< 一般社団法人 大洗観光協会「よかっぺ大洗」が推進するビーチの新しい活用法 >
21世紀を生きる我々が最もよくやる「物を書く」という行為は、メールでしょうかね。
メール以外でも物を書くって、ま、普通にやっている行為だとは思うんですね。
ビジネス文書、ドキュメント、プレゼン資料だとか、なかなかシビアな物書きを経験している人も少なくないでしょう。
で、このブログもそうですが、たいていの場合、手書きじゃないですね。ある程度の分量のある物を書く時は、ほとんどデジタルですよね。
フォントを選んで、キーボードを打つ。パッドをタッチする。
音声入力っていうのも、ここ数年かなり進歩してきていますね。これからは入力のメインになったりするのかもしれません。
ペンを握って書く、という行為から、キーボードや音声っていう入力方法は変化してきているわけですが、それは方法の変化ですよね。物を書くっていう行為の根本って言いますか、自分の中から何事かをアウトプットする人間の姿勢には変わりがないように思います。
ビジネス文書にしろブログ記事にしろ、書く人の中にアウトプットする何物かがないと、書けません。
書き続けることが出来ません。
アウトプットする何物か、とはなんでしょう。我々は何をアウトプットしているんでしょうか。
ブログ記事の場合、人によるとはいいながら、その時感じたこと、何かきっかけがあって気持ちが動いたときに、自分の中から何物かを引き出してきて記事にするっていう流れなんじゃないでしょうか。
仕事として、明確な義務があったりするわけじゃないから気楽だよね。っていう感覚は、どうやら間違いだよねえってことは、ブログを続けている人は感じていると思います。
気楽には続けられないですよね。
ビジネスで書く文書は自分自身の感覚や心情に沿ったものじゃないです。考え方や態度みたいなものは自分のものですけれど、仕事上の文書ですから、成果が求められます。正解と言って良さそうな書き方がありそうです。
その分だけむしろ「型」があって、フォーマットに沿った書き方で仕上げることが可能ですね。
ブログ記事はそうしたフォーマット的なことも含めて、全部が自分自身のオリジナルってことになりますね。
ビジネス文書には求められない何物かが必要です。
なので「ブログの書き方」みたいな記事も多く見受けられます。この記事もそうですね。
別の面から考えてみますと、ビジネス文書を書くときに重要なのはヒラメキだったりしますが、ブログ記事はヒラメキだけで書き続けるのは難しいですね。
なんでかって言いますとですね、ビジネス文書を書く時のコアになるアウトプットすべき何物かは、自分で自分の中にインプットすべき何物かがキチンと与えられているのに対して、ブログ記事でコアになるアウトプットすべき何物かは、そのためにインプットしておくべき何物か自体も、全部自分の生活の中から、自分の責任においてインプットしたものでしかないからなんですね。
人間が普通に生活していれば、普通にインプットされる何物かは存在しています。
そういうインプットがあるから、ふと何かに気付いたり、気持ちが動いたりするんだろうと思います。
ここで言おうとしているインプットは知識ってことじゃないですよ。
まさに自分自身を作っている何物か、っていうニュアンスです。
それがないと、ブログに限らず、物を書くっていう行為は、なかなか難しいって事になりますよね。
悔しいことに、その自分だけのインプットは、何かをアウトプットすると無くなってしまう感じがします。完全に消え去ってしまうってことはないにしても、ガクンと目減りしちゃう。
なので、ブログ記事を書き続けるためには、ま、ブログ記事に限ったことじゃなくって物を書き続けるためには、適切なインプットが随時必要です。
どんなインプットがイイのかっていうことは、テーマごと、それこそ十人十色ってことになるんだろうと思います。
誰でもやっているインプットは、本がスタンダードでしょうかねえ。
小説でも、ノンフィクションでも、マンガでも、本を読んで、つまらんって思ったりすることも含めて気持ちが動いたりして、何かが自分の中にインプットされる気がします。
でも本だけじゃないですね。映画を観たりすることもインプット。イイ景色を見たりすること、キレイな花を見ること、いろいろインプットされることは世の中に溢れてはいます。
ですが、自分自身に元気がないと、せっかくインプット要因に触れていても、気付かない、入ってこないってこともありそうです。
読書好きなので以前は月に十数冊読んでいましたが、このところ減って来て月に数冊の日々が続いています。
巣ごもり生活の中でずっと本のそばに居ることになったっていうことも、読まなくなった原因の1つじゃないかなあって気もしますし、ブログを始めて本を読む時間が極端に減ったからかなあって気もします。
これまで本を読んでいた時間でブログを書いている、のは事実ですけどねえ。
一冊の本とじっくり向き合う、みたいな時間が欲しいなあと思うことがあります。
いつでもどこでも出来るでしょ、って思っていたんですが、なんかねえ、じっくりできないんですねえ。
公園の木陰で本を読んでいる人を見かけることがあります。
うまい向き合い方だなあって思います。
1時間とか2時間、じっくり本と向き合っているんでしょうねえ。
本人は、家の中だと子供がうるさいから、とかそんな理由で公園に来ているのかもしれませんが、公園を走り回る子供が居てもそれは気にならないみたいです。
マネッコしてみようかなあって思うんですが、なんだかですね、1つの公園の中で本を読むに適した木陰って、案外少ないですね。
同じベンチに座るっていうのはねえ、やってやれないことはないですけれど、マナー違反っていうか、ちとやり難いですねえ。
って思っていたら、「よかっぺ大洗」の情報を見つけました。「砂浜図書館」です。
「よかっぺ」っていうのは、これイイでしょうってな感じで、相手に同意を求めるときの「いいでしょう」にあたる茨城弁らしいです。
「よかっぺ大洗」大洗ってイイでしょう。
ふううん。まあね、大洗海岸って有名ですよね。ここには「神磯の鳥居」っていうパワースポット、有名な初日の出スポットがありますね。
水戸光圀が「あらいその 岩にくだけて散る月を 一つになしてかへる浪かな」って詠んだとされる、磯の中に立っている鳥居です。
大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が降り立った磯なんだそうです。
大国主命を主祭神とするのが「大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)」
少彦名命を主祭神とするのが「酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)」
この2社で1つの信仰なんだそうですよ。
少彦名命は酒造りの神とされていますからね、「酒列」です。
そういう由緒ある大洗海岸の砂浜に「図書館」です。
リフレクションビーチなんだそうで、ホームページの写真とかを見てみますと、ずいぶんアートっぽく宣伝しています。
「よかっぺ大洗」です。
でも、なんだか、ホントに良さそうです。
雨天、強風の日は中止の図書館。夏の騒々しい暑さが遠のいた秋口、2021年は10月16日の土曜日から、10月31日の日曜日までの限定開館。
広がる水平線と、波の音。潮風にめくられそうになる本のページ。
ターフ席とパラソル席、入館料は1人500円。大学生以下は無料だそうです。
本は持ち込みもオッケー。
「お帰りの際に本をお戻し下さい」ってことです。そりゃそうでしょねえ。
コロナになって、2020年、やってみたら、案外好評だったんで2021年もやりますってことみたいです。
映画のワンシーンみたいな宣伝写真です。
どんな本が用意されているのか分かりませんが、持ち込みオッケーってことですから、自分の好きな文庫本でも、ちと厚めの単行本でも、持って行ってじっくり読んでみると、かなり強烈なインプットになるかもです。
誰かと共感、共鳴できるような物が書けるかもしれないインプット。
車で行くのがスタイリッシュかもですが、ほら、「酒列」です。少彦名命です。
電車で行って、本をたたんだら、近くの居酒屋に、っていう計画をたてておりますです。はい。
インプットです。本も水平線も、酒もね。んはは。