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【日の出】を拝んで 【夕焼け】に涙する

< 日出づる処の天子 書を 日没する処の天子に致す つつがなきや >

考えてみると不思議なことって、けっこうあるように思うんですが、日本っていう国の名前、誰が付けたんでしょう。


「ひのもと」っていう読み方が正しいの? 「にほん」なの? 「にっぽん」なの?
「倭」「やまと」っていう名前もあるけど、ホントは違う国だったの?
なんかね、確かなことって分かっていないみたいですよ。
邪馬台国の謎っていうのもありますしね。

 


記紀っていうのがあって「古事記」の成立は712年ってされていますね。


時の元明天皇に献上された日本最古の歴史書
第43代の元明天皇の在位は707年から715年。5人目の女性天皇なんですが、藤原京から平城京へ遷都して、和同開珎を鋳造したり風土記を編纂させてもいて、強力なリーダシップを発した天皇だったみたいですね。


古事記の編纂自体は三代前、壬申の乱に勝利して即位した第40代の天武天皇が始めたってされているんですけど、古事記と同時に日本書紀の編纂も始めているってことになっています。


ここもなんだか不思議ですね。
なんで2つの歴史書を必要としたんでしょうか。


710年には圧倒的権力を持っていただろうって言われている藤原不比等が右大臣になっていますからね、この人が何を目論んでいたのかは、もはや古代史の謎レベルに分からないですね。


日本書紀が成立したのは720年。元明天皇は715年に娘に譲位して元正天皇の時代になっています。
この720年という年には藤原不比等が亡くなっています。


日本書紀には序文や上表文が無いので実際の成立時期は日本書紀自体からは分からないってことなんですけど、天武天皇が編纂を命じたってことであれば、天武天皇の在位期間、673年から686年のころには「日本」っていう名前が存在していたってことになりますよね。
それとも書名は後付けだったりするんでしょうか。分からないことだらけです。


「日出づる処の天子 書を 日没する処の天子に致す つつがなきや」っていう文言は、607年、第2回遣隋使の小野妹子が隋の煬帝に持って行った国書に書かれたものなんですが、「ひのもと」につながるっていえばつながる感じもしますけれど、この問いの返書に書かれているのは「倭」っていう国名ですね。


聖徳太子が書いた文言だってされていますが、この時の天皇は第33代の推古天皇で、初の女性天皇です。


日本っていう国の呼称を追っていったら、推古天皇元明天皇元正天皇っていう、8人の女性天皇のうち3人に関係してくるっていうのは興味深いことだと思います。

 


「ツツガムシなんていね~よ」って言って、いや、言ったかどうかは分かりませんけれど、小野妹子の国書に憤慨したっていう隋の煬帝は618年に殺害されて、中国は唐の時代に入ります。


630年からは遣唐使ってことになるわけなんですが、702年の第8回遣唐使の時に初めて「日本」っていう国号を使ったってされています。


この時の唐の皇帝は、中国史上ただ一人の女帝「則天武后」です。
なんだか女性ばっかり出てきますね。


第8回遣唐使が、お前はどこの使者かって聞かれたので、自分から「日本」って答えたってされていますけれど、どうもね、この時の謁見で日本っていう国号を則天武后から指定されたって可能性もありそうです。


則天武后は改称することがとっても好きだったことで知られているんですね。


在位期間中は王朝名を唐から「武周」っていう名前に代えていますし。都の洛陽も「神都」にしたり、則天文字っていう新しい漢字を創ったりしているんですね。


「倭」じゃなくって「日本」にしなさい、ぐらいのことを言ったかもしれません。知らんけど。


なにせこの頃は世界の中心、神都の皇帝ですからね。
則天武后の死後、武周って言う名前はまた「唐」に戻ります。


唐の時代についての正史は唐が滅んでから、945年に成立した「旧唐書」と、1060年に成立した「新唐書」があります。


この2つの「唐書」の中では「日本」って名前についての記述があって、


「日本国は、倭国の別種なり」


倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となす」


「日本はもと小国なれども、倭国の地を併せたり」


「使者自ら言ふ、国、日の出るところに近ければ、以て名となす」


この4番目の謂いが聖徳太子の書いたって言われている文言と近いですよね。この4番目の文言は新唐書に書かれているものらしいです。


そうじゃなくって、もともと日本って名乗っていた国があって、倭国を併呑したんですっていう記述は、かなり面白い説になるんじゃないでしょうか。


東夷って呼ばれていた国についての記述ですからね、正確を期すとか、まるでない感じです。
「日の出るところに近ければ」っていうのは、
「あんた、どっから来たの?」って聞かれて、
「あっち」って、東の方を示せば、
「ああ、太陽が昇ってくる方ね」ってことなんでしょうけれど、
「日出づる処の天子 書を 日没する処の天子に致す つつがなきや」っていう文言にひきずられてって言いますか、なんとなく、日本が一番早く朝を迎える国なんじゃないかって思ったりもするんですが、この捉え方ってかなりアンポンタンだなあっていうのに、最近気付きましたです。


地球がぐるりと回って、どこにも朝は順番にくるわけで、日付変更線っていうので区切られている関係で、ある1日の朝が一番早く来る国っていうのはあるわけですね。
それって調べてみますと日本じゃなかったです。


キリバス共和国のカロリン島が、日付変更線の関係で世界で一番早くその日の朝を迎えるんですね。


ハワイの南南西に33の島で構成されているキリバスは、全部の島の面積を合わせても、長崎の対馬ぐらいなんだそうですが、東西方向に3,200キロメートルっていう広大な海域で、1つの国の中で日付変更線をまたいでしまっていて、島によって日付が違っていたんだそうです。


こりゃ不便だねってことで1995年に日付変更線をキリバスのところだけ東にずらした結果、世界で一番早く朝を迎える国になったっていうことです。


その一番東端がカロリン島なわけですが、世界で一番早く21世紀の朝を迎える島っていうことで観光客を呼び込もうっていうんで、島の名前をカロリン島から「ミレニアム島」に変更したんだそうです。


日の出、初日の出とか、世界的に観光目的になるんでしょうかね。面白い話です。

 


御来光なんて言い方もある日本では、特に江戸で流行した習慣らしいです。


ちなみに日本で一番早く元旦の朝を迎えるのは、小笠原諸島の「南鳥島
でもここ、無人島です。何か特別な理由がないと行けませんね。5時半ちょっと前の初日の出。
時間は毎年ほぼ変わらないみたいです。


人が行けるっていうことで言えば同じく小笠原の「母島」6時20分ごろ。


高い山に登れば早く拝めるでしょ、ってことで冬の富士山からの初日の出は6時42分ごろ。


いや、冬山は無理、っていう場合は千葉県の犬吠埼。富士山からちょっとだけ遅れて6時46分ごろ。


日本で一番東にあるのは北海道根室市納沙布岬(ノサップミサキ)なんだそうですが、犬吠埼からちょっとだけ遅れて6時49分ごろだそうです。


でもって、日本で一番遅い初日の出は、日本の西の端、沖縄県与那国島。7時32分ごろ。


狭い日本って言いながら、2時間も差がありますよ。


元旦じゃなくたって、毎日まいにち、朝は次々にリレーされて、国をまたいでどんどんリレーされて、1日が始まって、夕焼けもまた次々にリレーされて、また明日、ってことなんですね。

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そういえば、谷川俊太郎に「朝のリレー(抜粋)」っていう詩があります。


カムチャッカの若者がきりんの夢を見ているとき」


「メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている」


「ニューヨークの少女がほほえみながら寝返りをうつとき」


「ローマの少年は柱頭を染める朝陽にウインクする」


「この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている」


「ぼくらは朝をリレーするのだ」


ん~。個人的には夕焼けの方が好きだなあ。。。


キリバスって温暖化の影響で水没の危機なんだそうで、SDGsって本気で考えないといけませんね。