< 卵が立つかどうかについての話に 何で人類はそんなに興味を示したんでしょうか >
「コロンブスの卵」っていう話は、だれでも聞いたことがあると思います。
卵を立てることが出来るかっていう課題について、みんなが無理だっていうなか、アメリカ大陸を最初に発見したってされていた「クリストファー・コロンブス(1451~1506)」が、コツンと卵の下の部分をつぶして立ててみせた、って、まあ、だいたいそういう話。
イカサマやんけ! っていう反応もありますけど、もっぱら教訓めいたウンチクとして語られることが多いですよね。
誰かが最初にやってみせれば、なあんだ、そんなことなら自分にも出来るよっていうことになるんだけれども、それを最初にやることの価値を知れ、っていうような感じでしょうかね。
ここで、なあるほど、ってピンとくる人もいますし、なんのこっちゃねん、って、ちっとも納得しない人もいるんですよね。
拡大解釈すれば特許とか著作権に対する反応と似たようなものかもしれません。
「コロンブスの卵」っていう話は、コロンブス自身が言い出したものじゃなくって、「ジローラモ・ベンゾーニ(1519~1572?)」っていうイタリアの商人が、1565年に著わした「新世界史」っていう本に書かれたエピソードが広まっていったものなんだそうで、こんなふうなことが書かれているそうです。
スペインに帰国していたコロンブスがスペイン貴族たちのパーティーに参加していた時、1人の貴族が突っかかって来た。
「コロンブスさん。もしあなたがインドを発見していなかったとしても、他の誰かが必ず発見しているでしょうね。我がスペインには天文地理学に優れた、偉大な男がたくさんいますからね」
コロンブスはインドを発見するっていうミッションを持って航海をしたわけで、この時点で発見したのはインドだって世界中が信じていたんですよね。
アメリカ原住民のことをインディアンっていうのがこの時の呼びかたで、インドの人っていう意味ですもんね。
既に生活している人たちがいる陸地を「新発見」っていうヨーロッパ史観も、どうなんだろうって思いますけどね。
ま、とにかく、スペイン貴族はコロンブスの栄誉が気にいらなかったんでしょうね。
お前さんがやらなくたって、誰かがすぐにインドを発見しただろうっていうツッコミに対して、コロンブスは慌てず騒がず、パーティ会場の給仕係に卵を持ってくるように言ったそうです。
卵が持って来られると、テーブルの上において、コロンブスは周囲を見回しながら言います。
「紳士諸君、賭けをしましょう。ここに1つの卵があります。素手で、何も使うことなしにこの卵を立てることがお出来になりますかな」
貴族たちは次々にチャレンジしてみたけれども、誰も卵を立てることは出来ませんでした。
コロンブスは、その卵を自分のテーブルにコツンと軽く打ち付けて、底の部分を平らにして立ててみせた。
「こういうことです」
つまり、物事がなされた後からでは、誰でもその方法を知ることになる。
誰よりも最初にインドを発見したコロンブスの栄誉を蔑むのだったら、自分がそれをやるべきだったでしょう。
っていうことなんですよね。
奴隷商人のコロンブスっていう人が、どういう性格の人だったのかは分かりませんが、どうも、このエピソードはジローラモ・ベンゾーニの創作だろうって言われているんですよね。
卵を立てるっていうエピソードについては、ベンゾーニが「新世界史」を著わす15年ほど前にイタリアで流布していた、似たような卵のエピソードがあって、そっちの方がホンモノだろうって言われています。
「ジョルジョ・ヴァザーリ(1511~1574)」っていうイタリアの建築家で、ミケランジェロの弟子だっていう彫刻家が遺しているエピソードは、イタリア最初の建築家「フィリッポ・ブルネレスキ(1377~1446)」についてのもので、コロンブスが生まれる前のものなんですね。
それは、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建築についてのエピソードです。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、てっぺんの巨大ドームが特徴で、フィレンツェのシンボル的な建物。
そのドーム部分は「クーポラ」「キューポラ」って呼ばれるものだそうですが、それを建てるにあたって行われたコンペでの話です。
新進の建築家だったブルネレスキは、二重構造の巨大なクーポラを仮枠なしで築造する案を提出します。
大聖堂の造営局は、そんな信じがたいことが出来ると言うのならば、模型を提出するように求めたそうです。
すると、ブルネレスキはあっさり拒否。
「卵を平らな大理石の上に真っ直ぐ立てることができる人なら誰でもクーポラを建てられるはずです。それができるかどうかでこの設計を為すことができる知性を持ち合わせるかを試すことができるでしょう」
大勢のコンペ参加者、職人たちがチャレンジしたけれども、だれも卵を立てることは出来なかった。
ブルネレスキは大理石に卵を打ち付けて、卵を立たせた。
そんな方法なら誰だって出来るじゃないかっていう抗議に対して、こう応えたそうです。
「この卵と同じように模型や設計図を見たあとならば、誰だってクーポラを建てられると言うでしょう」
で、実際にブルネルスキはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラを建てたんだそうです。
コロンブスのエピソードより、ブルネルスキの話の方がリアリティがあるように思いますですねえ。
でもまあ、人口に膾炙しているのはコロンブスの方ですね。コロンブスの卵、です。
で、この卵は、ナマ卵なのか、茹で卵なのかっていうのもまた議論のあるところなんですよね。
コツンって大理石にぶつけて底を平らにするって言うんだから、茹で卵に決まってるでしょ。
っていうのが日本に伝わっているコロンブスの卵では多いみたいですけど、ナマ卵だって、やりよによっちゃ、割れない程度にコツンってやることも出来そうですよね。
今よりは丈夫な殻だったでしょうからね。
単に卵っていう場合に、ナマで食べる習慣があるのは日本ぐらいなもんだそうですよ。
スペインであれ、イタリアであれ、ヨーロッパでは茹で卵が普通なのかもしれないですけどね。
卵を立てるっていうことに関していえば、日本でひとしきり話題になったことがあるっていうことを、物理学者の「中谷宇吉郎(1900~1962)」が随筆「立春の卵」に書いています。
この「立春の卵」が書かれたのが1947年4月1日。戦後すぐのエイプリルフールだっていうところがまた、内容とは関係なく面白いところでもあります。
「立春の時に卵が立つという話は、近来にない愉快な話であった。二月六日の各新聞は、写真入りで大々的にこの新発見を報道している。もちろんこれはある意味では全紙面をさいてもいいくらいの大事件なのである」
って始まっている随筆なんですけどね、当時の新聞各紙が卵が立つっていうニュースを取り上げたっていうことです。
特徴は「立春」ってことですよね。
立春の日に限って、卵が立つ。
なんと不思議なことよ。
新聞のニュースはそういう内容だったんでしょうね。知らんけど。
中谷宇吉郎は言います。
「しかし、どう考えてみても、立春の時に卵が立つという現象の科学的説明は出来そうもない」
「支那伝来風にいえば、立春は二十四季節の第一であり、一年の季節の最初の出発点であるから、何か特別の点であって、春さえ立つのだから卵ぐらい立ってもよかろうということになるかもしれない。しかしアメリカの卵はそんなことを知っているわけはなかろう。とにかくこれは大変な事件である」
それでですね、さすが、と言いますか、物理学者の中谷宇吉郎は自宅で実験するんですね。
でも、あれ? って思うのは、中谷宇吉郎の実験は茹で卵でやっていることです。
いかに物理学者とはいえ、家で実験するのに、わざわざ茹で卵、です。
新聞の解説で卵の中の流動性がどうとか言っているのが、意味不明だって言ってますから、その流動性をなくすために茹でたのかどうか分かりませんが、あっさり成功したそうです。
で、ナマ卵でも成功しています。
「こういう風に説明してみると、卵は立つのが当り前ということになる。少くもコロンブス以前の時代から今日まで、世界中の人間が、間違って卵は立たないものと思っていただけのことである。前にこれは新聞全紙をつぶしてもいい大事件といったのは、このことである。世界中の人間が、何百年という長い間、すぐ眼の前にある現象を見逃していたということが分ったのは、それこそ大発見である。
しかしそれにしても、余りにことがらが妙である。どうして世界中の人間がそういう誤解に陥っていたか、その点は大いに吟味してみる必要がある」
その通りですよね。
立春っていう日付に、なにか特別な意味を感じていた世代、っていう見方も出来るのかもしれませんが、特別な意味を持たせたい心理っていう方が、大騒ぎする原因だったのかもしれません。
ただね、戦後すぐの混乱期のことではあります。
新聞が一般家庭にどれくらい浸透していたのかも分かりませんけれど、卵が貴重品だったことは間違いないでしょうからね。
卵が立春に立つとか、そんなん言ってないで、さっさと食べろ! っていうのが世間的な評価だったかもしれません。
とうわけでですね、卵はナマでも茹でても、立つんです。
立春じゃなくたって、いつだって立つんです。
立たないよ! っていう人は、不器用っていうより根気がないっていう結論になりそうです。
ちなみに、1960年にニューファンドランド島で発見された「ランス・オ・メドー」っていう遺跡で、かなり古い時代にバイキングが生活していた証拠となる鉄釘が見つかっていて、最初にアメリカ大陸に到達したヨーロッパ人はコロンブスじゃないっていうのが、現在の常識なんだそうです。