ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【野沢菜】ちょっと色合いの悪い 茶色っぽい半古漬け 初めて食べたけどアテとして絶品だった話

< 野沢菜って普通に知っているつもりだったんですけど やっぱり本場っていうのがあるですねえ >

冬の雨の夜。街灯に照らされたアスファルトが濡れて光っています。寒いですしね、人通りはやっぱり少ないです。


そんなに強い降りでもありませんでしたので、ポテポテ歩いていつもの居酒屋さんへ。


テーブル1つに若いカプルが座っているだけで、カウンターには誰も座っていませんでした。
冷たい雨の夜ですからねえ。


いつも通り、厨房の中で大将がにっこり。女将さんがすぐに温かいおしぼりを持ってきてくれます。


「雨の日はね、ダメなのよね」


8時半ぐらいだったと思うんですけど、


「最近はもうこの時間から来てくれるお客さんって、ホントいないのよ」
ってことなんでありました。

 

 

 


お通しのレバーパテのクラッカー乗せをアテに黒糖焼酎をロックでやっておりますと、入り口の扉をさらりと開けて1人の壮年女性がコンビニ袋を手に入って来ました。
厨房の中に入りながら、丁寧なお辞儀で、


「いらっしゃいませ」


へ? 誰?
おずおずと頭を下げて挨拶を返しますと、女将さんが、


「姉です。ちょっと遊びに来てるんだけどね、今ちょっと買い物頼んでたの」
はあ、そですか。でも、なんて言いますか、


「あんまり似てないでしょ。昔からよく言われるのよね」
先回りして女将さんが説明してくれます。とお姉さんが、


「ご利用いただきまして、ありがとうございます」


「常連さんなのよ」


「うん、なんとなく分かる」


うっそー。そんなこと分かっちゃうもんなの?


まあ、良く見てみれば似ていなくもない、かなあっていう感じもしてきました。


「こちらは何呑んでらっしゃるの?」


「朝日、黒糖」


女将さんの応えに、お姉さんはカウンターの中で黙って頷いていますね。なんなんでしょ。って思っていると、小鉢を1つ、すっとカウンターに置いてくれました。


野沢菜です。焼酎に合いますよ」


ん? 焼酎に野沢菜? そですか。
にしても、これ、なんか色合いが、ヨロシクナイように思えますですねえ。いつも見ている野沢菜の緑色じゃないですよ。


「まだ古漬けってほどじゃないけど、これぐらいからがおいしいのよ」


小鉢の中を見る目つきが怪しくなってしまっていたんでしょうかね、女将さんが説明してくれました。


ま、いただきますけどね。ありがたくいただきますとも。
茎の1本を箸でつまみ上げて食べてみました。


あれ? 意外!


野沢菜の風味が深いです。旨い。アテとしてバッチリです。緑色よりイっす。


「あたしが漬けたんじゃないんですけどね」


女将さんの説明によりますと、お姉さんは長野県の飯山市ってところへ嫁いだんだそうです。善光寺野沢温泉の中間ぐらいの街。
まあ今では野沢菜ってどこででも栽培されているんでしょうけれど、本場ですよね。


農林水産省「うちの郷土料理 長野県 野沢菜漬(のざわなづけ)」でも紹介されていますけれど、野沢菜は長野県野沢温泉村の名物野菜です。

 

野沢菜漬けは、高菜漬け、広島菜漬けと並んで「日本三大漬菜」なんだそうですね。
日本三大〇〇っていろいろありますけど、漬菜っていうのもあるんですねえ。


「緑色のね、きれいなのは観光客用みたいなもんなんですよ。あたしたちはこっちの方が風味がイイから緑色のはね、あんまり食べないんです」


「焼酎で漬けるんでしょ」


「そうね、焼酎で漬けるっていうか、基本はもちろん塩なんですけどね、野沢菜を漬ける樽にまず焼酎を入れて、そこにビニールを敷いて、そのビニールの中にまた焼酎を入れてね、それから野沢菜を入れて漬けるんで、焼酎は相性がイイと思いますよ」


へええ、焼酎で漬けるんですかあ、知らんかったですう。ってなもんですけど、焼酎ならなんでもイイかっていうと、そこは各家庭の好みなんだそうです。
なるほど、各家庭ごとの野沢菜漬けってことになるわけですねえ。

 

 

 


しかしまあ、考えてみれば当たり前なんですけど野沢菜にも浅漬け、古漬けっていうのがあるらしいんですね。


本場の長野県以外の方々、知ってました? 緑鮮やかな野沢菜漬けって観光客用なんだそうですよ。


普通にスーパーで売ってる野沢菜も茶色っぽいのってないですよね。あんのかな? ないでしょ。
全国流通している野沢菜も観光客用ってことなんでしょうねえ。観光してなくてもです。


正確には茶色っていうんじゃないんですけどね。深緑って言いますか、黄色がかっているって言いますか、ちょっと見にはワルクなってるんじゃないの? って感じですよ。


完全に古漬けっていう状態になると酸味が強くなって、そっちの方が好きだっていう人もいるってことでしたね。


にしてもですね、野沢菜漬けに焼酎が活躍しているなんて知りませんでしたね。
どんな焼酎なのかは、


「あたしは呑まないから分かりません」


ってことでしたけど、度数は35度のを使っているってことでした。けっこう高めの度数ですね。


家によっては専用の酢を使うところもあるんだそうです。
焼酎でなければ酢、っていうのもなかなかですよね。全然違った出来上がりになるんじゃないでしょうか。知らんけど。


でもねえ、さすがにそんなに高級な焼酎は使わないでしょうし、たぶんおそらく甲類なんでしょうね。
樽の大きさにもよるんでしょうけど、樽とビニールの中にとで2升は使うらしいです。


野沢菜漬けの半古漬け。
なんかね、歯ごたえは緑色のと変わらないと思うんですけど、風味がホントに焼酎のアテとしてバッチリでした。


イイなあ、これ、って思うんですけど、東京近辺では売ってませんもんね。この日この時だけの観光客用じゃない方の野沢菜漬けなんでありました。


いつものごとく後から調べてみますと、野沢温泉村にある健命寺の住職さんが、1756年に大阪、天王寺で栽培されていた「天王寺蕪」を持ち帰って栽培を始めたんだそうですね。


そういえば女将さんのお姉さんから説明を聞いたときに「カブを落として」って言ってましたね。


でも、あれ? ですよね。野沢菜って蕪だったの?
落とした蕪は、そのまま蕪として生産地の人たちが食べてるの? かな?
なんで蕪も一緒に漬けないんでしょうか?


で、もうちょっと調べてみたらですね、なんだか面白いって言いますか、野沢菜には、ほほうっていう物語があったのでありました。


大阪、京都で18世紀当時の名産品だった「天王寺蕪」を野沢温泉村に持ち帰って栽培したところ、野沢は寒いんで「天王寺蕪」がビックリして突然変異! 蕪は小さくなって、茎と葉っぱが大きくなった。


その茎と葉っぱを漬物にしたら旨かった。蕪の部分、要らんわ!


野沢温泉村の人たちは寺からわけてもらって「蕪菜(かぶな)」っていう名前で栽培を始めて、その蕪菜漬けは地元で評判の味になって野沢温泉の名物になった。


野沢温泉は湯治客の他にもスキー客が訪れる土地。
戦後に、湯治客、スキー客が野沢温泉村の蕪菜漬けをとっても気にいって全国に広まっていくなかで、野沢の漬物っていうことになっていって、全国区としては「野沢菜漬け」って名前になった。んだそうです。


めでたしメデタシ~。


なんですが、


名前が野沢菜漬けになったっていうあたりのエピソードはその通りだったとしても、天王寺蕪が寒くって突然変異したっていうのは、現代科学の遺伝的研究でハッキリ否定されているんだそうです。
そりゃそでしょねえ。


天王寺蕪は西日本で主流のアジア系。中国経由の野菜。
一方、野沢菜は東日本で多く栽培されている寒さに強いヨーロッパ系の特徴が強いんだそうです。


なので野沢菜は遺伝的に天王寺蕪が突然変異したものじゃない、ってことみたいなんですよね。


地元に伝わっている話とはチガウってことですね。
でも、これもまた不思議な話ですよね。


健命寺の住職さんが野沢菜を関西から持ち帰ってきたっていうのがホントだとすると、蕪として持って来たんじゃなくって、最初から茎と葉っぱの旨さを気に入っていた可能性もあるんじゃないでしょうか。


だとすると、天王寺蕪の地域、アジア系の蕪の地域にヨーロッパ系の蕪、って言いますか、蕪もどきもあったっていうことになるんでしょうかね。最初っから蕪じゃない蕪。


いったいどこから来たのか正体不明の謎の野菜、それが野沢菜ですよ。知らんけど。


蕪の部分は食べない「蕪菜」っていう名前で野沢温泉村に根付いた野沢菜。その漬け物が野沢菜漬け。


炒め物にしても旨いですよね。
高菜チャーハンも旨いですけど、野沢菜チャーハンっていうのもありますね。たぶん炒め物にも野沢菜の古漬けの方が合うのかもです。


初対面では「顔色ワルイ」って思った野沢菜の半古漬け。一回食べて、その旨さを知ってしまうと、とっても好い色ってことになってしまっておりますよ。

 

by農林水産省

 

でも地元に行って、観光客用じゃない方ってリクエストしないと食べられないのかも。
焼酎のアテには観光客用じゃない方の野沢菜漬け、かなり上位で、いけますよ。

 

 

 


野沢菜漬けは1983年に長野県の選択無形民俗文化財信濃の味の文化財」に指定されているんだそうです。
たぶん観光客用じゃない方でしょねえ。


焼酎以外の酒にも合いますし、そもそもごはんの添え物としてイイですもんねえ。


観光客用の緑色野沢菜漬けチャーハンも、旨いです。
謎の野菜だったんですねえ。

 

【お酒のお供】焼酎 日本酒 ハイボール ビールの旨さもピッタシの肴があればこそ

< アテ つまみ 肴 なんと呼ぼうが旨いものは旨いでしょねえ 居酒屋定番メニューの今昔 >

何を食べながら酒を呑むか。まあね、個人の好み、嗜好なんですけどね。


特に何も食べませんっていう人もいるでしょうけれど、アルコールばっかりじゃなくって、何かテキトーなものを腹の中に入れながらっていうのがイイんだそうですよね。
さらにはアルコールと同じ分量の水を飲みながらっていうスタイルが肝心だって言います。


酒の呑み方っていうのも世につれて、いろいろ変わって来ているんだなあって思います。


ついこの前ね、久しぶりに個人店じゃなくって大型のチェーン店に入って、つくづくそう感じたんであります。
新規感染者数が減少傾向を見せているとはいえ、1万人を切ったぐらいのころの東京都内です。

 

 

 


けっこうお客さんは入っていて、ほぼ席が埋まっていました。
オーダーするとき、ちょっと声を張らないと店員さんに通らないレベルの賑やかさ。


「すいませ~ん、アヒージョ、まだ来てないんですけど」


「こっちもまだ来てないんですけど~。バーニャカウダ、2つ~」


席に端末が置いてあって、タップしてオーダーするシステムじゃないんですね。今どき懐かしい感じのお店でした。隣りのテーブルに店員さんが来ていて、注文を聞きながら伝票に書いています。


「あざ~す。マヨポテト1つ、クリームチーズ2つ、チキン南蛮1つですね~、あざ~す」


確認している店員さんの声も大きいんでハッキリクッキリ丸聞こえなんです。あざ~す。


いつも行っている個人店とは全然違う熱量の店内だったんですが、飛び交っているアテの名前がほとんどカタカナ。
ふううん、昭和ってホントに遠くなってしまったんですねえ、って感じましたです。


バーニャカウダ。なんですかそりゃ。昭和の頃に、、、あったみたいけどね。
でも呑み屋さんのメニューにはなかったでしょ。


それでですね、メニューにはあるんですけど、刺身、お造りですね。三点盛りとか、5点盛りとか。昭和の居酒屋さんでは定番だったアテのメニューですよね。
店内をザっと見渡してみてもテーブルの上にありませんよ、刺身。人気なし。日本の居酒屋、バーニャカウダ。


みんなカタカナを食べていますねえ。


で、自分たちは枝豆、厚揚げ、と三点盛りを注文して、あざ~すっていう明るい声を聞きながら雑然とした空気の中で、しばし妄想の世界に入ってしまいました。

 

 

 


三点盛りのサカナの種類っていうのも令和流になってきているんでしょうか。


町中華にある三点盛りは「チャーシュー、メンマ、茹で卵」
中華の三点盛りっていうのもイイですねえ。


昭和の頃から、すぐに出せるメニューとして中華居酒屋っぽいお店ではスタンダードだったような記憶です。


まだチェーン店とかが幅を利かせてくる前の個人店の居酒屋。定番のアテっていえば、煮込みだったでしょうかね。


〇〇の煮込みだとか、種類はないんです。お店任せ、ザ、煮込み。今みたいにキレイな見た目じゃなくって、ごった煮、みたいなルックスでしたよ。


アテの種類っていうのもそんなになくって、ハムカツ、ポテトサラダ、目玉焼き。そんなのがメイン。


目玉焼きってホントそれだけでしたね。タマゴ1つだったり2つだったりしましたけど、キャベツとかサラダ系とか、なかったです。シンプルな目玉焼きがアテだったんです。


たこさんウィンナー。今、あの皮の赤いウィンナーソーセージってあんまり見ませんね。


そうそう、すっかり消えてしまったかもしれないメニューが川エビのから揚げ。
いや、メニューに書いてあるお店はあるんですけど、昭和の川エビとは違うエビなんですよね。妙に育っちゃった川エビなんです。デッカイの。どこの川で獲れたんでしょか。


川エビのから揚げっていうのはエビの身を食べるんじゃなくって、口の中に刺さるようなパリパリの細いやつを粗塩と一緒に味わうもんだったですよね。身の方じゃなくって殻をガシガシ噛む。カルシウム摂取!


今のってホントは川エビじゃないのかもですね。っていうか川エビっていう種類のエビ、いるのかどうかも知りませんけどね。

 

昭和のじゃない川エビ


そうして考えてみますと、今の居酒屋定番メニューってカロリー高くなっていますよね。動物性脂肪、多め。


2022年の「居酒屋で定番の人気メニューランキング」っていうのを見てみますと、


第1位:鶏のから揚げ


第2位:軟骨のから揚げ


第3位:焼き鳥


第4位:フライドポテト


第5位:枝豆


第6位:だし巻き卵


第7位:たこわさび


第8位:サラダ


第9位:ホッケ焼き


第10位:刺身盛り合わせ


揚げ物は酒に合いますよねえ。昔ハムカツ、今から揚げ。
鶏、いなくなっちゃうんじゃないのっていうぐらい、みんな食べてますねえ。


へええって思うのは、たこわさびが第7位に入っていますね。ホントにニンキあんの? って思いますけど、第1位の鶏のから揚げがダントツ1位らしいですね。順位だけじゃなくって推しのパーセンテージも知りたいところです。


いつ頃からなんでしょうかね。鶏のから揚げは、定食、弁当のジャンルでもニンキですもんね。


ようやく第9位にホッケが入っていますけど、ホッケってまた獲れるようになったんでしょうかね。安くてボリュームがあって旨いアテですよねえ。一時期、めっちゃちっちゃくなっちゃってましたけどねえ。復活?


また復活しているとすれば、それは嬉しいことです。でもあれですね、個人店のメニューでは見ない感じです。仕入れとしてチェーン店のまとめ買いじゃないと売り単価として難しいってことなんでしょうか。ホッケ。


トップテンのしんがりに一応って感じで刺身の盛り合わせが入っています。


個人的な酒のアテの定番っていうのを、改めて思い起こしてみますと、豆腐ですね。


っていいますか、なにがなんでもっていうようなレベルじゃなくって、さて自分の定番って何だろうって改めて考えてみないと出てこないっていうぐらいのもんなんですけどね。そんなに強くこだわっているわけじゃないって思うんですけど、たいてい豆腐は注文しますね。


夏は冷奴。たいていどこのお店にもあります。
冬は湯豆腐が好きなんですけど、やっていないお店も多いですね。
厚揚げ、揚げだし、その他、そのお店のアレンジ豆腐があれば注文します。


自分の定番のアテってあります? 

お店ごとにコレっていうアテがあったりするのかもですけど、自分って何が好きなんだろう? って改めて考えてみると、何か発見があったりするかもですよ。


酒のアテ、定番っていうのは時代、年代によって違っているもんなんでしょうか。そういう傾向っていうのはあるにしても、やっぱり個人の嗜好なんだろうなあって思いますけどね。


当ブログではアテ、アテって言ってますけど、言い方にも種類があって、一説には、アテって言うのは関西方面、近畿地方だけだっていうのがあります。


関東方面では「おつまみ」
ええ~!? そうかなあって思いますです。
ずっと東京で呑んでますけど、普通にアテって言ってます。


もちろん、おつまみって言っている人も多いですけど、今は土地による偏りみたいなものってないんじゃないでしょうかね。
アテでも、おつまみでも、問題なく通じますし、その言葉が指しているものも一緒だと思います。


ちょっと調べてみますと、正式には「肴(さかな)」って言うんだそうですね。


この肴っていうのは、酒に添える食べものっていう意味なんだそうですから、普通に言っている「酒の肴」っていうのは意味がダブった言い方になっている、ってことになります。


「酒の酒に添える食べもの」


日本では平安時代から酒が吞まれ始めたそうですけど、平安時代のごはんのおかずは「菜(な)」って呼んでいたそうで、それで酒の席で食べるのが「酒菜(さかな)」ってことだったそうです。


中国で「肴(こう)」っていうのは、まさに「酒菜」っていう意味で、漢字文化が日本に入ってきたタイミングで「肴」っていう字に「酒菜(さかな)」っていう読みを宛てて「肴(さかな)」って言うようになったんだそうです。


でもまあね、今、肴っていう時には「酒の肴」って言ってますけどね。重複しているとは誰も思っていないですよね。


おつまみっていうのは、手でつまんで食べるかららしいですし、酒にあてがうからアテなんだそうです。


定番のアテ、定番のおつまみ、定番の肴、っていう言葉を並べてみますと、むしろ今は定番のメニューっていう方が通りがイイんでしょうかね。


定番って言っても、お店によって旨いもの、好みのアテが違っていますからね、世の中的に何が定番ですよっていうのがあっても、頓着なく、自分の好きなアテで呑むのがイイですよねえ。

 

 

 


向田邦子さんの「う の引き出し」いろんな種類の旨いものを知るっていうのはシアワセですよねえ。
そうです、うまいものの「う」っていうことだったみたいですよ。


久しぶりにハムカツ、ポテサラで呑みたくなってきました。


バーニャカウダ、別に嫌いなわけじゃないです。でも酒のアテだと、時間が経っちゃうと、ね。


ん~。どこかで昭和の川エビ、から揚げにしてやってくれていないですかねえ。

 

【坊さん料理】世界のお坊さんは「気絶」したり「垣根を跳び越え」たり いろいろ大変みたいです

< 坊さんシリーズとか言っちゃってるのも聞きますけど 2つしかないんじゃないの? >

お釈迦さまの居た時代っていうのは、紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀っていうことで、ハッキリしてはいないんですね。

 

無理もないっていいますか、少なくともキリストさんの500年前ですからね、記録とかが残っている可能性は低いでしょうし、そもそも筆記、記録を付けるっていうこと自体あったのかどうかっていう時代なんじゃないでしょうかね。知らんけど。


お釈迦さまを開祖としている仏教ですが、日本に伝わって来たのは聖徳太子の時代。
お釈迦さまのインドから、三蔵法師さんの中国を経て日本に伝わって来て、ま、いろんな宗派がありますよね。

 

 

 


日本の宗教感覚っていうのは特殊だって言われることもあって、仏教徒だっていっても、自分の家の宗派がなんなのかしらないっていう人も少なくないっていうのが実情かもしれません。
葬式仏教だとか言われる由縁ですよね。


かく言う私も宗派による違いだとか、全然分かっておりません。


お盆になると、袈裟を着たお坊さんがスクーターに乗って走り回っている姿が、都心の名物になっていたりしますね。よく見かけますよ。

 

なかにはベンツで檀家のマンションにやってきて、白い目で見られちゃうお坊さんっていうのもおられるみたいですけどね。
路上駐車のベンツに向かって「けっ、坊主丸儲けかよ」っていう古い言葉を吐きかける向きにも、けっこうね、出くわしたりしますよ。


ベンツから降りてくるお坊さんって、たいてい栄養満点の体系をしていますしねえ。
理由のない反感を買ってしまうですよねえ。大きなお世話でしょうけど。


コロナ前、中国人観光客が爆買いにワンサカ来ていた頃、中国の報道で日本の紹介みたいな記事に、日本ではお坊さんっていっても結婚できるし、肉なんかもヘーキで食べるらしい、っていう内容のがありました。


中国のお坊さんは一生を修行で過ごしているし「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」っていって、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感に加えて意識の6つ。これを常に正常に保つってことをやっているんですね。


なんで、肉なんかは食べない。修行しゅぎょう。
でも日本のお坊さんは、っていう中国のニュース。


日本にいて、そういうニュースに触れましても、ふううん、って思うだけなんですが「六根清浄」っていうのは日本でも見たり聞いたりすることはありますね。


観光登山。そのいろいろな山の登山口にあるお土産物屋さん。そこで売っている杖、ありますよね。
その杖に「六根清浄」って焼き印してあるのは何回か見た記憶があります。


富士登山に何回も行っている知人の話ですと、登りながら「ろっこんしょうじょう、お山はせいてん」って節を付けて声をあげている一団がいるんだそうです。しょっちゅう会うらしいですよ。


「六根清浄、御山は晴天」


富士山、霊峰ですからね。富士登山そのものに宗教的な意識、意味合いっていうのもあるんでしょうね。

 

 

 


苦しくたって富士登山です。一所懸命に踏ん張って一歩いっぽ登りながら「ろっこんしょうじょう」を繰り返して唱えているうちに「どっこいしょ」になったっていう説があるんですよね。


「六根清浄」 ⇒ 「どっこいしょ」これ、面白いと思います。


「どっこいしょ」って、けっこう自然に口に出すような気のする言葉ですけど、考えてみますと、なんだろ? ってなりますよね。呪文っていわれれば、ほほう、そなんだ。って納得しちゃいます。


いや、まあ、呪文っていうのとはちょっと違いますかね。声明(しょうみょう)って言うんでしょうか。


でも、なんだかチカラを入れる時とか、もうひと踏ん張りっていうときとか、お坊さんじゃないけど「どっこいしょ」って言いますよね。


邪気を払うっていう思いを込めての「六根清浄」が「どっこいしょ」の語源だとすると、もっと意識的に普段から言うようにしてもイイのかもです。


中国のお坊さんは「どっこいしょ」なんて言わないんでしょうけどね。


常に厳しい修行に努めている中国のお坊さんが、その香りをかいでしまうと、思わず知らず、お寺の塀を跳び越えて駆けつけてしまうっていうスープ料理が、中国の「佛跳牆(フォーチャオチャン)」


「仏が跳ねる垣根」っていう漢字ですね。


六根清浄が吹っ飛んじゃうような香りの料理。「佛跳牆(フォーチャオチャン)」香りです。さすが中国ってことなんでしょうかね。


中国には、その酒を呑めばその芳香が身体じゅうから漂ってくるっていう「満殿香酒(マンディンシャンチュウ)」っていう伝説の不老不死薬酒もありますよねえ。今でもあるみたいです。香りの酒。


さてその「佛跳牆(フォーチャオチャン)」中国福建省福州の発祥。
準備に時間がかかるんで、要予約っていうスープ料理みたいなんです。


客の予算に合わせて作る煮込み料理。具材は干物が主だそうなんですが、ほとんどが高級食材の干物なんで、予算に合わせてってことになるそうです。


「予算はいかほどでございますか?」なんか、ちょっとヤラシイ感じもしますねえ。
ま、貧乏人のヤッカミでしょうけどねえ。


陶器の壺の中に、アワビ、貝柱、フカヒレ、エビ、ナマコの干物。金華ハム、豚、鶏、アヒルの肉。竜眼、シイタケ、ナツメの干物。ハトのタマゴ。朝鮮人参。オイスターソース。紹興酒


具材の種類にとくに決まりがあるわけじゃないそうですけど、ま、錚々たる具材ですね。さすがにオタカイ感じ。


こういう高級食材を壺の中に入れたら、水を加えて、数時間、食材によっては数日間、煮込むんだそうです。


そもそも壺に入れる前の下準備、干物の戻しにかかる時間ていうのも数日かかるものもあるってことで、食べようと思えば、予約してね、予算も教えてね、ってことなわけですねえ。


壺に食材を入れたら蓮の葉をかぶせた上に陶器の蓋をする。
煮込み終わったら火からおろして陶器の蓋をそっと外す。そして蓮の葉に小さな穴をあけて「仕上げの酒」を流し込んでしばし蒸らす。


仕上げの酒ってなんなんでしょうね。白酒(バイチュウ)とかでしょうか。
その仕上げの酒も食材の種類に合わせて選ぶんでしょうね。


で、頃合いを見計らって蓮の葉をはずします。


そうすると、なんともかんとも、得も言われぬ魔法の香りがあたりに漂い出すってことになるんでしょう。


その香りに気付いたお坊さんが、ときには仏像でさえも、ピーンときてお寺から飛び出して垣根を飛び越してやって来る。それが「佛跳牆(フォーチャオチャン)」なんだそうですよ。


福建省福州以外だと、台湾、香港で、日本では横浜中華街で予約すれば食べられるみたいですよ。


横浜中華街の「佛跳牆(フォーチャオチャン)」
興味はありますけど、値段を調べるのがちょっとコワイ気もしますです。


ガチ中華の店で、廉価版の「佛跳牆(フォーチャオチャン)」をやってくれるっていう話もありますけどねえ。


仏像さえも飛び出させるっていう「佛跳牆(フォーチャオチャン)」ねえ、機会とお金のある時に、って感じでしょうか。


で、お坊さんっていうことでは、「坊さんの気絶」っていう料理もあるんでございますよ。


トルコの料理。
「パトゥルジャン・イマーム・バユルドゥ」っていう名前。すんなり発音できない名前。


パトルジャンっていうトルコ語はナス、イマームっていうのはイスラム教のお坊さん、バユルドゥは気絶ッていう意味で、そのまんまで「坊さんの気絶ナス」ですね。


ありつくために飛び出してくるエネルギーの塊って感じの中国のお坊さんに比べて、トルコのお坊さんはあまりの旨そうな香りに気絶しちゃったってことです。


イスラム教にはたしかラマダンっていう断食習慣があるんですよね。
お坊さんともなりますと、1日だけとかじゃなくって、もっと長い期間の断食をしていて体力も弱まっているところに、得も言われぬ旨そうな香りが流れてきて悶絶して気絶しちゃったんでしょうかね。


世界三大料理に数えられているトルコ料理です。旨いんでしょうねえ。


ナスの皮をストライプ状に剥いて塩水でアク抜き。
トマトを角切り。タマネギ、ニンニクを粗みじん。
ナスをフライパンで軽く蒸し焼き。


別のフライパンで、ニンニクを炒めて油に香り出し。タマネギ投入。透明になって来たらトマト。
塩、砂糖で味を調えながらトマトをペースト状にして、こちらは出来上がり。


ナスを縦に裂いてトマト、タマネギのペーストを詰め込む。
そのナスを水、塩、レモン汁で蒸し煮。


弱火でとろとろやって、ナスがとろとろになったら出来上がり。


冷やして食べるのが普通なんだそうですけど、熱々のもヨサゲな感じがしますけどね。
ま、暑い時期の前菜ってとこなんでしょうか。


でも、こっちの方は香り??? って気もしますね。


ナス、トマト、タマネギ、ニンニク。気絶しちゃったら食べられませんけど、マチガイナイ組み合わせでしょねえ。

 

 

 


両方とも食べたことないですけどね。
「佛跳牆(フォーチャオチャン)」の方は縁遠い気のする料理ですけど、「坊さんの気絶ナス」は自分でも作れそうですよね。


料理自慢の方。お坊さんをどんどん気絶させてみてはいかがでしょう。


きょうも「どっこいしょ」で元気に清浄でいきまっしょい!

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

【ダボス会議】ってなんだろう?

< スイスのダボス市で毎年1月に開催される世界経済フォーラムの年次総会です >

ふううん。そですかあ。
ダボス会議」っていう言葉はよく聞くような気がしますけど、会議っていうコミュニケーションがなんでニュースになるのかなあ、ってぐらいの認識しかありませんでした。
一般の市民生活には、とくに関係が無さそうな感じのダボス会議


2021年はコロナパンデミックの影響でオンライン形式でのダボス会議だったそうですが、1971年に「ヨーロッパ経営者フォーラム」としてダボス市で開催されて以来、2023年時点で52年も続いているんですね。
ずっと開催はスイスのリゾート保養地、ダボス


ただ1回だけ、2001年にニューヨーク市で開催されています。
2001年の同時多発テロアメリカ、そしてニューヨーク市民が受けた衝撃に寄り添いましょうってことで会場をニューヨークにしたんだそうですね。


非営利団体「ヨーロッパ経営者フォーラム」を設立したのはスイスの経済学者「クラウス・シュワブ(1938~)」だそうです。


世界経済フォーラム」っていう名前に変えたのは1987年。
ヨーロッパから世界に名前を変えたんですね。


最初はヨーロッパの経営者たちだけのフォーラムだったんですが、だんだんに経済だけじゃ収まらなくなってきて、世界情勢全般の問題を扱うようになったから、っていうことみたいなんですけど、名前的には経済っていうのを残しています。

 

 

 


ダボスっていう街はスイスの東寄り、リヒテンシュタイン公国に隣接した自治体で、澄んだ空気の街として昔から有名なスキーリゾート。
19世紀には結核患者のサナトリウムが設置だれたことも知られています。空気がイイからですね。


トーマス・マン(1875~1955)の小説「魔の山」は、ここ、ダボスサナトリウムが舞台でした。


世界経済フォーラム」の本部はスイスのジュネーブにあって、2006年には北京とニューヨークにオフィスを設置して、さらに2009年には東京六本木にもオフィスを置いています。
ふううん。看板とか、見た記憶ないですけどねえ。「世界経済フォーラム」ねえ。


世界の動向を決定するチカラがあるとされているダボス会議の出席者は、世界レベルのエリートたちですね。
世界企業の経営者、各国の政治家、様々なジャンルのオピニオンリーダーたち、2000人以上が参加しています。


しかも、招待されて参加するので、出席できる人はダボス会議に顔を出すことだけでも、その人自身のステータスになっている部分もありそうです。
エリート中のエリート。


ダボス人」ってう言い方があって、金持ちのグローバルエリートたちを指すそうですが、当のダボス人たちは、自分たちを国際的な人間であり、出自によってじゃなくって、自分個人の身の振り方として成功してきたって考えているっていう見方もあるんですけど、「雪の中に集う金持ちたち」っていう批判的な捉え方もあるんですね。


世界経済フォーラム」は非営利団体で、世界のリーダーたちが集まって、地球の未来を考えようっていうんですから、なんだか理想的な感じもするんですけど、ダボス会議の内容を公開してはものの実質的な成果がないっていう批判はけっこう根強いみたいです。

 

でもねえ「フォーラム」って、「フォーラムディスカッション」の略でしょ。公開討論です。
必ずしも具体的な結論を出さなくたってイイんじゃないでしょうかね。


「雪の中に集う金持ちたち」ダボス会議って、要するに、金持ちたちの井戸端会議ってことでしょうからね。


「こうします」「こうしましょう」っていうんじゃなくって、「ホントはこうだったらイイのにねえ」「こうするべきなんだけどねえ」っていう討論に終始してオッケーなダボス会議、ってことなのかもです。

 

 

 


判断はいろいろあって「華やかさと陳腐さが入り交じったもの」ってことで毎年決まったようにダボス会議批判のデモが起きているみたいです。
世界のお金持ちたちが集まって、ただウワッツラの話をしているだけだっていう批判をしたくなる気持ちもちょっと分かる気もしますけどね。


でもまあ、影響力があって、お金もあるってことになると、なにか理想の形が見えて来たとき、出来ること、やれる範囲が違うじゃないですか。
たとえ大会社だとしても1社だけじゃ難しいことも、ダボス会議の結果、数社が協力し合って実現出来るかもしれませんし、世界のリーダーたちが地球の現状について共通認識できそうな「場」っていう意味は大きいように思えます。

 

 

ただね、「世界経済フォーラム」を主宰しているクラウス・シュワブさんね、この人、なんかクセの強い人みたいで、まともにインタビューとか受けないってことで、そんなメディア方面からの評判はヨロシクナイみたいなんです。


地球温暖化の問題を議題にして、グレタ・トゥーンベリさんをダボス会議に招待したりしているくせに、ガソリン車で会場に通っているって批判されたりしています。


まあ、その他の招待者たちも自家用ジェットでダボスに来ちゃったりするんで、澄んだ空気がウリのダボスなのにってことで、地元の人たちにしてみればメーワクな国際フォーラムだっていう側面もあるんでしょうね。


も1つ。クラウス・シュワブさんの年収って100万スイスフランなんだそうですけど、日本円だと1億4000万円ぐらい。
金持ちばっかり集まるダボス会議の中では目立たないけれども、その辺も別の方面からの批判の対象になっているらしいですね。


でもまあ、世界に対してかなり影響のありそうな運動っていうのがダボス会議から起こりそうな気配もあります。


世界経済フォーラム」と、イギリス皇太子時代のチャールズ3世が2020年に持続可能な市場構造として「グレートリセット」っていうプロジェクトを起ち上げていて、2021年のダボス会議のテーマとして採択されてもいるんですよね。


今回のコロナパンデミックから世界全体が立ち直っていくために、社会構造全体をいったんリセットしましょうっていうのが「グレートリセット


現状の社会はひずみが大きくなり過ぎている。この機会にもう一度作り直す必要があるってことなんですね。
資本主義の根本的改変ってことになるのかもしれません。


それは「ステークホルダー資本主義」っていう考え方なんですが、これって実は第1回のダボス会議の時から「世界経済フォーラム」が言っている言葉なんですよね。


従来の資本主義は消費者と株主だけをターゲットにしていたけれども、それだけじゃなくって、仕事、商売に関わる人全員。商売が成り立つにあたってのステークホルダー全員ですね。従業員、社会、環境、取引先、下請けだとかのありとあらゆる利害関係者のことを考えた経済活動にしていきましょうってことなんですね。


SDGsの運動はひとまずのゴール目標を2030年に置いているわけですけど、この「グレートリセット」の動きと同期して、世界が大きく変わる可能性って低くないのかもしれませんよ。


資本主義社会、民主主義社会の終焉なんていう声も、このところ大きくなり続けています。
格差社会って言われちゃうような状態じゃあ、常に争いのタネを隣りに置いて生活しているようなもんですからね。どこか根本的に変えていかないと、人類そのものの存続に影響が出てきそうです。


ダボス会議にグレタ・トゥーンベリさんが入っているってことは、しっかりZ世代を取り込んでいるわけで、クラウス・シュワブさんがちょっとヘンクツであっても、言動不一致であっても、これからの地球っていうものを考えていくダボス会議に存在意義は充分過ぎるぐらいあるんじゃないでしょうかね。

 

 

 


グレートリセット」の具体性がどういうことになっているのか。また、この先ダボス会議がどうなっていくのかっていうことには注目して行くべきなんでしょうね。


イギリス王、チャールズ3世。意外にと言っては失礼千万ですけれど、ヤルじゃんね。

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

【Z世代】ジェネレーションゼット ってなんでゼットなんでしょ 誰が決めたんでしょ

< アナログ世代はデジタルネイティブから学ぶべきこともけっこうある気がしますです >

世代の呼び方として「Z世代」っていうのはだいたい1990年代中盤から2010年代序盤生まれの人たちを言うんだそうですが、日本で言いますと2023年時点で小学校5、6年生ぐらいから20歳ぐらいまでの人たちってことになります。


概ね1995年の阪神大震災から2011年の東日本大震災の間に生まれた世代とも言われています。
震災から震災までの世代なんですよ、っとかね、言われちゃうと、当人たちにとってはあんまり気持ちのイイもんじゃない括り方なんじゃないかなって思いますけどね。


スマホネイティブで社会課題への関心は高いが、コスパ、タイパ、っていう自分にとっての効率を重視して、損をしたくない気持ちが強い。とかね、そんな評価をされています。


何を言ってくれちゃってんの。自分は自分だし、いつ生まれたかっていうことに引きずられる人間じゃありませんよ! ってことで、当人たちには関係のない世代括りってことではあると思います。


Z世代のうちで、年齢が上の方の人たちは選挙権を持っていることになりますね。
これからの日本を作り上げていく、真のデジタルネイティブ世代なんです。

 

 

 


Z世代の親は、だいたい団塊ジュニア世代、バブル世代にあたることになるんですね。


真のデジタルネイティブっていうのは、Z世代の直前、ミレニアル世代(Y世代)が史上初めてデジタル文化と共に成長してきたデジタルネイティブであるのに対して、生まれた時からデジタル文化が当たり前に生活環境の中にあって、インターネットネイティブ、スマホネイティブ、SNSネイティブっていうことなんですよね。


ミレニアル世代以前のアナログ世代の中にもデジタル文化をすんなり受け止めて、リーダー的な役割を果たしている人も少なくないんですが、Z世代のデジタルネイティブっていう感覚は一段も二段も違うんでしょうね。


マーケティング対象の気配のする世代の区分けっていうことには、賛成できない気持ちもありますが、生活環境がその世代の特徴を決めるっていうことはあるんだろうなあって思います。
生まれたときから、身の回りにある道具が違うんですからねえ。


スウェーデンの環境活動家「グレタ・エルンマン・トゥーンベリ」さんが2003年の生まれですから、Z世代の代表的な女性ってことになりますかね。
真のデジタルネイティブ世代である彼女が、2018年に「気候のための学校ストライキ」っていう看板を掲げて世界の耳目を集めたっていう、なんともアナログな行動は、とっても興味深いです。

 

 


そしてそのアナログな行動、ストライキを行っている写真をInstagramTwitterに投稿して、メディアの注目を集めると同時に、自分と同じ世代、Z世代に自分と同じように学生ストライキに参加するよう訴えかけたら、世界270の都市で「気候のための学校ストライキ」が実行されたっていうニュースになりました。


ここ、違いますよね、アナログ世代とは。一気に世界的な運動になるんです。Z世代。凄いです。


「私は安心したい。私たちが人類史上最大の危機にあることを知っているのに、どうして安心できますか?」

 

っていう論文や、スウェーデン議会の外での座り込みで、

 

「あなたの大人が私の未来を台無しにしようとしているので、私はこれをしている」

 

っていうリーフレットを配ったりして世界を巻き込んでいく行動力はZ世代のものっていうより、トゥーンベリさん個人のパワーだと思いますが、Z世代の環境意識はナチュラルに強いって言われていますね。社会環境問題への関心の高さはZ世代の世界共通なんですよね。


こういう認識共有って、SNS最大の特徴なんだろうなあって、改めて感じます。

 

 

 


2019年には、グテーレス国連事務総長が、

 

「私の世代は気候変動の劇的な課題に適切に対応できていない。これは若い人たちに深く感じられている。彼らが怒っているのも不思議ではありません」

 

っていうメッセージを発表してトゥーンベリさんの活動、Z世代を中心とした温暖化阻止活動としてのストライキに賛同の意志を示しましたね。


「私の世代は」って言っているポルトガルの政治家、アントニオ・マヌエル・デ・オリヴェイラ・グテーレスさんは、1949年生まれです。ま、アナログ世代ですよねえ。


これまでのトゥーンベリさんの発言を改めて確認してみますと、驚かされるのはその情報発信力よりも、世界中の情報を収集する速さと、その情報量の多さです。


スマホネイティブのプラス方向の特徴は、常に世界の仲間たちと通信状態を保っていて、圧倒的な情報をコントロールできるっていうことなのかもしれません。


もちろん、誰にでもできることじゃなさそうですけれどね。
ネイティブとはいえ、その中にもいろいろあるんでしょうからね。


Twitterといえば、使いこなしているって言えるのかもしれないジーサンに、トランプ元アメリカ大統領がいます。


1946年生まれのトランプさんっていう人は明らかにアナログ世代ではあるんですけれど、まあ、意欲的にデジタル社会と付き合っているように思えます。


2019年の国連気候行動サミットで、トゥーンベリさんとニアミスをした際に、トランプさんはこうtweetしました。


「彼女はとても幸せな少女に見える、明るく素晴らしい未来を心待ちにしているようだ。見ていて何とも気持ちがいい!」


シャレたつもりの「少女」へのtweetに、トゥーンベリさんは自分のTwitterプロフィールを書き換えます。


「明るく素晴らしい未来を心待ちにしているとても幸せな少女」


トランプさんを思い切り睨みつけているトゥーンベリさんの動画配信に

「We are all Greta」

っていうtweetが寄せられたこともまたニュースになりました。この時トゥーンベリさん16歳です。


地球を救うっていうことは、理論じゃなくって行動なんだ。大人は何もやって来なかったし、今もやろうとしていない! ってことを言われているわけなんですけれどね、謝るしかないです。


Z世代の情報コントロールはアナログ世代の思い及ばないレベルなんだろうなあって思いますが、世界はホントに変化していて、若い世代に学ぶべきところってけっこうあるんじゃないかっていう気もします。


ところで、1990年代中盤から2010年代序盤生まれの人たちをZ世代と括るっていうんだとして、今は2023年ですけど、Zのあとはどうすんの? どう呼ぶの? もうあとが続かないじゃん。


って思ったらですね、2013年生まれぐらいからの世代に対しては「α(アルファ)世代」って言うんだそうです。
ジェネレーションアルファ。


アルファベットのあとはギリシア文字ですかあ。誰がそういうネーミングを決めているんだか分かりませんが、世代っていうのは、A世代からあったんでしょうか。
X世代、Y世代があって、Z世代なんだから、その前もずっとあったんでしょうねえ、って思っていたんですが、実は無いんでした。


世代にアルファベットを当てはめたのは、なんとX世代から。


カナダの小説家、ダグラス・クープランド(1961~)が1991年に書いた「ジェネレーションX〜加速された文化のための物語たち」っていうベストセラーがジェネレーションX、Z世代って言い始めた最初なんだそうです。


なので1960年代中盤から1980年代序盤生まれってされているX世代がアルファベットの最初で、その次の世代だからってことで、1980年代序盤から1990年代中盤までに生まれた世代がY世代。
そしてその次だからZ世代、ってそういうネーミングだったんでありました。


アルファベットがZまで来ちゃったから、次はギリシア文字って、なんなん?


世代の区分けに意味は感じませんが、普通に特徴を表したつもりの言葉で括ればイイじゃん!


しかも、なんかアメリカの世代括りを、そのまま日本に持って来なくたって良さそうなもんですけどね。


日本には日本の世代括りがありましたよね。
団塊の世代しらけ世代、バブル世代、氷河期世代ゆとり世代、さとり世代。

 

 

 


まあね、メディアがどういう名前の括りをしたからといって、個々人にその世代の定義を当てはめようっていう風潮は、アホなことだって思います。


ただね、今回のコロナパンデミックって、世界的な変革をもたらすんじゃないのかなあって思えますよね。
コロナパンデミックの前と後。アナログ、デジタル、関係なく。


世界的に、それぞれの国で、次の世代のネーミングがなされる頃にはこの面倒くさいコロナ禍の生活も終わっているはずですけれどねえ。

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com