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【天保六花撰】と【天保水滸伝】の基になった事件がホントにあった天保っていう時代

< 事件なんて いつの時代でもあるんでしょうけれど 天保ってダークヒーローを望んでいたのかも >

令和に入って、イヤな事件が連続して起こっていて、日本の平和レベルも低下してきたのかなあ、とか思っちゃいますよね。
二流、三流の国っていう自覚を持ちましょう、とか言う人も出てきましたからねえ。


国のレベルっていう、その正体がなんなのか、よく分かりませんけれど、二流、三流って言われちゃうと、なんだかガックリしちゃうのも事実ですよねえ。


経済だけのことで国のレベルを決めてるわけでもないんでしょうけれど、国のね、オエライさんたち、なにやってんだかなあ、っていうレベルも、かなり低下してきているのかもですよね。


会社、コーポレーションとかの経営陣っていうのも同じなんでしょうか。
全然接触のない世界。

 

 

 


東京っていう街は常に変化し続けているんですけどね、古いビルを壊して、どんどん新しい高層マンションを建てたりしています。
郊外に行っても高層マンション、どんどん建てているんですよね。


人口減少とか言っているのに、そんなにマンションばっかり建てて、どうするんでしょうって思います。


コロナ禍のリモートワークが推奨されていた頃、一時期は東京の人口が減少傾向だって言ってましたけど、規制がなくなった頃からまた、東京の人口は増えているらしいですね。


東京に住んでいながらこんなことを言うのもなんなんですが、東京一極集中って、イカンと思います。


政治の責任ですよね。


東京の機能分散化っていうことのハジメの一歩なんでしょうけれど、2023年の春から文化庁が京都に移転しました。
文化財がたくさんあるんだから京都でしょ、っていう、そういう単純な理由からなんでしょうかね。


文部科学省が移転するんじゃなくって、その中の文化庁だけなんですね。
文化庁全体としても、完全移転とは言えないってう説もありますけれど、文化庁の職員さんたちは大変でしょうね。家族一緒にっていうケースばかりじゃないみたいですしね。


理不尽な命令、って感じている人も少なくないかもです。


でもね、一極集中っていうのを解消するために、みんな、地元に帰りなさいっていう無茶な命令を出したことが、かつての日本にはあるんですね。


それが「天保の改革」です。
日本史でやりましたよね、天保の改革


でも、授業の中では、みんな地元に帰りなさい、なんて言ってましたっけね? 記憶にありません。
でも確かに「人返し令」っていう、そのまんまのネーミングの命令が出されているんでありますよ。


天保13年、1842年から水野忠邦がそのプランを町奉行に評議させたったことなんですが、みんな江戸で暮らし慣れているんだから、強制的に帰村させるっていうのは現実的じゃないでしょう、ってことで大反対。


まあ、まともなことを言う町奉行たちもいたわけです。天保の時代にもね。
でも、この時の町奉行さん、後に飛ばされちゃったみたいです。


水野忠邦としては幕府の経済を立て直すために、農村からの年貢米を増やそうっていうんで、みんな地元に帰りなさいってことをやりたかったみたいなんですよね。


1867年の大政奉還を四半世紀後に迎えることになる天保の世の中、経済の基本はとっくに貨幣経済になっていたんで、農村から都市部、江戸へ人々が集まって来ていたわけです。


相対的に農村の労働人口が減ったんで、年貢米が減少した。


だったら人を戻せばイイじゃん、っていうのが「人返し令」


水野忠邦っていう人は老中ですから江戸幕府のエリートです。
アッタマ、イイはずですよね。
貨幣経済っていうのを、どう捉えていたんでしょう。


江戸時代からアンポンタンなお役人さんがいたってことなんですねえ。政権の中枢に。


結局、強い反対があったんで、天保14年に出された「人返し令」は、農村から新たに江戸へやって来ることを禁止するって内容だったみたいです。
でも名前は「人返し令」


バージョンアップしていくんだもんねえっていうような、悪辣な意志の強さを感じちゃいます。


江戸の町人たちからしてみれば、何を言ってくれちゃってんだ、べらぼうめえ! って感じだと思いますねえ。


天保の改革のうち「倹約令」ていうのは有名ですね。授業でもやってました。たぶん。


歌舞伎小屋が当時の江戸郊外、浅草に移転させられたり、寄席が取り潰されたり。


贅沢こいてチャラチャラしてんじゃねえよ! っていう倹約令だったみたいなんですが、チャラチャラがイノチの大奥女中方から猛反発を受けたんで、大奥は対象外ってことにしたんだそうです。


そんなことが外に漏れないわけがないんで、大奥は別って、なんだよ! ってことになりますよね。当然です。天保の改革は評判悪いんです。

 

 

 


大飢饉があって、大塩平八郎の乱、そして蛮社の獄のあった天保です。


内政的にはトンチンカンな改革、食生活の不安、そして対外的に有能な頭脳の迫害。
大変な時代だったんですね、天保年間って。


この時代に実際にあった、強請り事件。


江戸城西の丸に勤めていた「河内山宗春」っていう、表坊主。
茶坊主じゃなくって表坊主っていうのは、お坊さんの恰好をして、将軍や大名の世話をして、雑用を司る役割りなんだそうですが、河内山宗春っていう人は次第次第に博徒たちと徒党を組んで悪事を働くようになっていったんだそうです。


女犯した坊主たちを次々に強請ったり、水戸藩富くじ不正を嗅ぎつけて強請ったりっていう、ロクでもない男なんですが、町人には人気があったんでしょうね、講談や芝居に取り上げられています。


それが「天保六花撰(てんぽうろっかせん)」ですね。


河内山宗春は、捕縛されて牢屋に入ってすぐ死んじゃったらしいんですけど、記録に遺っている以外の、当時から庶民の声を代弁してくれるような、痛快なっていう、言い方はおかしいですが、胸のすくような犯罪を繰り返していたのかもしれません。


なにか魅力的な部分がないと、芝居に取り上げられたりしませんよね。ダークヒーローです。


六花撰ですから、6人います。


表坊主の河内山宗春


御家人くずれの片岡直次郎。


悪党剣客の金子市之丞。


娼妓の三千歳(みちとせ)。紅一点がちゃんと入っているっていうのも人気なところなんでしょうね。
この4人はモデルとなった実意の人物たちが特定されているんだそうです。

 

 

あとの2人は、


盗賊の首領、森田屋清蔵。


博徒の暗闇の丑松。


実際にこの6人が徒党を組んでいたのかどうかはハッキリしませんが、徒党を組んでいなかったとしたら、それぞれが、ロクでもない痛快なことをしでかしていたダークヒーローだったのかもしれませんね。


明治になってからは歌舞伎にも取り入れられて「雲上野三衣策前(くものうえのさんえのさくまえ)」「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」として上演されています。


アッパレ~! な6人ってことでしょねえ。


一方、現在の千葉県で繰り広げられたやくざ同士の果し合いに題をとって、これもまた現代まで人気を失わずに、舞台や映画になっているのが「天保水滸伝」です。


新興勢力、笹川繁蔵の一家と、もともと下総に勢力を張っていた飯岡助五郎一家の殺し合いなんですよね。


繁蔵を暗殺された一家が、何度も報復を試みるんですが、果たせず、多勢に無勢、500人に取り囲まれて全員討ち死にした事件だったみたいですよ。


その取り囲まれてからの最後の戦いを中国の水滸伝に寄せて「天保水滸伝


こちらは両方の親分や、繁蔵親分の敵を討とうとした勢力富五郎、そして用心棒の平手造酒(ひらてみき)の魅力が人気なんでしょうね。
笹川一家寄りの演出。


死を賭して意地を通した男たちのダークなヒロイズム、なんでしょうね。

 

 

 


ロクなことをしていない奴らなんだけれども、どこか人の気持ちをスッキリさせてくれる悪いやつら。


今の悪いやつらって、魅力なんか1ミリもないですもんねえ。
水野忠邦がいない代わりに、悪いやつらにもノーミソがない感じ。


世の中の空気。令和の今って、どうなんでしょ。天保の時代と比べて、ちっとはまともなんでしょうか。


何か凶器を持って、っていうんじゃなくって、現代風にペンのチカラで、っとかね、誰か出てきませんかね。
ダークヒーロー。


ま、無責任な夢想でございました。はい。