは、その旦那さんの言葉を借りれば “くだらないことに情熱をかける人” なんだそうです。
行動力の源泉ってことでしょう。
この “くだらないこと” のエピソードはけっこう感動ものだったりします。
「「OL委員会」の人気コラムニストが忽然と姿を消した理由」で読めます。
優秀なジャーナリストが失語症になってしまって、そこから言葉を取り戻すってことは並大抵の意思ではないと思います。
いろいろあったにしても、山田真貴子さんも清水ちなみさんも、まだまだ人生は続きます。
文化的に疲弊ぎみの日本を救うべく、活躍を期待したいです。
コロナ問題に対して、進捗は遅々としているようですが、ワクチン接種も始まっています。ようやくではありますがアフターコロナの世の中が始まろうとしているんだと思います。
私をはじめとして改造されなかったおじさんたちがはびこっている日本ですが、政治の世界、お役人さんたちの世界ばかりでなく、会社、一般社会に “不易流行” の態度が出てこないと、世界から取り残されてしまうような懸念があります。
オリンピック周りの人事は、とにかく女性を就任させればいいでしょ、みたいな安直さが感じられて、刹那的、その場しのぎという日本的な悪い空気が変ったようには思えません。
週刊文春に称賛されるような活動、活躍を、女性にこそ期待したいですし、男性諸氏も広いキャパシティで世界に対峙していってもらいたいもんです。エライ人たちね。
それにしても文春さん、なんか楽しい話題、ないっすか?