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【タイトル、この悩ましくも決定的なもの】散文の書き方を考える その10

< 昔のレコードには「ジャケ買い」っていうのがありまして、ジャケットの絵で選ぶんでした >

LPジャケットのサイズは31×31センチメートル。ちょっと大きいのもありましたけど、だいたいそんなサイズ。


アーティストの写真っていうのが多かったですけど、曲全体の、あるいはそのアルバムのメイン曲イメージを描き表した絵画っていうのが印象に残ります。
そのビジュアルイメージが作品の顔なんですよね。


もちろんアルバムにはアルバムタイトルが付いています。
ただ、好きな人にとってはそのタイトルと絵柄が一緒になって作品イメージになっていると思います。


CDも同じっていえば同じですが、ちっちゃいでしょ!


レコードサイズに慣れている人からすれば、ちんまりしていて、物足りない感じがありましたね。


事程左様に、受け取る側にとっても、自分好みに優れた作品には言葉以外のものも含めて、その作品自体をイメージさせるタイトルが付いています。


作品はタイトルで記憶されます。タイトルはその言葉の意味を離れて作品のイメージを包含して記憶されます。


タイトルって、大事です。とっても大事なもの。

 

 

 


閑話休題


2019年9月9日未明、関東を直撃した台風15号は甚大な被害をもたらしました。


ニュースなんかでは経済的な被害として取り上げるのが常ですが、首都圏で暮らす人々の生活そのもの、この時は停電による医療機器の運転不能、猛暑の中でのエアコン運転不能に伴うと考えられる熱中症による死亡事故が伝えられました。天災によるものとはいえ、痛ましいことです。


こうした死亡事故以外にも、吹き荒れた暴風による送電線破損、倒木被害などによってもたらされた通勤通学への影響もかなり大規模なもので、9日朝の通勤事情は理不尽とさえ言える状況を呈しましたよね。


首都圏以外にお住まいの方も、このニュースを覚えておられるでしょう。


もともと、東京圏の通勤事情が人権を無視したような様相であることは国内のみならず、世界的に知られていることではあります。


新宿区、渋谷区、千代田区、港区、中央区の東京中心部には、東京都下、神奈川県、千葉県、埼玉県などから実に数多くの勤労男女が移動して集まってきます。さらにここ10数年、都心に大学が戻ってきていて、学生の数も少なくありません。


朝の品川駅を利用したことのある人なら実感できていると思いますが、電車のホームから階段、改札を抜けて長く広いコンコースを埋める人の流れ、途切れることのない人波。


それが整然と歩いているだけに圧倒されるものがあります。
疲れている朝はウンザリします。


千代田区は住民数が5万8千人なのに対して、昼の人口は85万3千人だっていう総務省のデータがあります。


実に14倍に増えるわけですね。街が高層化していくっていうのも頷けます。
14倍の人口に耐えられるスペース、ないですもん。面積を縦に増やすしか、ね。


首都圏への一極集中は是正すべき問題として取り上げられることが多いですが、解決されるどころか、その集中度合いは増加し続けているのが実情のようです。
アフターコロナ。拍車がかかるのかも。


都市生活者としては止むを得ないと諦めざるを得ない実態ではあるとしても、都心部の昼間人口はとっくに飽和状態に陥っています。


災害とか事故とかでストップしていた電車が運転を再開した直後は、大げさじゃなくって殺人的な混雑状態になります。
朝から救急車で運ばれる人が続出するっていうのが無慈悲な現実です。


無事に目的駅にたどり着けたとしてもオフィス到着前に既に疲労困憊ですよね。


2019年の台風15号がこれほどの被害をもたらすなんて誰が想像したでしょう。


でもまあ、のど元過ぎれば、っていうことではないんでしょうけれど、時日が経過すれば、我々はこうした惨状をも記憶のかなたへ押しやってしまうんでしょうね。


そうしなければ生活していけない。そうすることで日常の暮らしを保っていけるというのが哀しい現実なんでしょう。記憶なんかしない。


最近の地球人。学習能力、低くなってしまっている、のかもですよねえ。


2019年の台風15号。15号っていう名前。その名前を記憶にとどめて置く人がどれだけいるでしょう。


毎年、台風は20号以上来ます。
近い将来、また同じように台風が首都圏に向かって来る場合、警戒の呼びかけに際して、2019年の15号と同程度の、というアナウンスになることが予想されますが、その呼びかけを聞く我々としては、15号? ってなるのが普通で、ほら、千葉県が大規模な停電になっちゃった時の。って説明してくれる記憶力の良い人は少数派ではないでしょうか。


そうしたことについて、気象予報士森田正光さんが、大きな影響をもたらした台風に、気象庁命名基準とは別に、一般レベルで名前をつけよう、って提言されていました。


一般レベルで名前を残して記憶にとどめる事が防災に役立つだろう、っていう趣旨ですね。


多いに賛同しますね。
神羅万象、何物によらず、名前は大事なものだと思います。

 

ちなみに森田さんが提唱していた2019年の台風15号の名前は「東京湾台風」です。
何の異論もございません。


その後、どうなったのか。特に報道を聞き及びませんですけどね。


さて、なにによらずのタイトルの話です。


台風の名前はタイトルっていうのとは違いますが、様々な作品には例外なくタイトルが付けられています。


小説や映画のタイトルは、その作品の魅力の一部であることは間違いありません。


そのタイトルを記憶していることによって、感動した内容を反芻できるのであり、そもそもその小説を読んだり、その映画を観るきっかけは、タイトルからっていうことも多いですよね。


読み終わった小説、観終わった映画について話をするとき、どうしても出てくるのがタイトルです。


なんだっけ、ほら、あの話。去年の一番人気だったあの日本映画、なんていったっけ。っていう会話、誰でも経験しているでしょうし、聞いたことのあるコミュニケーションですよね。
タイトルが出てくれば、思い出せればスッキリするんですけどね。

 

 

 


未知の小説作品とのファーストコンタクトもタイトルです。


本屋さんに入って、まず目に飛び込んでくるものは並べられた本の背表紙、タイトルたちです。
気になるタイトルの本を手にしてみて、初めて内容に入っていく。これが普通ですよね。


ネットでは味わえないアナログの良さ、楽しさの部分。


小説やシナリオには見かけませんが、中には「無題」っていうタイトルの作品があります。


「無題」をタイトルと言ってしまって良いのかどうかは、いろいろな意見があるところでしょうけどね。


「無題」っていうタイトルを目にするのは、展覧会に出展された絵画やオブジェである場合が多いように感じます。街路に設置されたオブジェには特に多い印象があります。
タイトルが無いのに作品が在る、っていう状態なんですが、小説やシナリオ以外ではこれが案外少なくないですよね。


今度は、音楽、クラシックの作品世界を覗いてみましょう。


クラシックのタイトルっていった場合に、どんな印象を持っているでしょうか。


大抵の公立小学校や中学校の音楽室には、クラシック作曲家の肖像画が掲げたあったりして、クラシックを聴かないという人でもベートーベンとかハイドンとか、歴史的な作曲家の顔は思い浮かべることが出来ると思います。写真じゃなくって絵ですけれどね。


強制的、かも知れませんが誰にでも身近であるといえるクラシックの世界ですが、その曲のタイトルとなると、単に「番号」なんじゃないかと思ってしまいます。
台風15号と同じような感じです。


専門家以外にとっては無味乾燥に感じてしまうのも無理のないところではないでしょうか。区別も出来ない。


クラシックの世界では、その楽曲を「絶対音楽」と「標題音楽」とに分けて捉えるのだそうです。


標題音楽っていうのは、人物、風景、出来事、物語なんかを音で表現しているものだそうで、標題、つまりタイトルとしてその対象としたものの名前がついていることが多い、馴染みやすい曲だといえます。


ビバルディの「四季」ムソルグスキーの「展覧会の絵」なんかが有名ですが、数あるクラシック音楽の中ではイメージとして少数派な感じがします。


対して絶対音楽というのは、音楽のための音楽、っていうものなんだそうで、風景だとか、物語だとかを表現しているわけじゃない、ってされています。


何かを表現しているわけではないので、具体的なタイトルをつけてしまうと、そのタイトルによって曲のイメージが固定化されてしまう恐れがあるので、付けない、んだそうです。


で、結局、協奏曲第何番、とかになる仕組みなんだそうでございますよ。


無題じゃないとしても、味気ない感じです。音楽のための音楽、なんやねん! って思います。
やっぱり、人間にとってはタイトルが付いていた方が馴染みやすいですよね。


ショパン絶対音楽、ワルツ第6番変ニ長調op64-1、っていわれても、よほどのクラシックファン、ショパン通でもなければピンとこないと思うんですが、この曲には「子犬のワルツ」っていうタイトルが付いています。


タイトルが付いているなら標題音楽でしょう。


ではあるんですが、この「子犬のワルツ」っていうタイトルは後世の人が勝手に付けたものだそうで、ショパン自身が付けたものじゃない。
従って「子犬のワルツ」は絶対音楽、っていうことになるんだそうです。


ショパンの「雨だれ」も同様に絶対音楽。もちろん、こうして勝手にタイトルを付けられて親しまれているクラシックはショパンの楽曲に限ったことじゃなくって、ベートーベンの「月光」も勝手にタイトルを付けられた絶対音楽だそうです。


音楽評論家か何か知らないが、勝手にタイトルを付けるとは何事か! って思う向きもあるでしょうけれど、楽曲を聞いた人が、じゃれている可愛い子犬を、世界中の音を包み込むかのように地上に訪れている月の光を感じたのなら、そういうタイトルでその曲を呼びたがるのは分かる気がします。


むしろ強く、賛成します。


さらに言えば、世の中にその、後付けタイトルに共感する人が多いからこそ、そのタイトルで呼ばれ、広まり、親しまれて来ているっていうことでもあるんじゃないでしょうか。


後付けの正解、みたいにとらえても間違いじゃないでしょう。


「無題」ってされたオブジェも、何か親しまれるようなタイトルが付けば、それを見る側の意識も変わろうってもんです。たぶん。


以前に彫刻展覧会で、無題の作品が並ぶ中、軽自動車のタイヤほどの大きさで、三日月形の石が幾つか組み合わせてある作品がありました。


作品の載せられた台の隅に小さな白いプレートが置かれ「キコキコ石」とあります。珍しくタイトル有り、です。


たまたま脇に「作者」がニコニコと立っていましたので聞いてみました。


キコキコ石って、なんですかあ。


笑顔を崩すことなく若い作者は答えてくれました。


「ここのね、端っこをこうして」


そう言いながら手前に突き出た三日月の反り返った端っこを、人差し指で下に押しました。
押された三日月型の石は少し、下に動いて戻ってきます。その戻ってきたところをまた軽く押し下げるんです。


その動きを何度かする度に、どこがどう反応しているのか、組み合わされた三日月型の石が、キコキコと音を立てるのでありました。
そのキコキコいう音を聞かせてくれて、作者は満足そうに振り返って、


「ね、聞こえるでしょう。キコキコ石です」


満面の笑みでした。


「お客さんはね、作品に触っちゃいけないの。でもこれは、いいの。だけど、触っていいのはここだけだから、それは誰にも分らないから、自分でね、ここに立って説明してるの。面白いでしょ。わっはっはっは」


一緒に笑いましたともさ。


確かに会場入り口には、お決まりの「作品には手を触れないでください」っていう注意書きがありました。


それがなかったとしても、この危なっかしい感じで組み上げられたキコキコ石に触ろうとする人はいないだろうとは思いましたが、作者としては、石にキコキコ言ってもらわないとタイトルの意味がないということでしょう。
そんなんで、律儀に作品の横に立つ仕儀となったようです。


胸には「作者」っていうネームプレートを付けています。これまた奇抜なタイトル?


「本名を書いたって、誰だか分からないから」


だそうなのでした。これまた、わっはっは、でありますよ。


どうしてキコキコ鳴るのかについても、「作者」にも分からない、んだそうでした。


「そのうち擦れちゃって、鳴らなくなっちゃうだろうけど、そのころにはこの展示会、終わるから」


キコキコ石の「作者」は終始ニコニコ笑顔の人でした。


随分前の出来事ですが、このことが記憶に残っているのは作品のタイトル「キコキコ石」があるおかげだろうって思います。
決して抜群のセンスといえる言葉ではないかもしれませんが、タイトルとしては、ごく普通の言葉で、作品の内容を表していて、忘れられない効果を持っていることは間違いないんであります。「キコキコ石」

 

 

 


小説、シナリオに付けられたタイトルが成功しているかどうかの判断は、作者のみならず、っていうか作者以上に受け手の判断によるものでしょう。


タイトルにも明確な正解なんかないと考えます。


でもまあ、作品の顔であり、いかなる場合でも最初に目につくものがタイトルです。


作品の構想を練る前に決まっていることもあるでしょうし、書き上げた時点で再考することも多いでしょう。
納得がいかない、何となく落ち着かないタイトルのまま、書き進めるっていうことも少なくないことと思います。


どんなケースであっても、あだや疎かにしてはならないもの、それが作品のタイトルなんでしょねえ。


いっぱい悩んで、キコキコ考えて、考えて、納得のいく、素晴らしいタイトルを付けましょう。


散文とかブログ記事とか、好いタイトルって、どんなんでしょうね。考えちゃいます。


自分自身でも愛着が湧いてくるようなタイトルが付けられるとイイんですけどねえ。

 

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