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【知魚楽(ちぎょらく)】Feel me 僕は君じゃない Touch me 君は僕じゃない

< 荘子と恵子から湯川秀樹博士 そしてサディスティック・ミカ・バンドへ >

いつまで経ってもコロナ禍の行方が全く渾沌としているのは、なぜなんでしょう。


もう3年目に入っている令和4年の現状ですが、メディアは連日コロナ禍についてのニュース報道を繰り返していますよね。
たくさんの記者や様々なキャスターが、一般の市民に、なるべく分かり易く伝えようとしていることは、なんとなく感じてはいるんですけど、結果的に現状を伝えることに終始してしまっていますね。


先行きなんて、さっぱり見えて来ません。


ステルスっていうのも出て来ちゃって、どんどん変異していくっていうやっかいな性質なんだから、感染状況がどうなるかなんて、誰にも分かりゃしないでしょ、ってことで納得してしまってイイもんなんでしょうかね。


なにも日本ばかりっていうことじゃないとは思うんですけど、感染症の専門家っていう人たちって、このパンデミックの中、世界に対してどういう対応をしているのか、それが見えてこないのがモンダイだよね、って思うです。

 


福島原発メルトダウンの時にも感じたんですが、日本の原子力専門委員って、いったい何の専門家なのかってぐらいに具体的な対処をリードすることがなかったですよね。


コロナパンデミックに対しての感染症専門家って、組織立って活動をしている気配も感じられません。
居るんですよね? 日本に、感染症の専門家。何人も。


海外のことは知りませんが、日本の医師会っていう組織は、役割として臨床的専門家集団をコロナ専用に起ち上げて、担当議員さんを相手にするんじゃなくって、国民全般に現状の説明とこれからの対策を、明確にアナウンスして欲しいなあって思います。


そうしたアナウンスを実行している個人医は居ますけどね。
複数居て、それぞれに自分の考えを提示している状況ですので、統一的見解を伝えるってことは実現できていないです。


結果として首相、担当大臣、自治体の長がやり玉にあがっているんですが、彼らは全員、感染症の専門家じゃないですよね。


まあね、政治家なんですから、仕事として感染症専門家をコロナパンデミックにどう向き合ってもらうのかをコントロールすべき責任は、もちろん大きくあるんですけどね。


メディアのツッコミも、悪者探しじゃなくって、組織立てて、コロナ対応していく体制をどうするつもりなのか、やらなければいけないことのビジョンを明確にして、その実現に向けて各専門家を的確にアサインして、国民を安心させてちょうだいよってやって欲しいです。


ま、外野からですから好き勝手なことを言わせていただきますけれど、どうなんでしょう、ホントに専門家っていう存在が居ないんでしょうか。


アカデミックな裏付けを持った専門家は居ても、パンデミック対処ってことになると、手も足も出ないっていう張り子のトラってことなんでしょうか。
専門家っていうラベル自体に意味が無いっていうような、根の深いことなんでしょうかねえ。


そんなことはありませんよ、って力強く言って欲しいところであります。


だらだらと元気の出ない話になってしまいますけれど、特定の組織に人数は揃っていても人財がいないってことが指摘されるっていうことが、ずいぶん前から言われていたのが日本社会ですね。


今現在の感染症対策専門家に望まれるスキルって、コロナウイルスの生物学的見地よりも、人類の命を危険にさらすウイルスっていう生物にどう対処していくべきなのかを丁寧に、分かり易く説明できる「サイエンスコミュニケーション能力」なんじゃないでしょうか。


ある特定の分野で専門家になるっていうことは、傍から「専門バカ」って揶揄されるような専門性が必要になるってことは理解できますが、その専門的なナレッジを、いかに平明な単語で、一般人に説明できるかっていう能力が、全然考慮されていない感じがします。


そういう専門家ってWHOにも居ないのかもしれません。


日本だけが情けないっていう状況ではないんだろうと思いますけど、そういうリーダー的な求心力を持って、きちんとサイエンスコミュニケーションのできる専門家に出てきて欲しいです。


これまでそういうスキルの専門家が皆無だったってわけじゃないんですよね。
世界には何人かいます。
日本にもちゃんと居ます。


その中の1人、湯川秀樹博士のサイエンスコミュニケーションは、多くの著作を見るまでもなく、世界的に知られていますね。


湯川秀樹博士は、1947年に原子核内部に中間子が存在するってことを予言して、1949年に日本人初のノーベル賞ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者。偉人ですね。


理論物理学の研究、実践の他に、なんとも多くの著作を遺しています。


量子力学序説」「素粒子論序説」他多数の物理学の本。


「最近の物質観」「目に見えないもの」他多数の物理思想の本。


「創造への飛躍」を代表とする創造論の本。


「宇宙と人間 七つのなぞ」「この地球に生れあわせて」このほか多数のエッセイや内的世界の本。


その著作は、じつになんとも枚挙にいとまがありません。


荘子」を愛読書にしていたんだそうで、「東洋の思想」っていうエッセイの中に「父から聞いた中国の話」っていうのがあって、その中に出てくるのが「知魚楽(ちぎょらく)」


湯川秀樹博士は色紙を差し出されると「知魚楽」って書いたそうなんですね。
出展は中国の古典ですね。


荘子っていう名前は日本でもよく知られていると思います。

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紀元前4世紀から3世紀、中国、戦国時代の思想化ですね、老荘の教えの荘子です。


同時代の思想家に恵子(けいし)っていう思想家がいます。


荘子と恵子は仲のイイ友だちで、よく談論をする間柄だったそうです。
湯川秀樹博士はこう書いています。

 


これは「荘子」の第十七編「秋水」の最後の一節からとった文句である。原文の正確な訳はわたしにはできないが、おおよそ次のような意味だろうと思う。


 あるとき、荘子が恵子といっしょに川のほとりを散歩していた。恵子は物知りで、議論が好きな人だった。二人が橋の上に来かかったときに、荘子が言った。


 「魚が水面に出て、ゆうゆうと泳いでいる。あれが魚の楽しみというものだ。」


すると恵子は、たちまち反論した。
「きみは魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずないじゃないか。」


 荘子が言うには、
「きみはぼくじゃない。ぼくに魚の楽しみがわからないということが、どうしてわかるのか。」


 恵子はここぞと言った。
 「ぼくはきみでない。だから、もちろんきみのことはわからない。きみは魚でない。だからきみには魚の楽しみがわからない。どうだ、ぼくの論法は完全無欠だろう。」


 そこで荘子は答えた。
 「ひとつ、議論の根元にたちもどってみようじゃないか。きみがぼくに「きみにどうして魚の楽しみがわかるか。」と聞いたときには、すでにきみはぼくに魚の楽しみがわかるかどうかを知っていた。ぼくは川のほとりで魚の楽しみがわかったのだ。」


 この話は禅問答に似ているが、実はだいぶ違っている。禅はいつも科学の届かぬところへ話をもってゆくが、荘子と恵子の問答は、科学の合理性と実証性に、かかわりをもっているという見方もできる。恵子の論法のほうが荘子よりはるかに理路整然としているように見える。また魚の楽しみというような、はっきり定義もできず、実証も不可能なものを認めないというほうが、科学の伝統的な立場に近いように思われる。しかし、わたし自身は科学者の一人であるにもかかわらず、荘子の言わんとするところのほうに、より強く同感したくなるのである。

 


感受性の主体が何処にあるのかっていうのは、量子論にも通じるものがあるのかもしれません。


この「知魚楽」がサイエンスコミュニケーションの好例っていうわけでもないんですけれど、何をどう考えているのかっていうことを伝えようとする態度は、現在の我々自身も、そして各専門家の方々も気に留めておくべきなんじゃないでしょうか。


日本の中に元気が欲しいです。


湯川秀樹博士が著作によるサイエンスコミュニケーションを盛んにし始めたのは、1949年のノーベル賞受賞の後なんですが、この「知魚楽」のエッセイがいつ頃書かれたものなのかは、ちょっとハッキリしませんでした。


ただ、いろんな方面に影響を与えたんじゃないかなあって思えることがあります。


1989年にリリースされた「サディスティック・ミカ・バンド」の「Boys & Girls」っていう曲です。


♪Feel me 僕は君じゃない 


♪Why don't you find yourself you shouldn't be afraid 


♪Touch me 君は僕じゃない 


♪Who will you love tomorrow? You don't know what you need Boys 


イミシンな歌詞ですが、作詞は、森雪之丞小原礼


荘子からの影響なのか、湯川秀樹博士のエッセイから何かを受け取ったのか、はたまた完全なオリジナルな感覚なのかは分かりませんけれど、「荘子の言わんとするところ」っていうのが、荘子の書き残したもの、湯川秀樹博士が書き残したもの、サディスティック・ミカ・バンドが歌ったものとして、コミュニケーションが引き継がれていって、精神的支柱になり得るって感じがします。


そういう根源的なコミュニケーションをして、中長期的な気持ちの持って行きどころを、専門家に示して欲しいんでありますよ。


湯川秀樹博士が亡くなってから41年が過ぎた2022年です。