< いま在る人生を自分のために自分らしく生きるってこと >
厚生労働省が主体となって2018年に成立した「働き方改革」正式名称「 働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律 」は、2019年4月から順次適用され始めて、コロナ禍のテレワーク推進によって、かなり広く社会的に認知された感じもします。
そのずっと前から、言葉としては言われてましたよね。
柱だってされているのは、3つありまして、
「長時間労働の是正」
「正規と非正規の格差解消」
「柔軟な働き方の実現」
ってことなんでした。
日本の働き方改革って、始められてからほとんどの期間がコロナ禍の自粛期間ですからね、働き方改革、イコール、テレワークみたいな受け取られ方なんじゃないかって気もします。
たしかにテレワークは柔軟な働き方っていうことの一部にはなっているでしょうけどねえ、柔軟性っていうのとは違いますよね。
そもそも、なんとかしないとねえ、っていう根本にあるのは「日本人の生産効率が悪い」ってことでしょ。
ちょっとこれ、ショックですよね。日本人って生産効率、悪いらしいんです。
仕事に対するモチベーションっていうのも含めて、御上から言われて、唯々諾々と従うっていうスタイルの中に働き方改革の答えがあるようには考えにくいです。
生産効率が良くなるわけがない。
コロナ禍の間、テレワークがメインで、月に1回程度出社すればオッケーだったっていう人が、徐々に出社せよってことになって、通勤電車に乗らざるを得なくなって、もうヤダなあって愚痴っていますよ。
周りにたくさん居ます。
そりゃそうだよねえ、会社に通勤するっていうことじゃなくって、あの満員電車がイヤ、なんでありますよ。みんなね。
こんな働き方じゃダメだよねえって、今回気付いた人も少なくないんでしょうけれどねえ、たぶんおそらく、しぶしぶ元の通勤ラッシュの中に戻っていってしまうんでしょうね。日本はね。
どうしたらイイんでしょかねえ。
社会インフラの問題でしょ。我慢強い日本人っていうのを、なんとか脱却した方がイイのかもですよ。
自分たちで変えていかないと何も改革できませんよねえ。
徐々に変わってきてはいるんだろうって感じる部分もありますけどね。
最近の若手は会社の人間と呑みに行かなくなったよね。
昔は課長が一声かければさ、もう全員で行ったもんだけどねえ。
なんて言う人がいます。
あのね、そりゃね、あんた自身は気付いてないのかもしれないけどさ、今の若手が酒を呑まなくなったってことよりも、お前となんか一緒に呑みたくないんじゃ! ってことなんですよ。
自分だって若い頃はそう感じていませんでしたか。
会社でのポジションが上になると、なんだか楽しくなっちゃうんでしょうかね。
たいていの場合、グループワークとかじゃないのにさ。
例えばそういう習慣みたいなところから変えていかないと、生産効率とか、労働効率とか、職場の空気とか、良くならないでしょうね。
オンとオフの使い分けにメリハリを付けて、充実した生活をしましょう。っとかね、言うけどさ、それってあくまで仕事がオンっていうことでしょ。
海外のことは知りませんけれど、日本ではそうですよね。まず仕事があって、オンは仕事モードのこと。
仕事することが生きること。
仕事をするために休息する。休日は仕事のため。オンのためのオフ。
仕事が終わっても上司が残っていると、なかなか帰れなくって、なんだかぐずぐず居残っている、っていまだに普通のことだったりしますけど。
ホントは、自分のタスクが終わっているんだったら「お先に失礼します」「お先です」「おさき~」「うさぎ~」「お先でっす」でイイんですけどねえ。
ま、それでも最近は、率先して先に帰る上司ってのも出てきてはいる感じでしょかねえ。
自分にとってのオンってなに?
仕事ですよ~、って人だっているでしょうけど、そうじゃない人の方が多くなって来ているんじゃないですかね。
ホントの自分をオフにして、さっさと効率よく終わらせるべきもの。それが仕事ってこと。
なんてヤだよねってことです。
自分にとってホントに大事なことが今の仕事です、って人って、経営者なんかはそうなんでしょうけど、大きな組織になればなるほど、仕事が自分にとってのオンじゃないって人、増えてきています。
っていうか、そっちの方が人間らしい気がします。
正直に生きてる。自分で自分のことを、ちゃんと考えている。
一度の人生、会社のためとか、仕事に対する義務感だとかに拘泥してしまって、自分のために生きていない日本人って多いよねえって思います。
ま、自分も含めてってことなんですけどね。
「幸福主義」っていうのがあります。
紀元前4世紀のギリシャの哲学者「アリストテレス」が唱えている考え方なんですが、
「人間にとっての最高善は幸福であり、良く生き良く行為することが幸福と同じ意味である」
っていうことなんですよね。
個人にとっての「良い」ことっていうのはそれぞれ違うでしょうけど、それを判断するのは、他人じゃなくって自分じゃないと、自分を生きていることにならないって意味なんでしょうね。
労働効率の悪さって、自分の時間を誰のためでもなく、少なくとも自分のためには使えていない結果、仕事の出来とは関係なく、見かけの労働時間に費やしてしまっていることなのかもです。
アリストテレスはマケドニアのアレキサンダー大王の家庭教師だったことでも知られていますが、アレキサンダー大王の伝説に「ゴルディア―スの結び目」っていうのがありますよね。
古代のトルコ王、ゴルディア―スが神殿に牛車をミズキの樹皮でつないだ。
石柱につないだミズキの樹皮は、それまで誰も見たことのないほど複雑な結び方で、それ以上ないほど頑丈な結び目だった。
そしてゴルディアースは宣言します。
「この結び目を解くことができた者こそ、この国の王になるであろう」
どんな知恵者も、いかなる力自慢の男でも、その結び目を解くことは出来ないまま時は過ぎていきます。
数世紀を経てやってきたのがアレキサンダー大王。
ゴルディーアスの伝説を聞いてアレキサンダー大王は、その結び目を解く者は自分しかいないと挑戦しますが、やっぱり解けません。
と、大王は大剣を振りおろして、その結び目を一刀両断。
「運命とは伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り拓くものである」
何から何までが伝説ってことではあるんでしょうし、誰もが大王を目指す必要もないんですけど、アレキサンダー大王の一刀両断は、アリストテレスの「幸福主義」の教えの実践だとも捉えられそうです。
会社から言われるままの働き方改革じゃなくって、我々個々人が、自分のしあわせのために改革の一刀両断を実行していくタイミングなのかもしれません。
コロナ禍をイイ方のきっかけとして、自分自身の人生を楽しむチカラってのを考えているわけです。
ん~。なんか今回はリキんじゃいました。すびばせん。
wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com
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