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【不条理劇】を考える 雄弁はミサイルを止められるか

< 現状変更の第1歩は「キーウ」から始まりそうです >

新型コロナウイルスパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻で、2022年の世界は強制的に変化せざるを得ない状況にされてしまった、といいますか、もうすでに変化が進行しているんだろうなって感じます。
いつから、っていうのは分かりません。


転機はいつだったのかっていうのは、後から振り返ってみないと判然としないっていうことが普通ですしね。


各種の世界機構の再編だとか、大きな動きは具体的にはなっていませんが、変わらざるを得ないんだろうって思います。


アイツ悪い奴だよね。
そうだそうだ、とんでもなく悪い奴だって認定しましょう。
賛成さんせ~い!


って感じで決めたって、何か実行力が伴うわけもなく、世界大戦にならないことを願うばかりですが、2度の世界大戦っていう失敗を経験して作り上げたはずの平和のバランスは最早機能していないっていう悲しい事実です。

 


ウクライナの戦禍に対して、何か出来ることはないのかっていう気持ちはみんなが持っていることだと思います。


国連も各国の政府も、何も具体的な行動を起こせないっていう事態に世界全体が倦んできている今。
その無力感から深く影響を受けるものの1つはエンタテインメントだと言えます。
もちろん21世紀の現段階で、その変化の先鞭をつける役割はメディアにあることになるでしょう。


日本政府が積極的に行動変容を見せられない現状に、国の許可を待つまでもなく一部のメディアはウクライナの都市の名前の呼び方を変更し始めましたね。


例えばウクライナの首都「キエフ」を「キーウ」に、軍港である「オデッサ」を「オデーサ」に呼び方、表記変更を実行しています。


街の名前の呼び方、表記を変えることによって何が変わるのか。やっぱり何も戦争を止める役には立たないんじゃないかっていう意見もあるでしょうけれど、そこには明確なロシア離れがあるんじゃないでしょうか。


首都である街を「キーウ」と呼ぶように、ウクライナ政府は1995年に「キーウ」を自国の首都の日本語正式名称に定めました。
キエフ」というのはロシア語読みであって、ウクライナ語に近い発音をカタカナ表記すれば「キーウ」が妥当だってことですね。


日本での「キエフ」読み、表記は、ソビエト時代のロシア語を採用しているからなんでしょうけれど、1991年にソビエトは解体して、ウクライナは独立したわけですからね、自分たちの言葉を持ってる独立国としては当然のことですよね。


ただ1995年時点での日本政府の反応は、世界的にはウクライナ語の「キーウ」ではなく、ロシア語の「キエフ」の方が浸透しているので変更しないっていうものでした。
ウクライナ政府側も、この時には強硬に主張した様子も無いみたいです。


ロシアとウクライナの関係性が特に悪くはない、っていうより、婚姻関係だとかも珍しくない両国関係ですから、ん~、まあしょうがないかって感じだったのかもしれません。この時には。
兄弟のような国、っていう表現がなされるのも、そうした関係性があったからなんでしょうね。
まあ、そこまで親密じゃあないよ、っていう意見もあるみたいですけどね。


2012年に計算通りってことでプーチンがロシア大統領の座に戻って来て、2014年にウクライナクリミア半島に軍事侵攻して強制併合してしまいます。
両国の一般市民同士の付き合い方とは関係なく、国同士の関係性は険悪なものになってしまっていたってことなんでしょうけれど、ロシアの蛮行、プーチンの愚行に世界は驚きましたが、なんともぬるい経済制裁を決めただけでしたね。2014年は。


今にしてみればメディアでの取り上げ方も敏感ではなかったかもしれないです。
日本メディアにとって、日本人にとってウクライナは遠い国。でした。


ウクライナ外務省は、このクリミア半島強制併合に対して、「キーウはキエフではない運動」を起こして日本政府に働きかけています。


ウクライナの地名のカタカナ表記に関する有識者会議」 を設置して検討した結果、「ウクライナの首都名について、キーウ、キイフ、キエフの3例の併用を可とする」という結論を出しています。
日本政府としての一応の抗議っていう意味はあると思いますが、併用っていう結論ですし、日本のメディアはキエフという呼び方、表記を変えることはありませんでしたね。


2022年のウクライナ侵攻のニュースを伝え始めた時点でも、ずっと「キエフ」でした。
マスメディアではなく、SNS上ではすぐに「キーウ」という表記が浸透し始めた事実を認知していた方も少なくないと思います。


こうした流れを受けて日本政府は記者会見で、名称変更は難しいって発表したんですね。
日本には「在外公館名称位置給与法」っていうのがあって、この法律で決められている名称が「キエフ」なんで、法律を変えない限り「キーウ」に変更はできないっていう事情があるからなんだそうです。


ま、法治国家ですからね日本は。そういうもんですかっていう感じで、これまではメディアも政府が変更していない以上自発的に変えることはしなかったと思うんですが、3月24日辺りから「キーウ」「オデーサ」を使い始めました。


SNSっていう「世論」に圧されたこともあるでしょうけれど、自分たちに出来ることは何か、戦争を終わらせるためには無力かもしれないけれども、出来ることから積極的にやっていこっていう態度の現われっていうふうに捉えることも出来そうです。
政府だって法律変える手間を惜しんでる場合じゃないって思いますけどね。
小回りの利かない大型恐竜のような体質からの脱却が期待できるかもしれません。

 


メディアのジャーナリズム回帰は、世界変貌の時期には是非とも必要となる力になるはずです。
そうした流れの中から出てくるであろうエンタテインメントの1つが「不条理劇」だと思います。


不条理劇は19世紀に始まったとされるものですが、映画やテレビにはあんまり登場して来ないかもしれないですね。舞台公演が主ですから「不条理演劇」って言われることが多いかもしれません。


もちろん演劇だけってことは無くって、小説がスタートになっていますね。


第一次世界大戦前夜に書かれたってされるカフカの「変身」が出版されたのが大戦中の1915年。
第二次世界大戦が始まっていた1942年に発表されたのがカミュの「異邦人」ですね。


ただ、こうした不条理小説と呼ばれる作品は、不条理ではありながら合理的な内容だって言えます。
言ってみれば分かりやすさを持っています。


この辺りが難しいところで、不条理と言いながら受け取る側に伝わってしまうのはホントの不条理じゃないんじゃないかっていう意見が、当然ながら出てきます。


不条理劇、不条理演劇って呼ばれる代表的なものは、観劇してすぐに何か意味のあるものを受け取れる種類の劇じゃないっていうところが特徴だって言えるんでしょうかね。
だって不条理なんだから、っていうことでしょう。


ロシアの支配下に置かれていた19世紀末のポーランドを主な舞台とした演劇「ユビュ王」が発表されたのは1888年。パリで初演されたのが1896年だそうです。


作者はフランスのアルフレッド・ジャリ
「ユビュ王」が不条理演劇の嚆矢とされています。

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主人公のユビュ親爺が、夫人のユビュおっかあにそそのかされるまま、「くそったれ!」と叫びながらポーランドの王位を簒奪して、貴族を皆殺しにしてやりたい放題をやってお宝を奪ったものの、追放されて、それでもめげずに別の国へ逃げて行くところで終幕。


当時のブルジョアたちからは酷評されてスキャンダルになったみたいです。


ただ、一部の、例えばシュルレアリストたちからは支持されたそうなんですね。
ただのドタバタ、ただ下品なだけ、っていうのとは違うんだろうとは思いますが、観たことはないのでよく分かりません。19世紀ですからね。


社会の中に不条理感が漂って来ると評価され直しているみたいなんですけどね。「ユビュ王」


不条理劇の代表とも言えるのが、アイルランド出身のフランス人、サミュエル・ベケットの「ゴド―を待ちながら」ですよね。
これは読みましたし、観たこともあるんですが、下品じゃないですし、ドタバタでもありませんが、はあ~? っていう内容ですね。
観た人がいろいろ、好き勝手に解釈すればイイじゃん、っていう感じ。


いろいろ独自の解説をしてる人がいっぱいいて、なんだか不条理に対する理不尽な解説群みたいになっています。


第二次世界大戦後7年経った1952年発表、1953年パリで初演された有名な演劇ですよね。


木が1本だけポツンと立っている田舎の道に、ウラディミールとエストラゴンという2人のみすぼらしい男がいて、ぐちぐちと話というか、愚痴の言い合いをしているんですが、エストラゴンが「もう行こう」と切り出すと、ウラディミールが「だめだよ」と引き止めます。
その理由がここでゴド―を待つんだからってことなんですね。


この2人以外にもなんだか得体の知れない主従が出てきますし、「きょうは来ないよ」っていう伝言を持って来る少年がいたりしますが、芝居はほとんどウラディミールとエストラゴンのつぶやきなんですよね。


個人的には面白いもんじゃないな、っていう感想なんですが、世の中の評価は「不条理!」ってことで高いです。


ただ思うのは、第二次世界大戦っていう最大級の人類の愚行を体験してしまった世界の空気感が、そうした不条理な演劇空間を作り出すんだろうってことですね。


あまりにも難しいんでさっぱり理解できませんってことなのかもなあって思っています。


サミュエル・ベケットは1969年にノーベル文学賞を受賞している作家です。
三部作って言われている「モロイ 1951年」「マロウンは死ぬ 1951年」「名づけえぬもの 1953年」は読みましたけど、頭が混乱するぐらいどうでもイイような話でした。
自分には何が出来るだろうかっていう不条理感っていうものの正体って、こういうものなのかなあって思います。


「ゴド―を待ちながら」のゴド―っていうのは、いろいろ解釈のある中で「ゴッド(神)」だろうっていうのが定説です。


で、2007年、別役実の「やってきたゴド―」が発表されます。


これは「ゴド―を待ちながら」を知っていれば、観ていれば、けっこう面白い芝居です。


ウラディミールには自分の息子かも知れないっていう乳母車の中の幼児が現れ、エストラゴンには自分の母親らしき女が現れて、あーだこーだ混乱しているところへトランクと傘をもった男がやってきて、
「ゴド―です」
お呼びでないシチュエーションでの登場はナイスです。


「わかってます。あなたはゴドーで、ちゃんとやってきた。わかってますよ」


不条理がゴド―の方からのこと、になっちゃったわけですね。


別役実って人も日本の不条理劇作家として知られていますけれど、「やってきたゴド―」に限って言えばどうなんでしょうって思いますね。
不条理の裏返しは、やっぱり不条理なんでしょうか。

 


ん~。まあ、なんにしても、そういう不条理劇の時代が、またやってくるのかもです。


ウクライナの主要都市以外の呼び方、表記についてはこの先どうするんでしょうかね。


日本は軍事的援助は出来ませんっていうのは世界的に認知されていて、ゼレンスキー大統領の演説もそうした要求はしていませんでした。


生活必需品だとかの援助も直接ウクライナへ入っていけませんっていう状況なんでしょうけど、非難してくるウクライナの人たちを受け入れているポーランドスロバキアハンガリールーマニアモルドバへ素早い援助をしてあげられないもんなんでしょうか。


もちろん、その国にいる日本人個人や、PKO団体とかは既に実行しているんだろうと思いますけど、そういう支援をスピーディにやるべき国の筆頭が日本なんじゃないかって思いますけどね。


不条理をウクライナ周辺だけに圧しつけずにね。国をあげて大々的にやれば、日本人はみんな協力すると思いますよ。
北朝鮮のミサイルもそうですけど、ロシアからウクライナへの攻撃は日本に留まったままで、言葉で何か分かったようなことを言ったり、非難したりしているだけじゃミサイルは止められないでしょ。


世界大戦は望みませんよ、誰もね。でもゼレンスキー大統領の雄弁が国のエライ人たちに、メディアの人たちに響かないんだとしたら。。。


めっちゃ無力感。不条理。


報道でキーウって言ってるかどうかはすぐに確認できますよ。

 

<2022年3月31日 追記>

外務省がウクライナ政府に意向を尋ね、変更の希望を確認し、ウクライナの首都キエフの名称表記について、ウクライナ語の発音に基づいた「キーウ」に変更すると発表しました。

当記事アップから数日での変更発表となり、なかなかだと思います。

キーウ以外にも随時変更がメディアにも浸透していくことと思われます。