< ビッグバンとかインフレーションとかってホンキなんでしょか? 信じられてます? >
東京の夜空にも星はあります。ポツポツときらめく灯りを見ることができます。
目をしばらく閉じて、パッと見開いて見上げれば、まあたくさん見えるって言えばそう言えるかなあっていう程度の夜空の星灯り。そんなにマジマジと見上げることもありませんけどね。
で、ちっちゃい頃からずっと、星ってそういうもんだって思って暮らしてきたわけですが、オトナになって他府県の田園地帯へ行ってみる機会があって、冬、何気なく夜空を見上げて、ギョッとするほどの星空に圧倒された記憶があります。星って、こんなにあんの!?
都市部の夜は星空を、宇宙を感じるには明るすぎるってことなんでしょうね。
子どもの頃からビル街に暮らす都市生活者たちは誰でも似たような経験をして来ているんじゃないでしょうか。
星空に関しては、東京に限らずどこの都市でもそうなんじゃないかなって思います。街なかからではホントの星空なんて望むべくもないんでしょねえ。
人工の灯りに邪魔されない田園地帯の星空は、肉眼でも、たとえ近眼の人でもホントに降るような星々に圧倒されて、宇宙の奥深さを実感できると思います。
知らずしらず神秘的な感覚にとらわれてしまって、首が痛くなるほど夜空を見上げたままになってしまったり。
宇宙の限りなさに思いを馳せると同時に、地球人はいつごろからこの光景を認識していたんだろうかっていうことまで考えちゃったりします。
昔むかし、電気もなくて、灯りなんて、あっても焚火がせいぜいだったようなころ。そんな昔に生きていた古代人が見上げていた夜空は、いったいどんなふうに見えていたんでしょうか。
現代人より古代の人間の方が視力が良かったっていうようなことはないのかもしれないですが、星と星の位置関係、奥行きとか、今よりもハッキリ認識できていたんじゃないかって気もします。
そうじゃないと星座のカニとかサソリとかいう名前、思いつきませんよね。
そもそも宇宙の存在自体、今と同じなんでしょうかね。昔の夜空には星雲とかガスとかが漂っているのが見えていて、サソリの形だって認識していたかもしれない辺りも、今ではガスがすっかり消え去ってしまっていて、全然サソリには見えません、ってことになっているんでしょうか。
でもヨーロッパの羊飼いたちが星座の名前を付けたんだとすると、それはそんなに昔のことじゃなさそうです。せいぜい数千年前。
宇宙の状態が変わるのに数千年では短かすぎるでしょうか。分かりませんね。
人間1人が実感できる時間の長さじゃないことだけは確かでしょうけど。
地球が誕生して、いつごろ日本列島が出来て、そこにいつごろから人間が住み始めて日本人になって、言葉が存在したのかしなかったかの、ホントの意味での原初の文明生活を始めた頃、その大昔の日本人たちが見上げていた夜空はどんな光景だったんでしょうか。
やっぱり何か不可思議を感じて、今の私たちと同じように、じっと見上げていたのかもしれません。
じっと見上げる価値のあるものですもんね、夜空の星、目視できる宇宙って。
星座にまつわる話とかギリシャ神話とか、宇宙に関わることってヨーロッパの専権事項みたいなイメージが、なんとなくありますけれど、日本にも宇宙論みたいな神話が、一応、ちゃんとあるですね。
これって、黎明期からの日本文明が語り伝えて来た「物語」を文字として書き写したものらしいんですね。
古事記が成立したのは712年(和銅5)、聖徳太子(574~622)が世を去ってからほぼ1世紀っていうタイミングです。
この1世紀の間に日本では、蘇我一族が滅びて藤原一族が権力を持ち始めるっていう変化が起こっていますね。
聖徳太子が蘇我馬子に相談しながら成立させたっていわれている幻の書物「国記(くにつふみ)」「天皇記(すめらみことのふみ)」は焼失してしまったってされています。
「国記」「天皇記」って、失われてしまったにしては名前の知られた書物なんですが、その他に「旧辞」「帝紀」っていう存在があったことはあまり知られていないんじゃないでしょうか。
尤もこの「旧辞」「帝紀」の成立がどんな経緯なのかハッキリしていないみたいですし、「国記」「天皇記」より前からあったものなのか、時代的に併存していたものなのか。
誰が成立させたのかも伝わっていないみたいなんですね。そもそも書物じゃなくって口伝としてしか存在していなかったのかもしれません。
「旧辞」が「国記」に、「帝紀」が「天皇記」に対応しているように思えるんですが、全く別個に存在していたものなのかどうか、分かりませんね。
聖徳太子の「国記」「天皇記」をなくなってしまったことにして、ただ名前を代えてパクっただけ、ってことはないんでしょうかね。
歴史は勝者が作るものって言いますけど、蘇我一族、聖徳太子一族って滅亡させられちゃってますからね。
まあ、とにかく、日本の歴史についての伝承は失われることなく「旧辞」「帝紀」として生き残っていたってことになっている日本なのであります。
その「旧辞」「帝紀」を記憶して暗誦できていた「稗田阿礼(ひえだのあれ)」っていう人がいます。
稗田阿礼は「第40代天武天皇(生年不詳~686)」の舎人で、記憶力の良さから「旧辞」「帝紀」を暗誦するように命令されたそうです。
もし「旧辞」「帝紀」が口伝で伝わって来ていたものだとすれば、暗誦できるようになりなさいっていう命令はあり得ませんよね。やっぱり「旧辞」も「帝紀」も、なにかしら書き留められた書物があったように思われます。
それにしても舎人っていえば警備、雑用をこなす下級役人ってことになるみたいですけど、けっして少なくない分量の文章を覚えるのって、雑用っていうレベルじゃないですよね。
時代的に舎人は男性の職業としてとらえられていますが、稗田阿礼に関しては女性、巫女さんだったんじゃないかっていう説も根強いみたいです。
なんにしてもまあ、稗田阿礼、ドエライ記憶力です。カミガカリ?
で、「第43代元明天皇(661~721)」は、711年に貴族の「太安万侶(おおのやすまろ)(生年不詳~723)」に稗田阿礼の誦習する「旧辞」「帝紀」を筆録して史書を編纂するよう命じます。
これ、不思議ですよね。
もともとあった歴史書を暗誦して、また文字に戻す。
ま、実際にはどうだったのか分かりませんけれどね。
太安万侶っていう貴族がどういう人物だったのかについても確実な記録は遺っていないみたいですが、文化的な活躍だけじゃなくって軍事的にも活躍した人だったみたいです。
いずれにしても、女帝の目に止まるような文武両道の才人だったんでしょうね。
712年に今に伝わる「古事記」を著わして元明天皇に献上しています。
もう一方の「日本書紀」の成立は720年ってことなんですけど、なんで遅れたのか、分かりませんです。
太安万侶も関わったっていうだけで、メインの著者ではないみたいです。
なんかいろいろ疑問の残る日本の始まりです。
古事記っていえば、イザナギノミコト、イザナミノミコトから始まるんでしょ、って思っていたんですけど、正式には太安万侶が元明天皇に宛てた上表文から始まっていて、本文の最初は「天地(あめつち)の初め」っていう、日本人の宇宙観、みたいな文章がちょっとだけあるんでした。
古事記本文の宇宙についての記述は、実になんとも、素っ気ないです。
「天地初めて発けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、次に神産巣日神(カムムスヒノカミ)。この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき」
原初の三柱の神は存在したんだけど、姿かたちを現わさなかった、って言ってますね。
独神(ひとりがみ)っていうのは、夫婦で現れる神じゃなくって単独で現れる神のことだそうです。
この文章のどの辺が宇宙なの? ってな感じがするかもですけれど、高天原って、地上に対する天の世界、神の世界なわけで、空の上に別世界があるっていう感覚。
ま、宇宙っていう言葉はなかったでしょうけれど、自分たちの世界を見下ろしている存在、宇宙があるんじゃないだろうかっていう捉え方をしているわけです。人知を超えた世界。
その高天原に神々が次々に現れる前段階に存在感だけ現した三柱の神ってことですね。
太安万侶の上表文の方が宇宙についての記述がいくらか多くあります。
「臣安万侶が申しあげます。そもそも宇宙の初めに、混沌とした根元がすでに固まって、まだ生成力も形も現れなかったころのことは、名づけようもなく動きもなく、誰もその形状を知るものはなかった。しかしながら、天と地とが初めて分かれると、天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神が、万物創造の初めとなり、また陰と陽の二気に分かれると伊邪那岐・伊邪那美の二神が万物を生み出す祖神となった」
原文に宇宙っていう言葉はなくって、ただ「夫れ昆元既に凝りて」ってなってますけど、「夫れ」っていう言葉のニュアンスとして「宇宙の初め」って現代語訳しているんですね。
然もありなん、です。
自分たちの始まりの前に、なんだか分からないけど、なにかがあったんだよね。
万物を生み出したイザナギ、イザナミの前に存在しているはずの、誰も知りようがない、万物の前段としての宇宙。古代日本人の宇宙に対する感覚。
言葉を尽くしているとは言いがたいですけれど、何か不可思議なものがあるっていうふうには考えていたんでしょうね。
古代日本人の宇宙観としては、誰も知りようのない混沌とした世界、ってな感じになるでしょうか。
世界の古代文明の宇宙観は具体的なイメージを言い残しているような感じのものもありますが、まあ、日本と似たり寄ったりみたいです。
エジプトの宇宙観。星は空からつり下がっているっていう宇宙観は、広く知られでいますよね。
そういうふうに考えるっていうの、充分に理解できます。浮いてるの、不思議ですもんね。
メソポタミアの宇宙観は、空の外縁に天体が存在していて、天体は周回しているっていうもの。
地球の空と天体っていうのを別ものとしてとらえているんですね。
こうして世界各地でそれぞれ言い伝えられてきた宇宙観は、やがて宇宙論的な体裁を整えていくことになります。
古代ギリシアの哲学者「アリストテレス(紀元前384~紀元前322)」は、世界の中心に地球があって、月、太陽、水星、金星、その他の惑星が地球の周りを回っているって言ってますね。
この説で言う世界っていうのは宇宙にあたるって考えて良さそうです。
これっていわゆる「天動説」なわけですけれど、アリストテレスだけじゃなくって、エウドクソス、アポロニウス、ヒッパルコスだとかこの時代の多くの学者が唱えていて、一般的に支持されていたようです。
宇宙論として「天動説」をまとめ上げたのはだいぶ時代が進んで古代ローマの「クラウディオス・プトレマイオス(83~168)」
私たちの立っているこの大地は不動のものなんですよっていう宇宙論。現代人としても実感だけのレベルで言えば、腑に落ちて納得できるものじゃないでしょうか。
ただですね、古代ギリシアは「天動説」一辺倒だったかっていうと、さにあらず。
そんなに知られている人じゃないと思うんですが「アリスタルコス(紀元前310~紀元前230)」っていう天文学者が、太陽が宇宙の中心で、地球や他の惑星が太陽の周りを回っているっていう「地動説」を唱えているんですね。
アリスタルコスは、古代のコペルニクスっていわれているんだそうです。ちっとも知りませんでしたです。
でもまあ、宇宙論としては、大勢的にはずっと「天動説」で時代は進んでいくんですよね。
ポーランドの天文学者「ニコラウス・コペルニクス(1473~1543)」が「地動説」を唱えだしたのは1510年ごろのことだそうで、アリスタルコスはほぼ2000年、先行していたことになります。
ものの見方、考え方を根本的にひっくり返すことを言い表す「コペルニクス的転回」って、動いているのが宇宙の方じゃなくって、自分の方、地球なんだよって、やっぱりすごいインパクトですよね。
地動説っていうのを聞いたとたん、この大地が、自分が立っているこの地面が動いているのか! って途端にバランスを崩して転んじゃった人が大勢いたとか、んなことはないでしょねえ。
このときの天動説には太陽自身も銀河の中を円運動しているっていうことは想定されていなかったんだと思いますけど、天動説であれ地動説であれ、天体の回転は完全な円運動だって考えられていたそうです。
そうしたなか、コペルニクスのすぐ後に活躍したドイツの天文学者「ヨハネス・ケプラー(1571~1630)」は1608年に「惑星の運動は、歪んだ円もしくは楕円である」っていうケプラーの第1法則を発表します。
この頃になると、だいぶ宇宙に対する観測が進んできていますね。
ケプラーは1619年にかけて「惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に掃く面積は一定である」っていう第2法則。
「惑星の公転周期の2乗は、軌道長半径の3乗に比例する」っていう第3法則を発表します。
こうして17世紀初期に惑星運動の研究が進んで、地動説が天動説を退けて、世界に浸透していくことになるんですね。
そしてケプラーは「太陽と惑星の間には、磁力のような力が存在する」って言って、目に見えない力の存在を予言してもいるんですね。
17世紀、宇宙論っぽくなってきていますよねえ。
そして1665年、イギリスの物理学者「アイザック・ニュートン(1643-1727)」が万有引力を発見します。
この万有引力は、落花するリンゴからヒントを得たとして知られていますが、ケプラーの法則からヒントを得て研究を続けた結果なんだそうです。
ニュートンは独自の宇宙モデルを発表しています。
「宇宙空間は真空である」
「太陽と惑星は媒質なしに重力を及ぼし合う」
「光は真空中を飛び回る粒子と見なされる」
「物体には互いに引き合う重力が働いている」
「2つの物体の間の重力は、物体の質量と距離によって決まる」
宇宙には何もないんだよって言いながらも、得体のしれないチカラがありそう。完全に宇宙に対して目を向けた理論が出てきた17世紀なんですね。
ニュートンから3世紀。1915年にドイツ生まれの理論物理学者「アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)」が「重力の根源は時間と空間のゆがみである」っていう一般相対性理論を発表します。
この一般相対性理論はブラックホールの概念を生み出したことでも知られていますが、「宇宙は膨張または収縮をしている」っていう理論にも結びつくことを指摘されてもいるんですね。
アインシュタイン自身は、そんなことがあるはずがないとして「宇宙に始まりはない。 永遠に変わらない。宇宙は不変である」って意見表明します。
なので「宇宙定数」っていう値を作り出して、なんとか宇宙が不変だっていうことの調整を図ります。
のちにアインシュタインは、この宇宙定数に関して「生涯最大の失敗」って言って悔やむことになるんですね。
アインシュタインが宇宙定数を撤回しなければいけなくなったのは、1929年、アメリカの天文学者「エドウィン・パウエル・ハッブル(1889~1953)」が、銀河の赤方偏移を観測したからなんですね。
赤方偏移は、観測者から遠ざかっていく天体から発せられる光は赤く変化するっていう現象。
宇宙は膨張しているんじゃないかって言われ始めますね。
このころになりますと宇宙に対する人類の捉え方も、天動説の頃と比較してずいぶん変わって来ています。
宇宙っていう言葉でとらえようとしている時空の広さ大きさは比べるべくもない感じです。
専門研究者は別として、一般人にとって宇宙の謎はどんどん膨らんでいくことになります。けど、難しいんです。
興味をもって説明を聞いたり読んだりすると、ますます解らなくなったりします。ん? 私だけ?
宇宙が膨張しているって、どゆこと? この辺りから宇宙論は理解の範疇を超えていってしまいます。
1948年、ウクライナ生まれの理論物理学者「ジョージ・ガモフ(1904~1968)」は、宇宙は超高温、超高密度の「火の玉」状態から始まり、大爆発によって膨張を続けているっていう「ビッグバン理論」を発表します。
聞いたことありますよね、ビッグバン。火の玉宇宙です。
金融ビッグバンだとか、宇宙論以外にも使われたりもしています。
さらに時代はちょっとばかり進んで、1964年。アメリカのアーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンは、アンテナが受診する雑音を減らす研究中に、偶然、天球上の全方向から「ほぼ等方的に」観測されるマイクロ波「宇宙マイクロ波背景放射」を発見します。
宇宙マイクロ波背景放射は1940年にガモフ等によって、ビッグバン直後に発生していたはずだって予言されていたものだったんですね。それが発見されちゃったんです。
発見した2人は1978年にノーベル物理学賞を受賞しています。
宇宙マイクロ波背景放射? 研究者と一般科学ファンの宇宙理解度の乖離はとんでもなく広がった、とも言えますね。
2001年になりますとアメリカのNASAが宇宙マイクロ波背景放射を観測する探査機を打ち上げます。
2回目の探査だったこの時の観測によって、
・宇宙年齢は137±2億年
・宇宙の物質、エネルギーの組成はダークエネルギー73%、ダークマター23%、バリオン4%
っていうことが発表されました。
2009年に打ち上げられた3回目の探査では、
・宇宙年齢は138億年
・宇宙の物質、エネルギーの組成はダークエネルギー68.3%、ダークマター26.8%、バリオン4.9%
っていうデータが発表されました。
バリオンっていうのは、アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォークだとか、数十種類発見されている亜原子粒子。
亜原子粒子? もうね、宇宙を理解するってムリかなあって思わざるを得ませんね。私個人のレベルの話ですけどね。
にしても宇宙はからっぽなんかじゃなくって、人類が観測できないもので満たされているって不思議ですね。
最新のデータでは95.1%がダーク。正体不明なんですよ。
なんなんでしょ?
これってなにかに似ているんじゃないでしょうか。
2003年に92%が解読されたヒトゲノムですが、2022年に100%解析が終了したそうです。
でも、ヒトのタンパク質コード遺伝子のうち分かっているのは20%で、80%の機能はナゾのままなんですよね。
人の身体も宇宙の中身も、現段階の人類は、ほとんど分かっていないってことですね。
ま、そんな中ではありますが、宇宙の膨張速度は加速しているなんて言われていました。
宇宙マイクロ波背景放射は「ほぼ等方的に」観測されているんで、宇宙の膨張も「ほぼ等方的に」加速しながら進んでいるんだろうって考えられていたみたいなんですけど、どんどん加速していったら光速を超えちゃうんじゃないの? っていう疑問が呈されたり、超えたってイイじゃん! っていう説まで出たりしたなかで、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡だとかの観測によって、「ほぼ等方的に」遠ざかっているはずの銀河たちに、偏りがあって、遠ざかっているそれぞれの速さに差があることが判ってきちゃった。
で、ビッグバン理論とか、ビッグバンの不都合な部分をカバーしたインフレーション理論が、そもそも間違ってたんじゃないかっていう疑問が出てきているらしいんです。
さらには宇宙論の中には「マルチバース」っていう複数の宇宙が存在するっていう理論もありますし、「超ひも理論」が宇宙観測に果たす役割が大きくなってきていたり、インフレーション理論も進化しているらしいです。
「宇宙の形は3次元のドーナツ状」であって、宇宙はやっぱり平坦である、なんていう新しい説も出てきています。
21世紀の半ばにかけて、もしかすると、2回目のコペルニクス的転回がおとずれるかもですねえ。
「量子もつれ」とかもありますしねえ。
宇宙物理学のセンセ方。面倒くさいのは分かりますけど、もうちょっとアンポンタンにも分かるような論理展開をご教示いただけるとアリガタイのでございますが。
宇宙ってホント不思議です。
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