ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

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ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【お屠蘇】日本古来の儀式の主役 霊験あらたかな「酒」という存在

< 年に一回だけ使う道具で今も残っているのはひな人形だけ? >

お正月に働いている人だって、ずっと居るんですよね。
電車やバスだとかの交通インフラ会社に勤めている人たち。コンビニ、ファストフードだとか年中無休の営業形態で働く人たち。
警察、消防の人たちにも正月休みはないですね。


尤も、全員がってことじゃなくって、メンバーのローテーションの中で営業を維持しているんでしょうから、お正月気分に浸れることもあるんでしょうね。
っていうか、何の関連も持っていませんが、そうであって欲しいなあって気もします。
休みの日っていうんじゃなくって、日本のお正月っていう空気感を静かに過ごすって、大事だって思います。


まあね、年若い頃は、お正月とか、なんの特別なことがあるのか、他の朔日と一緒だろなんて反発したい天邪鬼的な気分になるっていうことも、有りがちではありますね。
でも、大多数の日本人はお正月休み。年末辺りから3が日ぐらいまで休みになります。

 


日付によって決まっている儀式っていくつかありますけど、お正月が一番いろいろと準備に追われますよね。


何をするでもないけど、おせちは食べましょうとか、お正月だからね、ちょっとイイ清酒を用意しましょうとか、年末から準備をします。
買い出しっていうのも年末恒例。
売る方も勝負をかけての大サービス、年末商戦とか、令和の時代になっても変わりませんね。


東京、上野アメ横の年末は生鮮食品の安売りで思い通りには歩けないような賑わいになって、それがまたウリになってさらに人を呼ぶっていうような風物詩だったんですが、コロナ禍で様相が一変したって言ってましたねえ。
2022年の年末には、またあの賑わいを取り戻して欲しいところです。


ま、アメ横に買い出しに行きませんけどね、個人的には。でもほら、風物詩ですから。


今は、おせちっていっても、自分で作るっていうのは少数派みたいですね。
デパートに予約して配達してもらうスタイル。里帰りする人なんかは配送先を実家にしたりとかね、やってますよ。
コンビニ、スーパーでも売ってますしね。


中華おせち、イタリアンおせちだとか、日本の伝統的食材はどっかへ行っちゃって、足の長いオツマミ、みたいな捉え方になっているような気もしますが、まあ、なんせ旨けりゃイイってもんなのかもです。
無国籍おせち、なんてのもありますからね、保存食っていう感覚すらなくなっているのかもしれません。


ま、そういうのにこだわらなくたってイイのかもですけど、おせちって本来は節の変わり目に家族の健康と一家の繁栄を祝うっていう意味があったんですよね。


金運に恵まれますように、っていう「きんとん」


子孫繁栄を願う「かずのこ」


黒く日焼けするほどマメに働けますように、っていう「黒豆」


巻物の知識が増えますように、っていう「伊達巻」


赤は魔除け、白は清浄を表す、っていう「紅白かまぼこ」


とかね、無理矢理感もありますけど、謂れはあるんでした。
この他に鯛とか海老とか、なます、田作り、エトセトラ。
数種類作るだけでも数日かかりますよね。大変な正月準備です。


で、昔は、っていっても西日本、関西での習慣らしいんですけど「お屠蘇」っていうのがありますね。
今でもやっている人、伝統を守っている家もあるんだろうと思いますけどね。関東、東日本でもです。


お屠蘇っていう名前は誰でも知っているでしょうね。
でも、東日本では本式っていうか、ちゃんとしたお屠蘇って、どゆの? って感じなんですよね。


お正月には子供にも一口だけっていって、お酒を呑ませるような習慣の家もあったりします。
「お神酒だから」
っていう理由で、誰も特に目くじらを立てるようなこともないです。だいたいね。
どうでした? お正月、こんなんやってませんでした?


で、関東では、って一般的になんていうことは言えませんけれど、「お神酒」「お屠蘇」ってなんかね区別が無かったような記憶です。


大昔は大家族で暮らしていたわけですから、その家だけでの常識みたいなのって、正月行事に限らずけっこうあったのかもしれませんよ。


ぜんぜん違うものらしいですね「お神酒」と「お屠蘇」


神社にお参りしてお祓いをしてもらったり、竣工式、地鎮祭、棟上げ式、開通式だとか、宮司さんに祓い清めてもらったりするときに出されて呑むお酒が「お神酒」
「お屠蘇」は正月の祝い事に呑むお酒、ってことだそうです。


ひょっとすると、関西の人たちなんかは、んなの当たり前じゃ! って思っているかもなんですけど、関西特有のお正月儀式、みたいですよ。ホントに。


どこまで正式にやるのかは分かりませんが、お屠蘇は「屠蘇器(とそき)」っていう酒器揃えで呑むものなんだそうです。

 

一般的には赤い漆器が多いそうなんですが、まず「お盆」があります。屠蘇器を乗せるお盆ですね。
盃を乗せる「盃台」で、肝心の盃が大中小の3つ。この3つの盃を重ねて盃台に乗せるわけですね。
お屠蘇自体を入れて盃に注ぐための「お銚子」
ヤカン型のもお銚子って言うみたいですね。
そういうセットです。


ま、ピンキリなんだろうとは思いますけど、なんかね、儀式っぽい道具揃えです。
形式が高級っぽい感じです。


にしても、お正月、元旦の食べものを口にする前にしか使わない道具なのに、維持管理するのって大変でしょうね。
旧家なんかだと、お雛さまの隣りぐらいに仕舞ってあるんですかね、屠蘇器。

 


お屠蘇を呑むっていうのは、中国の唐の時代から始まった風習らしくって、日本には平安時代に伝わって来たみたいです。


最初は宮中行事だったそうですから、やがて庶民に広まったとしても関西が中心になったっていう歴史なのかもしれませんね。


実際のお屠蘇には触れたことがありませんので、どういうものなのかちんぷんかんぷんです。
神事の際に普通の清酒を「お神酒」って呼ぶように、器は専用のものを使うとしても、普通の、あるいはお正月用ってことでちょっと高級な清酒を「お屠蘇」って呼んでいるんでしょうか。


ん~、面倒だからってそうしている人もいるかもですけど、「屠蘇散」っていう漢方薬があって、それを清酒、そして味を調えるためなのか、お酒の得意じゃない人でも呑めるようになのか、ミリンに一晩漬けこんでおくのが、正式なお屠蘇なんだそうです。


屠蘇散、知らんなあ、なんですけど、この漢方薬が地方によっていろいろなんだそうです。
いろいろなんですけど、要は健康を促すもの。
桂心、防風、菝葜、大黄、烏頭、赤小豆、山椒、細辛、防風、肉桂、乾姜、ビャクジュツ、桔梗だとか、なんだかいっぱい使うみたいです。


そんなん揃えんのしんどそう、ですよね。
って思ったら、今はティーバッグになっているんだそうです、屠蘇散。ああら、そですか。


で、そのティーバッグを清酒、ミリンの中に漬けておく。
おせちを作りながらお屠蘇も作る、ってことなんでしょうね、お屠蘇の習慣を守っている家ではね。


お屠蘇っていう名前が、中国からそのまま伝わって来たのか分かりませんが、「邪気を屠る(ほうる)」屠殺の屠に、「魂を蘇らせる」の蘇っていう言葉なんですね。
お屠蘇、オトソって気軽に呼んでいましたけれど、なかなか怖さの感じられる名前なんでした。


三段重ねの盃。まずは家長が一番の年少者に向けて小の盃にお屠蘇を注ぐ。
3回に分けて呑む。
で、中の盃、大の盃。呑み終えたら、次の年少者へ。


「一人これ飲めば一家苦しみなく、一家これ飲めば一里病なし」


って言うんだそうですが、だったら、家の中の酒呑みが1人呑めば良さそうなもんですけど、まあね、目出度いお正月の、朝一番の儀式なわけです。みんなで呑むんでしょうね。
「家内安全」「厄除開運」「商売繁盛」「無病息災」でございますよ。

 


でもねえ、どうなんでしょ。令和の今でもやってるんですかね、正式なお屠蘇。


あれか、屠蘇散ティーバッグがあるってことは、簡易的になっているとしても、やっているんでしょうねえ。
関西の方々、どですか?


アメ横では売ってないと思うんですよね、屠蘇散。聞いたことなかったですよ。


普通の酒呑めばイイんじゃないのって思う関東人であります。
「家内安全」「商売繁盛」!

 

【ニュースバラエティ】テレビレスの生活から考えてみるメディア、企業の姿勢

< マスメディアは報道から情報へシフトして ジャーナリズムはバイプレーヤー? >

地上波デジタル放送が始まる少し前ぐらいからですから、もう20年にもなりますかね。テレビを処分して、ずっとテレビレスの生活をしております。
ではあるのですが、日常生活の中からテレビがすっかり消えてしまうってことはなくって、街なかに出ますとテレビ画面に出くわす機会って意外に多いなあって感じます。


まず家電量販店、町の電気屋さん。これは大型モニターを表に向けて置いてありますからね、ほほう、っとかね、立ち止まって見入ることも無きにしも非ずです。
それと、一定時間見ることになるのは、居酒屋さんと町中華です。


個人的にチャンネル選択権を主張したことはないんですけど、時々いますね、我が物顔に「リモコン貸して」とか言って、あちこち番組を探したり、「チコちゃん、やってるでしょ。見せて」っていうお歴々。
ああいう主張をしておられる方々は、たぶんおそらく、家に帰ればテレビ受像機があるんだろうなあって思いますね。
でもまあ、家で見ろよ! って噛みつく人もいらっしゃいませんですね。ヘーワです。

 


テレビのデジタル放送が始まったのは2003年の暮れのことでしたね。


画期的なことではあったと思うんですけど、なんで地上波にしたんでしょうか。20年も経とうかってうのにキー局が揃って衛星デジタルに移行しようっていうような動きは報じられていませんです。


放送法っていう法律もあるそうですから、なんでも勝手に出来るってことではないんでしょうけれど、宇宙事業との兼ね合いとして考えても、なんで地上波なんだ!? って当時から不思議でした。


テレビレスになったのはテレビ業界が衛星デジタルにしなかったから、じゃないです。
ブラウン管じゃなくなったからでも、もちろんありません。
ブラウン管って、今、通じない言葉になってしまっているんでしょうね。


テレビレスになったのは、ちょっと無理矢理な自覚もありながらですが「バラエティばっかりになってしまったから」です。


テレビの制作サイドがジャーナリズムから娯楽路線に舵を切ったのはいつごろなんでしょうか。
ひところテレビ番組のマンネリ化っていうのが喧伝された時期があって、テレビは変わらないといけないって、当のテレビで言っていたんですよね。
その辺りからなのかどうかはハッキリしませんが、時代劇が無くなって、バラエティ番組ばっかりになっていった印象があります。


漫才ブームがあってスタータレントが一定数出てきましたね。舞台からではなくテレビからスターダムにのし上がっていくっていうスタイルを作り上げたっていう実績が作られました。


時代劇の方は、ファンが居ないわけじゃなくって、この頃とタイミングが同じだったかどうか怪しいんですけど、本屋さんの棚に「時代物コーナー」とかが出来て、文庫本書下ろし時代劇シリーズとかがブームになりました。


テレビ放送はNHK以外、コマーシャルによって成り立っているわけで、そのテレビコマーシャルの受け手、つまり視聴者層をどう捉えるかってうのは代理店制度が担っているんですよね。
番組内容、放送時間帯によるマーケティング的ターゲット視聴者層の判断です。


視聴率がコマーシャル放送料金を決めるベースになったりするんでしょうね。
視聴率の判定って、専用のマシンを各家庭に置いてもらって、それを通してデータを取って、全世帯に拡大解釈して決めているらしいんすが、精確性は疑わしいですよね。
その時間、そのチャンネルが映し出されていたとしても、人が視聴している保証はないですね。
家のネコしか見ていない、にゃんにゃん視聴率、なんて言われ方をしたこともありましたです。


テレビはどんどん色合いが変わってくれる間接照明、なんて意見もありましたよ。


時代劇がテレビから消えたのは、時代劇の番組を見ているのは老年層で、老年層はコマーシャル商品の購買層じゃないからだっていうことが、まことしやかにささやかれたものですが、実際にどうだったのかは業界の外には漏れてきませんでしたね。


老年層に向けた商品を扱っているスポンサーを探すんじゃなくって、時代劇をとっぱらってしまう。
キー局、広告代理店、仕事のやり方、どうなんでしょう、って思いましたですね。
マンネリズムやヤラセっていうテレビ独自の在り方が話題になった時期でもありました。


尤も、会社勤めの男女がテレビの前に座る時間帯っていうのと、テレビコマーシャルが力を入れているゴールデンタイムってうのが重なってイナイっていう状況は、何を放送するかっていうコンテンツの問題とは別でしょうから、テレビを面白くする方法っていうのは、制作側として暗中模索が続いていたんでしょうね。

 


テレビがつまらない。


個人的な感想ですが、ここに1人の天才が現れます。


1979年に株式会社東京放送、TBSを退社していた「久米宏」その人です。


この時35歳だった久米宏に何かテレビ放送に対してのビジョンがあったのかどうかは分かりません。
フリーとして活動し始めた久米宏に、腹を据えさせる契機になったのかもって思える事件が1981年に起きますね。愛人の自殺未遂。3週間の謹慎。


こうなると、これまで軽妙洒脱にテレビ司会をこなしていた「ダンディ」路線では居られない。
まあ、元々そんな路線で売っていたってわけでもないと思うんですけど、だったらヒトツ、やってやろうじゃないのっていう腹積もりになったのかもっていうことは、充分に考えられます。
これ以上叩かれることもないだろうし、このままだと消えていくしかない。


だったらってことで、1982年、日本テレビ系列で始まったのが「久米宏TVスクランブル」でした。


日曜日の夜8時からの1時間番組。
「情報バラエティ」って銘打っていましたが、この番組が実質的に「ニュースバラエティ」の嚆矢じゃなかったでしょうか。


久米宏の相手役は、やすきよの「横山やすし」でした。これ、凄いです。


いろいろ問題行動の多い横山やすしでしたが、ホンネだけの人ですし、当時お笑い界の王者だったことは間違いないですね。
横山やすしのキャスティングは久米宏の強い希望だったそうです。


世間のホンネをテレビに、報道番組にぶつけてみようとしたんじゃないでしょうか。
そういう企画意図に対して、横山やすし久米宏の掛け合いは、漫才の天才と司会の天才の真剣勝負で、かなりの人気を博しましたね。
そのコンテンツに対する賛否両論こそ、久米宏の狙っていたものだったのかもしれません。


スキャンダラスとさえ言えそうなこのキャスティングは、久米宏自信のダーティーなイメージを払拭するに充分な効果を発揮したとも言えるでしょうから、そういう面でも狙い通りだった、って言えるのかもです。


問題発言をした翌週の横山やすしがバッテンマークのマスクをして、「黙秘権」ってやっていたのは、当人だけのアイディアだったのか、とにかく、そんな相手役を交えながらトントンと軽快に番組を進行する久米宏の捌き方は見事なものでした。


そして、1985年に鳴り物入りで始まったのが、テレビ朝日ニュースステーション」でした。
メインキャスターの久米宏に対してサブキャスターについたのは「小宮悦子


TVスクランブル」は危険を承知のステップボードで、世間の反応をみながら「ニュースステーション」に踏み切ったって感じなんでしょうね。


当時の小宮悦子テレビ朝日のアナウンサーでしたから、キャスティングがどう決まったのか分かりませんが、横山やすしから一転、柔らかくもキリっと対応の出来る小宮悦子とのコンビも成功しましたよね。


自分のとがっている部分をさりげなく出すことに「TVスクランブル」で成功していた久米宏は、トゲを強調することなく、テンポよく「新しいニュース報道」のスタイルを作り上げてしまいました。

 

月金の夜10時から1時間ちょっとの「ニュースステーション」は2004年まで続きました。18年と半年。


中期まではわりと見ていた番組でしたが、番組を続けていく中で久米宏本人の中に、ニュースバラエティっていう、自分自身が作り出したフォーマットに呑みこまれてしまった感覚が出て来たんじゃないかって思えて来て、見なくなりました。
体調の問題もあったのかもしれませんが、中期の辺りから久米宏独特のサービス精神、ジャーナリズムが枯渇してしまった感じがあったんですね。
トゲが丸くなってしまったんでしょうかね。


バラエティって言いながら、ニュース報道として魅力があったのは、久米宏という人間のトゲが在ったからこそなんだなあと思います。


丸くなってしまってはバラエティの方に流れていってしまうことは避けられないことだったのかもです。
ただ、この「ニュースステーション」はテレビ全体に、相当なインパクトを与えましたよ。


他の局のニュース報道が、全部、右へ倣えしました。トゲもなしにです。

 

 

ニュースバラエティは、バラエティ色が強くなり過ぎて、バカ光線が目立って来ました。
で、テレビから離れたんだったと記憶しています。


テレビ離れは少数派ではなくなりつつある感じもする、きょうこのごろです。


テレビのニュースは実生活に役立たないから、っていう理由でテレビから離れる人もいるみたいですけど、個人的にはそういう実利的な気持ちはないです。


レガシーマスメディアっていうような言い方も出て来て、ソーシャルメディアの方がイイっていう意見は広がって来ていますね。
コマーシャルの主戦場がウェブの方へシフトしてきているのは事実みたいです。


ニュースバラエティになってしまってからの時間は短くはなくって、いつのまにかバラエティがニュースのベースになっているような感じもあります。
そうなってしまうと、無意識的にテレビのバカ光線を感じ取って、離れていくって人もいるってことなのかもです。


このバラエティの悪い部分は、受け取る側のアンテナにへばりついて、ニュースソースの意味を感じ取れなくなっている側面もあるようにも思えます。
自分にとって、どうでもイイようなニュースと、自分にとっての世の中を知るために考えなければいけないニュースとの区別が出来なくなっている。


一連の吉野家不祥事報道がありました。


これまでにも、倒産からの立ち直りに恩のあるキン肉マン原作者への対応、オリジナル名入りの丼の提供の仕方とかで問題を指摘されてきた吉野家ですが、コンプライアンス、ガバナンスとして、自社に対するニュースソースをどう受け止めているのか、かなり疑問に思わざる得ないヤな事案が続きましたね。


生娘シャブ漬け戦略問題はかなり企業イメージにダメージを与えるニュースだと思うんですが、それからそんなに日も経たないうちに今度は、新卒向け会社説明会、外国人参加拒否です。


その判断のズサンさもさることながら、生娘発言がニュースになったことを、全社的にどう受け止めたのか。


吉野家ほどの大企業ですから、全員がテレビ、メディアのニュースに触れていないってことはあり得ないと思いますけど、そのニュースが自分たちに今、何が求められているのかっていう当事者意識が働かないんでしょうか。
つまり、ニュースの意味を判断できていない、のかもです。


店舗の現場で働いている人と、いわゆる経営陣の意識に乖離があるんでしょうね。


新商品の親子丼は人気だそうで、経営的には問題ナシ、ってことでイイのかどうか。
日本って、もう、壊れてしまっているんでしょうかねえ。


バラエティはバラエティとして素晴らしいエンタテインメントです。
でも、ニュースからは排除した方が、そろそろね。別の意味で日本沈没しちゃわないうちに。


レガシーでもソーシャルでも、メディアにはジャーナリズムの正当性を取り戻していただきたいです。

 


牛丼は松屋派であります。みそ汁付いてるから~。

 

【酒はしづかに飲むべかりけり】飲食に一所懸命だったのは人なのか時代なのか

< 長生きする酒呑みと 若死にする酒呑みと 日本の酒呑みを考える >

洋酒、日本酒なんていう分け方をすることがありますね。
とってもザックリした分け方で、そこに明確な決まり事があるとも思えませんが、この場合の日本酒っていうのは清酒ばかりを言っているんじゃなくって、焼酎、泡盛なんかも日本酒、ってことでオッケーなんじゃないでしょうか。


そうした日本酒に対しての洋酒ですから、欧米の酒がメインなんでしょうけど、要は日本以外の酒ってことになるんだろうと思いますね。


世界最古の酒はワインだってことになっているらしいんですが、今のように嗜好品として、つまり酔っぱらうために呑む酒っていうのはいつ頃から普及したのかっていうことを考えますと、そんなに昔からのことじゃ無さそうなんです。

 


醸造酒は植物の化学変化を利用してアルコールを作り出しているわけですし、蒸留酒となりますと、その自然発酵したアルコールの純度を高めるために蒸留っていう工程を加えているわけですけれど、それは酩酊を求めてっていう工夫じゃなくって、なにか別の目的があっただろうと考えられるんですね。


洋酒に関していわれているのは、その始まりは「クスリ」だっただろうっていうことです。


ワインを蒸留したブランデー、コニャックが純粋に、っていう言い方は少しズレているのかもしれませんが、酒として楽しまれるようになったのとほぼ同時期にウイスキー、スコッチなんかも出てきているみたいです。


蒸留っていう方法が考え出されたのは、記録に残っているよりかなり前の時代なんだろうと思われますね。


ある種の液体、たいていの場合植物を浸して化学変化をした後の液体、それらの混合液を熱して、沸点の違いを利用して特定の成分を取り出す。あるいはその成分の濃度を上げる。
原理を知ってしまえば何のことはないことなのかもしれないんですけど、これはもう、農家の作業や商人の工夫っていうよりは、科学者の仕事ですよね。


ヨーロッパ中世に盛んになって名前を残している「錬金術師」ですが、たぶんおそらく古代からあった職種で、科学、医学の研究者たちだったんだろうって思われます。


卑金属から貴金属を作り出そうっていうことで、さまざま怪しげな実験を繰り返しているイメージを持たされていますけど、後世の取り上げ方が偏向しているんでしょうね。


「賢者の石」や「グリーン・ライオン」っていう一般受けするアイテムの存在もホントのことかどうか、ね。
いろんなものをゴタゴタと大鍋に入れ込んで、ぐるぐるかき回しているイメージの魔女も錬金術師の仲間ですよね。
魔女のスープもやっぱり化学変化を促す工夫ってことですもんね。
動植物に関する広範な知識がないと出来ないことです。


錬金術師たちの絵面として、その実験室によく描かれているのが「蒸留器」ですね。
古代から在った人類文明の利器。


人間の疾病に対して効能を示す物質の発見、抽出、高濃度抽出。
アルコールが殺菌作用を持つ事に気付いた古代の天才が居るんでしょうね。


クスリとして使われていた蒸留物、アルコールが、酒として楽しまれるようになるまでは、長い時間がかかっているんだと思われます。
メソポタミア、エジプト、ローマとか、あの辺りの酒文化。


一方、日本ではどうなんでしょう。


古代の日本酒は「どぶろく」ですよね。濁り酒。
米が発酵して出来る白濁したアルコールをそのまま呑んでいたってことなんでしょう。
日本の酒の発生についてはいろいろ説があるみたいですけど、稲作が定着して、保存方法の確立する前に、あれ? っていう状態になっちゃって、呑んでみたら、うひょ~、旨いじゃん。なんだか気持ちイイし。


ってな感じで、どぶろくを呑む習慣が始まったんじゃないでしょうかね。知らんけど。

 

 

なんでそうなるのかとか、菌の存在とか知らなくたって、有り難いものが出来ちゃう。出来ちゃった。
呑んでみれば、ほろほろ~って酔っぱらいます。イイね~。


洋酒がクスリから始まったとして、日本酒は最初から酔うための嗜好品だったのかもです。


どぶろく、濁酒を濾過して澄んだものにしたのが清酒ですね。
清酒が誕生した辺りでは、麹だとか、米の削り方だとか、なんで酒になるのかが分かっていたんだろうと思われますね。

 


日本の歴史の中で錬金術師って言われるような人たちが居なかったのかどうかは分かりませんが、有名な酒呑みはちゃんと居ます。
ま、近代、現代の話なんですけど。


始まりからして嗜好品なんですから酒呑みにノーガキなんかナイんです。
ただ旨けりゃいいんです。気持ち良く酔っぱらえれば言うことないんです。


名人と言われた「五代目古今亭志ん生
三代目古今亭志ん朝の親父さん。女優、池波志乃のお祖父さんですね。


毎日一升酒だったそうです。


この人は、酒でも呑むかっていうんじゃなくって、酒だ酒、酒を呑むんだっていう、見上げたもんだよ屋根屋のふんどしって御仁ですね。
1890年、明治23年の生まれですから、いわゆる「不機嫌の時代」明治の男。
東京、神田の人です。


なんかね、ロクなもんじゃなかったみたいなんです。


素行不良で、当時の尋常小学校を退学させられているみたいですよ。退学させられるような小学生の不良な素行って、いったいなにをやらかしたんでしょうかね。
ただですね、明治の教育方針って、今からすると、なんなん? っていうのがけっこうあるみたいで、後に芸妓ナンバーワンになる「萬龍」っていう女の子は、妖艶すぎるっていう理由で小学校をクビになっているらしいですからね。ホントだとすれば、はあ? なんなん? ですよね。


五代目志ん生です。


般若の刺青を入れたり、妻子を連れて夜逃げしたりしながらも落語を続けていたんですけど、落語界のカオに楯突いたりなんかして全然売れません。
仲間内では「死神」だの「うわばみの吐き出され」って呼ばれて、酒だけは呑み続けていたみたいです。


そのうち関東大震災が起きちゃったときには、余震が続く中、こんなに揺れたんじゃ酒がみんなこぼれて地面に呑まれちゃう。こりゃ大変! ってことで酒屋に駆け付けて酒を買い込もうと思ったら、酒屋は商売どころの状態じゃない、追い返そうとしても、どうしても呑ませろってきかない。
勝手にしろって言うと、その場で樽から一升五合、タダ酒呑んでふらふら帰った。


地震でテンヤワンヤなのは酒屋だけじゃないですよね。志ん生の家だって大変な騒ぎ。
おまけに奥さんは妊娠中。
内の亭主は地震の中どこへ出かけたのか、何をしているのか。
あたふたしているところへ、正体無く、ふらふらになって志ん生が帰って来る。


そりゃまあ、ひっぱたかれますよねえ。大正時代でもねえ。


「うわばみの吐き出され」ってね、凄い表現ですけど、まあ、コンニャロな男だったんでしょう。


戦争中は満州へ慰問に行ったそうなんですけど、行く理由が、向こうへ行ったら酒が呑めそうだから。
戦後、命からがら、なんとか帰って来れてから売れた。


なんかね、どうやら帰って来るみたいだよアノヤロウが、なんて噂になったみたいです。
戦後急に売れたっていうようなエピソードになってますけどね、どうでしょう。やっぱり帰国がニュースになるような下地があった人なんでしょうね。
なんたって名人なんです。


船で博多に着いて、ひっぱたかれたオカーちゃんに電報を打ちます「△□日帰る、酒頼む」


酒を呑むついでに落語をする、ってな感じだったのかもですけど、名人です。一気に人気者。


出し物が途中から違う噺になっちゃったり、登場人物の名前を忘れたり、途中で寝ちゃったっていうエピソードが語り伝えられますね。
ちょこんと座って寝ちゃったもんですから、若手が出ていって起こそうとすると、客席から、
「いいよいいよ、寝かしといてやんな。志ん生がそこへ出てるだけでイイんだから」
って声がかかったとか、かからなかったとか。


世間的には「ぞろっぺえ」として知られた志ん生でしたが、家の中での稽古の真剣さを見知っている家族からは絶対の尊敬を集めていたんだそうです。
さすが名人っていう逸話ですね。


長い貧乏生活について聞かれることがあると「おれは貧乏してなかった。家族が貧乏してただけだ」
んはは。気が利いているっていうのか、とぼけているっていうのか。


いつも菊正宗だったそうです。


患ってからは、マネージャ役をやっていた長女が、こっそり水で薄めて出していたんだそうですけど、当の「うわばみの吐き出され」は、家族の思いを感じ取って、娘のことでもあるし黙っていたのかもしれないですね。
水で薄められたら、志ん生じゃなくたって気付くでしょうからねえ。


でも、さすがに名人の娘ですよ。親父さんの末期を察して、生のままの菊正宗を出して、酒談義をしたのが最後の父娘の会話となったそうです。


しかしね、毎日一升酒かっくらって、志ん生がくたばったのは1973年、昭和48年です。
享年83ってことですからね、大酒呑みの大往生って言えるんじゃないでしょうか。


納豆が好物だったんだそうで、全国の酒呑みのみなさん、せいぜい見習って、納豆を常備しておくのがイイのかもです。

 


五代目志ん生に先駆けること5年、1885年、明治18年に宮崎県で産まれた歌人が「若山牧水


「幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」


「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」


の歌は、日本人であれば知らない人の無いぐらいに有名ですよね。
令和の今はそうでもないのかしらん。
でもイイ歌ですよね。日本の歌だなあって思います。


この人の酒好きも有名で、やっぱり毎日、一升酒を欠かさない大酒呑みだったらしいですね。


酒好きがたたって肝硬変で43歳の命を落とした人なんですが、夏場に亡くなって、数日経って、冷房なんてないころですからね、普通なら腐臭がし始めるのに全然そうならない。


「生きながらにアルコール漬けになっていたのかも」


とかね、そんな逸話の残っているレベルの酒呑みです。


「愛酒の日」っていうのがあって、それは8月24日なんですが、この日が若山牧水の誕生日っていうことに因んで定められたそうです。


凄く多くの歌を残している若山牧水ですが、酒の歌もけっこうあるんですよね。


「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり」


が知られていますね。


どうしようもなく酒呑みなんだよねえって、勝手に親近感を抱くのが、


「かんがへて 飲みはじめたる 一合の 二合の酒の 夏のゆふぐれ」


へっへっへ。夏じゃなくたって日は暮れて行くんですけどね。酒と共にね。


「ほんのりと 酒の飲みたく なるころの たそがれがたの 身のあぢきなさ」


っていうのもあります。
きょうは呑むのやめとこうって、思っていても、暗くなってくるとね、ね!


「まさむねの 一合瓶の かはゆさは 珠にかも似む 飲まで居るべし」


菊正宗、人気ですね。わっはっはな酒呑みの心情です。


「足音を 忍ばせて行けば 台所に わが酒の壜は 立ちて待ちをる」


なんで忍び足でダイドコに行くのかは、家族生活ってことなんでしょうね。奥さんの目がありますからねえ。
肝硬変になってもキッパリ酒を断つことができない。


「人の世に たのしみ多し 然れども 酒なしにして なにのたのしみ」


そです、その通り、ではありますが、長く楽しむための工夫ってのをすればね、もっとたくさんの名歌を残してくれたのかもですけどね。


呑まずに居られないって人は、たくさん居ましたし、今でも、ま、居ますよね。


日本酒はですね、久保田の千寿がイイですねえ。好きですねえ。依存症にはならずにすんでいる、と思いますけど。
五代目古今亭志ん生若山牧水の頃には無かった清酒、久保田の千寿です。呑ませたかったですねえ。縁もゆかりもありませんけれどねえ。


明るいうちは呑まない、って決めておりますです。はい~、呑みませんとも。たぶん。

 

【全国郷土かるた】日本全国に2000ぐらいあるらしいですよ

< おやげねえから おこんじょすんの やめりー >

なんのこっちゃねん!


これはですね、「ぐんま方言かるた」の「お」のカードなんです。
「可哀想だから 意地悪するの やめなさい」っていう意味だそうです。


ん~。地方色があってイイんでないかい、って気もしますけど、特定の地域でしか通じませんよね。
しかもなんでこんな文言をかるたにするのか、おそるべし群馬県、なのかもです。
でもね、まあ、方言を大事にする効果はバツグンなのかもです。


今でもそのままの言葉を使ているのかどうかは分かりませんが、意味も含めて言葉は残って行きそうです。


群馬大学総合情報メディアセンター中央図書館の「郷土かるたコレクション」を見ますと、郷土かるたの数は、日本全国で群馬県が圧倒的に多いようで「130」ぐらいあるそうですよ。


「おやげねえから」は方言かるたですけど、「上毛かるた」って有名ですよね。聞いたことがあります。

 

 

 


古代の関東には「毛野(けの)」と「那須(なす)」っていう2つの政治勢力があったんだそうで、大和朝廷の時代の「蝦夷(えみし)」って「毛人」とも書きますからね、毛野に住んでいた人たちを毛人と呼んで東日本の中の1つの勢力として認識していたのかもしれませんね。


古くは平将門、時代が下って新田義貞がこの辺りの人ですね。
そもそも室町幕府を開いた足利一族の庄もこの辺ですね。
それにほら、赤城の山も今宵を限り、ですからね、勇壮な地域なんでしょう。


時代が進んで毛野は「上毛野(かみつけの)」「下毛野(しもつけの)」に別れたそうです。


上毛野は「上野国(こうずけのくに)」って呼ばれるようになっていって、今の群馬県の辺りになります。


下毛野は「下野国(しもつけのくに)」で、現在の栃木県の辺りですね。


両毛線っていう鉄道もありますが、かるたに「上毛」っていう名前を残しているのには、この地域特有の強い想いがあるんでしょうね。
太平洋戦争で傷付いた地元の子どもたちの心に、夢と希望を持ってもらいたいという思いから1947年に、他の都道府県に先駆けて作られたのが「上毛かるた」なんだそうです。


自分たちの地元に何があるのか、どんなお国自慢があるのか。たしかにね、郷土愛を育てるには絶好のアイテムになるのかもしれません。


いろはかるた形式ですね。

 

 

「い」伊香保温泉、日本の名湯。
なるほどです。どこからも、誰からもクレームの来ようはずもありません。伊香保温泉ね。


「に」日本で最初の富岡製糸。
やたあ、世界遺産ですもんね。でも、戦後すぐから、2014年に登録されるずっと前から上毛の自慢なんですね。


「わ」和算の大家、関孝和(せきこうわ)。
へええ、上毛人だったんですねえ。天才数学者。


「ね」ねぎとこんにゃく、下仁田名産。
はい、わざわざ下仁田の焼き鳥を食べに行ったことがあります。ねぎま、ねぎ、たいへんおいしゅうございました。でんがくみそ、サイコーでしたです。


で、「上毛かるた」地元、群馬県民の一番好きな札は、


「つ」つる舞う形の、群馬県


ん? って思いますけど、かるたの絵面をみると、ふううむ、って分かります。飛んでる鶴。です。


上毛かるたは、しっかり郷土愛を育んでいるってことなんでしょうね。つる舞う形。昔から言われているんですね。


郷土かるたの先鞭をつけた上毛かるたですが、その後、他の地域でも多数の郷土かるたが作られています。


埼玉県、「彩の国21世紀郷土かるた」


「し」シンボルは、さいたまアリーナ、新都心
2002年にリニューアルされたものだそうですが、さいたまアリーナ。新しい名物を巧みに取り入れていますよ、埼玉県。


「う」宇宙まで、夢をとどけた若田光一
ほほう、宇宙飛行士、埼玉県出身だったんですねえ。


東京都、「かつしか郷土かるた」


「と」寅さんが、駅でふるさとふりかえる。
なるほどですね、葛飾柴又です。


「日本地理かるた」っていうのもありますね。


「ほ」北海道、北の台地にBoys be ambitious。
ん~、ちょっとね、かるたの文言としては苦しいかもですね。


「ま」マスカット、ピオーネ白桃、岡山県
ふむふむ、ピオーネって、なんなん?


「り」琉球の、文化伝えるウチナーグチ
ん~。日本地理かるたは、なんだか正しすぎて、面白味が薄いような感じでしょうかねえ。

 

 

 


かるた遊びって、平安時代の「貝合わせ」がルーツらしいんですけど、有名なのは「小倉百人一首」でしょうねえ。


名前だけは知っていました。って言った先からなんですが、ずっと「こくら」って読んでいたんですけど「おぐら」だったんですねえ。知ってましたとは言えなかったんでしたあ。
でもねえ、周りもみんな「こくら」って言っていたような気がするんですけどねえ、言い訳にもなりませんですけど。。。


鎌倉時代藤原定家が京都の小倉山(おぐらやま)にあった山荘で、色紙に書いたのが基になっているのが「小倉百人一首


定期的にブームがあって、恐ろしいことに全部を暗記している人も少なくないんですよね。大会もありますし。
和歌ですねえ、嫌いじゃないですけど、ちんぷんかんぷんですねえ。


歴史的に名を知られた人の和歌が百首。ん~。諳んじている人も多いかと思いますけど、ちっと、見てみませう。


柿本人丸って書いてありますけど、柿本人麻呂(660年から724年)のことでしょねえ。
飛鳥時代の歌聖って言われている人。
梅原猛の「水底の歌-柿本人麻呂論」では、政争に巻き込まれて刑死したってされていますね。


「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」


山鳥の長く垂れ下がっている尾のように、長い夜をひとりで寝るのだろうか、っていう歌なんだそうです。
ん~、これ、イイ歌なんでしょうけどねえ。寂しい気持ちなんでしょうけど、なんかピンときませんねえ。


小野小町もありますね。
平安時代前期の人だってことらしいです。美人の代名詞。
タバコ屋小町、なんていうのは、すっかり死語になりました。


「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」


花の色はおとろえてしまったなあ。私がこの世でむなしく過ごしている間に、というわけではないけれど、降り続く長雨をぼんやりと見ながら物思いにふける間に、っていう歌。
天下に聞こえた別嬪さんだっていう前提があって、衰えに落差が感じられるってことなんでしょうかねえ。


在原業平の歌もあります。
小野小町とだいたい同時代の貴族ですね。伊勢物語の主人公。


「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」


あ、この歌、知ってますね。でも落語の方です。ホントには知っていないってことになりますか。
神代の昔にも聞いたことがない。竜田川の水の流れを深紅にくくり染めにするとは、っていう歌だそうです。
ん~、そういう景色が、ん~、まあ、キレイではあるでしょうけどねえ。


って、ちっとも気持ちが動かされませんねえ「小倉百人一首」。木偶の坊ですねえ。

 

 

 


紫式部もあります。


「巡り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな」


久々に再会して、昔見た面影かどうかも見分けがつかない間に、雲にかくれた夜の月ではないけれど、帰ってしまったあの人よっていう歌。
これはなんとなく分かるような気がします。さすが紫式部さん。でしょかねえ。


続いては清少納言です。


「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よにあふ坂の 関は許さじ」


夜が深いうちに、鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても、函谷関で通行が許されたのとは異なって、私があなたと逢うという、その逢坂の関は、決してお通りになれますまいっていう歌。
藤原行成っていう人との、実際のやりとりがあって詠んだんだそうですが、けっこうモテモテだったのかもですね、清少納言ちゃん。


ちゃん?!


鎌倉右大臣の歌もあります。
鎌倉幕府第3代征夷大将軍源実朝(1192年から1219年)ですね。


「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも」


世の中は変わらないものであってほしいことよ。なぎさを漕ぐ漁師が小舟を綱でひいていく様子が悲しく感じられるっていう歌。
為政者としての感慨なんでしょうか。深いような感じもしますけど、客観的過ぎるような感じも。
右大臣実朝とえば、


「大海の 磯もとどろによする浪 われて砕けて 裂けて散るかも」


っていうのが、木偶の坊にも分かりやすくて、力強くてイイですねえ。


百人一首を覚えるっていうのは、大会に勝つっていう遊びかたもあるんでしょうけれど、日本の情感をしっかり引き継いでいくっていう、役割もあるんでしょねえ。


木偶の坊のままじゃダメですねえ。あしびきの~、ですか。ふむふむ。ヒトマロちゃんねえ。。。

< 2024年2月1日 追記 >

群馬県庁文化振興課から1月22日付けで、

上毛かるた「ち」の読み札の改訂について

っていう発表がありました。

「令和5年12月1日現在の県人口が190万人を割り込んだことから、上毛かるたの県人口を示す「ち」の読み札を「力あわせる二百万」から「力あわせる百九十万」に改訂しました」

とのことです。

律儀にねえ、って感じもしますけれど、これぞ、生きている地域文化、だからこその下方修正改訂、ってことなんでしょねえ。

全体の人口は減って来ているけれど、外国人の割合は増えている。っていう自治体が多いんだそうですよ。

日本人の割合が減りつつある日本。

ん~。。。

 

【教育七五三】あれからずいぶん時は流れて 日本の中堅層 今どうなんでしょ

< 自分たちがバカ世代だってマジで思っているんでしょか >

古い友人から連絡が来まして、「幻の居酒屋 つぼ八」へ行ってきました。


いやあ、「幻の」っていうのはその友人が勝手に言っているだけで、そんなキャッチコピーの店じゃないんですけどね。


正確な店舗数とは知りませんけど、初期の居酒屋ブームを作り上げたチェーン店ですよね、つぼ八
その頃は、どこの駅前にもあったような感じでしたからね。友人が「幻の」って言いたくなるのも分かるような気がします。ホントに見かけなくなりました。


アテとしての「ホッケ」を知ったのは、まぎれもなくつぼ八に行ってでした。


出てくるのは早くはないですけど、安くて旨くてデカイ! 酒呑みの味方。
なのに、つぼ八はいつのまにかすっかり姿を消してしまって、たしか北海道の会社でしたからね、関東からは撤退してしまったのかなって思っていたんですが、個人店の焼き鳥屋さんで最近の居酒屋チェーン店ってさあ、って話をしていたら、その友人がつぼ八、今もやってるよ、って言い始めたんですね。


入ったことはないんだけど、通勤電車から看板はずっと見ている。
ってことで、じゃあ、行ってみるべえってなったんでした。


当初4人でっていう計画だったんですけど、その友人と2人だけのツアーになりました。
ま、イイです。つるむのが目的じゃないですからね、目的はつぼ八そのものです。

 

 

 


京王線笹塚駅南口です。駅からすぐ、地下1階に、ありましたアリマシタ、つぼ八
幻じゃないです。ちゃんと営業していましたですよ。
カウンター席に陣取りました。ゴールデンウィークの後半、そこそこ客が入っていましたです。
海外やら国内観光地やら、人出の戻ったニュースが盛んに流されていた2022年の、行動制限なしの大型連休でしたが、ま、出かけずに地元で一杯、って人もたくさん居るってことですね。


カウンターの端っこに座ったんですが、V字型のカウンター、顔まではよく見えませんが、向かい側には30代ぐらいの男2人、女1人の三人組がけっこう出来上がっていました。


8人も座ればいっぱいになる感じのV字型カウンターなんですけど、中が厨房になっていますんで、対面の客同士が顔を見合わせるってことはないですね。さほど気にせずにそれぞれのスペースって感じになります。
キレイな店内ですね。


チェーン店ってほとんど行かなくなっていますけど、まあ、たまにはこういうデッカイ呑み屋さんで吞むのもいいでしょねえ。ってことで、満足感がありましたです。


焼酎には「鍛高譚」サワーには「夕張メロンサワー」「余市産ブルーベリーサワー」っていうメニューがあって北海道をリスペクトしてますね。つぼ八ですからねえ。


アルコールの種類はそんなに多く扱っていませんが、ま、安く呑めるように設定されているんですね。これは昔からそうだったような気がします。


北海道推しに気付きつつも「一刻者」にしました。ロック一杯440円です。
居酒屋チェーン店には、ほぼある感じの鹿児島芋焼酎


さてさて、ホッケです。つぼ八っていったらね、やっぱりホッケでしょねえ。


ありますねえ「北海道産 マホッケ開き」1045円。あれ? ちょっとお高め。
まあ、そんなに獲れなくなったらしいですからねえ。で、出てきたら、これまた、あれ? ちっちゃ。。。


いや、小さいって程ではないんですけど、昔の大きさを期待していたもんですからね、あれ~? って思っちゃったんでした。悲しかったんでした。
でもまあ、旨かったです。


で、「道産子のソウルフード 若どりザンギ」とか「北海道産ポテトもちバター醤油」とかを食べながら、改めて店内を見回していたら、なんと「北海道産 姫ほっけ」っていう逸品メニューに気付きました、462円。
ええ~!


失敗したかなん? でもまあ、悔し紛れでまたホッケっていうもんでもないでしょうから、諦めました。

 

 

 


懐かしいねえ、って友人は言うんですけど、いや、ちゃうでしょ。この店舗自体は新しいでしょ。雰囲気も昭和じゃないでしょ。ホッケ、失敗しちゃったし。


なんてな話をしていたらですね、向かい側の3人の声がだんだん大きくなってきましたですよ。
ま、酔っ払いってそんなもんでしょねえ、って思いながら、そんなに気にもしていなかったんですが、突然、叫び声が上がりましたよ。


「うわああ、そうなんだよ、おれたちがバカなのはテレビのせいなんだよ、ゲームのせいなんだあ」


カウンターの中のお兄さんに、声を落としてねってジェスチャーで諭されて、すぐに静かになりました。ぺこぺこしてます。
むふふですね。素直な酔っ払いなんでございますよ。


しかしですね、酔っ払いの戯言とはいえ、なかなか気になる雄叫びではありましたねえ。


どんな話をしていたかは分かりませんが、どういうんでしょうか、自分たちの世代はバカなんだって思っているってことなんでしょうかね。
テレビとゲームのせい。ふむふむ。活字離れ、ってことでしょうかね。


この雄叫びから連想されたワードがあります。


「教育七五三」


聞いたことあります? 2008年に新書が発売されて話題になりましたよね。


「教育七五三の現場から」っていうタイトルで、衝撃的なサブタイトルが付いていました。
「高校で7割、中学で5割、小学校で3割が落ちこぼれ」


2008年には、もうとっくにオヤジでしたからね、自分の年代のことも記憶の彼方でしたけど、落ちこぼれって、そこまでかね、って思ったのを覚えています。

 

 

高校になりますと、学校によっての学習内容格差もありますからね、7割の生徒が落ちこぼれていたら成り立っていないってことなんじゃないの、大袈裟なんじゃんとかね、そんなレベルの受け止め方。


ただ日本の学生の学力レベルがどんどん落ちてきているって話はよく聞かれるようになった頃だったかもしれません。


ここでは言及されていませんけれど、この流れでいけば「大学では9割落ちこぼれ」ってことになっちゃいませんか。
まあね、そんなことにはなっていないでしょうけれどね。


で、ま、学生とかとっくに終わってますからねえってことで、スルーしていたんですが、同じ2008年にアメリカ在住の映画解説者、町山智弘の本「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」が出たんですよね。


映画の話を面白おかしく紹介してくれる町山氏なんですが、仕事柄なのか、話題をスキャンダラスに提供するヘキがあるようにも感じる人ではあります。


アメリカ人の半分は、って言ってるエビデンスはどこにあるのか分かりませんが、この本を知る少し前に、ラジオだったかで「日本人は47都道府県を全部言える人が少ない」って話を聞いて、ええ~! って思っていたこともあって、2008年はそれまでの常識が、今は通じないんですよっていうトピックが当たり前になった最初の年だったのかもですねえ。


まあ個人的にも日本の白地図都道府県名を書き入れるとすると、県名は覚えているものの、鳥取県島根県ってどっちが東でどっちが西だっけ、ってことになってしまったりしますんで、47都道府県を全部言えないって人に親近感を覚えますけど、県名を並べるだけなら問題なさそうです。


でもねえ、こういうのって、あるだろうなあっていうふうにも思えますよ。


例えば、家の固定電話が当たり前の頃、スマホなんて無い頃なんですけど、誰でも自分ちの電話番号、会社の電話番号、知り合いの電話番号を覚えていましたね。
スマホのメモリに頼るんじゃなくって、自分の頭の中のメモリ。


元々、記憶系が苦手ではあるんですが、今現在、自分のスマホの番号って、怪しいです。
覚える必要がないですもんね。


自分で自分にはかけません。失くした時に、とか言われますけど、そういう時、呼び出してもらうのは自分の番号を知っている他人ですからね。自分で覚えておく必要性が決定的に薄いです。


ここ数十年はダダサガリらしい日本の文化レベルですが、どうもね、日本だけじゃなくって、先進7か国とか言われていた国はみんなそうなのかもしれませんよ。


日本人は東京の場所をほぼ全員が知っていますよね。たぶん。
アメリカと比べて日本は狭いからね、って、そういう問題ではないですよね。


少なくとも先進7か国に暮らす人々は、もう充分満ち足りた生活になって、とくに苦労して何かを突き詰めなくたって生活できるじゃん。
っていう中に生まれて来て、世の中がどんどん便利になっていく流れの中で育っていけば、将来に不安を感じることも少ないわけで、世の中に対する興味、好奇心、とくに知的好奇心っていうのが弱くなってしまうんじゃないでしょうかね。


自分が積極的に何かをしなくとも、世の中的には問題なく生活していけそうな空気感。
落ちこぼれが半数以上って言われた2008年に中学生、高校生だった世代は、2022年で考えてみますと、26才から32才ぐらいですね。
日本の中堅層になってきているわけです。


もちろん、みんな一様に「教育七五三」の落ちこぼれの方に入っているわけじゃないですからね、優秀な人はどの世代にだって居ます。
そりゃまあ、優秀じゃない人も、どの世代にも居ますけど、教育システムを変えないとダメでしょ、っていう意見が強くなってきているのかもしれません。


でもねえ、ホントに根本的にっていう意味を分かっている人がエライ人たちの中に居ないのか、いつも示されるのは教育方針の変更であって、システムの変更じゃないんですよね。


英語の授業は英語でやります、って急に言われたら学校のセンセはどう対応してイイのかってことになりませんか。
いやネイティブの人に授業をやってもらいます。ってそういうのがうまくいく環境って、どれほどあるんでしょうか。


プログラミングの授業を始めます。
え、プログラミングなんて、やったことないですけど、っていうセンセが普通でしょ。


落ちこぼれが多いから、教育システムを変えましょうっていう意見は、間違ってはいないと思いますけど、急激に変えられるもんじゃないことは火を見るより明らか。


今、日本の、会社の、中堅層に差し掛かっている世代の若者たちよ。
今、ちゃんとやれているんだったら、オッケーですよねえ。
学校のシステムの方が時代に合っていないだけなのかもですもんねえ。


テレビからバカ光線が出ているのは事実だとしても、落ちこぼれって言われたって世代的なバカなんじゃないです。人間のキャパなんてもんが世代によって決まるってことがあるわけないですよ。


言葉、日本語を大事にして、自分の言葉で考えることを意識して、投げやりにならずに、ぜひに日本を盛り上げていってくださいませ。

 

 

 


昨今では11月15日近辺の休日に行われるようになった「七五三」ですけど、あれが日本中に広まったのは江戸時代になってからのことらしいですね。


いろいろ謂れはあるみたいですけど、子供たちの年齢については、3才になるころには、神様から「言葉」を、5歳の頃には「知恵」を授かることを感謝する祭りごと。そして7才になって「歯」を授かる、大人と同じように食べられるようになったことを神様に感謝するっていう意味があるんだそうです。


まず「言葉」なんですね。その「言葉」を理解していないと「知恵」にはたどり着けません。
「歯」飲食はその後ってことですね。


忖度文化の強い日本ですからね、自分で、自分の言葉で物事を考えるようにしないと、腹の底から笑えませんよ、って思いますです。


「教育七五三」世代のみなさん、落ちこぼれがどうしたとか、そんなの気にしてないですよね。
ま、人によるってことはありますけどね。


まず「言葉」それから、その言葉によって構成される「知恵」
自分の考えが出来上がったら、飲食に気を付けて健康を維持していきましょう。ホッケ、ちっちゃくなったけど。


七五三にもいろいろあるようでございますです。

 

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